再びの悪夢
音が聞こえぬただ真っ暗な闇に包まれた世界に僕は居る…… 居る様な気がする。そんな曖昧な感覚の世界にただ居る。
実感の湧かない可笑しな世界で、僕は怖くて手を見ようとした。確かに手は在る…… 在る気がするだけの薄いもやがかかった様な感覚しか持てないのだけど………… 。
—— ハーハッハッハ!
「……だれ?」
—— ファーハッハッ!
—— ハーハッハッハ!
笑い声が響く。嫌いな声と声で嘲笑が僕を取り囲む。少女と大男の混声合唱が不安定な実感しかない世界で響く。
逃げた。僕は自身の体も未確定な世界で逃げ場所なんて知らずもがく様に逃げ出した—— 。
朧気な足を踏みこんだ拍子。遥か彼方の様ですぐ隣、闇のせいで遠近感も何もない世界のその目先、闇が濃く成る……そんな気がした。
とりあえず僕は走ってゆく。何も目印なんてなかったものだから、とりあえずその気がする方へ逃げてゆく。
それは気のせいではなかった事を示す様に目印はなお濃くなりて、形を造り出す。僕は隠れる様にその物体に潜り込んだ。
形成された物体はあの日父に示されたあの洞窟だった。苔の臭いと魔王の血の臭いが充満する。粉っぽい洞穴。その洞穴は僕が力を示し瓦解する前の状態………… 。
逃げ込む事に成功した様で、僕の耳にはもう笑い声は届かない。感覚もさっき以上には実感がある様で、自身の鼓動がとくん、とくんと耳の奥から響くのを感じる様だ。実体を得るというのは妙な安心感が湧く。漸く一息つける余裕が出来た僕に湧いてくる好奇心。『ここはどこなんだろう』と。僕はその好奇心が捻り出したひとつまみ程度の勇気を以ってして出口から体を乗り出す。
そこは合いも変わらない闇の世界。
——もう一歩。
どこかで囁かれた気がした。だけど僕の勇気はさっきので渾身だった様で、そのささやきに乗る事は出来ない。誰に対してでも無いのだが、ささやきが聞こえなかった風を装って僕は洞窟の奥へ…… また闇が溜まってゆく、何かを造り出してゆく。
「母さん!」
僕の言葉がコダマになって巡る、反響が通った洞窟の至る部分の色味が変わる、材質も造形も移ろってゆく。
いつのまにか洞窟は造形をまるっきり変えてあの日失くした僕達の家と成っていた。そんな些末な事はどうでも良いと僕はそれよりも大事に全てを奪われていた。
子ヤギの様に跳ねて久しぶりの母の腰にガッシと抱きつく。見上げる母は優しい顔で僕の頭を撫でてくれた。ふと、父が隣に居た。気をつけて見やると父だけじゃなかった。隣のお婆さんをはじめとする村の皆、カリフ様にサナウ様、ガルタオさんに名前も朧な兵隊さん………… 。
「どうしてここにいるの?」
だれも答えない。言葉もなく皆方々に微笑むのみ————
—— やってみて
声が響いた。木の葉が囁く様な柔らかく鼓舞する言葉。草原の草を撫でる様なその残響が駆けていった後、僕の前には今日見たヤギの無数の群れ—— 。
あれを出せと言っているのだろうと僕は納得した。僕は皆を見た。皆は微笑んだ侭、出来ると思ってくれているのだろうか…………。
僕は腹に力を込めた—— 。蟲の蠢きは感じなかった。変わりに実感強く体の方々が歓喜に似た震えを覚えた。力がみなぎってゆく様な—— なんでも食べられそうな武者奮い。
僕は手を伸ばした—— 。昼間に見た赤い光がヤギを舐めていく。
「そうなるよね…… 」
巡る光は巡る度に光をなお強くしていった。ヤギは倒れ—— 不思議な事に順に氷の様に溶けて—— 。
眼前は自身の出した赤い光が支配した世界だ。闇も服従した様に自身の唯一のアイデンティティである漆黒を捨て赤に染まっていた。
真っ赤な世界は恐ろしく、僕はまたやってしまった事に打ちしがれ『だけど』と振り返った。
母さん、父さん、サナウ様にカリフ様、村の皆、ガルタオさん。
陽日に照らされ横たわったヤギの様。倒れ、空虚な目を方々に投げていた………… 。
—— とくん、とくん
僕の鼓動が響く。
僕は顔を覆った、べとべとと纏わりつく様な感覚…… 血のせいなのかと手を見る—— 、手だと認識した物は、半透明な半流体。
「 ——っ」
—— とくん、とくん
僕の鼓動に合わせて体が震える。
——震える?
鼓動だと思っていたその音。それは外部から与えられていた。
恐る恐ると震源の方を見やる。——つまり、僕の頭上を……
鼓動の主は、赤い糸の様に頭上の更に上から落ちる。
あの日見た、悪夢と同じだった————
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