【24】4日目(火)

 部屋に戻るとすぐに買ってきた物を冷蔵庫やパントリーに整理して仕舞いつつ、今晩の献立に使う野菜はテーブルの上に出しておく。

 彼は今から午後のお仕事を始めるそうなので、私も少しだけ勉強をしに部屋に戻ることにした。


 机の上に出したままにしてあったテキストに目を落としたのと同時にスマホが激しく振動して着信を報せた。

 画面には親友の彩智さちの名前が表示されており、もう学校が終わる時間なのだとその時に初めて気付いた。

「もしもし、さっちん?」

『沙百合! アンタ元気にしているの?』

 まるで一人暮らしの娘を気遣って電話をしてきたお母さんのようなその物言いに頬が緩む。

「全然元気だよ。お母さんの用事で休んでるだけだし」

『それならいいけどさ。テストまでには帰ってくるんでしょ?』

「うん」

 ……多分。


 彼女と取り留めのない話をしていると、何だか日常を思い出して少し元気が出てくる。

 それはここ数日で私が失ってしまったと思っていたものなのだが、どうやら全くそんなことはなかったようだ。

 来週の月曜には今まで通りに制服を着て学校に向かい、彩智やクラスのみんなとテストを受けている自分の姿を想像すると、更に元気が出てきた。

「電話してきてくれてありがとう、さっちん」

『ううん。忙しいわけじゃないならアンタからも掛けてきなさいよ。それじゃまたね』

 彼女は電話を切る時までお母さんのようだった。


 彼女に元気をもらったお陰でその後の勉強にも身が入ったようで、気がつけば一時間も集中して机と向き合っていた。

 夕食の献立は簡単な物だったが、煮物だったので早めに作って一度冷ました方が美味しいだろうと思い、テキストを閉じるとキッチンに向かう。


 初めて立つキッチンだったがとてもよく整頓されており、どこに何があるかも何となくわかった。

 IHクッキングヒーターを使うのは初めてだが、使い勝手はガスコンロのそれと大差はなくすぐに使いこなすことが出来た。

 ピーラーで野菜を剥き、サイコロ大に切ったジャガイモの面を取り、人参は乱切りにして水にさらしておく。

 油を引いたお鍋にお肉を入れて炒めながら、頃合いを見計らって残りの具材を投入して火を通す。

 あとは水をヒタヒタに入れて煮立ってから灰汁を取り除き、味付けをしたらほぼ完成だ。

 お味噌汁は出来たてのほうが美味しいからもう少ししてからにして、とりあえずキッチンを片付けてしまおう。


 キッチンを後にした私はテスト勉強を再開し、二時間もした頃には集中力が切れかかっていた。

「そろそろお味噌汁も作っておこうかな」

 誰に言うわけでも口にすると部屋を出て再びキッチンに戻った。


 リビングのテラス戸から射し込む光がほとんど失われた頃になってようやく仕事を終えたのか、彼が部屋から出てきてリビングのソファーに腰を下ろす。

 私は肉じゃがの鍋に再び火を入れながら彼に声を掛けて夕食にすることにした。


「普通のものでごめんなさい」

 そうは言ったが、この肉じゃがには少しだけ自信がある。

 というのも、小学生の頃にお母さんに教わってから数え切れない程作ってきたということもあるし、中学の頃にはおばあちゃんに作ってあげてお墨付きも貰っていたからだ。

『沙百合はいいお嫁さんになれるよ』とはおばあちゃんの談だったが、ことお料理に関していえば同年代の友達の誰にも負ける気はしない。


「……どうですか?」

 何やら難しい顔をして肉じゃがを食べている彼に感想を求めた。

「美味い」

 彼はそう言うと表情を柔らかくして、もう一度「すごく美味いよ」と褒めてくれた。

 その言葉を聞いて安心した私も、自分で作ったそれに箸をつける。

「あ、本当だ。美味しい」

 なんなら今までで一番の出来だったかもしれない。

 IHクッキングヒーターは火力が駄目だとかよく聞くが、案外弱火でじっくりと煮る料理には向いているのかもしれない。

「これ、お母さんの直伝なんです」

「うん。この味、好きだったから懐かしいよ」


 夕食を食べ終わると彼にお願いしてお風呂を沸かしてもらった。

 というのも、全身に肉じゃが――というか炒めた玉ねぎ――の匂いがこびりついているような気がしたから。

 特に髪の毛が顕著なような気がしたのだが、自分ではよくわからないから彼に確かめてもらう。

「沙百合ちゃん、美味しそう」

 ほら……やっぱり。


 いつもよりも入念に身体を洗っているとお風呂の外で何やらガサガサと大きな音が聞こえてきた。

 泥棒――なわけはないだろうが、この家に来てから大きな音というものを聞いたことはなかったので少しだけ心配だった。

 急いで身体を拭いてから髪にタオルを巻くと、そっとドアを開けてリビングに戻る。


「――あ」

 そこには愛すべきまんまるボディーが床に大きな影を落として座っていた。

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