採寸
「がんばっとるかね? クーリン君」
次の日の早朝、クーリン達はカリフに呼び出されていた。詰所の食堂は漸く元来の役務にたどり着いたとほんの数日の内にカリフの執務室と成り果てていた。文字も勘定に使う程度しか知らないクーリンの前には難しい単語の整列した書類が兵隊の様に綺麗に整頓され、机はこまめに磨かれて綺麗に顔を反射する。主人と決めたかの様にその人が座る椅子は他の椅子達と同じはずなのに何処か気品に満ちていた。
カリフは静かに頷くクーリンにその鋭い眼差しを柔らかく崩して微笑み呼び出したクーリンとサナウ、クリフトにジェイフの4人を椅子へ座る様に促した。
「結構、結構。もうあれは君の力だ。己の力ならば使いこなさば勿体無いからな。野ヤギの山は大変助かるだろう。あれは心底美味かったぞ。
さて本題へと移ろう。諸君!昨日も話したから知っていると思うが後1週間も経たない内に父上よりノルン村復旧支援と工員が来る」
言葉にした事でさっぱりと引き締まった肉の味が舌に滲み出た様に目を一層細めるカリフはサナウへ視線を移す。サナウはその瞳の意味を理解したかの様に軽く頷き言葉を引き継ぐ。
「負傷者への治癒はそれまでに終わりますわ。大方、完治してますし…… 。ただチラホラと過労で倒れている方はいますが、それは私の力を使わずとも寝てれば大丈夫かと」
満足そうに頷くカリフ。
「であればだ。
予定通り復旧隊が来れば我々はこの地より離れる事が出来る様だな」
「ええ、そして私の仕事も終わりですので、その侭ギルドの方へ戻ろうかと思います」
「そこであるのだが、我がノーラン国王が貴殿に礼を述べたいと言っておる。
ついては我輩と共に王宮へ向かっていただきたい。
—— クーリン君。君にもだ」
クーリンは梅雨とも知らなかった、居心地の悪い詰所には極力近寄らない様にしていたから。後、数日、サナウが滞在するのは短いとは思っていたかこれ程とは思わず、冒険者に成るか否か、決めては居たがつい目が泳いてしまっていた。故にカリフからフラれた話についてゆけずキョトンと目が留まる。
「今回の事件を父上が報告した所、大層愉快そうにされて居ったそうだ。
国王陛下は大層勇ましい方だからな。勇者である君に興味を持たれたのであろう。
断る事は出来ぬのだが、もしや嫌なのかね?」
つい答えぬクーリンに厳しい目を向けるカリフ。少年はその圧と邪推を打ち払う様に首を横にブンブンと降る。
民草が国王に謁見する。それは大変名誉な事であるし中々願っても叶わぬ事はクーリンも十分に知る所、そして国王の所有物とも言える善良なこの農夫の子に王の命令に異を返す事など出来ぬ事も。
カリフはまた目を緩ませ満足そうにうんうんと首を縦に大きく揺すり、これまた満足そうに用意されていた白湯が注がれたコップを口へ傾けた。
▲▲▲▲▲▲
横たわる怪我人が所狭しと敷き詰められていた詰所は今や伽藍堂となっていた。村人達にとってはあの日は終わりつつある事を示す様に、ただ村人達の歩みに自身は遅れていく様な感覚にクーリンはやるせない心持ちを抱かせ、元々仕立て屋をしていた為に呼び出されたお隣さんの婆さんが直角に限りなく近く曲がった腰はバネとするかの様に伸縮の波を見せながら忙しなく自身の周りを動く様をぼんやりと見ていた。
婆さんは煤だらけの汚れた巻尺をクーリンにあてがってゆく。加齢からなのかそれとも恐れからなのか少年をよく抱いてくれた皺だらけの手はプルプルと震えて、触れようとも無意識に抑止されているようだった。臆病な自分達だから仕方ないと、少年は寂しくも納得しながらただ早く終わる様に、焦点を合わせる事なくただ目を開けていた。
ふと、ランプの光に似た赤いナニカが目に映る。橙色のくしゃくしゃ髪、よくこの婆さんから物語を一緒に聞いていた少年の2つ下の女の子。伽藍堂な大部屋で子犬が見知らぬモノに興味を抱く様におずおずと近づいてくる。
「……何しているの?」
「採寸だよ」
興味深そうに無邪気に覗き込む少女に、少年はぶっきらぼうな態度で返す。彼女が何をしたでも無いのだが、村人達が皆遠巻きにしか接さない事に少年はこの子もそうであるのだろうとつい邪険な態度をとってしまう。
少女は少し寂しそうに顔を曇らせたのは束の間、少女はそのやるせない心を掌に込める様に、巻尺でグルグル巻きの少年の頬をひっぱ叩いた。
巻尺がびっくりする様に緩んで地を擦る。赤くなった頬よりもその反応にうんざりする少年。その様にますます顔を赤らめた少女は涙目になりながら踵を返して消えていった。
老婆は心配そうに少女を目で追いながら改めて巻尺を貼りながら小声でぼそっと少年へ告げる。
「後で謝りにいっておいで」
少年はようやく腹に落ちた頬の痛みに気づきながら、居た堪れぬ思いで押し黙る。
無言で巻尺が何度か少年を巡り、仕事を終えた老婆はそそくさと去っていった。
▲▲▲▲▲▲
「アンナが謝りに来たよ」
切り傷が瘡蓋に覆われて段々と癒えていく様に穴ぼこだらけ、焼け崩れだらけの街並みが闇に包まれながら平になってゆく様が広がる天幕の外。慣れてしまった様に粗末なシーツの上に座り二人だけの夕食、食前の祈りを終え、いつも以上に影を濃く伏した息子が黙々とパンを齧りはじめた頃、父親は問う。
「何があったかは聞かなかった。とりあえず明日会ってあげなさい」
押し黙る少年に父親は押し測る様な大きくため息を一つ吐いて話を半歩逸らす。
「ところで、どうするか決めたかい?」
「……」
「…………そうか。ガルタオさんも言っていたが、外の世界をみるのも良いのかもしれないな」
「……僕、何も言っていないよ?」
「わかるさ。お前の父親だから」
「…………そうだよね」
寂しそうに笑う父と、仄かにむず痒さを覚える息子。たおやかな夜風に抱かれた塵が自身の行く末を案ずる様に二人はその時間を噛み締めた。
クリフトが口を開き、がさごそと首につけたペンダントを弄った。
「一度村を出れば戻りづらいだろうな」
「……うん」
ヤギの肉と黒いパン、瓦礫から掘り出したであろう炭に近しい木の皿にテラテラとランプに照らされる。父親のマメに塗れた手が覆う様にパンを千切る。そのまま、口に入れ水筒に口をあてがう。息子も続く様にナイフでヤギの肉塊を削ぎ、口へ運ぶ。
少年はうすら寒くなってゆく夏の夜の風が自身の奥へ沈殿していくのを感じながら、ヤギの油を噛み締めてゆく。
焚き火の跡に残された消し炭と見間違う様な皿だけとなった食卓を前に親子は汚れた布切れで手を拭う。そのまま父親はガサゴソとペンダントをその首元から解き揉む様に、磨く様に、粗末な布で拭いてゆく。年季の入ったペンダントは新鮮な肉の様に布の隙間から時折、月の光を少年へ問う様に投げかけていた。
良い加減に眠くなってきた息子は、あくびを一つ、二つと噛み締めながら、この刻が惜しいと、ぼんやりとなりつつある瞳でその姿をを眺めてる。
「クーリン。このペンダントを知っているか?」
「……うん」
「これは、契約の証、父さんの父さんが死ぬ時にくれた物だ。
父さんの父さんもまたその先の父さんから……我が家の家長に伝えられた大切な物なんだ。
本当はもっと、だいぶ先に渡す予定だったのだが、これをお前に譲る」
テラテラと輝くペンダントを父親は息子の手に落とした。麦と月が図象化されたトップはズッシリと重たい。少年の拳大程の我が家の証は天幕を超えた先に或る月を映す様にぼんやりと冷たく青く輝いている様だった。
「豊穣の神から賜った物と聞いている。だから、汚してはいけないし、埋もれてもいけない物だ。
だから、クーリン。お前が持つべき物だと思う」
「ありがとう。父さん」
既に何もない首元を弄る様に手を伸ばしながら父親は言った。少年は虚空を掴む父親の癖が可笑しく、つい『ふふっ』と息が漏れながら、ぼんやりと輝く様な月に紅が乗った様な感慨を浮かべた。
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