赤いヤギ
ノルンの村人達はわりかしと勤勉な人種であった。だが、この季節のこの時間、つまり太陽が南中に座す正午はあまりの日差しが強いモノだから通年の常識では外に出ているのは羊飼いと子供程度である。しかし、詰所に居るのも居心地が悪いからなのか、それとも生き残ったどこへかける事も無い贖罪からくるものなのか、単純にあの村を救った少年と同じ様にあの日より前のあの日常へと帰りたいからなのか…… 日が暮れ始めるのをただ待っていたいつもの日々と違い、皆々、コールタールの纏わりつく様な大地の暑さが通年の日差しに合わさり折り重なり、身を焼き焦がす灼熱の復旧作業に勤しんでいた。
慣れない事をすれば己の魂は知らず知らずのうちに疲労する。合わせて早朝、告げられた復興支援部隊の到着スケジュール。領主の息子カリフは父からの早馬より早くて1週間以内に到着する事を連絡受け、朗報を早朝の会議にて村人達へ共有していた。結果、昨日より、より一層の活気が村人達の中を蔓延り緊張というモノがどこかに吹き飛んでしまっていた。
二つの事が重なり心の上気とは裏腹に持つれる足を携えて鍬を、鋤をと振るう。
「まるで幽鬼みたいだな」
ガルタオは怪訝そうに眉を顰めながら顔とは裏腹に大層愉快そうなハリボテめいた明るい声で隣で鋤で地を慣らすクリフトへ話しかけた。
「まるで30年前のお前らじゃないか。
クリフト!お前なんてまんまクノールそっくりだよ」
軽く疲れた笑い声で返すクリフトはもくもくと地を掻く。
「クーリンもそうだ」
「 ……親子ですからね」
「そうだな。
お前らは罪悪に敏感すぎる、世の中ってのを恐れすぎているんだよ」
「 …… そうかもしれませんね」
「だから魔王が来たのは良かったのかもな。
嬢ちゃんと一緒に世界を回れば多少はその世間知らずも治せるんじゃねぇか」
「サナウ様とうまくやっていけるのでしょうか?」
すぅっと鋤の動きが止まる。クリフトはいつのまにかガルタオにすがる様な視線を向けていた。
視線が動き始めた刻にはガルタオの顔は既にクリフトの方を向いていた。張り付いた土の塊をポロポロと落としながらガルタオの皺だらけの顔は悪戯に胸をときめかせている少年の様だ。
「そんなの知らんわ!
けど、嬢ちゃんもなんか足りない部分はありそうだがそれで良いんだよ」
「……そうですか」
「本当にお前らはクノールの生写しだよ」
太陽が押し出される様に南中の玉座から降ろされる一幕の一節が肌を二人の沈黙にのし掛かる。
おもむろにガルタオは手に持つ鍬で地を掻き始め、クリフトも思い出したかの様にまたもくもくとガルタオに習う様に地を掻き始めた。
▲▲▲▲▲▲
太陽が南中と地平線の丁度中間にたどり着いた頃、サナウとクーリンは深い緑色の世界を2匹の獣の様にひっそりと潜んでいた。
水分を多く含んだ樹木が地平線を隠し、先刻より穏やかになっただろう陽日も味わう事が出来ない程に数多の葉が天を覆う。
サナウは職業柄なのか、それとも生まれながら持つ彼女のその夏の葉の様な髪のせいなのか潜む茂みによく溶け込む。時折輝くその赤い瞳でさえ、時期感も忘れ先立ち成熟した一つの木の実にしか見えない。
少年はお粗末だ。ただのヒトの子故仕方がない事ではあるのだが、潜伏しているとは言い難い。少女に倣う様に茂みに隠れているのだが、時折、茂みをガサゴソと動かし、少年の少しくすんだ金髪が自身の居場所を示す様に茂みに乗っかる様に飛び出ていた。
「あまり目は擦らない方がいいわ」
潜伏するにあたり匂い消しの為なのか二人の手や顔には泥の様なモノが擦りつけられていた。
少年はつい目を瞬きついでに目を無意識に擦ろうとしたのだろう、疲れた目を悪化させない様にそうサナウは半分吐息の様な薄れた声音で制す。
( ……また声が聞こえた)
赤い世界と緑の世界を交差させ続ける少年の脳が悲鳴を上げているのか時折、少年の耳には悪夢で聞いた笑い声が響いていた。その度に少年の体はビクンッと動き目を瞬かせその声を振り払おうと目の前の世界を注視する。
( もっと良く見えないのかな)
赤い世界は水滴だらけのガラスみたいに至る所がボヤけている。少年の見る汚れの様なその跡は昨日サナウに教えられた、そして、この地にたどり着く為の目印とした魂だった。
緑の世界での少年の視界も自身が見た事が無い風景。赤い世界の汚れと重なる様にどこか空虚な獣達が弱々しくただ救いを待つ様に地に伏している。
獣の中には昨日サナウによって赤く染められたヤギ。他の獣たちより一層草臥れ、全てを諦めた横長の瞳は何が投影されたとしても億劫だと言わんばかりに白く濁っていた。水滴の様にすらも表せず多少のもやの様に赤い世界でもその存在は消えかけている。
「そろそろかしら…… 。ようく見ときなさい」
ふと、サナウは溢れる様に言うと、自身の体から馴染みの赤い糸の様に練った魔力をその今にも消えさりそうな老いたヤギへ伸ばしていった。
少年は赤い世界でコクリと頷き、ただヤギの魂を見ていく。
弱りきった存在がいよいよ消え入りそうな瞬間、柊の実の様なモノがかぶさった。
「……これが君の行く末よ」
突如言われたその言葉。横にいる少女に釘付けになる少年の目。ただヤギを見る少女の横顔には何の起伏も無く、ただただ突き放された様な恐怖を少年は覚えた。
「ちゃんと見なさい」
目線がこちらに向けられている事に気付き語気が強まった少女。あわてて少年は二つの世界をヤギへ向き直す。
死を迎える準備を終えたヤギ。静かに澱んだ眼には安らぎを覚え始め、そのぼやけて辛うじて見せていた魂すら見えなくなってゆく—— 、
—— 赤く染められたヤギは死んだ。
少年はおかしな感覚を覚えた。先ほどサナウが与えた赤い木の実。 —— 潰された様に、弾ける様に、歪に肥大してゆく。突如、そして瞬時に反応してその今丁度死に絶えたであろうヤギを覆い————
「 ……生き返った?」
死んだと思ったヤギはギクシャクと自身の体の動かし方を今覚えている最中だと四肢の関節を無造作に使いながら立ち上がる。辿々しく、ただ小ヤギの様に弱々しくは無く。自身の体を厭わぬ様にガタガタと左右に揺れながらこちらに向かってきた。
「生き返ったわけじゃないわ。
体内に残っていた魔力に乗っ取られているだけ。
何も自身では考えれず、魔力の残留思念の波に踊らされているだけなの」
理解した少年。少女の言葉の意味。あの日から聞こえるこの笑い声の意味も—— 。
少年の顔に一筋の涙が流れる。泥だけじゃない何かも混じり濁りきったその水滴が膠着した様に握られた小さな少年の手の甲に眼前の赤い世界を醸し出した。慌てて拭うが無駄な足掻きだと断言される様に再度、描かれていく。
「僕もこうなるの?」
「これ以上の最悪になるわ。
この子に与えらえたのは私の魔力。私がある程度コントロールできる状態なの。けれど、君の蓄えられている魔力はもう誰の物でもないの。
誰の指揮も得ない魔力の行動は昨日、君自身見たでしょう?」
サナウに示されて少年の脳裏には昨日の草原に倒れてゆくヤギの群れ。全てが瞬時に動き、成す術もなく突如と空になってしまったヤギの群れ。
その1匹が立ち上がったかの様に赤い空虚なヤギが少年の眼前に静かに立っていた。ヤギの何も言えない瞳が少年を覗き込む。次はお前だと何も見えないそのヤギは、何も感情が無いはずなのに怨嗟を込めて恫喝してくる。
1分、2分。少年の動悸が確かに数え終えた頃、魔力の残骸と成り果てた赤い物体が一言の咆哮も響かせる事なく崩れる様に倒れてゆく。ただその横長の瞳孔は少年の赤く腫れた目を延々と離さずにいた。
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