第四話 悪魔の契約
――――夢を見た。
「
うずくまって泣いている俺を、
「だから……暁も……」
頭を撫でられる。
「あたしの全部を受け入れて――――くれるよね?」
自分の全部を受け入れてもらう代わりに、相手の全部を受け入れる。
それが悪魔の契約だと分かっていた。
でも、俺は歪んでいるから。
誰かを食い物にせずには生きられないから。
「……ああ」
一時とはいえ、俺は香苗と悪魔の契約を結んでしまうのだった。
◇◆◇
寝覚めは最悪だ。
よりにもよって香苗とデートをする日に、あの日の夢を見るなんて。
「はぁぁぁ……」
自己嫌悪に苛まれ、重苦しいため息を吐く。
全てがどうでもよくなって、高校にも行かなくなった。
恋人と別れる。
他人には、ただそれだけのことで不登校になるのかと思われるかもしれない。だが、俺にとってはそれほどのことだった。
そんなときに、
新一はとにかくしつこく、何度も何度も俺の家に来た。
それから何回目の時か忘れたが、新一が不登校部のメンバーだという女の子を連れてきたことがある。それが香苗だった。
そして今日、俺は香苗と会う。
二人きりで会うのは久しぶりだ。
だから――――。
――――出会ったあの日のことと、それから起きたことを俺は思い出しておく必要がある。
二度と同じ過ちを繰り返さないためにも。
◇◆◇
去年の秋から不登校になった俺は、ずっと家に引きこもりマンガやアニメ、ゲームなどに没頭していた。
もう、誰とも関わらずに生きていきたかった。こうしていれば俺は傷つかないし、そして誰も傷つけずに済むのだから。
そんな鬱屈とした日々を過ごして、半年ちょっと過ぎた今年の五月。
同級生たちは二年に進級し、俺は留年した。それでも俺は、依然として学校には行かないままだった。
虚無。しかし安寧たる日常。
そんなある日、不意に家の呼び鈴が鳴った。
どうせ新聞か宗教の勧誘だろうと思った俺は、いつも通り無視しようとした。しかし呼び鈴の音は一向に止まる気配がなく、しまいには激しく連打されはじめた。
無視しようにも限度を超え、このままでは何にも集中できない。俺はイラつきながら玄関のドアを開けた。
「よう! おまえが
俺と同じ学校の制服を着た見知らぬ男が、気さくに片手を上げて挨拶をしてきた。
そいつは同じ学校の三年生で、
何でも不登校の人間を集めて、みんなで部活と称して遊んでいるらしい。それに対して、俺はくだらないと鼻で笑った。
「フン、そんなことして一体何になる」
「何にもならないかもな。だが、おまえも今の生活を続けて何になる?」
そいつは俺の小馬鹿にするような態度にも顔色ひとつ変えず、そう答えた。
「……おまえには関係ない。帰れ」
「そう言うなよ。俺と一緒に青春しようぜ!」
満面の笑みでウインクをして親指を立ててくる。
「……おまえも不登校なのか?」
制服を着ているし、何よりもこの無駄に明るい雰囲気だ。そうではないと分かっていながらも、俺は敢えてその質問をした。
「俺が? ……いいや、俺は違う」
――――やっぱりか。
予想通りの返答に、ドス黒いものが心を覆っていくのを感じた。
――――どいつもこいつも、勝手に俺を哀れみやがって。
――――救いの手を差し伸べる神様にでもなったつもりか?
「……おまえらみたいのは、そうやって可哀想な奴らを慰めて、それで自分はいい奴だって自己満足に浸りたいだけなんだろ? はっきり言ってやる、いい迷惑なんだよ! おまえに、おまえらに! 上から目線で哀れまれる人間の気持ちが分かるのかよっ!?」
「おい待て暁、俺はそんなつもりじゃ――――」
初対面にもかかわらず、奴は馴れ馴れしく俺の名前を呼ぶ。それが更に俺の神経を逆撫でた。
「……帰れ、今なら見逃してやる。もし死にたいならそこにいろ。今から台所の包丁を持ってきて滅多刺しにしてやる……!」
俺は踵を返す。
脅しのつもりはなかった。
どうせ俺には何もない。こいつを殺して檻の中に入れられようが知ったことかと考えていた。
「……わかった、今日のところは帰ろう。じゃあな暁、また来るぜ」
背中越しに、玄関のドアが閉められる音が聞こえた。
「……あ、あああああああぁぁぁぁっっっっっっ!!」
何もかもにどうしようもなく苛立って、俺は叫び声を上げながら壁を殴りつけた。何度も何度も、手の感覚がなくなるまで。拳が裂けて、白い壁が血に染まっていく。
それから、どれだけの時間そうしていただろうか。
真っ赤に染まった自分の手を見て、ようやく俺は平静を取り戻した。
殴り続けてる間は何も感じなかったが、落ち着いた途端に拳から激痛が走り出す。
「いってぇ……。クソ野郎が……死んじまえ……!」
口から零れ落ちた呪詛は、あいつに向けたものなのか。それとも、自分自身へ向けたものなのか。
目から流れ出る涙は、拳の痛みによるものなのか。それとも、心の痛みによるものなのか。
――――もう、何もかもが分からなかった。
それからも奴は懲りずに連日やってくる。
ただ先日の件で諦めたのか、俺を不登校部とやらに勧誘することはしなかった。
その代わり、毎日よく分からないお土産を持ってくるだけという謎の行動に出始めて俺を困惑させた。
――――二度目の訪問。
「暁、カブトムシ取ってきたぜ! 欲しいだろ!?」
「いらねぇ! 帰れっ!」
――――三度目の訪問。
「暁、ツチノコ取ってきたぜ! すげぇだろ!?」
「……ただのアオダイショウじゃねぇか。帰れ」
――――四度目の訪問
「暁、野生のタピオカだ!」
「カエルの卵じゃねーか! 捨ててこいよ! おまえマジふざけんな殺すぞ!」
――――五度目、六度目、七度目……新一の訪問が俺にとっても日常となり、もう何度目か分からなくなってくる。
そして、最初の出会いから一ヶ月ほど経った頃だろうか。
そこにはムカつきながらも、あいつが今日は何を持ってくるのかと心のどこかで楽しみにしている自分がいた。
――――そして、その日は突然やってきた。
いつもの時間に家の呼び鈴がなり、俺は玄関のドアを開ける。
そこには新一と――――もう一人、見知らぬ少女がいた。その少女は新一の背中に隠れて、こちらを恐る恐るといった様子で覗き込んでいる。
「……おまえ、ついにネタ切れで女を誘拐してきたのか?」
俺の引き気味な顔を見て、新一が慌てて弁明をする。
「ち、ちげーよ! こいつは不登校部のメンバーで、おまえのことを話したらどうしても会ってみたいって言うもんでな! ……あー、悪い。嫌なら帰すが……」
「いや、別に……」
「……そうか」
新一が、どこかホッとしたような表情をする。
その顔を見て、こいつはこいつなりに俺のことを気遣ってくれているのだろうと思った。
もしかしたら、こいつは他の奴らと違うのかもしれない。
そういう哀れみや偽善だとかではなくって、本当にただの善意から俺のことを――――。
「……ほら、香苗。いつまでも隠れてないで挨拶しろよ。来たいって言ったのはおまえだろ?」
新一が自分の後ろに隠れている少女に声をかける。
「……なんかこの人、目が怖い」
その言葉に俺は、いたく傷ついた。
目が怖いって言われた……初対面の女の子に……しかも結構可愛い子に……。
「はあ、何言ってんだよ。目つきなら
新一が呆れたようにため息を吐く。
「でも、あいつはバカだもん。……この人の目は、それとはなんか違う怖さがある」
そこまで言われると流石に黙ってはいられない。
「おい、俺の何が怖いってんだよ?」
「ひぃぃぃっ……! 怒ってるぅぅぅっ……!?」
少女がサッと新一の背中に隠れる。その言動に俺は苛つきを覚えた。
「怒ってねぇよ!?」
「いや、怒ってるぞ暁。これを飲んで少し落ち着け」
新一が手に持っていたビニール袋からドリンク剤を一本取り出し、差し出してくる。
精神を安定させるドリンクなのだろうか。ラベルの説明文を読んでみる。
――――マカ不思議! これ一本で欲棒がビンビンに! マカ4000mg相当配合!
「落ち着けるかバカッ!」
「なんだ、いらなかったか?」
「……いや、これはこれで貰っておく」
俺は別に不能というわけではないが、健全な男子として効果に興味がないと言えば嘘になる。
「おう。……にしても、仕方のない奴だな。そぉい!」
「きゃっ!?」
新一が後ろに隠れている少女の体を肩に担ぎ上げた。
そうされると、少女は否が応でも俺と顔を合わすことになるのだった。
「…………」
「…………」
俺もそうだが、この少女もおそらくコミュ障なのだろう。お互いなんとも言えない表情のまま、しばし無言で見つめ合うことになった。
「ほら香苗、ご挨拶だ」
沈黙を見かねた新一が、少女に挨拶をするようにと促す。その様子はまるで実の兄か、あるいは父親のようにも見えた。
「……
「……
「えっ、同い年っ?」
年が同じという、ただそれだけで警戒心が薄れたのか。少女――香苗の表情が少しだけ柔らかくなった。
「……残念ながら違う。俺は一年生二周目だ」
少女の頭の上に疑問符が浮かぶ。
「おまえより一個年上ってことだよ」
こいつも留年していなければだが。
「あ、ふーん。そーなんだ。えーっと……有馬、さん?」
香苗が俺の名前を呼ぶ。そして先程は怖いと言った俺の目を、今度はじーっと見つめてきた。
その視線に俺は照れ臭くなり、サッと目を逸らしてしまう。
「……な、何だよ」
「よろしくね。不登校部、入るんでしょ?」
「は? いや、俺は……」
俺が答えに窮していると、新一が肩に担いでいた香苗を降ろした。
すると香苗は俺のすぐそばまで寄ってきて、いきなり抱きついてくる。
「お、おい……!?」
これは一体どういうことなのかと、混乱した俺は思わず新一の方を見てしまう。
「ああ、香苗は
「そう言われてもっ!?」
いきなり女の子に抱きつかれて、心拍数が跳ね上がる。無垢なる童貞ボーイである俺が、これで落ち着いていられるわけがない。
「暁さん、一緒に不登校部……やろ?」
香苗の上目遣いの懇願に、俺は呆気なく陥落した。
「……ああ、分かったよ」
……違う。決して可愛い女の子にお願いされたから、ついつい受け入れてしまったとかでは断じてない。いや、そういう気持ちが全くなかったといえば嘘になるけど……。
――――それよりも。
――――俺は、こいつとなら。
新一となら、その不登校部とやらで青春をしてみるのも悪くないと思ったのだ。
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