【29】6日目(木)

 今日はいつもより少しだけ遅く起きた。

 リビングでちゅん太に抱きついてからキッチンに向かい、昨夜の残りのカレーライスを電子レンジに温めてもらっている間に歯磨きと洗顔を済ませる。


 少しお行儀は悪いけど一人ご飯なのでスマホを弄りながらカレーライスの乗ったスプーンを口に運ぶ。

 一樹さんはお昼まで仕事だと言っていた。

 昨日のことがあって、彼には大変な迷惑を掛けてしまったばかりなのだが私は私で本当につらかった。

 だから、というと言い訳でしかないのは自分でもわかっているけど、出来れば今日はどこか外に出掛けたいと思っていた。

 このあたりのことはよくわからないので、ネットで『地名・お出かけ』などという有り体なワードで検索を掛けてみる。

 検索結果の一番上のサイトを開く。

 どうやらこの辺りは観光地でもあるようで、植物園や動物園、それに遊園地までもが数キロ圏内に存在していた。

(もし一樹さんに連れて行って欲しいって言ったら)

 きっと快諾してくれるだろう。

 が、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかなかった。


 食事が終わりやることが無くなった私は、せめてもの恩返しになればと家中の掃除をすることにした。

 とはいっても、マメな性格の彼の家に大して汚れている場所を見つけることは出来なかったので、キッチンのシンクと冷蔵庫の棚の上を少し拭くだけで終了してしまう。

 お母さんの言っていた一週間というのが七日のことだとすれば、明日にはここに迎えに来るのだろう。

 もし私が帰りたくないと言ったら。

 お母さんは何と言うだろうか。

 彼はどう思うだろうか。



 お昼を少し回った頃になって予定通り彼は帰ってきた。

 ダイニングで向かい合って買ってきてくれたハンバーガーとポテトを食べていると、彼は今日これからどこかに出掛けようと言ってくれた。

「え。お仕事はいいんですか?」

「有給余ってたし、俺も最近どこにも行ってなかったから」

 テーブルを乗り越えて抱きつきたい気持ちを抑えながら、ふにゃふにゃになったポテトを急いで食べてしまうと、すぐに部屋に戻って支度を始める。

 本当はお化粧もしたかったが一秒でも早く出掛けたかったので、リュックにスマホと財布だけ入れて部屋を飛び出した。

「一樹さん、おまたせしました! いってきます、ちゅん太!」


 車窓に流れる湖畔の景色を見ながら三十分ほど車に揺られていると、少し向こうに大きな観覧車が小さく見えてきた。

「……あれって遊園地ですか?」

「沙百合ちゃんの歳くらいだとあんまり楽しくないかな?」

「ううん! 行きたかったんです!」

 平日でほとんど車の止まっていない駐車場に車が止まると、すぐにドアを開けて外に出た。

 大きな汽水湖の上を渡ってきた風からは潮の匂いがして、何だかそれだけでもすごく気分が上がる。

 チケットを買って園内に一歩足を踏み入れた途端、すぐ目の前にジェットコースターの乗り場が見えてきた。

「とりあえずこれから行っとく?」

「はい! 行っときたいです!」


 三両編成のジェットコースターの乗客は私と彼の二人だけだった。

 迷わずに最前列に腰を下ろして安全バーを下ろす。

 係員さんが確認してくれたあと、けたたましい音のベルが鳴り響くとガタンゴトンという振動を伴いながら車体が空へと向かって上っていく。

 視界の全てが青に満たされた次の瞬間、一気に重力から開放されて地面が目の前にまで迫る。

「一樹さん!手!手あげましょう!」

「  !」

「きゃー!」

「    !」

「サイコー!」

「     !」


 コースターから少し離れたベンチに深く腰掛けた彼は、明らかに疲弊しきっていた。

「もしかして苦手でした?」

「……ごめん。もうちょっとだけ休ませて……」

 三分くらい休憩してからフラフラとした足取りの彼と園内をゆっくりと歩いていると、広場の中心に据え付けられた大きなメリーゴーランドが現れた。

「沙百合ちゃんあれ乗っておいでよ。俺そこで休んでるから」

「じゃあ行ってきますね。あの、お大事に……」


 彼の言葉に甘えて搭乗口から入場する。

 どの子に乗せてもらおうかと選んでいると、馬と馬車の近くに小さな鹿がいるのが目に入った。

(この子にしよう!)

 恐らくは小さい子が乗ることを想定したサイズの鹿に跨るとまたしても他のお客さんがいないまま、メリーゴーランドはメルヘンチックな音楽と共に動き出した。


 目まぐるしく巡る世界の片隅にほんの一瞬だけ彼の姿が目に映る。

「かずきさーん」と声を張り上げて手を振ると、少し青い顔をした彼が小さく手を振り返してくれた。

 ただ円盤の上に乗ってクルクルと回るだけの乗り物なのに、なんでこんなにも楽しいのだろう。

 それは子供の頃からの疑問だったが、楽しい気持ちに理由など必要ないのかもしれない。

「楽しかったです!」

「よかったね」

 子供のような感想を述べた私に、彼は少しだけ疲れた笑顔で応えてくれた。


 次に私と彼が向かったのは園の一番奥にある和風の建物だった。

『旅館 賽の河原』と如何にもなフォントで書かれた看板が掲げられたそこは、言うまでもなくお化け屋敷だろう。

 そのあまりにおどろおどろしい雰囲気に足が止まってしまい、それに気づいていない彼は一人で歩いていってしまった。

 私がいなくなったことに気づいた彼は振り返り、こっちこっちといった風に手招きをしている。

 餌を手にした人間に呼ばれた野良猫のように警戒しながら、耳と尻尾を寝かせたままで彼のところまでゆっくりと近づいてゆく。

「沙百合ちゃん、こういうの苦手?」

「大丈夫……です」

 本当は大丈夫なわけないのだが、さっきは彼が大丈夫じゃないのに付き合ってくれたんだから、今度は私が大丈夫じゃない番だった……。

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