第二十一話 不登校部員は人に優しくできない

 俺は雨の中を、全力で駆け抜ける。

 ひたすらゆうのことだけを考え、俺は長年の運動不足に悲鳴を上げる体に鞭を打ちながら走り続けた。


 そして神社に辿り着いた俺は、境内へと至る長い階段を二段飛ばしで駆け上がった。


 階段を上りきり鳥居をくぐると、開けた空間に出る。周囲には木々が並んでいて、百メートルほど先の正面には拝殿が見える。そして――――


 ――――そこに、彼女はいた。

 薄暗くて見えにくいが、あの背格好は間違いない。

 あのとき俺の家の前でしていたように傘もささず、ただ立ちつくしていた。


 望みの薄い賭けだったが、そこに彼女はいてくれた。今ばかりは、普段信じてすらいない神様に感謝をせずにはいられなかった。


 まだ優が生きていたという事実。ただそれだけで、俺は泣きそうになってしまう。


「はぁっ……はぁっ……!」


 俺はすぐにでも優の名前を叫びたかったが、呼吸が乱れていて上手く声が出せない。

 ずっと全力で走り続けたせいで膝はガクガクと震え、既に足もつっていた。そして優の姿を見つけて気が抜けたのだろうか。今まで痛みを感じていなかった両足に激痛が走る。


 もう歩くことはおろか、立っていることすらできそうにない。

 俺は痛みと疲労で足に力を入れることができなくなり、その場に膝をつく。そして、うつ伏せに倒れ込んでしまった。


 それでも両手を使い、這うようにして前へと進んだ。

 ……なんて格好悪くて無様だ。これが悲劇のヒロインを助けようとしているヒーローの姿かと、俺は自嘲する。


 しかし、そうだとしても。


 彼女のいる場所まで、俺は絶対に行かなくてはならない。


 俺は這って、這って、這い続けた。

 遠い。たかだか百メートルが、果てしない距離に思える。

 だが半分ほど進んだところで、幸いなことに脚の痛みが軽くなってきた。

 ……これなら、何とか立ち上がれそうだ。

 流石に這いつくばった姿で再会っていうのは遠慮したい。たとえ無様でも、俺にだって男としての矜持くらいはある。


「ぐっ、ぎぎぎっ……いってぇっ!」


 俺はなけなしの気合と根性で足腰に力を入れて立ち上がり、つったままの右足を引きずりながら歩いた。


 優のいる場所まで、あと三十メートル。

 彼女に何て声をかけようかと、今さらになって考えてしまう。


 あと二十メートル。

 もしかしたら拒絶されるかもしれない。そのときは、どうする?

 いや、むしろ拒絶される可能性の方が高いよな。

 だって優は死にたいのだから。それでも生きてくれなんて残酷な言葉を、果たして受け入れてくれるだろうか。


 あと十メートル。

 結局のところ優しさっていうのは、いったい何なのだろうか。

 俺は自分の本性が酷く冷たいものだということを知っている。心は歪んでいるし、人だって殺めている。


 だけど。それでも――――いや、だからこそ――――優しくなりたいと――――そう思って……生きてきた。


 その想いの根元は、なんだ。

 不意にかえでの言葉を思い出す。


 ……わたしが人に優しくするのは、相手のことを想ってじゃないの。わたしのことを、見てほしいから。わたしにも、優しくしてほしいから。


 ……ああ。つまり、そういうことだ。

 楓は俺たちが似た者同士だとも言った。

 今思えば、まったくもってその通りかもしれない。



 俺たちは――――いや。俺は誰かの優しさが――――愛情が、欲しかったんだ。



 優は俺のことを優しいと言ってくれたが、それはやっぱり違う。

 自分にも優しくしてほしい、愛してほしいと。そういった見返りを求めた偽りの優しさなんだ。


 ……悪いな、優。

 やっぱり、俺はおまえが言うような優しい人間じゃなかったよ。でも、それでも俺は――――



 そして俺は、彼女の背中に手を伸ばせば届く場所まで辿り着いた。



 その名前を呼ぶよりも先に体が動き、雨に濡れた華奢な体を後ろから抱きしめた。

 突然のことに驚いた優の体がビクッと跳ねる。

 首を回して振り向いた優の目が、驚愕に見開かれた。


「あき……ら……? なん、で……?」


 何でというのが、何を指しているのかはわからない。

 何でここに来たのか?

 何でここにいることが分かったのか?

 そのどちらかだろうが、そんなことはどうでもよかった。


「……優。俺は、おまえが好きだ」


 俺は優にはっきりと、そう告げた。

 俺の告白を聞いた優は、あからさまに困惑している。


「え、あっ。……い、いきなり……すぎるし。今さら、そんなことを言われても……困る。だって、だってわたしは……もう――――」


「おまえを絶対に死なせない」


 俺の言葉を聞いた優の顔が苦悶に歪む。

 そして体は小刻みに震え始め、瞳から溢れた涙が雨に混じって流れていった。


「どうして……!? わたしにはもうっ……生きる資格なんて、ないのに……! どうしてっ……! どうして、そんなことを言うのっ……!?」


「おまえは今、生きているのがたまらなく辛いんだよな。……俺も凄く悩んだよ。だったら、あのままおまえを死なせてやるのが優しさなのかもしれないって……そうも思った」


「だったらっ……!」


「だけど残念だったな! 俺は、おまえが思うような優しい人間なんかじゃねぇからな! だから、そんな簡単に死なせてやるもんか!!」


 そうだ。

 俺は、人に優しくできない。

 好きな女の子が死にたがっているとき素直に死なせてやるのが優しさだなんて言うのなら、それは尚のことだ。


「あき、ら……」


「おまえは俺が守る。おまえを苛める奴がいたら懲らしめてやる。おまえが泣きたい時は胸を貸してやる。おまえが不安な時は抱きしめてやるっ! だからっ、だからよぉっ!!」


 俺も感情の抑制が効かなくなる。

 雨が降っていてよかった。

 きっと今の俺は、顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているだろうから。


「死ぬなんて、言うなっ……! 頼むから、生きていて……くれよぉっ!!」


 好きになった子に、ただ生きていてほしい。

 それは今まで俺が生きていた中で最も強く、純粋な感情だった。

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