笑音

 くすんだ世界の中で砂塵が舞って、炎が踊る、人ならざるモノが狂気を示している。 高笑いが—— 。近くなはずなのにどこか遠く、さながら少年自身は白昼夢の中を揺蕩う一粒の繭に包まる幼体であるとでもいう程に薄らぼやけている実感。

——夢。そう、夢ならば—— 、単なる一夜の途方も無く長かった最悪な夢ならば…… 。起きればいつもと同じ共用されている汚いブラケットに包まっている。母さんがご飯を並べて、父さんは静かに食卓で祈りを捧げているはず……… 。ただ、そんな事は無いと自我が冷たく突き放つ。

 

「僕は悪くない」


 静かな言葉が皮切りとなって少年の感情が関を切って濁々と大地にあぶれていき外も内も一つの大きな泡となって自身を包む。

—— 笑い声が聞こえる。薄汚いニヤリとわらう様に大きく穴が空いた固まった血の色のぶよぶよしたスライムへと泡は変わり、あの日見たスライムと成り、少年を二重の夢へと深く堕としていく————— スライムの体内で安らぎを覚え、ユラユラと重力など忘れ、大海の渦に見舞われく上下左右全方向に漂って回る葦の一片の如く形を成し続ける事を諦めて溶けていく。小さな泡がより大きな泡に統合する際に見せる最後の足掻きの如く「消えていく恐怖」たるモノで少年の自我を覚醒させて少年の内へと逃げる瞳を外へベクトルを切り替え、戦うサナウへとすがらせた。

 当のサナウは目下、戦闘中故そもそも少年など気に掛ける余裕などあまり無く、そもそも少年に変化など無く、少年の心の中の世界の出来事故、外界から見れば単に蹲ったままでしか無く……… それなのに、どこか恨めしさを覚えては歪む世界からサナウはを見る少年。

 サナウはサナウとて、さすがS級の冒険者という所で、瞬殺などこそ無く、が、数十程度のアンデットを纏った所で、まして敵から武具を授かったにも関わらず戦うのは無謀だと児戯程度の小競り合いしか知らなかった少年ですら解る程に劣勢の色が濃くのしかかっている。

 屍が剣を振るう。それも昨日まで生きていた見知った人々が魔物の眷属と成り果てて自前の武具や炭の様な武具を纏って魔王と踊っている。少年は、どこか他人事じみて逆に透き通る感覚でジトリと見て「滑稽」とすら思える。


 ( 大きな剣………ガルタオの剣だ。元勇者のくせに負けたんだ—— カリフ……… 豪華な武具がボロボロ。領主の息子、戦場から帰ってきたのにお粗末なんだ。だれもかれも僕よりすごい人たちのはずなのに………はずだったのに、ボロボロ千切れて踊っている。これじゃあ僕の責任なんて無いじゃないか )


 屍はすべからず二重八重と赤い系に導かれて、サナウはさながら芸人の座長あるいは指揮者さながらに赤い軌道を振るって戦っている。魔王の攻撃の一つがサナウを襲う。サナウに集まった一筋の赤が火の玉を撫でる。玉はピニャータの様に割れて弾ける。一体のアンデットが魔王を襲う。魔王は笑って払って素っ首を飛ばした。

 飛ぶ首は足を組んで膝に頭を乗せ、睨み見る少年の元へとボトンと落ちる。少年は気だるく首をもたげてみる。魔王の攻撃を受けたためか、はたまた地面が炎に照れて熱くなっている為なのか、肉の焼ける芳ばしく鉄と肉を漂わす。見知った頭、自身に似た髪に少年は悲鳴の様な声を出した。

 赤い線が煌めいた。ぴーんと飛んできた糸が焼けていく首に刺さる、勢いのあまり余った部分が弛み、また張り、首を元の肉体へと勢いよく手繰られていく。

 少年は腕の中に頭を埋め悲鳴に似た笑いをあげた。



………名前を呼ぶ微かな震え声が背中の方から聞こえた——— 気がした。隠れようと身を竦める少年。


「………クーリン」


 なおも名前を呼ばれ温もりを感じた。抱きつかれる。いや、抱きしめられる。

 少年はつい回り込んだ腕を見た。散々雨の中走り回り、日に乾かされた犬の匂いが染み付いた小さな腕。感情をあからさまにしている程に冷えて震えていた。


「 ………来るなよ 」


 少年が返すは邪険な物言い。ただ、言葉の強さ等気にしていない様で、だけど行動を示す何かも示さずただ抱いたままの腕。


「離せよ」

「………やだ 」


 声変わりも幾分も先な甲高い声に少女らしからぬどこか大人びた匂いを帯びせながら幼稚な程に震えるアンナの返答。確固たる拒否に少年はどうにも煩わしい。が、全てが煮えて蜃気楼の如く悶々と立ち昇って見える世界の温度が多少なり冷えていく気がした。


「………ここは危ないんだ」

「わかるもん」

「じゃあ、なんで来たんだよ」

「………………私のせい………いるんだもん、クーリンが 」


 不規則にさらりとした水滴が頭を穿つ。ぽつぽつだったのが段々と勢いを強めて引き付けが混ぜられていく。体温を奪われていく少年。険がまだまだ残ってしまっている顔をあげて改めてクーリンは戦場を観た。


——笑い声が聞こえる。しっかりと聞こえる。巨悪な魔王の高笑い。快楽に溺れた確固たる魔王の声が聞こえる。

 屍の兵もサナウも劣勢がなお濃くなっている。クーリンが見ている間にも継ぎ接ぎだらけの兵が斬られ、燃やさた。いささかサナウの練った赤い糸がより細く、兵の数も減っている。しっかりと軌道を逸らしていた糸もしなやかさが減ってどこか無駄な力が入って針金の様にカクカクとしている。魔王は裕に攻撃を練り出し、その一つがサナウを喰らい、サナウの右腕が焼き千切られて吹き飛ぶ。傷口から血が垂れるも瞬く間に留まり緑に光り肉が形成されていく。

 撫でられた感触が脳裏に蘇りクーリンは不安げにまた俯いた。アンナも見ていた様で軽い悲鳴と共に震える腕の締め付けが強まる。


「行ったって—— 、冒険者でも無い、まして勇者でも無い。鳥を逃がしてしまった僕が、魔王を復活させてしまった僕が行ったって何も意味がないんだ 」

「………クーリンは勇者だよ」


 クーリンはアンナを見た。遠き日々とすら思える洞窟で描いた絵を思い描き、アンナこそが———と思いがよぎった。自身を震いたたせてポケットに入れた宝物を握りしめ逃げるなとクーリンは戦場を視た——————— 。


「………ごめん、離して」

「クーリン………死なないで 」


 なおも震えるアンナの腕を優しく解いて、クーリンは立ち上がる。大地の熱を吸収していたのかレリーフは燃える様に熱く、象牙のボタンはすんと優しく冷えていた。


「………わかんないよ」


——笑い声が聞こえる。芯から自身が発する声。優しく澄んで、何か諦めた冷たいクーリンの声。アンナの震えが収まる。いや、押さえつけていた。口を力一杯食いしばって泣く事をアンナは堪えていた。

 ポケットの中身を改めて握りしめてクーリンはサナウの元へ歩き出す。炎が、赤い糸が、乱れて彩った盤上へ登ろうと歩いていく。よく知った隣人の死体が踊り、魔物の高笑いが響く戦場、緑と赤がむせ返る臭気を帯びた世界へと———— 。

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