【21】3日目(月)
ライトがどこにあるのかわからなかったと言えばいいだけだったのに、私は自分のついた嘘の為に今、知らない町の真っ暗な堤防を走っていた。
二十分くらい掛けて歩いてきた道を十五分で戻って、マンションの五階まで行ってまた十五分掛けて駅に行く。
運動はあまり得意ではなかったけれど、不思議とあまり息は上がらなかった。
自分のしている事のバカバカしさに脳が疲れる成分を出すのを忘れているのかもしれない。
なんだかちょっと楽しくすらなっている自分は、やっばりバカになってしまったのだと思う。
駅に戻るとベンチに腰掛けて辺りを見回したが、彼の姿はまだなかった。
よかった……。
五分くらいして電車が入ってくるのが見えた。
多分彼はあの電車に乗っているんだと思う。
電車が出ていくのと同時くらいに、彼が改札を飛び越えるような勢いで走って出てきた。
キョロキョロと周りを見渡すと、私の姿を見つけてすごいスピードでこちらへと駆け寄ってくる。
「おまたせ」
肩で息をしながらそう言った彼は、額に玉のような汗を浮かべていた。
バカな私の為に一生懸命になってくれた彼。
一樹さんのことをお母さんが好きだった理由がわかったような気がする。
「おかえりなさい」
私は彼の前に自分の手を差し出した。
少しだけ間を置いて、彼の大きな手が私の小さな手を握ってくれる。
一人で一往復半した堤防を、今度は彼とふたり手を繋いで歩く。
今になって急に自分のしたことが恥ずかしくなってきた。
なんで私は彼と手を繋ぎたいと思ったのだろう。
そうだ、私の為に一生懸命に走って来てくれたからだ。
彼は多分今、この世界で唯一の私の味方だった。
私の歩くペースに合わせてくれたせいで帰りは二十分くらい掛かってしまった。
ようやく遠くにマンションのシルエットが見えてきた時、彼が急に声を上げた。
「そこの公園にさ、ちょっとした迷路があるんだ。木の壁で作られた」
彼は急に子供のような顔をすると、土手に築かれた階段をスタスタと降りていった。
そこにあったのは、昔小学校の遠足で行った遊園地にあったのと同じくらいに立派な迷路だった。
「それじゃ、俺はこっちの入口からはいるから。よーい、どん!」
子供になった彼はスマホのライトを点灯させると、少し離れた入口から迷路の中に消えていってしまった。
私も目の前にある入口からその中に入る。
すぐに自分がどっちから来たのかもわからなくなってしまうが、とりあえず右手に沿って進んでみることにした。
しばらくは彼の気配や足音が近くから聞こえていたが、いつの間にか辺りはシーンと静まり返り、自分の吐く息の音だけが耳に届く。
「一樹さ~ん!」
「おーい!」
少し遠くから声が聞こえた。
三分後。
私は完全に迷子になっていた。
もっともここは迷路なのだから、迷子になったというのは少し違うかもしれない。
もはや自分が四角い迷路のどの辺りにいるのかすらわからない。
「かずきさ~ん」
ついに彼の声も返ってこなくなっていた。
私はその場に立ち止まってライトの明かりを消す。
背より高い壁に囲まれているせいで公園の街灯の光も届かなくて、少しだけ恐い。
だけど、こうしていればきっと一樹さんが迎えに来てくれる。
彼は私の、たったひとりの味方なのだから。
「沙百合ちゃん!」
突然足元から現れた彼に悲鳴を上げそうになってしまった。
だって、まさか下から来るとは思ってもみなかったから。
「もう……駄目かと思いました」
少しだけ大げさにしてみた。
彼は立ち上がると私の頭をそっと撫でてくれて、大きくて厚い手で私の手を握ってくれた。
そのまま少しだけ歩くと、あれだけ探してもどこにもなかったゴールにあっさりと着いてしまった。
もしかしたら彼はいつもここで遊んでいるのかもしれない。
夜な夜な。
ひとりで。
そんな有りもしない想像をしたらおかしくて仕方がなかった。
マンションに戻るとすぐに二人でご飯を食べた。
お弁当は温かくてとても美味しかったけど、プラスティック容器のそれは少しだけ味気ない気がした。
こんなことであれば、今日の午後はスーパーにでも行って何か作って彼の帰りを待っていたほうが良かったかも知れない。
これでも料理には少しだけ自信がある。
ご飯のあと先にお風呂に入らせてもらうことにした。
彼は何かやることがあるようなので、少しだけ長湯をさせてもらった。
湯船から出て鏡の前で自分の身体を見ると、我ながら残念な気持ちになってしまう。
もっとこう、お母さんのようだったらよかったのに。
顔は似ているのだから、体も似てもいいはずなのに。
そうすればもっと……。
もっと……なんだろう。
バカな事を考えていないで早く出て彼にお風呂に入ってもらわないと。
「あがりました」
言わなくてもわかるようなことを敢えて言うと、彼はソファーから立ち上がってお風呂へ向かおうとした。
その前に彼に言わなければいけないことがあっった。
「あの……昨日、下着、洗濯してもらってありがとうございました」
私は一昨日、お風呂を出た後に下着を洗濯機の上に忘れて出てきてしまっていた。
どうせだったらもっと可愛い下着ならよかったのに。
「洗濯物があったら洗濯機の中に入れておいて。一緒に洗っちゃうから」
「……はい」
彼がお風呂に入っている間、何度も眠りそうになった。
今日は学校のマラソン大会の時くらい走ったので無理もなかったのだけど、私はどうしても彼におやすみなさいを言いたかった。
欠伸のしすぎでアゴが疲れてきた頃、ようやく彼が脱衣所から出てきた。
男の人も意外と長湯をするんだなと思った。
「一樹さんおやすみなさい」
言えた。
これで心来なく寝ることができそうだ。
明日の夜はもう少し彼とお話をしよう。
そう思いながら部屋に戻ると布団に入り、次の瞬間にはもう意識が途絶えていた。
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