喰らう


——声が響いた。聞く者全てが『終わり』を認識させ得る程の声が響いた。滔々と澄み切った水の様に染み渡っていく魔王の声。呪詛じみた絶対の意志が有り有りと阿呆でも理解できる程の口上、地獄の門、奈落への大穴の蓋をこじ開けて突き落とそうとする声だった。


「月の民!いや、元月の民。月の名を称する厚顔無恥の裏切り者共!

明星と策し主人を裏切った僕共!我を救った小さき隣人の赤羽の毛の一本程度すらも忠義を持たなった外道なる獣共!

月の神の片割れ、魁のエルドラドが不義を正そう」


 時が止まった、様であった。クーリンだけじゃなくサナウも、アンナも、聞こえているかわからないが生き残った村人達もそうであった。

 村人達にとって月の神が隠れた事など悠久の昔の話でしかなく、隠れた理由など知っている者などいやしない。そもそも信仰の対象でしかなく、突如現れて、暴れ、築いてきた安穏な生活をぶち壊している者が何を宣いだしたかと途方に暮れる。


「小僧! もう一度だ。最後の機会だ。再度聞いてやる。

 サルマドーレはどこに行った? 」

「……知らない」


 クーリンはレリーフを握りしめて答えた。魔王は予想通りだと言わんばかりに高らかに笑った。けど、その笑いはどこか寂しげに響いた気がした。爛々と光る魔王の瞳がふっと曇った様な気がしたから———


「ファーハッハッ!そうだろう…………だろうとも………では粛清をするとしようぞ」


 魔王は熱波を投げつけた。サナウが地面に埋もれた大岩を持ち上げ遮った。熱を帯びてチンチンと岩が鳴った。魔王を中心とした円状に木々が次々と燃えていく。延々と広がっていく。突風の様に足早に、津波の様に漏れなく広がっていく。

 クーリンはサナウを見た。サナウは針の先端程の好機すら見逃さないと隻眼の赤い瞳を魔王に縫い付けられたかの様に離さないでいる。

 サナウは視線を感じたのかクーリンに視線を向ける事無く手を差し出した。戸惑いながらクーリンはサナウの手を握った。


「やっぱりもう魔力なんて残って無いわね」


 悪戯っぽくにやりと口の端を持ち上げて笑った。どこまでも溶けていく。混ざって霧散していく様な笑いだった。


「私が合図したら魔王の魂を喰らいなさい。全力で」


 クーリンは頷いた。合意する様にサナウを握る力が強まった。

 サナウは同じ力で握り返しながら続けて言った。


「その後、私が合図したら私の魂も喰らうの。これも全力でいいわ」

「……どうして? 」


 メシメシとクーリンの手は締め付けられた。反論を許可しない、絶対的な命令なのだとクーリンの体自体に刻みつける様に。


「疑問に思う時間なんてないでしょう?良いから、私は大丈夫だからそうしなさい」


 少年は信じるしか無かった。サナウにとっては大丈夫であるはずが無い事は解っていた。ただ、アンナに同じ事をしたのだ。であれば自身もアンナと共にならねばならない。でなければフェアでないのだから………… 。

 クーリンは力強く頷いてみせた。フッとサナウは改めて笑った。

 ふと、サナウの顔が輝いた。岩も白いだ。二人は仰いだ。光源は無数に天を漂っていた。無限の太陽が昇っていた。村を襲った流星よりも何倍も大きく、何倍もの勢力が魔王に忠誠を尽くし布陣していたのだった。

 すり鉢の底で大地を持ち上げたかの様に腕を天に上げる魔王。視線が交わり叩き落とさんばかりに腕を振り下げた。空中を浮遊していた火の玉は大蛇の様に地に落とされていく。大地は大きな一枚の鉄板となったかの様に無数の衝撃を共鳴させて振動を増幅させている。足場にしていた岩が無惨に散った。


「クーリン!」


 握った手を引っ張ったサナウ。足場が無くなり蟻地獄に落ちていく蟻よろしく中心へ自然に吸い込まれていく中、好機としたのか自身でも急かす様に、だけど悟られない様に慎重に意思を持ってすり鉢立った領域の最深部へクーリンを誘う。

 満月とヤギの角を模ったレリーフを首にかけた。一度、父に倣って握りしめた。微かに父親の温もりを感じた。クーリンは滑り落ちながら腕を伸ばした、エルドラドに向けて、命一杯これで最後だと思いながら手を伸ばした。魔王と目が合った。爛々と無数の光源に乱反射して幾重の感情が折り重なっているかの様な魔王の瞳がクーリンを捉える。体の奥底から蟲の様な何かが蠢いた。クーリンは自身を絞り上げる様に疼きを腕へと集めていく。合図があればすぐ様爆発する程に練り上げた。準備は上々、サナウの合図を待つ。


——声が響いた。サナウの合図だ。『魔王を喰らう』それだけが意思とし力を放った。血が折り重なった蛆と成り腕から吐き出され魔王を襲った。

 魔王は熱波を放つ、先陣切った蛆は焼かれる。が、津波の様に続く蛆は先へ進む。火の玉、特大の火球が二波目を退かせた。が、なおもクーリンの攻撃は止まずに進んだ。

 魔王が唸った。クーリンの魔力が魔王を絡め取り、蛇の様に纏わりついて蛭の様にぶくぶくと膨れていく。魔王の血を吸っているのだとクーリンだけにではなく一目瞭然。


——笑い声が聞こえる。内外を揺さぶる狂気じみた声。脳に響く声はクーリンを自身すら知らぬ所へ誘う事に躍起になっているが如く声音が乱高下しぐるぐる廻る。クーリンはひたすら『喰らう』事のみを願った。そうでもしなければ、とてもじゃないが正気を保つ事などできなかった。


 魔王は既に反撃する意思はない様で、腕を組み嘲笑う様に笑っていた。『出来るものならやってみろ』と高をくくって武尊に見据えて立つのみだった。


————声が響いた。クーリンは気が狂いそうな程の中、サナウへ力の一旦を向けた。赤い糸ごしに血が降っていく様にサナウを食らった。

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