復活

( 何故だ? 何故逃がした? 何故…… )


 水車に繋がれたひき臼の麦の様にわずかな隙間に身を隠したくも出来ない少年に襲いかかる硬く重たい言葉があの魔王の血にあてられて発芽を促される蔓の様に纏わりつき、ひき臼に負荷を与えゆっくりと紙の様に薄く伸ばされていくパン生地の様にすり潰されていく。あの朧な月光の夜が延々と続けば良かったと想うかたわらあんな夢見なければ良かったと、罪悪と後悔と逃避が渦巻いた胸中をクーリンは一重二重と押し殺して夜明けの光芒に負けじと村の四方へ魔力を幾筋と伸ばす。線は少年の心を示すように歪に歪みながら風が窪みに揺蕩う仕草さえ逃さじとコマドリの姿を探す。村の方々、草原の先々、焼け跡が一層色濃く残る洞窟—— 水たまりと……… ただ一向にあの逃げた小鳥の血の様に赤い綿毛の毛先すらも見つからない。借り物の魔力から伝わる郁万の雑多な生命の鼓動のみがクーリンの感覚へと突き刺さった。

—— 鼻に粘りつく炭と油の臭いに包まれて混沌こそ愉悦と叫んでいるかのような狂笑を轟かせる魔王の姿。そして腕だけが残った母の残骸が燃え盛る業火のように少年の脳裏を嘗めなずむ。


「……サナウ様」


 村の境界隅々まで見尽くしてなお逃した災いが見つからず、歪な赤は天井に張られた蜘蛛の巣が箒で容易に払われる様に霧散していく。

 隣にただ立ったままの冒険者を我が身が焼かれて剥がれて舞う空虚な灰であると言わんばかりに見仰いだ。

 縋るクーリンにサナウは未だ余裕そうで、まるでクーリンが考えすぎて空回りしているだけだと言わんばかりに飄々としたまま少年を見据え


「見つからない?じゃあ次は何をしたらいいかしら?あの子が行きそうな所に行くしかないかもね」


 責任の所在は少年。そう、まるで他人事であると突き放すサナウの物言いが冷たく返ってくる。


( たしかに僕に責任がある。それは僕が助けると言ってしまったから。そんな事は理解しているけども……誰か……… )


 父から貰ったレリーフを少年は握りしめる。単なる金属で出来ているはずにもかかわらず最近どうにも人じみた温もりを感じる。自身の鼓動が伝わっているのか微かに規則的な震えすら覚え、どこか母の手を握っている様な安らぎが自身を鼓舞してくれている。いつしか自虐的な嘲笑が少年自身を覆い被せ払う様に身震いが走る。汗が染みた額をこすって何も言えぬまま洞窟へとクーリンは駆け出した。


——————


「こんなになっちまっても魔王は魔王であるって事か」


地面に刺した剣を絡めとろうとする様に伸びてくる草を拭っては、その刀身に反射する赤い毒々しい水たまりを薄ぼんやりと映しだすガルタオの瞳には欠伸の跡が滲む。何度も草を千切った老人の手は空を染めていく色に似た赤味がかった燻んだ黄色に塗れて朝日の息吹を醸している。


「漸く交代ですかな」


 強張った腰をボキボキ鳴らしながら大きく伸びをしながらガルタオは言った。


「ご老体にはいささか応えましたか? ………なんとも苦戦されたご様子」

「魔族の生命力を分けて欲しいもんですわ」


 交代要員と思われる兵と村人達を連れて軽口を携えたカリフへ対し草の体液でベタつく手を仰々しく振りガルタオは戯けてみせる。


「ジェイフは行かれましたかな?」

「あぁ、先ほど出立しましたな。私達が居る時ってのが僥倖でありますな」


 カリフの労いの言葉にガルタオは意味ありげにカカっと笑って見せる。性懲りもなくまた巻きついてくる草ごと地面に刺した剣を引き抜き払う動作の後にそのまま肩に乗っけた。老人の帰り支度はこれ位で十分だった。


「俺は………村へ戻りますわい」

「感謝いたす。ジェイフ君だけでも流石に良さそうではあるが、貴殿も行かれれば一層早く事も終わる事でしょうな」


 日が昇る。吊られて草木も一層に茂っていく中、じめぇっとした空気が漂い舟の舳先みたいな色にそこに立つ人々の服を染めていく。ガルタオは共に見張りをしていた村人達へ声を掛けようと、まずは近場に立つクリフトを見た。

 クリフトは夢の間にいる様な瞳で水たまりを見つめていた。夢は夢でも悪い方の夢の方らしく、途方も無い絶望の色を滲ませていた。

 スッとガルタオは夢遊病者の視線に沿わせた ——— 途端、剣先を水たまりの中心へ——

 カリフ筆頭連れ立った兵士達もガルタオと共に切先をズズッっと、遅れて村人達は慣れない者故仕方ないが手にした武器代わりの粗末な農具をガチャガチャと水たまりへ向けた。


 恐ろしい程に静まり返った朝の森と空を鏡の様に映す水たまりを取り囲む兵士と農民と老いた勇者。その瞳にはのどかにも小さなロビン。農民はなんでそこまで兵士達が殺気立っているのかその光景を見ても合点がいかない。


 ガルタオが緊張を解かさなぬ様に細く言葉を発した。


「アレが魔王の僕か?」

「………その様であろう。でなくば魔族の血に寄りもせぬ」


 言うなりカリフは手を振った。常なる倣いと兵士の一人が弓を引き矢を保護色の様に赤い羽毛に覆われた小さな的へ射る。矢は当たり、小鳥は水たまりへ沈んでいった。不思議な事に波紋は無く、あたかも元々水たまりの一部の様に溶け込んでいく様に沈んでいった。

 農民の張った胸が緩んでいく。が、兵士たちの手は白い斑点が見える程、緊張が増す。射った兵士は謝罪を示すが、軽くカリフはいなす。

 終わったと思った。と、なのに未だ臨戦体制を解かないカリフ達に疑問を持ちながら農民は猿真似の如く水たまりを覗いた。


 一刻が緊張の中過ぎていく————— 、一人の農民が吃音の様な恐怖を含めた音を漏らした。その恐怖の意味が波の様に農民達へ伝播し、クリフトはもう持たぬのにもかかわらずつい首元を弄った。

 潮が引いていく様に、だけど波じたいは立たぬまま、ただ伸びたものが縮む様に水たまりはロビンが沈んでいった中心へと収束していく。


「仕方がない。我等は強い。魔王1柱など容易いものと心得よ」


 カリフは鼓舞する様に水たまりを取り囲む自身の勢力へ自前の否とは言わせぬよく響く声で吠えた。



———もう、水たまりは無くなった。


「ファーハッハッ! 我は魔王! 魁のエルドラド!完!全!復!活!! 」


 崩れて果てる農民達、逃げていく農民達の中、忌々しい程に愉快な大声が轟いた。

 鈍い紫色の体、背中からは大きな黒い蝙蝠の翼。血が乾いた様な赤い髪を掻き分ける様に羊のツノが生えている。

 皆の眼前には裂けそうなくらい大きく口を開けて心底楽しそうに笑う魔王が立っていた———

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