襲撃者の名前

 暗闇の奥からは湿気ったカビと苔の匂い。

 意識を取り戻すと瞼の裏の血管が点描の様にボヤけて見える。

 もうそろそろ、母さんが起こしに来る頃かな? 揺りながら『ご飯出来ているよ』と優しくけど少し苛立った声音をかけてくる頃かな?

 悪夢を見た。あれは悪夢だ。そう思いたくて僕は出来る限り瞼を強くつむった侭横になっていた。

 

「起きなさい」

――父さんの疲れた様な声。

 労使していた瞼を解く。あぁ僕は知っていた、理解はしていたんだ。

 朝を迎えても何も変わらない。現実は未だに悪夢だ。

 小鳥が朝を囀る音を抱いて穴が空いた洞窟の天井から日が差し込む。

 間に入った父さんの顔は影となって疲労に歪んだ顔。

 あの日から、僕は一人洞窟に居る。目の前にはあの赤い水溜り。

――やっぱり悪夢。


「食べなさい」


 父さんの手には僕の手の半分位のパンが二つ。


「……いらない」

「食べなさい」


 僕の腕を取り手にパンを一つ握らせる。寝床にしている棚に腰をかけ目を瞑り祈りを捧げる父さん。

 しぶしぶと僕も目を瞑り祈るフリ。

 目をあけてパンを食べる。いつものパンのはずなのに味も無く、パサつき喉に張り付き中々飲み込めない所を押し込む様に飲み込んだ。


 父もすぐにパンを食べ終えた。

 一旦の間。僕の目を見る父さんが浮かべるのはなんとも言えない表情だ。

 首に括ったペンダントを握る父。踏まれた麦と満ちゆく月のレリーフが指の間から見える。

――この所見る事が増えた昔からの父の癖。

 ペンダントから手を離し父さんは優しく不器用に僕の頭を撫でる。成すがままにベタついてきた髪は父の手にまとわりつく。


「昨晩、領主様の兵隊さんがきたよ。

 助けに来く準備をしているらしい。

 領主様ならお前の事もきっと解る。

 だから、もうしばらく辛抱してくれないか? 」

「……うん」

「…………俺たちもどうしたら良いかわからないんだ」


 父さんの手は僕の頭から背中へと落ちる様に流れ、そのまま引き寄せられた。

 僕の額にペンダントがめり込んだ。


「……すまない。領主様が来たらすぐ連れてくるから」

「大丈夫だよ」


 僕を離して村の方へ父さんは戻って行った。

 座り直して、毛皮で出来たシーツを慣らす。

 する事もしたい事も無くただ僕は村へ戻ってゆく父さんの姿も何とも無く見続けた。



▲▲▲▲▲▲



 少年の父クリフトが村人の詰所に戻ると朝、出て行った時と違う空氣が流れていた。

 呻く声は減り、喜びのあまり啜り泣きを覚える女、安堵し笑みを浮かべる男。まだ朝なのに安心したせいかカクンとふとうたた寝をする老人。

 それらの間で見た事もない見すぼらし隻眼の少女が負傷者を見て回っている。赤い風に揺蕩う糸の様な朧げな発光物が手から生え負傷者の患部を舐める。すると不思議な事にみるみると傷口が縮小している。

 誰も怖がりもせず成すがままにされているのはその身元がテーブルに座る者によって保証されているからであろう。

 兵装した男がテーブルに座す。深い皺を眉間に蓄えた聡明な眼差しをもった屈強な男。そして、それに侍る6人の男 ――その内2人は見覚えがある。ノーランという昨日吉報をもたらしてくれた兵士と――


「ジェイフ!」


 彼の顔を見て、クリフトは肩の荷が降りたのかタガがつい外れてしまった。村への支援部隊の到着…… 、しいては我が子の一縷の救い…… 。ついテーブルに積まれている木製のゴブレットがカタカタと共鳴する程の大声になってしまった。

 その余分な大声につい苦笑を漏らす様、カリフは口の端が曲がった。

 

「君がクリフト君かね?」

「左様でございます」

「では単刀直入に聞く。

 ――村を襲撃したという魔王。それを降したのはそなたの子であるか?」


 その言葉に村人達の中から動揺の気配が流れる。

 曲がった口を直し、眉間の皺のせいか奥まった眼窩から真偽を問う様にカリフは静かに村人の機微を探る様に厳格な灰色の瞳をクリフトに注ぐ。

 クリフトはその圧に言葉を発せず、ただ頷いた。

  

「失礼だが、そなたは若く見える。故に子もまだ幼いと思うのだが?」

「……左様です。私の子クーリンは10歳程の幼子でございます」


 一層の皺を蓄えた懐疑の眼差しがクリフトを襲う。それは息が出来なくなる程の重厚に圧縮された空気を伴っていた。

 息苦しさからカリフを仰ぐ目を逸らしたいという思い。だがそれをしてしまうとより一層の疑いを覚える事を知っているから、クリフトはできなかった。

 しばしの沈黙は、もたらした男によって静かに終わる。

 固く閉ざされていた口が静かに開く。


「では君の子を私に見せてくれないかね?」

「……ここには居ません」

「…………何故かね?

 その子はお前達にとって英雄では無いのかね?」


 カリフの鋭い疑惑の目に赤い光が瞬いた。

 ただでさえ重厚な空気により一層の厚みが増えた。

 耐えきれなくなった様に一筋の冷や汗が微動しない兵士達の額からすらも襲う。

 閊える喉を絞る様にクリフトは答える。


「……解らないんです。私も、私の息子も村人達も。

 恐ろしくてここには置けずに息子は洞窟へ…… 」

「……であるか」


 思案と一応の納得をしたカリフ。放つ気圧が下がる。赤色の光は息をひそめて静かな射る様な灰色の瞳だけが残る。


「――カリフ様」


 負傷者を見ていた見窄らしい少女がいつのまにかクリフトの隣にまで来ていた。

 かしこむ少女はすこし疲れた様に気だるげな一つ目をカリフに向けている。

 彼女を認知したクリフトの腹の底に何か蠢く様な奇妙な感覚を得た。


「一旦の治癒はできました。

 これから洞窟へ行かれるのでしょう?

 であれば、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「負傷者について大丈夫なのかね?」

「えぇ、後は時間経過次第。ともあれ、タクル村までは大丈夫でしょう」

「であれば、こちら側に参加頂けるのはありがたい。

 サナウ殿の知見も借りたい所となるだろうからな。

 では、クリフト君。洞窟まで連れて行ってくれたまえ」


 『承知しました』の一言すら通らぬ程に細まってしまった喉の代わりにクリフトは頭を下げる。

 カリフは当然と席をゆったりとした腰つきで席を発ち3人をつれて洞窟へ向かった。



▲▲▲▲▲▲



 村の広場から洞窟までの道のりは赤く燃えた鉄棒が倒れ込んだ様に焦げて一直線となっていた。

 直線上にあったはずの建造物の残骸が散らばる中、元々あった民家を避けたごく普通の道と所々混ざり合いまるでのたうちながら進む大蛇の足跡だ。

 4人はクリフトを先頭に急襲した魔王の傲慢さを噛み締めながら大蛇の巣穴の様な陰鬱な洞窟へと辿りついた。

 村と森の境界にある小山の横っ腹にポッカリと空いた洞窟、小山はフジツボみたいな穴を天井に開けている。

 洞窟の前には赤い水たまり――

 カリフは水たまりにつくと懐から古めかしい墨で紋様が描かれた布を取り出しクルクルと淀みなく水たまりの水を吸わせる様に回す。

 紋様は魔法陣だった様で水たまりを吸ったとたんにミミズが這う様に蠢き文字列へと変わった。


——エルドラード・カミラ


「魔族ってのは便利な物ですね」

「君も持っているだろう?」

「えぇ、持っています。

 ただ使う度に感心するんですよ。人だと首を取らないといけないじゃないですか?

 あれが嵩張って面倒だなぁと——

 その点、魔族は布を持っていけばいいだけですから」

「魔族が個で存在出来るのは自身の名を以って己を決めているから、残滓に名前が残るんです。この布はその特性を利用しているだけですわ」

「そういう造りなんですね……

 例えば、他者だと思い込んだ魔人だと他者の名前が出るんですか?」


 ふと湧いたノーランの愚考をサナウは微笑と共に一蹴した。


「そんなのがいればそうなるでしょう。

 ただ、ありえませんわ。

 ノーランさんが思うほど以上に魔人達が個を保つのにはかなり神経使うんです。

 少しでも他者になるという思いを浮かべれば目の前の水たまりみたいになりますわ」


「我々はこれを件の輩と定するしか無いだろう。

 そんな事を確認する手筈も知恵も無い。

 そんな事より、コレを討った少年の顔を見にいこうじゃないか」


 隠しきれずソワソワと終着を急ぐクリフトを横目にカリフは言った。

 クリフトは『こちらです』と3人を促し洞窟の中へ入っていく。

 ジメジメと薄暗い洞窟を2,3歩進んだクリフトは


「クーリン!」


 驚いた様に3人を置いて奥へ駆けだした。

 

 3人は妙だと凝らして薄暗がりに目をなじませ奥を見る。

 薄い布が地面に1枚敷かれ、そこに小刻みに震える土嚢の様な物。

 ようやく馴染んだ3人の目が土嚢ではなく少年だと気づく。


 冷たい洞窟の中、クーリンは痛みに耐える様に腹を抑え蹲っていた————

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る