【4】2日目(日)
そんな事を考えている内に、目的のショッピングセンターへと到着する。
日曜日ということもあり駐車場には車が溢れ返っていたが、屋上駐車場の隅に何とか一台分の空きを見つけることができた。
この分だと店内も間違いなく人でごった返しだろう。
はぐれないようについてくるように言おうと彼女の方に目を向けると、思いの外に明るい表情を浮かべていることに驚いてしまった。
「どうしたの? なんか楽しそうだけど」
「うちのほうにはないんです、こういうところ」
「なるほど」
それに子供や女の子は元来こういった場所が好きなのだろう。
彼女はそのどちらでもあるのだから、浮かれるのも当然といえば当然か。
店内は案の定の盛況ぶりだった。
「すごい!」
その『すごい』が施設の規模のことを言っているのか、それとも異様なまでの混雑ぶりのことを言っているのかはわからないが、彼女の大きな声を聞いたのは初めてのことだった。
「後ろついてくから、好きに見ていっていいよ。時間も気にしなくて大丈夫」
彼女は小さく首を縦に振ると、ちょこちょこと俺の前の歩き出す。
ここのショッピングセンターは本当に様々なテナントが出店していた。
一番多いのはファッション関係だが、眼鏡屋や家具店に家電量販店、本屋にスポーツ用品にCDショップ、それに中には商売になるのだろうかと心配になるような、天然石を専門に販売している店までもがあった。
彼女は何件かのアパレルショップで細々としたものを購入したが、結局ほとんどのものはファストファッションのチェーン店で買い揃えていた。
「もう一軒だけいいですか? ちょっと一人で見てきたいんですけど……」
「うん、ゆっくり見てくればいいよ。俺、そこのベンチでスマホでも弄ってるから」
「すいません。ありがとうございます」
すたすたと遠ざかって行く彼女を何気なく目で追っていると、やたらと派手な色彩の店の中に吸い込まれていった。
そこは男である俺にとって化粧品店と並んで縁のない場所だった。
『一緒に選んでください』と言われなかったことに胸を撫で下ろしつつ、すぐ近くにあったベンチに腰を下ろした。
可哀想に。
きっと休日の家族サービスに疲れ果てたのだろう。
向かいのベンチにはぐったりと頭を垂れる父親と思しき中年男性の姿があった。
俺よりも少し年上であろう彼の横には、大小様々ないつくもの紙袋が置かれている。
(俺にも家族がいたら、あんな風だったのかな)
この歳にもなると、独身でいることに対する世間の目が気になることもままあったが、それを差し引いても俺は気楽な独り身を気に入っていた。
広い家に一人で帰ってきた時には寂しさを感じることもあったが、それも自由と引き換えだと思えば安いものだ。
余計なことを考えるのをやめてスマホを弄っていると、落としていた視線の隅に小さな靴が現れる。
「おまたせしました」
いつの間にか聞き慣れていた声に顔を上げる。
するとそこには非常に満足げな表情を浮かべた彼女の姿があった。
きっと気に入った物が買えたのだろう。
が、俺はそれについてコメントする立場になかったので、たった一言「じゃあ行こうか」と声を発して腰を上げた。
ついでなので食事も済ませて帰ろうかと思ったが、昼食が遅かったせいかまだあまり腹は減っていなかった。
それは彼女も同じだったようなので、代わりにフードコートでクレープを買い、備え付けのテーブルで食べることにする。
沙百合はいちごとチョコ、俺はきゅうりとツナとあとはなんだかよくわからない海藻が入っている謎のクレープを食べる。
初めて入る飲食店では、その店にある一番怪しいメニューをチョイスする。
それは俺の昔からのポリシーだった。
謎のクレープ――シーサラダクレープと言うらしい――に顔を近づける。
仄かな磯の香りが鼻をついた。
恐る恐る隅っこを齧る。
途端に磯は真夏の漁港に変貌した。
口の中でニチャニチャと糸を引いているこれは……もずくだろう。
小学生の給食で大の苦手だったメニューに海藻サラダがあった。
だが、このクレープはその比ではない。
一緒に頼んでいた烏龍茶で無理やり飲み込んだが、脳裏には夏の潮溜まりのイメージがいつまでも浮かんだままであった。
磯臭いため息を吐きながら顔を上げると、じつに興味津々といった顔でこちらを覗き込んでいる少女が目に入る。
正確には俺の手にしている悪魔の食べ物に興味をひかれているのだろう。
「……食べてみる?」
これほど強烈な体験を一人でするのは勿体ないと思った。
……いや。
本当のことを言えば、一口分でもいいのでこの物体の質量を減らしたかった。
無言で手を差し出した沙百合に、俺は震える手で磯をそっと渡す。
(絵梨花……すまない)
心の中で少女の保護者に侘びながら、彼女が悪魔を口にする瞬間をまばたきをする事も忘れ見守る。
「――おいしい!」
初めは俺の聞き間違いだと思ったのだが、彼女の表情がそれを否定していた。
「わたしもこっちにすればよかったかも!」
「……」
彼女の味覚は俺のそれとは随分異なるらしかった。
小さな口からニチャニチャという不気味な音を出しながら咀嚼する彼女は、本当に『これチョー美味しいです!』という顔をしていた。
「俺……お腹いっぱいになっちゃったから。よかったら全部どうぞ?」
「え! 本当にいいんですか?」
そう言うと、彼女は美味しそうに悪魔を全て平らげてしまった。
代わりにというわけではないが、彼女のいちごチョコクレープを一口もらった。
(あ、普通に美味しい。……俺もこっちにしておけばよかった)
フードコートを足早に後にした途端、不意に彼女の足が止まる。
その視線の先にあったのは如何にも若い女の子が好きそうな、雑多なものが所狭しとゴッチャゴッチャと置いてある系の雑貨店だった。
「入ってみる?」
沙百合は大きく二回首を縦に振ると小走りで雑貨店の店内に消えて行った。
彼女に少し遅れて入店し、迷路のような店内を適当にそぞろ歩く。
そこには売っていた様々な物品の幾つかには多少の興味は湧いたが、本当に欲しいと思った物があったかとどうかといえば、全く以てその限りではなかった。
いや?
たった一点だけ、レジの脇にあった赤と紫のパッケージの柿の種。
店員が書いた思わしき手書きのポップに、おどろおどろしいフォントで『地獄の辛さ!198円(税込み)』と書いてあるそれは、俺の悪癖――変な食べ物が好き――を無駄に刺激した。
百円玉二つで地獄が味わえるというのなら、それほどオトクな事など滅多にないだろう。
ただ、如何せん今の俺は先ほどのクレープのダメージで体力ゲージが赤く点滅していた。
人様の子を預かっているという責任のある立場上、本当に地獄行きになるわけにもいかない。
よって今回は見送ることにしたのだった。
連れの姿を探して引き続き店内を歩いていると、店の入口に近い場所に立っている彼女をようやく見つけた。
雑貨店のレジ袋を抱えているので、何か気に入ったものを買えたのだろう。
声をかけようと近づくと、彼女が遥か頭上を見上げていることに気が付き、その視線をおもむろに辿る。
そこにはツキノワグマの成獣くらいはあるんじゃないかという超巨大なスズメのぬいぐるみが、浅草の大提灯よろしく鎮座ましましていた。
ワイヤーで壁のアンカーに固定されてはいたが、俺にはあの下を歩く勇気はない。
今地震でも起きようものなら、彼女は恐らく……。
そんな事になったら絵梨花に合わせる顔がない。
沙百合の腕をそっと掴むと、気づかれないように一メートルほど後ろに下がらせる。
彼女はといえば、自分が秘密裏に移動させられたことに気づいていないようで、相も変わらず『ほぼ球体』のそれを眺めていた。
「沙百合ちゃん?」
ニ度程声を掛けるとやっとこちらの世界に戻ってきたようで、俺の顔とその球体を交互に見ながら元来大きな瞳をことさらに見開く。
「この子……すごくないですか?」
確かにすごいのは認めるが、どちらかと言えばこれをこの場所にディスプレイしようと思ったこのお店の方がすごい。
「これって車に乗りますか?」
「ちょっと……難しいかな」
詰め込めば載らないこともないかもしれないが、その場合、俺と君が車に乗れなくなるだろう。
「……次きた時、ぜったいに買おう」
それは多分独り言だったのだろうが、その声色から本気度の高さが伺えた。
沙百合が買い忘れたものがあると言うので、俺もその間に自分の買い物をすることにした。
彼女が迷子にならないか少し心配ではあったが、三十分後に屋上のエレベーターホールで待ち合わせる約束をする。
早々と用事を済ませた俺は、しばしショッピングセンター内をぶらつきながら、イベント広場で催されていた北海道フェアで弁当とチーズケーキを購入した。
牛柄の紙袋を片手にぶら下げながら待ち合わせ場所に向かうと、丁度向こうから彼女がやってくるところだった。
「迷子にならなかった?」
「はい、ちょっとだけなので大丈夫でした」
ショッピングセンターが余程楽しかったのか、沙百合はと言えば大いに多弁であった。
どうやらああいった大型店の利用自体が初めての体験だったそうだ。
楽しそうに話し掛けてくる彼女に相槌を打ちながらハンドルを握っていると、往路よりも道が空いていたこともあったが、あっという間にマンションに到着してしまった。
玄関を開けると沙百合はすぐに自分の部屋に戻って行き、先ほど買ったばかりのルームウェアにさっそく着替えると戻ってきた。
やたらとモコモコとしたそれは、服というより着ぐるみのようにすら見える。
「かわいいですか?」
そう言ってくるっと回ってみせる。
その実に少女らしく素直な質問に対する回答といえば、考えるまでもなくひとつしかない。
「うん。かわいいと思うよ、すごく」
我ながらやっつけな感想ではあったが、彼女はとても素直に喜んでくれた。
先ほど買った駅弁で遅めの夕食を取り、北海道フェアで入手したチーズケーキも食べた。
食事の後、俺はリビングでテレビを見ながらスマホをいじって過ごし、沙百合はダイニングで勉強をして過ごした。
たった二十四時間前に出会ったばかりの俺と彼女だが、既にやや熟れている風ですらあったのは、ショッピングセンターで行われた子供じみたやり取りの影響もあったのだろう。
絵梨花からの連絡はまだなかったが、それに焦るような気持ちはあまりなかった。
唐突に沙百合がペンを動かすのを止めると、クルッと振り向いてこちらに向き直る。
「あの、かずきさん」
初めて名前を呼ばれた気がする。
というかそもそも、俺は彼女に名前を教えた記憶がない。
何故俺の名前を? と聞きそうになったが、名乗っていない以上は絵梨花から聞いていたに決まっている。
昨日あれほどに沙百合を質問攻めにし、しかも二十四時間以上一緒にいたのに、自分は名前すら名乗っていなかったのかと情けない気持ちになった。
しかし、今更改まって自己紹介をしたところで、それそこ誰の得にもならないだろう。
名前の件には触れずに「ん?」と返事をして彼女の言葉を待つ。
「お風呂、先に入ってください」
それなら沙百合ちゃんが先に、と言おうとしたところで、昨夜は自分が先に入った事に対する彼女なりの気遣いだと悟り、言われたとおりにすることにした。
シャワーで身体を洗い流したあと頭を洗おうと壁の棚に目をやると、俺のシャンプーの横に見覚えのないシャンプーとコンディショナー、それにボディソープと思しきボトルが置かれているのが目に入った。
彼女が雑貨屋で買っていたのはこれだったのか。
確かに俺の使っている男性用のシャンプーは、女性の髪や肌には合わないだろう。
頭と身体を洗い終えると浴槽の蓋を開けたのだが、この後に女の子が入るであろうお湯に先に入るのには抵抗があった。
それに元々シャワーだけで済ませる日も少なくなかったので、今日はこのまま出ることにして蓋を元に戻すと浴室を後にした。
リビングに戻ると、そこに沙百合の姿はなかった。
キッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、腰に手を当てて一気に飲み干す。
リビングでスマホを弄りながらしばらく待っていたが、沙百合が戻ってくる気配はない。
ここにいなければ部屋にいるのだろうから、風呂が空いた事を伝えてあげたほうがいいだろう。
コンコンコンとノックをした後に呼びかけてみるが返事がない。
一呼吸置いてから「入るよ」と声を掛け、そっとドアを開ける。
沙百合は布団の上で横向きになって目を閉じていた。
足音を立てないように近づいてみると、微かに寝息が聞こえてくる。
胸の上に置かれた右手にはスマートフォンが握られたままだったので、布団の上でスマホを弄っているうちに寝てしまった、といった風だろうか。
「沙百合ちゃん、風呂に……」
そこまで言って俺は口を閉じる。
別に明日、学校に登校しなければいけないというわけでもないし、風呂は朝入っても何も問題はないのだ。
だったらこのまま寝かせておいてあげればいい。
起こしてしまわないよう、手に握られたままになっているスマホをそっと取り上げ卓上の充電ケーブルに繋ぐ。
掛布団の上に寝てしまっていたので、別の部屋から持ってきた布団を掛けてあげたのだが、ベッド・マットレス・シーツ・掛布団・沙百合・掛布団と、かなり滑稽な事になってしまった。
まあ、寝心地に悪影響はないか。
去り際に「おやすみ」と小さく呟いてから電気を消し、入ってきた時よりも静かにドアを閉める。
リビングに戻るとテーブルの上に何かが置いてあるのに気づく。
『かずきさんへ』と書かれたメモの横にあったのは、小さなネコのマスコットが付いたキーホルダーだった。
おそらくは雑貨屋で購入したものだろう。
そのネコの顔は、どことなくだが沙百合に似ている気がした。
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