雨の森
―― ダンダンと雫が打つ音が響く。雨脚は穏やかに広がりノルンの村一帯を包み込む。もしかしたらタクル村を超えノーラン領全てを飲み込んでいるのではと思うほどに昼が過ぎた辺りから現れた鈍い鼠色の積乱雲は途切れる風も見せず空を覆う。
獣の墓場からさして遠からず、深緑色の葉を歯切れの良いメトロノームの様に単調なリズムが刻まれる中、クーリンとサナウは影に隠れる様に木々の枝葉で編まれた天幕から溢れる空の様子を窺っていた。
「今日は帰れそうにありませんね…… 」
実年齢より随分と幼く見えてしまう原因の一旦である背丈の低さからか腐葉土が醸す臭いが鼻に付く、サナウの赤い片目は顰める様に細め振り返る様に少年へ体を向ける。
少年の目はぼーっと何かに囚われているかの様に彼方を向いていた。サナウは注意を向けるかの様に軽く咳払い。
「ソレは足りてる? 」
「…… 、えーっと。…………後少し残ってます」
「じゃあ今日はあの洞窟で休む事にしましょう。
雨は防げるだけの屋根は残ってたと思うし、ここよりかはマシだわ。
とりあえず、雨足が緩んだら移動しましょ」
そう提案しマントが地面を擦らない様に器用に膝裏に裾を挟み込んでしゃがみ込むサナウ。太ももに肘立て白く細い指で柔らかな頬を包み込み少年とはまた違うぼーっとした視線を木々の根へ向ける。少年も釣られる様にその場にしゃがみ少女と同じ世界を見た。
一番近い木の根の少し上にウロが有った。暗く深い少年自身であればなんとか収まる程度の大きさの横穴に鮮やかな赤い点々がひょこひょこと浮かんでは消える。
力の余韻かな? とクーリンは目を擦すって改めて見ると赤い斑点は消える事も無く、むしろひょこひょこと点滅する事も辞めて少年と少女を見つめる様にウロの闇から身を出していた。
「かわいいコマドリですわね」
「……なんか怖がっている様な気がする」
ウロの淵に赤い綿毛の様な胸毛をこする様に身を乗り出した拳大のロビン。人懐っこいブルーベリーのころころとした瞳がクーリンを見つめている。その視線はどこか村人達と同じ様でもっと言えば昨日、幼馴染が醸した雰囲気と同じ感覚を覚えて少年の心に深く刺さる。
「そんな事無いと思うけど…… 、あぁ、ソレのせいじゃ無い?
魔人の血は強すぎて獣は好まない物だから」
サナウは慰める様に目を緩めて視線を少年の腰に携えた水筒へ向ける。
少年はキョトンとどうも腑に落ちない表情…… 。
サナウは『ソレ』を渡す様に少年に手を差し出した。
少年は腰に締めた紐を解いて水筒を渡す。
受け取った水筒を注視するコマドリに見せる様に差し出しサナウは器用に片手でコルク栓を抜いてみせた ——
途端、コマドリは濡れる事も厭わず、雨が降っている事も忘れた様にウロから飛び出し羽ばたき、矢の様に深緑の奥へ。
「 ね? 」
鳥のくせに兎みたいに跳ねて消えてった小さな小鳥に毒気が抜けた様に目を奪われて佇む少年が琴線にふれたのか、つい吹き出す様にからからと笑った小さな先生。
規則的に打つ雨音が軽やかな笑い声と混じって少年の耳に響く。我に帰った少年はバツの悪そうに節目がちに湿気た瞳を紅く輝く瞳へ向ける。笑声と赤い瞳、少年はついあの日の魔王達を思い出し目を背けた。
——笑い声が消えた。
少年はつい『 ごめんなさい』と謝った。けれど謝られた本人はその言葉を不思議そうな顔で返す。彼女は心底何に対して謝罪をうけたのかわからない様子。ひとまず少年の言葉は捨て置く事にしたみたいでいつも少年へ向ける軽やかな優しさがこもった顔で少年の水筒を返した。
「滲み出てたのかもね、ソレ。やっぱり普通のじゃあダメみたい。
たしかギルドに皮袋の魔法具があったはずだわ。今度もらってきてあげる」
「…… ありがとう……です。
あの、コレそんなに怖いんですか? ……人も怖いって思うんですか? 」
「ええ、人によってはそう感じる人もいるわ」
サナウの返答はその表情に似つかずにどこか仄暗く冷たい空気を纏っていた。
幼い少年は彼女の潜在的機微など気づかない程に自身の心に温もりを覚えていく。少年の節目がちの視線が満足げに伏していき体幹が視線に従う様に顎の先がひょろっとした胸にコツンと当たる。あの日以来続く皆のヨソヨソしさとそれを感じては胸を抉られた様に感じていた自分がどうにも可笑しく思えて少年の口元が緩む。
少年は伏した顔を上げた。空から降る雨はあいも変わらず降ってはいるが先ほどに比べ多少穏やかになっていた。サナウも同じ様に感じたみたいで、軽やかに起き上がり膝裏に抱えていたせいで皺がついたマントを鞣す様に払った。
「今のうちに行きましょうか」
少年はコクリと頷いて立ち上がる。見えはしないが日も暮れ出しているのだろう、雨足と反比例する様に暗く落ちた重厚な雨雲に飲まれる様な深緑の中、二人は夏の雨に撃たれながら歩いていく。
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