咀嚼
この短期間でもう何遍と感じたかも判らないほどにクーリンが親しんだ秘密基地は様変わりをしている。ついこの間、1ヶ月も経ってない程前、自身の中に燻る笑い声に苛まれる以前の頃、此処は少年にとって安らぎの場所だった。少し苔の香りで蒸されたヒンヤリと涼しい薄暗い洞窟。幼い少年がいつか勇者になれると妄想に溺れる至福の場所だった………… 。
月も隠れた雨降る暗闇の世界、煌々と炎の光が嘲笑う様に照らす洞窟だった場所。灰が舞いカラカラに乾いた臭いが詰まった元安らぎの場所。少年の汚れがない額に汗が湧く。一筋の流れを頬へ作り静寂の中、地面へ落とす水滴。地面は渇きに悲鳴を上げる様にすぐさま落ちて染みた水の跡をかき消す。静寂が燃える―― 。
クーリンは呆然としていた。洞窟を轟々と舐め回す火に充てられたからでは無く、体内に蠢く笑い声で気が狂れたからでもない。目の前で悪戯っぽく笑い嫋やかに蓄えた緑髪に炎の様な瞳の隻眼で見つめる冒険者の一言のせいだった。
「私は見ての通り支援型の魔術師よ。攻撃も出来ない事は無いけど正直貴方程の力は今は出せないわ」
「…… さっきアレを吹っ飛ばしたじゃないか」
「あれは、あれでは倒せない。魔族に物理攻撃なんて意味無いわ」
「…… 、でも………… 」
―― サルマドーレ!!
しどろもどろな少年の耳に響いた怪物のけたたましい咆哮、体内から強まる笑い声の共鳴。頭が割れそうだと畏れた顔を怪物の飛ばされた方向へ向ける。サナウは少年がこれから成す事を予言し確信しているかの様に静かな侭、ビクッと怯えた様に肩を窄めるアンナを見る…… 。少年はしどろもどろながら自暴自棄気味な面持ちでサナウへ向き直った。
「……どうやるの? 」
サナウは満足そうにクーリンの覚悟を聞き、不謹慎なんて言葉なんて知らないと言う程の満面の笑み。ここ数日一緒に行動していたクーリンが知らなかったサナウの表情に言った言葉を飲み込む事が出来ないかと後悔が背筋を伝った冷ややかな汗と共に走る。まるであの怪物が叫ぶ名前の主、幼い容姿の魔王が妙案だと最悪の提案を示した時とそっくりだったからだ。
「もう知っているわ。あなたはもう成した事があるのだから。最初の講義の日、野山羊にした事よ」
「…………検知? 」
「違うわ。その前、村人達にお土産をたんまり拵える事ができた時のよ」
「あれは…… だけど失敗してああなって………… 」
「あなたはあの時、山羊達の生命力を奪ったの。物理では無く生命の根幹への攻撃—— それが魔に対する最大の攻撃になるの。
思い出しなさい。一度出来ているのだから出来るはずよ」
「けど…… サナウ様も出来るんじゃないの? 」
「私は出来ないわよ」
自身を抱き込む様に自身の腕を掴みながら自信なさげに言った少年へのにべも無い返答がつい毒気を抜けさせる。領主様が連れてきた凄い冒険者。色々知っている魔法使い。なのに…… と、サナウの言葉がどうしても腑に落ちないという顔。
「私と貴方—— 、貴方の中にある2つの魔王の力と私の力は違うものなのよ。得意不得意が違うなんて当たり前でしょう? 」
言い淀む少年を遮る様にガラガラと近づく崩壊の音。サナウから伸びる赤い管が針の様に一方を刺す。
「とりあえず、やってみなさい。君は考えすぎなの」
クーリンの背中を鼓舞する様に叩いたサナウの手はどこかひんやりとした若木の枝の様に細く柔らかい。クーリンは怪物が発する咆哮と振動に対峙した。恐怖が身を焦がす。響く笑い声—— 。降り積もる逃げ出したい思い。自身の渦巻く感情を少年は吐き出す様にポケットに突っ込んだままの手で父からもらったレリーフを握る。人肌と遜色ない……いや、それ以上に熱い様な金属の塊…… 少年の試みは功を成し幾分か薄れる不安。—— 深呼吸を一つ。大きく息を吸って吐く、ポケットから手を取り出す。—— 魔王の血で繁茂した草木が怪物の放った炎に大方燃やされ炭となって崩れていく。頬を伝う汗を拭う少年。——ダンダン、ガラガラと近づく怪物の足音。少年は忌むなる音の方へ震えながら手を差し出す。—— 笑い声が少年の鼓動を飲み込む、響く、歩きながら溶けた鉄の雫が撒き散らされている様に少年の差し伸ばした方角から赤銅色が迫る。
「大丈夫よ」
怪物が向かってくる姿が見えた。飛ぶ事をやめた鳥だった肉体はブヨブヨに腫れあがって醜悪に耐えれない。後ろに立つ少女から聞こえる歯がガタガタと振える音にクーリンはより一層気を引き締めた。
クーリンは思い出す。あの草原、初めてサナウに指示されて伸ばした魔力を。あの時と同じ蠢く感覚が腹、渇望が腹を満たしドロドロ、ゴウゴウと耳鳴りの様に渦巻く。数日の修行の成果なのか溜まってゆく魔力がとてつもなく惨忍で膨大なのかを理解した。冷や汗が川の様にクーリンから流れていく。
「サルマドーレ!!」
呼び声と咆哮。一辺倒な怪物の発する崩壊の音が怪物を見るクーリンの金色の瞳に刺さる。赤い爛れた瞳は立ち塞がる少年を見ず何故かサナウを見据えていた。グロテスクな表皮から噴き出る魔王の血で瞬時に染まった少年の体。一瞬、跳躍した怪物の腹が少年の視界を覆った。サナウへ一直線の怪物。怪物を嗜める様に大ぶりに湾曲する赤い管。2度目は無いぞ、と言う様にザンと開く歪な翼、仰いで避けようと体がグンと浮く—— が、退避間に合わず追従したサナウの管が地面に叩き落とす。
響く轟音、灰と共に炎が舞った。蒙々と立ち込めた塵がクーリンの鼻腔に吸い込まれる。咳き込む様な空間も気にも止められず、ただ生理現象がクーリンの溜め込んだ力を無意識に吐き出した。赤い閃光、地に崩れた怪物に突き刺さった。閃光がもう一つの化け物の様に怪物を貪る。
怒号が響く。のたうちまわる怪物が辺りに血が撒き散らされて至る所から草木が芽吹き蔦植物が意識を持った用に怪物に絡みつく。舞った炎が餓鬼の様に草木を喰い怪物が一層灼熱に悶える。崩れ切った洞窟の瓦礫が原住民の踊り子の用にガラガラと塵を舞わせて身を震わせて舞い落ちていく。クーリンは大きく肩を上下し怪物へ放った攻撃の経過を心ここに在らずに見る。熱ぼったくて怠けが募る体はどこか心地よい。ふと、綿毛の様に安らかな感覚が頭上を覆う。膠着して焦点がどうもおぼつかない瞳をなんとか動かすと期待通りと優しく笑うサナウがいた。
「できたじゃない」
「……うん」
ボロボロとジュージューと芳ばしい匂いを発しながら転げ回る怪物。焼かれて食われて魔王の血で蘇生する無限地獄の様な風景にクーリンは生唾を飲み怠気と弱まった体内の笑い声で体が熱くなってゆくのを感じていた。
徐々に膿の様に歪にゆがんだ巨体には玉ねぎを剥ぐ様に瘡蓋ができては取れていく怪物。元の小さなロビンになっていくのはそう時間が掛からないだろう。そうクーリンですら覚える程に脅威は去っていた。
先ほど迄の叫声は掻き消えてすでに柔らかな羽毛を見せ始めながら悶え苦しみながら焼かれる小鳥を覗いていたクーリンはなおその小さな赤い瞳が悲しそうにサナウへ向けられている事に疑問を感じた。
「なんでこの鳥はサナウ様にばっかり向かっていっていたの? さっきも、今も僕らなんか気にも留めていなかった」
「………… さあ、知らないわ」
おちゃらけた様に肩を窄めて見せたサナウの瞳は今まで見た事もないほどに重い紅だった。質問自体が忌むべき事であると暗に示すにしてはあからさまな程の拒絶の意思表示に少年の背筋に緊張が走った。
小鳥から流れる血に草木も反応しなくなった頃、周りも炎も勢いを弱めはじめた頃、ガタガタを歯を振るわせるのみだったアンナが一歩、なお焼かれ苦しそうにか細く鳴くコマドリへ踏み込み、恐る恐ると橙色の瞳を節目がちにサナウとクーリンに向ける。
「ねぇ、サナウ様。この子はもう大丈夫? 」
たどたどしく紡ぐ問いにサナウは優しく目を細めて抱きしめる。
「えぇ、もう大丈夫。もう襲う程の力は無いわ」
「だったら、この子を助けて。この子、クーリンなの………… 」
サナウの緑色の髪がザワリと震えた。ゆっくりと抱きしめていた腕を解き、不思議そうな顔で泣き出しそうに俯いたアンナの顔をまじまじと見つめるサナウ。
「この子、クーリンと一緒なの。お願い、この子を殺さないで」
悲痛な小鳥の嗎が炎の咀嚼音に澱む中でか細い悲願の声が洞窟に響いた————
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます