【37】最後の夜

 食事を終えてから二人で一緒に片付けをし、就寝までの時間は映画を観て過ごした。

 それは海外のCGアニメーションで、国内でも数年前に話題になった作品だったのだが、こんな機会でもなければまず観ずに一生を終えていただろう。

 そして、どちらかと言わずとも子供向けの映画だったせいもあってか、俺の気分はといえば家族サービスで娘を連れてシネコンにやってきた父親のようでもあった。

「面白かったです」

「うん。話題になっただけはあったね。と、それじゃそろそろ寝ようか」

 別に急いで寝るような時間でもなければ明日早く起きるような予定があったわけでもないのだが、俺の隣りに座る少女の綺麗な二重の瞼は既に十数分前からトロンと弛んできていた。


 洗面所で歯磨きを済ませたあと彼女を部屋まで送り届けてから戸締まりを再確認し、自分も部屋に戻り灯りを「ってうおっ!」

 明かりが灯った瞬間、俺のベッドの掛け布団から顔だけ出した顔と目が合って十センチも飛び上がってしまった。

「沙百合ちゃんって……もしかしてだけどワープとか出来る人?」

「かずきさんが部屋から出てく時、私も一緒に出てずっと後ろにいました」

 彼女には探偵かアサシンの才能があるのかもしれない。

「じゃあ寝ましょうか?」


 彼女の要望で常夜灯の小さなLED球を点けたままにしてベッドに入る。

 田舎の祖父母の家のように天井が板張りならば、そこに様々な表情の顔を見つけて眠くなるのを待つことも出来たが、生憎うちのマンションの天井はただの化粧ボード普請だった。

「……かずきさん。起きてますか?」

「超起きてるよ。さっき昼寝しちゃったからね」

「……ちょっとだけお話してもいいですか?」

「うん。ちょうど俺も話したいことがあったから」

「先、どうぞ」

「さっきさ、お母さんと電話で話が出来たよ」

「……そうなんだ」

 沙百合からの返事が意外に素っ気なかったことに少しだけ驚いた。


「本当は今日、こっちに来るつもりだったみたいだけど、飛行機が雪で飛べなくて明日の夕方になるって」

「……はい」

 彼女はそう言うと、少しだけ身体を縮こませて掛け布団に顔を半分沈めた。

「詳しいことは直接話したいって。俺も一緒に居るから聞いてあげて欲しい」

「はい。わかりました」

 布団の中でこくりとうなずく。

「じゃあ、攻守交代」

「……」

「沙百合ちゃん? 寝ちゃったの?」

「……超起きてます」

 超起きていた彼女は、布団の中でもぞもぞと身体を反転させてこちらに顔を向けると口を開いた。


「今日、湖のところでお話したことって覚えてますか?」

「うん。来年は潮干狩りしに来るんだったよね」

「そのあとです」

 そのあと……ああ。

「覚えてるよ」

 俺と絵梨花、そして沙百合の三人で一緒に居たい。

 まるで子供の空想のようにも聞こえたが、多分彼女にとっては真面目な話だったはずだ。

「あれ、ちょっとだけウソです」

「ちょっとだけ?」

「はい。かずきさんとお母さんとわたしの三人で一緒にいられたら、っていうところは本当です」

「……」

「かずきさんは――」


 はぐらかすことも出来たし、なんなら答えないという選択肢もあったはずだ。

 ただ、そんなことはしたくなかった。

 こんなにも直向きな気持ちを俺なんかに向けてくれる女性は、今後の人生で現れることはないだろうし、それに俺も。


「最初俺は、君を透かしてお母さんを見ていた。いや、昨日の夜もそうだったかもしれない」

「俺はこんなおっさんのなりをしているけど、中身はそこらの大学生と同じで、ただ大人の振りをしているだけの情けない男なんだよ」

「さっき電話で絵梨花と話していて思った。彼女はしっかり年齢を重ねて、ちゃんと大人の女性に――母親になっていた」

「でも俺は違う。君のことを少し年下の女の子くらいに感じてしまっている瞬間が何度もあった」

「だからさっき、気づいたんだ。俺は君に……だけどやっぱり」

 俺が言い終わる前に、彼女の小さな身体が飛びついてくる。

「……ありがとうございました。もういいです。わたし今、とっても幸せです」

 彼女の手が俺の背に回され、俺もその頭をそっと抱え込む。

 薄い胸を通して心臓の鼓動が伝わってくる。

 小さくて温かくてとても健気で、そしてとても愛おしい存在が腕の中で息づいていた。

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