帰宅

 満点の星空の下、炭の匂いが夜風に揺れる中、クーリンは両手に抱える程度の荷物を持った父と共に我が家にたどり着いた。2日、羊でさえも片手で指折り数える事が出来る日数でしかないのだが、少年にとってその数字は余りにも途方もなく長い時間。そして、少年の思いは村の誰もが等しく感じる所で村の至るモノですらもその身をあるべき姿からかけ離れた姿へと変えてしまっていた。

 親子の家も言わずもかな、元々ボロで隙間だらけだった壁も天井も焼けて、崩れて、落ちて家と呼ぶには程遠い。元々そこに家があったと知りさえしなければ、流星群の激突跡みたいに家の土台すら消し飛ばされたこの区画に家が建っていたとは気付けないだろう。辛うじて建っている一本の柱ですらもただの落雷にあった街路樹にしか見なされないだろう。


「そこに座ってなさい」


 クリフトは詰所から分けてもらった黄ばみの見える布を炭に塗れた元我が家を示すただ一つの柱の下に広げて息子へ言った。凸凹と抉れた大地を隠す様に広げられた布だったが、逆にその抉れを強調する様に至る所に鋭い皺と段差を刻む。あまり良い座り心地では無いらしく父に従い汚れない様に靴を脱いで布に収まった少年はお尻を何度もズラしては一番マシな部分を探していた。

 ようやくお尻の収まりに納得した少年は改めて180度見渡して、ぽつりと父に言う。


「なぁんにも無くなっちゃったね」

「あぁ、そうだな。だけど全てが無くなった訳では無いさ」


 クリフトは息子の周りを回りながら同じく詰所から分けてもらったシーツと紐を使って器用に天幕を張ってゆく。

 少年は座ってみたものの、する事もなく手持ち無沙汰に薄い布を皺なく張ってゆく父を見て、邪魔にならない様に靴を履き直す。


「父さん、どうやるの」

「じゃあ、そっちの布を引っ張ってくれ」


 父が指差した布の一端を引っ張るクーリン。父はその一端に紐を括り紐の先に転がっていた我が家の土台だった石へ解けない様に力を入れて括る。その所作を4度繰り返す。親子が寝れる程度の天井が出来上がり親子で先ほど引かれた布、もとい床に靴を脱いで寝転んだ。

 親子の重みが大地を圧迫し挟まれた床には黒いシミ。床から親子の服へとシミがジクジクと伝播してゆく中、久方ぶりに体を動かした少年は満足感からなのか、その不快感に気づかず作り上げた我が家に感嘆の声を漏らす。


「すごいだろ?

 これは、父さんの父さんが教えてくれたんだ」


 クリフトは柔らかく目を細めて、満足そうに呆けている息子に告げる。

 父の穏やかな自慢に天幕なんて御伽噺の中でしか知らない少年の中で自身の抱える悩みと混ざり合い、ふと湧いた疑問。


「お爺さんって冒険者だったの?」

「違うよ。

 ただ旅はした事が有っただけだ。村の爺婆の皆との旅があっただけさ」


 村の大人達が少年に何回も話してくれた物語、その一役に祖父がいた事に少年は今まで感じ得なかった一種の感慨にふさぎこむ。


「 ………… 父さん、僕どうしたらいいと思う? 」

「どうしたらいいんだろうなぁ…… 、

 村に居てくれた方が俺としては嬉しい。

 冒険者は危険な仕事だと思うし、あまり良い評判も聞かない。

 そんな所へ息子が行ってしまうのは正直、怖い」

「こわいの?」

「あぁ、お前まで居なくなってしまうのは怖い」


 寝転がる親子の肩が擦れる。父は癖から息子と反対にある手で胸に乗っかるペンダントを握る。少年は仰向けで天幕越しの星空越しにその先へ視線を向ける父の脇に収まる様に蹲り、くぐもった言葉で感情が父の澄んだ呼び水に応える様に滔々と溢れる。


「僕、勇者になりたかったんだ」

「そうだな、お前の見せてくれた絵はどれもそうだったな」

「大きくなって、力をつけて、仲間を作って、旅をして、魔王を倒したかったんだ。

 ……だけど怖いんだ。

 あの怪物があの水で育って、僕を、皆を殺しそうで怖いんだ。

 あの水を飲むのも母さんを殺した魔王が僕の中で生きている様で怖いんだ」


 溢れた言葉は声へと変わり、勢いも落ち、滴りへと変わる。少年の声と、その声が導きだした涙が静寂な星空をより静寂にする為に染みる。地表より、肩より父の服に父の心臓を目指して染みてゆく。父はペンダントに触れていた手を息子へ伸ばし抱きしめる。

 小さな星が自身の体一個分の円弧を描いた頃、父の言葉を告げる息吹が優しく息子のつむじを撫でる。


「 ……クーリン、やりなおそう。

 魔王に会って、お前の恐怖を返してしまおう」

「冒険者になれってこと?」

「そうじゃない。

 たしかにサナウ様は治癒も使える王様にも信頼が厚いS級の冒険者だ。

 そんな方と一緒に冒険者をした方が良いのかもしれない。

 だけど、それだけじゃない。

  ——ガルタオさんを覚えているか? 」


 体がぴくりと動く、不思議そうに顔を父親へ向けながら突如現れた名詞に思考を巡らせる少年。

 かなり前、一度会った事がある様な、と。たしか——


「……隣村の怖そうなお爺さん?」

「あぁ、乱暴な人ではあるが一本気な人だ。面倒見も良くて、お父さんのお父さんにこれを教えてくれた人だ」


 父親は先ほど親子で作った天幕に目を向けて示して話を続ける。


「あの人は勇者の称号を王よりもらっている人だ。旅に必要な技術もある。

 明日からサナウ様が魔力について冒険について教えてくれるのだろう?

 どうしても合わないのだったらガルタオさんに相談してみたら良い。

 だからな、クーリン。

 必ずしも冒険者になる必要はないんだ」

「僕が村を出ても父さんは良いの? 」

「…… 正直、お前が心配で怖いさ。

 だけど、父さんはお前が居なくなるのも怖いが、お前がこれから先ずうっと怖がるのはもっと怖いんだ 」

「……わかった」


 少年の瞳はいつのまにか渇いて、空はまだその黒さをより重くしていく最中とは裏腹に、親子の心は寝床についた頃よりも軽くなっていた。

 肌で感じる少年の心情の変化に父の優しく抱く腕の力も緩まっていく。少年と父親の緊張は溶けていき漸く帰ってこれた我が家で初めて安らぎの中へと混ざる様に落ちていった。

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