第二十二話 想い

 どれだけの時間、彼女のことを抱きしめていただろうか。実際には数分ほどだが、ゆうからの返事がないことも相まって随分と長く感じた。


 あれから優は、ずっと黙ったままだ。

 やはり、もう俺の言葉なんて届かないのかと諦めかけた――――そのとき。


「……あきら、痛い」


 優が、口を開いた。

 自分でも気がつかないうちに、彼女を抱きしめる腕に力が入りすぎていたらしい。


「わ、悪い……」


 慌てて解放すると優はこちらへ向き直り、今度は彼女の方から俺に抱きついてきた。


「……バカ、何で来ちゃったの」


 俺の胸元に顔を埋めた優が、涙声で非難する。


「……悪い」


「……もうちょっとで、お母さんのところに行く決心がつきそうだったのに」


「……」


「……こんなに辛いのに生きろだなんて、暁は優しくない」


「……ああ、悪い」


「……でも……でもねっ」


 優が顔を上げ、目が合う。

 彼女の瞳からは堰を切ったように涙が溢れ落ち、頬を伝っていくのが見えた。


「……嬉しかったっ。こんなわたしのことを、好きだって……守ってくれるって言ってくれたことがっ……!」


「そんなおまえだから、好きだって、守ってやりたいって……そう思ったんだ」


「わたし……信じても、いいの……?」


「ああ。俺は絶対におまえを裏切らない」


「わたし……生きていても、いいの……?」


「当たり前だ。……俺も、おまえと一緒に生きたいしな」


「家族を壊して、お母さんを……死なせたのに……?」


 それは本来、おまえが背負うべき罪じゃない。

 だけど優が抱く罪の意識は、赤の他人である俺が言ったところで簡単に消えたりはしないだろう。


「もし、そのことでおまえを責める奴がいたら俺は絶対にそいつを許さない。それがたとえ、おまえの親父でも兄貴でもな。……つっても、おまえの兄貴はそんなことしないと思うけど」


 父親のことは知らない。だが、新一は優のためにあれだけ行動して不登校部なんてものを作ったのだ。だから、その罪を優に負わせるようなことをするわけがない。


「……お兄ちゃんは、でも……きっとわたしのことが憎いと思う」


「新一が、そう言ってたのか?」


「ううん。……もうずっと、お兄ちゃんとはまともに話してないから。でも、そうじゃなかったらお母さんが……死んだ話なんて、わたしにしないと思うから……」


 優は悲しげにうつむくと、再び俺の胸に顔を埋めた。

 その頭を、優しく撫でてやる。


「……新一はおまえが憎くて、その話を聞かせたわけじゃないと思うよ」


「……そうかな」


 新一は優に前を向いて進んでほしいからこそ、その話をしたんだと思う。……だが、それも推測でしかない。

 やはり、本人の口から直接話してもらうのが一番手っ取り早いだろう。


「そうだよ。大丈夫だから、本人にも聞いてみろって」


「……でも、こわい」


「安心しろ、俺も一緒に聞くから。……それでも怖いか?」


「こわい、けど。……でも、暁と一緒なら頑張れ……ううん。……頑張りたい」


「ああ、その調子だ。……さて、いつまでもここにいたら風邪引くぞ。一緒に帰ろう、優」


「……うん」


 その小さな手を引いて俺は歩き出そうとするが、優は何故だか動こうとしなかった。


「……どうした?」


「まだ、あ、あの……。へ、返事してない……から……」


 そういうと、優は頬を赤らめて視線を泳がせた。そして、もじもじとどこか恥ずかしそうに両手をこねくり回している。


「返事?」


「あ、暁の……す、好きだって言葉に……まだ返事してない……」


「あ、ああ……」


 ……すっかり忘れていた。

 そういえば俺の方から一方的に想いを伝えただけで、優の気持ちを聞いていなかった。


 いったい何をやってるんだ、俺は……。


「……暁。ひょっとして、もうすっかりオーケーをもらった気でいた?」


「うぐっ」


 図星である。

 そう言われるとメチャクチャ恥ずかしくなってきた。


 ……あれ。もしかしてこれ、俺フラれる流れなのか?

 俺と一緒になら頑張れるって言ってたけど、それとこれとは別の問題ってことか!?

 あんだけキメ顔で俺がおまえを守るとか言っておいてフラれるのか!?

 ……ちょっと待て、それは死ぬほど格好悪いぞ。いや、むしろ死ぬ。もういっそ、誰か俺を殺してくれ。


「ふふ、そんな捨てられた子犬みたいな顔をしないの」


 俺の狼狽える様子を見ていた優が、おかしそうにクスクスと笑った。

 ……そんな顔してたのか、俺。


「……へ、返事は?」


「暁は、わたしのこと好きだって言ってくれたけど、わたしは暁のこと……好きじゃない」


 好きじゃない。その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中でチーンという音が鳴り響いた。


「……好きじゃなくて、大好きだから」


 自分の言葉が恥ずかしかったのか、優は両手で顔を覆う。よく見ると耳まで真っ赤になっていた。 

 そして俺の方はというと……優への愛しさが爆発して危うく昇天しそうになり、別の意味で死にかけていた。


「……暁。これからもわたしと一緒にいて、ほしいの……」


「……ああ、もちろんだ。俺の方からも改めてお願いするよ、優」


 そして俺は、もう一度優の体を抱き寄せた。

 絶対に、今度こそ、俺は間違えない。

 大切な人を、大切だと思えた彼女を、必ず守るんだ。


 それが俺の生まれた意味なんだと、そう思わずにはいられなかった。


「……ねえ、暁。好きじゃないって言われて、びっくりした?」


 優が悪戯っぽく笑う。

 今の俺には、それすらも愛おしく思えた。


「……ああ、正直死ぬかと思ったよ」


「ふふ、大袈裟」


 大袈裟なものか。

 現に今だって、心臓は破裂しそうなくらい激しく鼓動しているのに。


「優……」


 俺は彼女の肩に手を置き、正面から見つめ合う。

 優のことが好きで、優のことが愛しくて、優と無性にキスがしたくなった。


「うん。……いいよ、暁」


 俺の想いは口にせずとも伝わり、優は静かに目を瞑る。

 それから磁石のように、お互いの唇が引き寄せられていく……そして――――


 ――――土砂降りの雨の中、二人の想いが重なった。

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