戦闘

 終わらせよう。クーリンは乱戦の中を歩みながら思う。出来るかどうか、農民の息子でしかない自身がそう思った所でどちらかというと出来ない可能性の方が高く、死んでしまう方が確実だとさえ思う。村人だった屍が操り人形よろしく通り過ぎていく。クーリンは生まれたての子山羊みたいな覚束無い足取りでしか戦場は歩めず、意図も容易くガシャンと村人にぶつかる。村人だった屍に使役のために繋げられた糸が緩んだ。村人の防具が肉に食い込み血が泥だらけのシャツに赤い斑点模様を浮かび上がらせる。興奮しているのか、これから成そうとする事柄に臆しているのか少年は痛みを感じる事ができなかった。

 クーリンは進む。あと十数歩先にサナウが居る。魔王がいる。サナウを見た。サナウが見た。一瞬だけだったがクーリンの存在を確認した。想定外に弛んだ糸の原因に目を奪われたからなのだろう、合点がいきサナウはすぐさま魔王へ向き直る。


「ファーハハッハ!漸く来たか、我輩とやるのか? 」


 絶対的な王者とでも言う様に魔王がすったと戦いをやめ、両手を上げてサナウ達の攻撃を制し笑った。尊大な態度にサナウは不快極まりないと唸り休戦前の一瞥と隙だらけに見える魔王へ一斉攻撃を仕掛けた。が、魔王は愉快そうに高笑いと共に一際大きい炎の波を放ち屍達を一掃、サナウは仕方なしと攻撃を止める。


「驚きますわ。まだそんな力を隠しているなんて。本当に魔王なのですね」

「あぁ、そうだ。吾輩こそが魔王だ。魔族の娘、お眼鏡にかなったかな?」

 

 悪態混じりの嫌味も歯牙にもかけずにむしろ全ての事柄を心底楽しんで答える魔王に毒気を抜かれたのか、単なる愚鈍と感じたのか抗戦の恍惚を鎮めていきいつもの冷たい飄々とした顔へ戻りゆくサナウへクーリンは駆け寄り、燃え盛るサナウの操り人形達を歯を食いしばり見た。「やはり」と、当然であるのだと傷だらけの父親が枯れ草の様に燃え踊る姿に身を抉られる気持ちになり、クーリンは知らず知らずに父から譲り受けたレリーフを握りしめる。


「僕はどうしたらいいの?」

「昨日と同じ事をして頂戴。私が合図するから 」


 指示が早いかサナウは自身の魔力の糸をクーリンへくくり付けながら短く言った。

「 ―― それも全部飲んじゃいなさいな」


 指示に従いクーリンは腰元に括った水筒を外し喉を魔王に見せる形をとりながら中につまった血を飲み干す。喉に今まで感じた事のない裂かれる痛みが走り、嗚咽と共に共鳴するが如き愉悦が競り上がってくる。


「娘に少年、準備はできたかな? ―――では再開しようではないか! 」


突き刺す赤い眼光が返事だと認識した魔王は、渇望を抑する事ができないと言わんばかりに言うと共に投げつける炎の玉。決意こそしたなれど、内向的なクーリンに戦闘の経験などつゆとも無く、躱すもかわせずただ戸惑い、立つのみ。最中、クーリンの体に声が響く。日々増す嫌らしい魔王共の声では無く、繁った木の葉を緩やかに囁かせる風に似た涼やかな声が響く。サナウに「合図するから」と言われた意味を体験得る事で知り、風に身を委ね踊る葉と成るクーリン。

 業火が一陣、二陣と迫るもひらりとクーリンは交わし、昨日と変わって出力が制御された魔法を合わせて返す。魔王は嬉々と跳ね飛ばし、またはワザと見せつける様に食らって見せて高笑い。 「そんなの効かん!」 と、おまけに嘲る。サナウは自身に迫る攻撃に合わせてクーリンを動かす。死体の操作に比べて難儀なのか冷や汗が炎に照らされながら伝っていく。


「少年!愉快な少年。全力だ!全力でこい!吾輩を倒すのだろう?」


 戦場を舐める業火の絶叫に負けじと魔王は恫喝にも似た侮蔑の色を濃く載せた声を投げつける。

 少年は気負い一瞬身を強張らせる。委ねた体に変な力が入ったものだからサナウの思惑とズレが生まれ魔王の攻撃の一つが少年の太ももを抉った。ズボンが裂け、ポケットにいれたクーリンの心の寄る辺がシトーンと地に落ちる。


「少年!ファーハッハ!どうした?だから言ったのだ。それと同じく腑をも落としていくのか? 」


サナウが冷静に管を伸ばしクーリンの怪我を治していく。魔王の攻撃は止む事も無く、なおも続く。サナウは踏ん張れずにビッコ気味のクーリンを避けさせながら、誘導する様に糸状の魔力で魔王を打つも、魔王にとっては児戯であると侑に払いのけ、周囲を歪める程に燃え盛る業火を投げつける。クーリンの足元に落ちた月と山羊を模ったレリーフが炎に照らされて煌々と煌めく。


 と、————魔王の攻撃が止む。魔王自身も膠着した様に止まっている。今まで見せていた愉悦に溺れた様な顔が沈み地を凝視していた。


「…………お前。どこで手に入れた? 」


 魔王が振るう空気が変わった。絶対王者然と余裕さながらの笑い顔が潮が退く如く、躍動に満ちた紫色の地肌が吽とも動かすことの出来ない鋼の巨塊の如く、血潮滾る声は満月の蒼さの如く、ことごとく魂というのが消え去った冷徹な空気へと変わった。

——答えてはならない。もともと余裕が無いクーリンからすればそもそも答える事が出来るはずがないのだが、それでも鼓動と恐怖という警鐘がけたたましく鳴り響く程に頭を締め付ける。


「最悪な魔王ね—— 」


 サナウ自身の口から発する音がクーリンの耳に届く。いつのまにかサナウの隣にクーリンはいた。

 S級の冒険者であるのだから、クーリン以上に相手の変貌による影響度合いというものを感じ取っているのだろう、悪態をつきながらも魔王から目を離す事も無く、クーリンへ指示を出した。

 クーリンの制御を司っているサナウの魔力の糸が殊更血よりも濃い紅に光る。安寧すら覚えていたクーリンの中に響くサナウの声が首を締め付ける程の強制を示す。


「……ごめんね」


 サナウの口から漏れた言葉は優しく、だけど、冷たく、苦痛を拒否する事が出来ない事をクーリンへ思い知らさせた。

 全てを捧げよ———— 、と迫る指示がクーリンの腸を絞り上げる様にクーリンの力全てが抉りだされていく感覚。胸が押し潰されていく—— 、腕の血管が血を運ぶのでは無く砂を運ぶ為の管へと成り代わったのかと思うほどに、一方通行になってしまったかの様に指先へとザクザクと刷り込んでいく。食べすぎた蛭が自然と堕ちる如く、指に破裂する程に身体中の血潮が集中し過ぎていた。

 魔王が何か言おうと口を開きかけた頃、右手が破裂するかって程に膨れ上がったクーリンの全力の一撃が炸裂。戦場に漂う塵芥が攻撃の型で硬直する。踊っていた炎がかき消されて魔王とクーリン達を繋ぐ一つの道が出来上がった。

 と、すれば空いた空間を満たすべく風が巻き起こり固まっていた粉塵が魔王に蛮勇じみた突撃を喰らわしクーリン達の攻撃の結果に暗幕を垂らし隠した。


 魔王の声は聞こえない。気持ちの悪い油汗がじとりとサナウ達の額に生まれ、地へと落ちていく。魔王を隠すもうもうと舞った塵達も落ち着いていく。サナウが固唾を飲む様な視線で幕が上がっていくのを凝視する。

 クーリンの瞳に安堵の色が灯る。 「やっつけた」そう思える成果が見えたのだ。晴れゆく視界に見えるは上半身が抉り飛ばされた魔王の体だったから、初めて魔王を倒した時、訳もわからず攻撃した洞窟での時以上 ——あの時は首より上だけ—— 今回は体の大半を抉り取ったのだ、これで終わりだとクーリンは興奮した目でサナウを見た。「サナウ様も同じだ」と期待を込めたクーリンの瞳には、想像していなかった仕草のサナウが映り込む。

 先刻の攻撃を受けた名残の回復途中の指足らずの右手をつい自身の口元へ運び、悪態こそあれど終始冷静な雰囲気なのが、狼狽えた表情を浮かべる。クーリンの視線への察知も間が必要な程。サナウはワンテンポ遅れ仮面で覆い被せる様に普段のどこか冷たい程の空気に身を浸した。


「本当、最悪な魔王ね—— 、残念ながら終わってないわクーリン」


 きょとんとクーリンは魔王の残骸を見直すも払拭出来ずにいた。どんな悪夢であれこれで終わりであるはずだろうと思いたかったのだ。が、サナウの言った通りだった。その通りでしか無かった———— 。

 水が穴へと流れ込んでいく様に、あらわになった魔王の半壊に特攻を仕掛けた塵が裏切り集まっていく。砂時計が時間をかけて砂の山を作り上げていく様に集まった塵は折り重なり、積層を重ねて、魔王の体と交わり紫色の体組織へと変貌していく—— 。


 地が大荒れの海に成り変わったが如き感触を覚え踏ん張りきれずにクーリンは地へ沈んでいく。飲み込まれていく事を恐れる様につい、サナウの足を掴んだ。そうしなければ自身こそが塵とも泥とも言えぬ何かになってしまいそうだった。ついポケットへ腕を伸ばす、が、ポケットなんて無い。思い出しては足元——眼前と同意である所に落としてしまったレリーフをサナウを掴んでいる腕との反対で地面ごと抉る程に握り取った。


「——小僧、もう一度だ。それをどこで手に入れた? 」


 大きな翼を威嚇する狼の様に震わせながら、治りきらず牙だらけとも取れる程の乱杭歯をありありと剥き出したままの隙間だらけの大口から魔王の掠れたながらも何処までも響く怒号じみた声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る