責任

 紅い世界が衰え灰が積もり鼻に粘り気のある余韻に包まれていく。怪物に身を落としていた小鳥は無限地獄に堕ちている最中の様に自身が放った炎に身を焼かれ続け芳ばしい油の匂いを周囲に放っていた。魔王の血の効力も無くなった様でピクピクと力無さげに悶える小鳥を庇う様に一人の少女が震えながら助命を願った拙い言葉がポツリポツリと3人と1羽と隔たった外界を呼び込んでいく様な木の葉に溜まっては落ちていく雨の如くシーンと響いた。


「……あまり良い判断とは言えないわ」


 サナウの言葉は至極真っ当だと幼い少年にとっても理解する。少女の懇願はなんとも世間知らずであろう。と、魔王の血を使いすぎてグワングワンと揺さぶられている少年の脳でも認める事が出来る。少女も然り解っているのだ。太陽のような瞳は暗雲と共に地平線の奥へと消えていきそうなほどに暗く沈みがちだったから。

 先ほど迄怯えていた相手を助けたいなど、ましてや自身を怪物へやつして周囲を醜悪と炎で塗りたくり自分達を襲った相手を救いたいなどという発想はそもそもどこからやってくるのだろう? と思ったが、それが彼女なのだ。と、目を擦りながら少年は長年の付き合いからくる妙な納得感から答えを得た。


「……君はどうしたいの? 」


 サナウはクーリンへ対してじっと見据えて問いかけた。正直彼女としてはどちらでも良いのだ。もう生きているのかさえ微妙な程に衰えていく炎と共に小鳥は静かになっていく。


( ………震えている? )


 少年は手の腹で目を擦り上げて俯いたまま引き付けを起こした様に体を動かす少女に視線を移してみた。


「コレじゃないとダメなの?」

「……………うん 」

「わかった…… 。サナウ様、助けてください」

「そう。どうなるか知らないわよ? 魔人の血を好んで飲む獣なんて見た事ないもの」


 形ばかりの確認とでも言う様にサナウは妙に穏やかな笑いを浮かべてそそくさと自身の管を使って小鳥から炎を払い、詰所で見せた様に小鳥を己の魔力を以て癒しだす。爛れて焦がれていた小さなロビンの体はみるみると可愛らしい桃色の肉へと移り変わりヤマアラシの様な針を生み枝分かれする様に産毛、羽根へと変えていく。ものの数分ともいうべき速さで見てくれは森で出会うロビンへと変わる。サナウはふぅっと一息つく様に前髪を揃えながら伸ばした管で小鳥を掴み『受け取りなさい』と言う様に少年の前へ運ぶ。意図に従いお椀の様に差し出したクーリンの手へ優しい羽毛がふわりと沈んだ。


「君の決断でこのロビンは救われたわ。ならば、君は何があろうと此の子から目を逸らしてはいけないわ」


 赤い管が引っ込んでいき、仰々しい言葉が伸びてくる。まるで井戸のつるべが満杯の水をクーリンへ飲ませようと差し出す様に氷水みたいに硬く重たい言葉。言葉の主は種火にされてしまった灰塗れの炭の様に優しく赤い隻眼を少年に焚べる。

 澄んだ水が地に吸い込まれていく。地中に残っていた空気が追いやられて水面へ浮き出る様にクーリンは頭を縦に振り、手のひらで規則的な鼓動で震える小鳥が虎視眈々と再起を伺う猛禽類であるかの様に逃げない様しっかりと握る。微かに居心地が悪くなったのか、赤い鳥はうなされて細い囀りに似た音を漏らす。


「……なんでこれが僕なの?」

「わかんないけど。ただ、クーリンに似ているの—— 」

「…………意味わかんないよ 」


 漸くひと段落した。そういえば、雨はどうなったのかな? と洞窟の隙間へと思考が移ろう程に安堵が今までなんとか抑えていた疲れを込み上げさせていく。緊張が解かれ散漫した神経が異常を検知する受動体の活動を高めて警報の様に少年の体を熱く、鼓動を早めさせていった。ドロドロとした血が少しの残飯も食らおうとする野犬の様に血管を駆け巡っていく。そんな気持ちの悪さが込み上って目眩めいた渇望の嘲笑が少年の中で響きわたる。

 安心半分、心配半分で少年の手の内を見ていた少女の視線が自然と少年自身へ、ようやく訪れた穏やかな感情が消えていき心配への割合を増加させながら移ろわせていった。


—— 遠くて声が聞こえた。名前を呼ばれた気がした。それはそばに居るであろうアンナのキィキィ声では無く、ゆったりとした冷たいサナウの声でも無かった。どこか掠れた大人の男の声。普段は声量を抑えている人が慣れない声量で発した様な不安定な声が聞こえた。

 少年の掠れた目には一群の人を引き連れた父が駆けつけてくる虚像めいた景色。どこか安らかに体が軽くなっていく感覚。赤い光が優しく自身にまとわりついてくるのが上皿から落ちていく砂時計の砂みたいに視界が暗転していった。


▲▲▲▲▲▲


「君はどうにも愚直すぎるね 」


 毛布の海が広がる詰所の大広間の壁際で魘されながら目を開いた少年にサナウは少し驚きながらも揶揄う様に少し笑いと共に漏らした。誰も風呂にはいれていないからかどうにもヤニっぽい臭いが充満した空間は目覚めが悪く朦朧とした少年の意識を現実へと誘う。そばで毛布にくるまって安心しきった寝息を立てるアンナを知る。そして意識を失う前の出来事を思い出し———

「!? 鳥 —— 」


 皆が寝静まる中で響く緑髪の少女の笑い声。


「本当……愚直すぎよ」


 息が出来ないという程に切れ切れ、赤い瞳を潤ませながら隻眼の少女は可笑そうに笑い細い指で毛布の中に隠れた少年の手を指し示す。蹲る様にして体と毛布の隙間から自身の手を見てみるとしっかりと若干、熱ぼったく赤らめた姿であのコマドリが先ほど迄の少年と双子であると言う様に魘されている。

 バツが悪いと少年は頭につい手を持っていく。が、塞がっていたので何も無い風を装って元に戻す。が、当たり前にサナウに気づかれてまた吹き出させてしまう。モゾモゾとボロキレの海に波が立つ。少年は熱くなる顔を気取られない様にとサナウと反対側、未だに煤がこびりついた今にも割れそうなガラス窓から外を望んだ。


(まだ夜も明けていないんだ…… それとも……)


 手のひらで眠るコマドリが怪物となって戦って…… そもそも洞窟に入ったのも日が暮れきった頃だというのに未だに空の黒はまだ濃い。だけど、あの程まで重たかった雲は無い。一粒の火の粉が汚れ切った布を焦がした様に一つぽつんと真丸の月が浮かぶ姿は何事も起きえない静寂な世界を体現している様で少年は前回同様何日も寝てしまっていたのかと身震いを覚えた。が、手に収まる小鳥を思い出して流石にそれは無いだろうと考えた。


「その子はコレに入れときなさいな。しっかり掴まれて死んでしまったら元も子も無いでしょう」


 少年が寝ている間に準備してくれていたのだろう、丁度小鳥が収まる大きさの木箱をサナウは差し出した。使い込まれて薄くはなっているが木肌に彫られた紋様、蓋を留める為の蝶番と留め具、元々は何か高級な物を収めるために作られた箱だと幼目で見ても分かる程、精密な細工が施されていた。

 サナウに蓋を開けてもらう。どうにも力を入れすぎて指が開きづらい。やっぱり可笑そうに微笑むサナウに手助けしてもらいながら小鳥を箱に収める。と、先ほどまで息苦しそうに赤い羽毛をなお赤く染めていた風のコマドリも穏やかに寝息を立てる姿。

 馴染み深いその様にあの時の橙色の幼い少女の言葉をまじまじと想う。


「……… 大丈夫なのかな」

「血も使い切っているのだしこのロビンにはもう力なんて無いと思うわ。けど、どうかしらね。この子、自分で呑みに行ったのでしょう?

 普通の獣はそんなことしないから追々調べる必要はあるわ」

「そう……… 。わからないんだ…… 」

「当たり前よ、あなた方の信望する神々ですら知らない事もあるでしょう?私たちは尚——でしかないわ。一介の人間、一介の魔人、一介のetc…… どこにも全知なんてありゃしないわ。

 ……… あゝ、そういう事じゃ無いわ。ただ、盲信しないでってこと。知らないが動かざるしか私たちには無いってこと。だから責任が私たちには必要だってことを理解してほしいってだけよ」


 失言だったのだろうと少年が気遅れ気味に謝る様を制しながら緑髪の幼姿の冒険者は少年の誤った舵を正すように少年の肩と瞳を優しく

抱きながらツラツラと語る。

 なお一層と気遅れ気味になってしまった少年にサナウは海に揺蕩う月光みたいに優しく笑った。


「 —— 追々わかっていくと思うわ。

 『君が起きたら来てくれ』カリフ殿に呼ばれているの。

 怪物については討伐したって伝えているわ。この子が生かされたと知られたら色々面倒になる事でしょう? だから口裏は合わせて欲しい。それがまず一つの君の責任ね」


 立ち上がり埃を払う様にローブを叩き差し伸べたサナウの手に少年は、遅れ気味だった足並みがそこだけは揃える事が出来ると伝える様に木箱の蓋に閉じて鍵を締め、至る方角へ飛び出した橙色の髪をゆらゆらと動かしながら寝静まるアンナを起こさない様にゆっくりと握った。

 

 少年は木箱を携えて人のヤニでむせ返る部屋から空を臨んだ。煤で汚れたガラス越し故にボヤけて燻んでいる空は未だ暗い儘だった。月だけが少年のポケットに入ったレリーフに刻まれた紋様と同じ様に穏やかに輝いていた。少年の癖が自身の手を見ている月を追う様にポケットを弄る。なんだかポケットからも穏やかな光を感じ、改めて空を見ると今まで見落としていたのだろうか、月に隠れる様な小さな星が居た。クーリンはその星に覗かれている様な気がしてどこか恐怖を感じながらサナウを追っていく。

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