【36】俺はきっと
「このハンバーグ屋さん、うちの地元にもあればいいのに」
一週間という短い時間ではあったが、その間寝食を共にした俺にはわかる。
今の彼女のつぶやきは、昨日の夕方遊園地の観覧車で母親との確執を語っていた時と、そう差がない程に真剣さと切実さを帯びていた。
「県外に進出する計画はないらしいよ」
「……やっぱり私、かずきさんの家の子になりたいです」
「え、そんなに?」
「はい。そんなにです」
彼女は今にも泣き出しそうな顔をしながらも、フォークとナイフを一生懸命動かしハンバーグを頬張っていた。
まださっき一日が始まったばかりだと思っていたのに、時計はいつの間にか午後三時を回っていた。
助手席に座る彼女は、先ほどから小さな欠伸を連発していた。
「うちに着いたら起こすから寝ててもいいよ」
「ダメです。お買い物して今夜はポトフを作りたいです」
どうやらそれも彼女の得意料理のひとつらしい。
「それじゃちゃちゃっと買い物して帰ろう」
スーパーで買い物を済ませて家に着いた途端、彼女は荷物を放りだしてちゅん太に抱きついた。
しばらくしてから名残惜しそうにキッチンへ向かうと、すぐに夕食の準備に取り掛かったようだった。
俺はといえば、会社からの連絡を確認するため部屋へと戻り、パソコンの電源ボタンに手を伸ばす。
起動を待つ時間を使ってスマホ画面の絵梨花の番号をタップし、スピーカーモードに設定したそれをベッドの上に放り投げてから着替えを始めた。
コールの音が三回、四回と繰り返される。
その間に起動したパソコンを確認するが、特別な連絡は入っていないようだった。
五回、六回、七回。
あと一回で留守録に切り替わる。
もともと手なりで掛けただけなのでその前に切っても問題はなかったのだが、なぜだかその時、俺はそれをしなかった。
そして、八回目のコールが鳴り終わる直前。
『もしもし』
『……絵梨花?」
『――久しぶり』
「――事情はわかったよ。その、大変だったね」
『本当にごめんなさい』
「いや。沙百合ちゃんと代わろうか?」
『あの子にはちゃんと会って説明をしたいの。何度もわがままを言ってごめんなさい』
その時は俺も傍らにいることになるだろうし、確かにその方がいいかもしれない。
「それで、こっちにはいつ戻ってこれそうなの?」
『明日の朝一番の飛行機でこっちを発つから、夕方くらいには』
「わかった。彼女にはそれだけ伝えておくから」
『……ありがとう』
絵梨花との通話を終えると、片足を通しただけになっていた部屋着のズボンにもう片方の足も突っ込み、何食わぬ顔をしながらリビングへと戻ってソファーに腰を沈めた。
「沙百合ちゃん、それってどのくらいで出来るの?」
上半身を背もたれの方に捩りながらキッチンにいる彼女に声を掛ける。
「たぶん一時間くらいです」
「了解」
俺はそのままソファーの上に崩れ落ち、キッチンから聴こえてくる鼻歌と鍋が煮立つ音を聞きながら目を瞑る。
「かずきさん。もう夜ですよ」
「……こんばんは」
「間違ってはないですけど、そこは”おはよう”でいいと思いますよ」
「……おはよう」
「ごはん、どうしますか?」
「うーん。お昼が遅かったからもうちょい後でもいい?」
「はい。じゃあお風呂入れておいたから入りましょっか」
「ありがと。そうするよ」
ジェットバスや間接照明はついていないが、やはり自宅の風呂が一番だと思いながら湯船に浸かっていると、先ほど寝入りばなに感じていたことが再び頭の中に湧き上がってくる。
(……たった一週間なのに)
たった一週間なのに、彼女との生活は既に俺の日常になりつつあった。
しかしそれは、純粋に一から築いたものとは言い難く、今から二十年近く前に彼女の母親と過ごした日々の影響も確実にあった。
俺は
俺が風呂から上がると入れ替わりで彼女は浴室へと向かった。
リビングで彼女が風呂から出てくるのをちゅん太と二人で大人しく待つ。
「おまたせしました」
「おかえり。それじゃご飯にしよっか」
白米の代わりのガーリックトーストと一緒に沙百合謹製のポトフをいただく。
「おいしいですか?」
「超美味しい」
「お母さんもよく”超”って言います」
「そういう世代だからね」
誰かと食卓を囲むことがこんなにも幸せなことだなんて。
絵梨花と連絡が付き、事の経緯を知ったことが大きかったのだろうが、急に沙百合とのこんな些細なやり取りまでもがとても尊いことのように思えてしまう。
「……かずきさん。じっと見られると、ちょっと食べにくいです」
「あ、ごめん」
「どうかしましたか?」
「どうかしちゃったのかもしれない」
「……? かずきさんヘンですよ」
そうかもしれない。
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