—— 笑い声が響く。夥しい数の警鐘が共鳴と反響を繰り返し続けている。空気の振動を鼓膜が検知し蝸牛が脳へ伝える物理的な音であったならば瞬時に骨は粉になって脳は溶解する程の騒音。体の内に染み込んでしまった魔王の血と力が寒気を纏って歓喜に満ちた嘲笑でクーリンを覆い、炎天の下に放置した水筒の水が沸騰してバカになってしまった口からこぼれていく様に笑う事しか少年には出来ない。昨日も変わり、今日もまた変わってしまっていく風景が少年を襲う。


「おぉ少年。愉快な少年!久しいになるかな?まぁた笑っておるのか」


 繁茂していた草木は炭となり地面に吹きすさび大地は熱された鉄色に染まり太陽よりも眩しく赤く照りつける。水たまりとなっていた所はもうすでに乾いて久しいのかどこにあったのか判らず、崩壊しかけていた洞窟なんて元々は無かったのかもしれない。荒廃した大地に巨躯を紫色に煌めき居丈高に腕を組んで高笑いをする魁の魔王は茫然自失となったクーリンの乾いた笑いを満足そうに眺めていた。


「また笑っておるか愉快な少年。驚愕だな、まったく。賞賛と言った方が良かった………あれほどの攻撃をするとは思わなんだ。

 幸いかな。月の愛し子の慈悲がなくば少年とまた会話も叶わず悠久に寝ておらねばならんかった。永遠の忠義を示したロビンの献身に感謝がやまぬ……

 —— して、いつぶりかも知れんが ——知らずと差し支えも無いのだが………… 間抜けな魔王の愉快痛快リベンジマッチを始めようではないか?」


 混沌の様な存在が混濁した言葉を紡ぎ、忌々しい高笑いもなく、自身の体を愛おしむ様に魔王は暫し両手を広げて見せる。感慨深く息を吸い込み、吐き出す様に赤くギラついた炎の球が魔王の眼前に燃え盛り 虚空に似た笑いに溺れる少年へ目掛けて飛び出した。

 少年の髪がチリッと鳴る。嫋やかなしなりを以った血の様な系の束が炎の玉を掠めた。魔王の攻撃は少年から外れて晴天へ消えていく。


「 ……割ってはいるのは無粋であろう、魔族の娘」

「何が無粋よ、何も答えない内に攻撃する方が無粋ではなくて?」


 魔王は思案する様に虚空を見たと思えば、大きな口を開いて見せていつもの様に笑い、独り言にしては大きい声でサナウの言葉に納得の言葉を発す。

——ふと、半月に歪んだ赤い蛇の様な瞳の笑いがすぅっと魔王から消え、眼下で余裕そうに立ちはだかる一魔族を奥底を見透かすように凝視した。

 魔王の視線にサナウはつい身震いを覚え不躾な視線を払いのける様に鋭く冷え切った視線を返す。


「娘、お前はサルマドーレに縁ある者か?」

「知りませんわ」

「では、女神に縁は?」

「意味がわかりませんわ」


 突拍子も無い問いにサナウはビクッと身震いし冷淡に返す。落胆の顔をすぅっと浮かべた魔王は辺りに広がった業火を吹き飛ばす様な高笑いを一頻り、大きくため息を吐いた後には、高慢な表情を浮かべなおしていた。


「ファーハッハッハ! まぁよい。娘の言う通り少年の言葉を待つとしよう。

 さぁ、愉快な少年。返事をせよ」


 さも地震を起こさんとする様にどっかとその場に座り込む。目の前に立ったままの少年を見据え、うずうずと体を揺らしながら腕を組んだ。先ほど放った言葉の通り「待つ」を体現したような魔王がそこには居た ——



 クーリンは立っていた。愉快とは真逆な笑いを漏らしながら、呆然と立っている。洞窟だった瓦礫の麓に息を切らして辿り着いた時に広がった光景が脳裏に焼きつき、昨晩成した事の意味を知る。懴状の主が放って迫りくる炎の球は救いとも思った。そこかしこに炎と瓦礫に埋もれた人の四肢の一員となれる事こそが贖罪であると確信を覚える。が、それも叶わず自身はただ立っていた。

 ヒトの温もりを感じた。細い柳が風の重しで垂れてきたしなやかな温もりが少年の中で反響し深く彫り込まれた坩堝の輪郭を払う。重い赤黒の恐怖が掠れ、思考を許容する隙間が出来、埋めようと反響が濃くなる。突然訪れた隙間が促し柳の温もりを仰がされた少年の瞳に、がどこかぎこちなく頭を撫でるサナウ。


「戻って来れたかしら? 」


 サナウはするりと少年の頭に伸ばした手を落とし、そのまま流れる様に少年を自身の胸の内に押し込める。先ほどまで生理的活動を意識していなかった少年に「呼吸」という行動に無理やりにでも意識を集中させる。


「逃げてはいけない。責任は果たさなければならない。君の決断がこれを作った、私の許容がこれを創ったの 」


 魔法メインであるのだから鍛えてもいないその体だけでは発し得ないと思える程の力で抱きしめられた少年は、先ほどまで渦巻いていた嘲笑すら忘れる程に顔を赤らめながら、逃れる様に頭を上下に動かす。

 少年の頭の動きに満足したのか力を弱めて少年の顔が臨める程に離し、緑色のウェーブがかった髪がかかった赤い瞳で少年の燻んだ黄金色の瞳を覗き込む。


「深呼吸して…… そう、いい?私たちはアレを倒さなければならない。私が合図したらアレを攻撃しなさい」


 サナウの瞳から逃れたいと、少年は促された深呼吸を試みる。魔王との共鳴の響きが多少なりとも薄れていき、自身の負の感情が今度は躍りだす。「出来ない」という言葉が少年の頭から口へと流れて、体は塞ぎ込み、本能的に安住を求め地に蹲まろうと、膠着していた四肢の骨が溶けていく。

 

 サナウは深くため息をついて、頭を掻きながら隻眼を魔王へ向けた。


「魁の魔王、エルドラドでしたっけ? この子に代わってお相手させてもらうわ 」


 言うが早いかサナウは自身が作った魔力の糸を四方へ伸ばし、残骸と見分けが付かない先陣の亡骸を捉え癒しの魔法に似たどこか優しげな緑の光源を注ぎ込んでいく。

 魔王は塞ぎ込んでいる少年を一瞥し、至極残念だと吠えたそうな顔でゆっくりと立ち上がり、サナウの成す事を粋を見せつける様に、半分期待して鼓動を速めていく体を押さえつけながら目を燃やしながら待つが数分、サナウの成し事は終わる。

 サナウの背後に数十の大小様々なアンデットが隊伍を組んだ。


「ハッ!これで我輩の相手になると思っているのか?これらは我輩に先刻負けたのだぞ? それに……んんん………武器もそぞろではないか?」


 期待を裏切られ、半分侮辱されたとさえ感じ瞳の炎が燃え盛り、感情を4つ腕の一つに流し込み一球の業火を作り上げ、吐き出す様に途方へと飛ばした。傲慢な憤りがおさまった様で、思案する様にギラついた瞳で隊列と華奢でしかない緑色の娘を見た。それも一時、ハナから頭には浮かんでいたというのが有り有りとみて取れる中、今思いついたという風に魔王は嬉々とした声で1案を提示する。


「娘!これを使え。多少たりとも我輩を楽しませてくれるだろう」


 魔王は炎をアンデットの隊列へ満遍なく吹きかけた。アンデットは命令無くば動かぬと微動ともせぬ。瞬く間に火中に覚えていくアンデット達に炎は纏まって武具の形となって落ち着いた。

 剣や防具が一通り揃ったのを炎自身が感じ取ったのか、アンデットを埋めた炎は消え、与えられた武具は黒く固まっていた。


「敵の施しは受けぬとは言うなよ?」

「私は冒険者をやっているの。遠慮なく使わせてもらいますわ」

「ファーハッハッハ! それでこそ!だ!

 愉快な少年に傅く魔族の娘!いざ参ろう!

 少年!お前も入りたくなったら勝手に参れよ!」


 魔王は居丈高な大笑いと共に鏑矢代わりに天高く炎の柱を自身の燃え盛る感情の如く轟音と共に放った。

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