第二十三話 プラトニックラブ宣言

 俺は優と手を繋ぎ、二人で帰路に就く。


 家に着くまでの約三十分間。何だか気恥ずかしくて、俺は何も話すことができないでいた。

 こうして俺たちは、ただ無言で歩き続けている。しかし不思議と気まずさはなく、むしろどこか心地よさを感じている自分がいた。優も同じ気持ちなのだろうか。時おり目が合うと、照れ臭そうに微笑む。


 ……何だこの可愛い生き物は。

 いや、俺の彼女だ。

 そう、俺の彼女なのだ。

 大事なことなので二回と言わず何回でも言うが、俺の彼女なのだ。


「……ああ、そうだ」


 大事なことを忘れていた。


「どうしたの……?」


「新一に連絡するのを忘れてた。多分あいつ、まだおまえのことを探し回ってると思う」


 ……すまん、新一。あまりにも幸せすぎて、すっかり忘れていたと心の中で謝罪する。


「……お兄ちゃんが、わたしを探してる? なんで……?」


 優が、どこか怯えたような表情をする。

 ……やはりか。自分は新一に嫌わている、憎まれている。そう、優は思っているのだろう。


「それは、おまえの兄貴だからだよ。それ以外に理由がいるか?」


「……」


「優。新一に連絡するけど、大丈夫か?」


 優が今なにを思っているのか、俺には分からない。

 もしかしたら不安に押しつぶされそうになっているのかもしれない。

 しかし、そうなのだとしても優が──いや。それは新一もだ。これからすることは、この二人が前に進むためには必要なことなんだ。


「大丈夫。……暁が、いてくれるから」


 繋いでいる優の手に力がこもり、俺の手をギュッと強く握ってきた。


「ああ」


 その小さな手を、俺も強く握り返す。そして新一に電話をかけた。

 コール音がするよりも早く、新一に繋がる。


「早いな」


『俺も、おまえにちょうど電話しようとしてたところだ。……そっちはどうだ? 俺はまだ優を見つけられていない』


「安心しろ。無事に確保した」


 隣を歩く優が不満そうに「犯罪者みたいに言わないでよ」とぼやいていた。


『……そうか、流石だな、暁。妹を救ってくれて、ありがとよ』


 その声に安堵の色が滲むのが、電話越しでも分かった。


「違うぞ、新一。まだ話は終わっていない」


『まだ? それはどういうことだ? ……優は、そこにいるんだろう?』


「本当の意味で優を救うには、おまえの力が──言葉が必要だ。だから合流したい」


『だが、優は……俺のことを……』


 そうだ。新一もまた優と同じように、相手に自分が憎まれてると思い込んでいる。

 こうして今日に至るまで、ずっと二人はすれ違い続けてきたのだろう。

 それを終わらせる時がきたんだ。


「新一、おまえは優が憎いか?」


『っ! そんなわけがあるかっ!!』


 新一が張り上げた大声は優にも聴こえたようだ。その言葉に理解が追い付いていないのか、優はしばらく表情を呆然とさせていた。それから少しすると、やがて彼女は肩を震わせて小さく嗚咽を漏らし始める。


 俺は立ち止まり、優に無言で電話を差し出す。すると一瞬躊躇したものの、それを彼女は恐る恐る受け取った。


「……お、お兄ちゃん? あ、うん……。 うん、そう……」


 それから、二人が何を話したのかは分からない。

 だけど、次第に憑き物が落ちるように優の表情は晴れていった。それを見るに、きっとお互いの誤解は解けたんだろう。


 それから十分ほど兄妹で話をして、優が俺に電話を返してきた。


「お兄ちゃん、暁に代われって」


 優は笑っていた。

 ……本当に良かった。これできっと、二人は昔みたいな仲の良い兄妹に戻ることができるはずだ。


「代わったぞ、新一」


『……ほんと敵わねぇな、おまえには。優だけじゃなくて、ついでに俺まで救ってくれやがってよ』


 新一は涙声だった。妹に憎まれていると思いながら日々を過ごす。普段から負の感情を表に出すことはなくとも、ずっと辛かったに違いない。


「さて、何のことだかな。……あ。それよりも、これから俺の家に――」


『いや、それはいい』


 これから俺は合流の手筈を進めようしたが、新一に遮ぎられる。


「な、何でだよ……?」


『もういいんだ、暁。今の電話だけで俺は──俺たちは、もう十分だ』


「……そうなのか」


『それよりもだな、暁。……ふっふっふっ!』


 新一が意味ありげに笑う。

 ……あまりいい予感はしない。

  

「な、何だよ……」


『おまえ、もう優とはキスしたんだろ?』


「お、おまえら、そんなことまで話してたのかよ!?」


 俺は思わず取り乱して優の方を見るが、当の本人は首を傾げていた。とぼけている風ではなく、何のことか本当に分からないようだった。

 ……とういうことは。


「ハメやがったな、ちくしょう!」


 どうやら俺は、新一のブラフにまんまと引っかかってしまったようだ。


『相変わらず手が早いな、暁は』


「オイヤメロ」


 たしかに、まったくもって否定はできない。しかし、この会話が万が一にも優の耳に入ったらどうしてくれる。

 ……あ、ていうかこいつ! その口ぶりからすると、やっぱり楓や香苗とのことを知っていやがったな!


『ほんの冗談だ』


「心臓に悪すぎるんだよ、その冗談は……」


『それは置いといて、だ。俺のことはいいから、今日からしばらく二人で過ごしてくれ。おまえたちにも、色々話したいことがあるだろう?』


「え? その気遣いはありがたいけど、今日からしばらくってのは……」


『ああ。しばらくの間、おまえの家に優を泊めてやってくれないか?』


「そうか、泊め……はあッ!?」


 あまりにも唐突すぎる新一の発言に驚いた俺は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。


『落ち着け、暁。……いいか、これはおまえにだから話す。優には絶対言うなよ』


「……何だよ」


『……うちの父親は、優のことを快く思っていない』


「……っ」


 何となく予想はしていた、が。

 それを改めて聞かされると、何とも言えない気持ちになる。


『優は今ようやく立ち直ってくれた。だからこそ、家に帰ってきて父親との間で何か問題が起こるような事態は万が一にも避けたい』


「そういうことか。……でも、それだと優はずっと――」


 家に、帰れないじゃないか。

 それは何だか、とても寂しいことのように思えた。


『そこは俺が何とかする。……だから、少しだけ俺と父親に話す時間をくれ』


「……分かった」


 おそらくそれは、きっと困難な道かもしれない。

 だけど。そうだとしても、今の新一ならきっとやり遂げるに違いない。


「いや、でもな……」


 新一の提案を承諾したはいいが、俺はすぐに新たな問題に直面して片手で頭を抱えた。


『どうした』


「問題が二つある。まず、優にはなんて説明すればいい」


『ああ、それは俺にまかせろ。家に隕石が落ちたとか、何か適当な話をして納得させる』


「適当にも程があるだろ!?」


 それで納得したら、そいつは相当アホの子だぞ。


『安心しろ、今のは例えだ。……そうだな。何か、その……まぁとにかくいい感じのを考えておくから安心しろ』


 即興では他に思いつかなかったのか、新一は言葉を濁らせる。めちゃくちゃ安心できなかった。


『で、二つ目は?』


「姉さ――家の人の許可が取れるかどうか、分からない」


『ああ、はるかさんか』


 ……待て、何でおまえが姉さんの名前を知っている。


「おまえ、まさか姉さんのこと知ってるのか……?」


『遥さんとは、おまえを不登校部に誘う前に話をしていてな。それからも定期的に連絡を取っている』


 ……こいつ、道理で俺のことについて詳しいわけだ。

 しかし、まさか新一が姉さんと繋がっていただなんて。

 でも、だとすると。


「姉さんが、おまえに話したのか。……俺の父親のことを」


 ショックだった。

 そのことだけは誰にも話してほしくなかった。

 突然裏切られたような、そんな気持ちになった。


『違う。それは俺が独自に得た情報だ。……安心しろ、暁。遥さんは、そんな人じゃない。俺がおまえの親のことを聞いたとき、何一つ話してはくれなかったからな。まあ、だからこそ俺は何かあると踏んで調査したわけだが』


「……そうか」


 ……そうだよな。

 あの優しい姉さんが、そんなことをするわけがない。一時でも疑ってしまったことに、俺は自己嫌悪した。


『遥さんには、俺からも正直に事情を話してお願いする。だから、それも大丈夫だ』


 我が家も、親との問題を抱えてきた家だ。

 そういった事情を聞けば、あの人が嫌と言うことはないだろう。


「分かった。そういうことなら、優のことは任せろ。……頑張れよ、新一」


『ああ、ありがとうよ。……おっと、そうだ。一つだけおまえに言い忘れてたことがある。これは一番大事な話だぞ、暁』


「……今度は何だよ」


『避妊はしろよ』


「ぶっ殺すぞ!!」


 俺は思わず電話に向けて怒鳴りつけたが、新一はすでに通話を切っていた。


「あ、あの野郎ぉ……!」


 ていうか、そこは妹の体に手を出すなよって言うところじゃないのか……?

 いや待てよ、それは避妊をすれば手を出してもいいということなのか……?


 WARNING! WARNING!


 いいえ、それは犯罪です。

 何故なら彼女は、まだ中学生なのですから。

 これは優に言えば間違いなく怒られるだろうが、彼女の見た目だけで言えば小学生である。


 俺はロリコンではないのだ。俺は優の見た目ではなくて、彼女の中身に惚れたのだ。……いや、それも嘘だ。本当は見た目も含めて可愛いと思っている。



 ――――もしかして、俺はロリコンだったのか?



「ああああああああああっっっ!!!!」


 自らに降りかかったロリコン疑惑を振り払うために、俺はコンクリートの塀に頭をガンガン打ちつけた。


「暁!? な、何やってるの!?」


 優が慌てて駆け寄ってきて、後ろから羽交い絞めにして俺の奇行を止めてくれた。


「……あ、ああ。悪い、取り乱した」


「どうせ、お兄ちゃんが変なこと言ったんでしょう。……ごめんなさい、暁。代わりに謝る」


 やだ、俺の彼女ったら、何て出来た子なんだろう。兄貴とは大違いである。


「……優、おまえに一つだけ言っておくことがある」


「なに……?」


「俺は、おまえが成人するまで体には一切手を出さない」


 一念発起のプラトニックラブ宣言だった。

 そう、有馬暁という人間は獣なのである。

 故に戒めが必要なのである。


「……いや、いきなりそんな宣言をされても。そ、それにもう、さっき、キ、キス……しちゃってる、し……」


 顔を赤らめながらもじもじと恥ずかしそうにする優を見ていると、彼女にキスしたい欲求が再びムクムクと鎌首をもたげてくる。


「キスはいいんだ。許される」


「……何その自分ルール」


 一転して、優が呆れ顔になる。

 俺も頭に上っていた血が下りはじめ、冷静になってきた。


「はは、本当にな。……何言ってんだか、俺」


 それから二人で笑い合った。

 きっと俺たちは、これからもこんな風に過ごしていける。

 楽しいことも、バカバカしいことも、悲しいことも、苦しいことも。その全部を優と共有して生きていきたい。俺は強く、そう願った。

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