第十二話 無愛想な少女と無邪気な子猫
俺は
「もしもし」
『
「いや、どこってなんだよ。今ちょうど、楓――さっきの子を家まで送ったところだけど」
『そうか。じゃあ、場所としてはどのあたりだ? ……いや、実はだな。
「はぁ。……あいつら何やってんだか。新一、ちょっと待ってろ。えーと、俺が今いるのは……」
俺は、あの二人に呆れながらも現在地のおおまかな住所を新一へと伝えた。
『おう、助かる。……だ、そうだ香苗。そうか、分かった。暁、どうやらこいつらはソッチにも行ったらしい。近くに公園とかないか? そこで落としたかもしれないって言ってるから、すまないが探してやってくれないか』
「ああ、分かった」
俺は新一に言われた通り、近くにある公園へ入りぬいぐるみを探してみる。だが、目的の物は見当たらない。
「あのぬいぐるみに、俺は三千円も使ってるんだぞ……」
そう考えると、何がなんでも見つけなければと思えてくる。あのぬいぐるみを救いだすために、俺の財布から三人も野口が犠牲になっているのだ。その死を無駄にしてたまるか。
そう考えながら公園内を捜索していると、視界の端が違和感を捉えた。
……誰か、いる。
暗い上に遠いので性別や年齢は分からないが、そいつは公園の端に生えてる木を見上げていた。
……いや、一体そいつが何者で何をしているのかなんて関係ない。そう俺は思い、その人影から視線を外そうとしたとき――――
「にゃー! にゃー!」
そいつが木の上に向かってぶんぶんと両手を振り、猫の鳴き真似をし始めた。……声からすると、どうやら女の子のようだ。
こんな夜遅くに不用心なやつだ。
俺が変質者だったら襲われてるかもしれないぞ?
だが、それも俺には関係のないことだ。そう考えて頭を切り替える。そしてぬいぐるみの捜索を再開するが、その子は延々と木の上に向かってニャーニャー叫び続けていた。その様子に、流石に俺も気になってしまう。
「……おい、何してんだ?」
尚もニャーニャーと言い続けている女の子に近づくと、俺は背後から声をかける。すると女の子はビクッと肩を上げながらバッとこちらへ振り向き、すぐさま飛び退いて俺から距離をとる。
……なんか、警戒心の強い猫みたいな奴だな。
それにしても、随分と小柄な女の子だ。
中学生か? ……いや、もしかしたら小学生かも。
「……」
女の子は俺を警戒しているのか、問いかけへの返答はない。
それから少女は、俺から少しずつ逃げ出すようにジリジリと後退する。それでも木の上にある何かが気になるのか、そちらをチラチラと見ていた。
そこに何があるのか気になった俺は、木の上に視線を移す。すると、そこには……。
「……ああ、なるほどね。降りられなくなってんのか」
木の上には黒い子猫が一匹、太い枝の上にじっと座っていた。
「なあ、あの子を助けようとしてたのか?」
俺は少女の方に視線を戻して質問すると、今度はコクリと頷いて反応を示した。
なるほど。……猫がいるのは、目算で五メートルほどの高さってところか。
「……よし、これくらいの高さなら登れるか」
ただ、問題は俺が近づくことで猫が驚いて転落してしまう可能性があることだ。そのときに備えて、下で待機する人間が必要だ。だが、この場に人間は二人しかいない。そうなると、それは必然的に目の前の少女にやってもらうことになる。
「あー、えーと……」
俺は少女に呼びかけようとするが、当然ながら名前が分からない。……仕方ない、まずは彼女の名前を聞くところから始めるか。
「俺は
「……
少女は人と話すことに慣れていないのかもしれない。こちらと視線を合わせず小声でボソボソと、そう名乗った。
さて、これで一応は互いに自己紹介を済ませた。だが、これからどう話を進めればいいのか分からなくなってしまう。……俺とて、コミュ力が高い方ではないのだ。
こんなとき、コミュ力のある人間――――例えば新一ならどうするだろうか。
「よし。……優、二人で子猫を助けるぞ!」
俺は慣れない笑顔を精一杯に作り、彼女へと呼びかけた。
「……馴れ馴れしい」
グサッ。
俺の心に、見えない何かが突き刺さる音がした。
しかし言われてみれば、俺も新一に初対面で馴れ馴れしく呼び捨てにされたときはカチンときたことを思い出す。
「すまん。……えっと、なら優ちゃんって呼べばいいのか?」
「……それはそれで、子供扱いされてるみたいで、嫌」
「じゃあ、矢神か?」
「呼び捨ては、嫌」
ジト目で睨まれる。
「……矢神、さん……とか?」
「それなら、いい」
……なかなか難儀な子だ。
「分かった。じゃあ、俺のことは暁って呼んでいいぞ」
「別に、呼ばないし」
心の壁が厚すぎる。
そして、まるで昔の俺を見ているような既視感にも襲われた。
「それじゃ俺が木に登るから、矢神……さんは万が一子猫が落ちた時のために下で待機しててくれるか?」
俺の言葉に彼女は無言で頷いた。
それを確認してから、俺はできるだけ猫を刺激しないよう慎重に木登りをしていく。
しかし、俺が近づいても子猫は逃げる素振りも驚く様子も見せない。ただ俺を見つめて「ミー」と鳴くだけだった。
俺は上まで登りきると、子猫を捕まえようと手を伸ばす。すると、子猫の方からこちらの胸に飛び込んできた。俺は子猫を落とすまいと慌てて片手で抱きとめる。
……随分と人に慣れてるな。もしかすると飼い猫か?
だが、首輪はしていなかった。
俺は子猫を抱いたまま、半ば飛び降りるような形で木を降りて着地した。これくらいの高さなら大丈夫だと思ったが、足には思いのほか強い衝撃が走る。
「っ! ……痛ぇーっ!」
「大丈、夫……?」
矢神が心配そうに、こちらを覗き込んでくる。
お、何だ? ……もしかして、俺のことを心配してくれるのか?
態度は素っ気ないが、意外と根は優しい子なんだなと感心する。
「ああ。ちょっと足が痛んだけど、もう大丈夫だ」
「……あなた、じゃない。子猫の、ほう」
前言撤回。
こいつは猫に優しいかもしれないが、人には優しくない。
「……ああ、そっちね。ほら、こいつは無傷だよ」
子猫を手渡してやると、矢神は子猫を抱きしめて安心したように微笑んだ。
「よかった……」
「おまえの猫なのか?」
「……違う」
ふるふると首を横に振る矢神。
「ふぅん。じゃあ、猫は好きなのか?」
「うん。……この子を、助けてくれて……その、あり……がと……」
お礼を言うことにも慣れていないのだろうか。矢神は恥ずかしそうにもじもじとしながら、そう言った。
「どういたしまして。……にしても、飼い猫なのかね。めちゃくちゃ人に慣れてるよな、そいつ」
「多分、そう。……この辺りでは、見ない子……だし」
「そうなのか?」
「この辺の、野良猫は、だいたい友達だから……分かる」
「へぇ」
でも、人間の友達はいなさそうだな。という失礼な思考が頭をよぎったが、それは口に出さないでおく。
「……飼い主、探してあげなくちゃ。きっと、心配してるし。この子も、きっと帰りたいと、思う」
「そうだな。……よし、あとは頑張れ。じゃあな」
ここで俺の仕事は終わりだろう。見ず知らずの他人のため、そこまで手伝う義理は流石にない。あとは矢神に任せるとしよう。
そう俺は考え、退散しようと踵を返す。
「っ! ……ぁ、あの……ま、待ってっ……!」
「ん? ……どうした?」
俺は矢神に呼び止められて振り返ると、彼女は困った表情をしていた。
「……っ……あ、っ……うぅ……」
矢神は何かを言葉にしようとして、それを口に出来ず何度も飲み込んでいた。
しかし言葉にならずとも、その表情から何を言いたいのかは見て取れる。
「……手伝って、ほしいのか?」
「っ! ……う、うん」
「いや、そう言われてもな……」
いい人なら、ここで二つ返事でオーケーするんだろう。……だが、生憎と俺はそうではない。
どうして俺が知らない子と、猫のために時間を割かなくてはならない。そう、思ってしまう。
……いや、待てよ。もしかすると俺は、そういうところがダメなのか?
いつも自分のことばかり優先的に考えて、人に優しくできない俺。それは、こういうところに原因があるのでは?
「この子の、飼い主を……探す間。どこかに、住まわせて……あげないと、いけないけど。……うち、猫……飼え、ない……」
……そういうことか。
ここで矢神に、うちも猫を飼えないと嘘をつくことは簡単だが……。
「飼い主、探すの……わたしが、やるから。この子の、居場所だけでも……貸して、ほしい……。お願い、しますっ……!」
矢神が俺にペコリと頭を下げた。
……小さい女の子にそこまでされて、無下に断ることなどできるはずもない。
「分かった。……場所だけだぞ」
「っ! う、うんっ……! あり、がと……」
やはり、他人へ感謝の言葉を伝えるのに慣れていないようだ。矢神は先程と同じように、もじもじしながら恥ずかしそうに礼を言った。
「気にするな。……じゃあ、俺の家まで案内するぞ」
それから俺は、矢神と二人で自分の家まで歩いていく。
その途中に会話は一切なく、矢神が抱いている子猫がミーミーと鳴くだけだった。
そして道中にあるコンビニの前を通ったとき、矢神が口を開いた。
「……あ、コンビニ」
「どうした、寄りたいのか?」
「うん。……あの、この子……お願い」
矢神は俺に子猫を手渡すと、早足にコンビニへと入っていった。
「……なんていうか、マイペースな奴だ。なぁ、おまえもそう思うだろ?」
などと抱いていた子猫に話しかけてみるが、子猫は相変わらずミーミー鳴いているだけだった。
それから数分して、矢神が小さなビニール袋を片手にコンビニから出てきた。
「何を買ってきたんだ?」
「……この子の、ご飯」
「ああ、そうか。……まあ、そうだよな」
俺は、すっかりと忘れていた。生き物を飼うということは、そういうものも必要になることを。
「……明日、他の必要なもの、持ってく。トイレ、とか」
「そうか、トイレも必要なのか。……もしかして、それも買うのか?」
「ううん。……うちに、ある」
「ふぅん。……ん?」
何かおかしいぞ。俺の聞き間違いでなければ、さっき矢神の家では猫が飼えないと言ってなかったか? それなのに、どうして猫用品が家にあるんだ?
「……昔、飼ってたの。いなく、なっちゃった……けど」
俺の疑問に気がついたか。矢神は少しだけ悲しげに俯くと、そう言った。
……いなくなった、か。
つまり、矢神の家で飼っていた猫も恐らく子猫と同じように彼女の前から姿を消したんだろう。死んだと言わないのが、その事実を証明しているような気がした。
なるほど。
だからこそ、この子猫を飼い主の元に戻してやりたいと考えたのか。
矢神とは出会ったばかりだが、彼女の話し方や仕草からして積極的に人と関わろうとするタイプでないことは明らかだ。にも関わらず、子猫のため初対面の俺に対しても頭まで下げてみせた。その想いはきっと、相当強いのだろう。
……俺には、ここまで必死になれる何かがあるだろうか。
以前は楓の存在がそうだった。……だが、今はどうだろう。
ただ一人の肉親である、姉さん。そして、新一や香苗に省吾といった不登校部の面々。彼らに何かがあったとき、果たして俺は必死になれるのだろうか……?
……分からない。
どんなに日頃から大切だと思っていても、土壇場になるとどうなるのだろう。人間の本性とは、そういう時になって初めて分かるものだから。
そして俺は、自分の本性がとんでもなく冷たくて歪んだものであることを知っている。
違う! ……もう過去に囚われるのはやめろ、暁。
楓のことにも、その前のことにも。もう、それに囚われるのは止めにするんだ。俺は、今度こそ前を向いて進んでいくんだろ?
そんなことを悶々と考えているうちに、自分の家へと辿り着いた。
「……着いたぞ。ここが、俺の家だ」
「うん。……明日、また来る」
「ああ。で、何時ごろに来る?」
「できるだけ、早めに。……来る前に、電話する」
「ああ、分かった」
矢神と互いの電話番号を交換する。そして今日は、そこで彼女と別れた。
その別れ際、矢神から餌や水のやり方についての注意をいくつかされた。そして、子猫に何かあったら直ぐ電話するようにと強く念を押される。
「はぁ。……成り行きとはいえ、妙なことになったな」
自分に話しかけられたとでも思ったのだろうか。抱いてる子猫が、俺の独り言に「ミー」と鳴いて応えた。
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