第十九話 不登校部Ⅱ

 俺は土砂降りの夜道を、傘もささずに歩く。

 雨に濡れれば、否が応でも頭は冷めていった。


 歩きながら、これまでのこと。そして、これからのことを整理した。


 そのお陰で思考は大分冴えてきた。

 今なら、色々なことが分かる気がする。


 俺は新一しんいちと出会った日と、それから共に過ごした日々のことを思い出す。

 あいつは本当にしつこくてしつこくて、最初は殺してやろうかとも思った。……けれど。俺はいつからか完全に気を許して、あいつのことを信頼しきっていた。


 一見するといつもふざけているように見えても、その行動の裏には俺たちをどうにかしたいという気持ちが垣間見えたからだ。


 たしかに新一がゆうのため不登校部を利用したことも、また事実だろう。

 ……でも、本当にそれだけだったのだろうか?

 あいつは俺たちのことを、いつだって本気で考えてくれていた。そうじゃなきゃ、あんな毎日のように部員を集めて皆で出来る遊びを考えたりはしない。


 ――――いや、それよりも。


 今思い返すと、あのとき俺がかえでと和解した日。よく考えてみれば、新一の行動はどこか不自然だった。ファーストフード店にやたら長時間居座ろうとしたかと思いきや、楓が店へ来た途端に帰ろうとした。

 おそらく新一は楓のクラスメートに予め接触して、あそこに楓を連れてくるよう依頼したのだろう。

 俺の父親殺しでさえ知っていたあいつが、その周辺で起こった出来事を知っていても不思議ではない。おおかた、俺が脅した女の所属しているグループ連中からでも聞き出したのだろう。


「……探偵かよ、あいつは」


 独りごちる。

 ……ともかく。ただ利用したいだけなら、そんな手間暇かけてまで俺と元恋人の楓を接触させようなんて思わないはずだ。

 それが俺の不登校のきっかけであることを新一は知って、どうにかしようと考えてくれていたんだろう。


 しかし、その一方で。


 新一は周囲から孤立していた妹のことを想って、優に仲間や気の許せる相手を作ろうとしていたんだろう。

 それは多分、家族である新一にはできなかったことなんだ。優は家族というもの自体にトラウマを持ってしまっていたから。

 だから、他の誰かを探した。できる限り優に境遇が近い人間を。


 そしてどこから情報を入手したのかは不明だが、新一は俺が父親を殺したことを知っていた。

 新一たちの母親が自殺したことについては、優が関係している。ただ、関係しているからといって彼女が悪いわけではない。問題は、あいつ自身が自分の親を殺したという罪の意識に苛まれ続けていることだ。


 そのことを新一が伝えさえしなければ、そんなものを優が背負い込むこともなかったのに。

 ……いや、本当は俺だって分かっている。いつまでも事実を隠し続けることなんて、できる筈がないということを。


 おそらく、優は遅かれ早かれ母親の自殺を知ることになっただろう。そして、母親を殺したという罪の意識を持つことになる。


 ――――そうか。だから香苗や省吾ではなく、俺だったのか。優と、最も境遇が似ている俺なら。


 そんなことを俺は考え続けながら歩くこと、三十分と少々。

 ようやく思考がまとまったところで、河川敷へと辿り着いた。


 そこには一人、新一が街路灯に照らされながら立っていた。

 ……俺と同じで、傘すらささずに。

 そして俺が来たことに気がつくと、こちらを振り向いた。


「……来たか、あきら


 これまでの経緯を考えれば当然かもしれないが、新一はいつもの軽いノリではなかった。どことなく重苦しい雰囲気を纏っている。


「……おまえが俺よりも早く来るなんて珍しいな」


「そうか?」


「いつも遅刻してるだろうが」


「……そうだったな」


 新一がフッと微笑む。そして、その視線は俺の右手に握られていたナイフへと向けられる。


「俺を殺しにきたのか?」


「いや。そうしようと、途中までは思ってたけどな。……でも、やっぱりやめた」


 俺が手に持ったナイフを川へ向けて投げ捨てると、新一は少しだけ驚いた表情をする。そして、再び微笑んだ。


「……成長したな、暁」


「おかげさまでな」


 もう、俺には自分の心を守るための刃物なんて必要ない。

 そんなものをいつまでも持っていたら、誰かと繋がることなんて永遠にできやしない。


 俺は、ずっと誰かと繋がりたかった。

 でも他者と手をつなぐためには、今握っているものを手放さなければいけないんだ。

 俺の場合は、それが心を自衛するための刃物だった。自分の心を守るためにと、それにすがっていた。俺は人に優しくなりたいと言いながら、結局は自分のことだけを考えて生きてきたのだ。その事実に、今度こそ本当に気づけた。


 ……俺が優を止められなかったのも、それは優しさなんかじゃない。彼女に拒絶されて自分が傷つくことを恐れたからだ。


 暁は優しいから。優は、そう俺に言った。

 だけど俺は、そんな彼女の言葉に甘えていただけだ。


 そんな生き方は……今日で、やめだ。


「新一、俺は今から優を探しにいく」


 だから俺は、新一の目を見据えてはっきりと……そう言った。


「……生きている保証はないぞ」


「だからって、このまま諦められるかよ。……それにな。知らない人と話す勇気もないあいつが、そんな簡単に死ねてたまるか。絶対どっかでウジウジしてるに決まってる」


 俺の言葉に新一が目を見開く。そして、軽く吹き出した。


「おまえ、人の妹のことをめちゃくちゃ言ってくれるな」


「おまえこそ散々俺に妹の面倒を見させておいて、よく言うよ。……あ、そうだ」


 一つだけ、ここに来るまで考えても分からないことがあったのを思い出す。


「優は、俺と出会ったときに矢神優やがみゆうって名乗ってた。でも、あいつの本名は神谷優かみやゆうだよな? ……どうして、そんな偽名を使ったのか分かるか?」


「矢神……ああ、そうか。そう、名乗ったのか……」


 新一が苦々しく顔をしかめ、眉間にもしわを寄せる。


「……ああ」


「そうか。……あの名字はな、俺たちの母親の旧姓だ。それだけ、あいつは母親のことを大切に思っていたんだろう」


 優に真剣に向き合いすぎたが故に、自分もまた心を病んでしまったという母親だ。……それを聞くと、優が母親を大切に思う気持ちも頷ける。


「……本当は、優は悪くない。母親が出ていった原因を作ったのは、俺だ。あのとき父親と母親の喧嘩に割って入った。そして責任の押し付け合いをしてるんじゃねえってさ、二人のことをめちゃくちゃに罵ったんだ」


 苦悶の表情で、新一は語り続ける。


「それからすぐに母親は家を出ていった。もう、限界だったんだろう。……俺が、母親に最後の追い討ちをかけちまったのさ。そして、その原因を作った俺に対して優は心を閉ざしたんだ」


「……そうだったのか」


 親を殺したという罪の意識。

 新一もまた、それを抱き続けて生きてきたのかもしれない。


「今のあいつには、おまえしかいないんだ。……最近あいつな、家でも表情が明るくなってたんだよ。それは全部おまえのお陰なんだ。だから、暁……優を頼む」


「ああ」


「無論、俺も探すが。……で、おまえたちも手伝ってくれるのか?」


 新一が俺の背後へと呼びかける。

 振り返るとそこには、いつからいたのか香苗と省吾が傘をさして立っていた。


「そんなこといきなり言われても、全然話が見えないんだけど。ていうか、二人ともずぶ濡れじゃん」


 香苗が俺の隣に来て、傘に入れてくれる。


「おい新一、優に何かあったのか!?」


「……ああ、家出したんだ」


 省吾の問いかけに、新一が答える。


「マジかよ……」


 新一の昔馴染みだという省吾は、概ね事情を察しているらしい。……ていうか待てよ、こいつが新一と昔から親しいってことは。


「省吾、もしかしておまえは新一の目的が最初から分かってて不登校部にいたのか?」


「……まあな。優のことは俺もよく知ってっからよ。どうにかしたいってのは、こいつと同じ気持ちだったからな。で、そのクソ野郎に頼まれて、この部活に入ったんだ。まあ、学校に行ってねぇってのも事実だったからな。といっても、俺の場合は中退してんだけどよ」


「……そうだったのか」


「結果的には、俺と新一で暁のことを騙すような真似をしちまった。……すまねぇ」


 凶悪な顔をしたヤンキーが、ひどく申し訳なさそうな顔をする。そのギャップがおかしくて、俺は笑ってしまった。


「はは。……いいよ、そのことは。もう、俺は気にしていない」


「……ありがとよ。俺、暁のそういうところ……好きだぜ?」


「それはキモいからやめろ」


「おいぃ! 何でだよぉ!? 今のはいい流れだったろぉぉぉ!?」


 省吾が傘を放り投げると、両手で頭を抱えて叫んだ。


「……なんか、あたしだけ仲間はずれ感あるんですけどぉ」


 香苗が不満そうに頬を膨らませる。


「ああ、悪い。落ち着いたら、おまえにもちゃんと話してやるから。だから、そんなに膨れるな」


 俺は香苗の頭にポンと手を置いて、なだめる。


「暁ぁー! 久しぶりに会ったけど、やっぱり好きぃー!」


 それだけで香苗は機嫌を直す。先程の不機嫌そうな表情は、どこかへと吹き飛んでしまったようだ。……こいつ、超チョロいな。


「……でもなんか、別の女のにおいがする」


「そ、そんなことないぞ」


 香苗が上目遣いで睨んでくる。超怖い。

 ていうか、そんなに優とくっついてたわけでもないのに! しかもにおいって何だ!? やだ、この子めっちゃ怖い!


「それよりも部長。なんか話があるって、あたしらを呼び出したんじゃないの? 話ってなに?」


 香苗が本題を思い出したようで、新一に質問する。……ほっ、助かった。


「ああ、それはな……不登校部を廃部にすることとなった」


「えっ……?」


 突然の廃部宣言に、香苗が戸惑いの声を上げる。


「おい新一、もう廃部ってのは撤回しても……」


 俺も香苗と同様に戸惑っていた。

 あのまま俺と新一が決裂していたならまだしも、そうはならなかったのだから。それなら廃部にする必要性も感じない。


「ダメだ! 決定は覆らない! 不登校部は廃部だ!! ……そして、新たに暁を部長としたネオ不登校部エクストラを創設するっ!!」


 新一は声高らかに、そう宣言した。


「はぁ!? 俺が部長!? なんで!? てか名前ださ!?」


 今度は、また別の意味で戸惑いを隠せない俺だった。


「俺は今年で卒業だしな。……やってくれるな、暁?」


 新一が、ニッと笑う。


「いや、でも、なんで俺が……?」


「なら、他に誰か適任がいるか?」


 俺は思わず香苗と省吾の方を見てしまう。


「いいんじゃねぇか、暁なら」


 省吾は微笑んで、そう言った。


「うん。ていうか、暁しかいないよね。そもそも、省吾のバカは不登校っていうか中退なんだし。てか、あんた中退なのに何でここにいるの?」


 香苗がウンウンと頷いて、省吾に毒づいた。


「うるせぇな! 学校に行ってないって意味では同じようなもんだろうがっ!」


「全然違いますぅー! バカヤンキーは中退部とか作って、そこでソロ活動でもしてくださーい!」


「テメェ! このクソガキがっ!」


 そして土砂降りの中、またいつもの鬼ごっこが始まってしまう。


「まあ、そういうわけだ暁。新しい不登校部で、あいつらと……優を頼む」


「……あ」


 そうか。

 新一がいたら、きっとこの集まりに優は参加しようとしないだろう。


 新一が優のために作った不登校部。

 そこに新一が居てはいけないのだ。


「暁、この一年でおまえは本当に強くなった。それこそ見違えるほどにな。……おまえなら、いずれ学校にも行けるようになるだろう。そして、みんなを導いていけるはずだ」


 ……導くなんて、そんな大層なことをできるとは思えないけどな。

 でも、ここまで新一に言われてしまったら引き受けないわけにはいかなかった。


「……わかった。後は任せろ」


「頼んだぞ、弟よ」


「弟ぉ!?」


 俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。


「なんだ、優と恋仲になったんじゃないのか?」


「な、なってないっての!」


「……そうだったのか。俺はてっきり、二人で毎日しっぽりやってるのかと思ってたぜ」


「バ、バカか! てか、今はこんなことやってる場合じゃないだろ! 俺はもう行くからな!」


「ああ、俺もあいつらを仲裁してすぐに動く。……頼んだぞ、暁」


「……ああ、任せろ」


 そして俺は駆け出した。

 この雨の中、一人どこかで震えているであろう少女を探すために。

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