【18】2日目(日)
結局ちゅん太は諦めることにした。
これ以上彼に迷惑を掛ける事も出来ない。
それに何もなければ今週末には数百キロも離れた家に帰ることになるのだから、その時にちゅん太を彼の家に置きっぱなしにしにするわけにもいかない。
「あの、ちょっと買い忘れたものがあるので行ってきてもいいですか?」
本当はお手洗いに行きたかったのだが、なんとなくそれを言うのが嫌だったので嘘をついてしまった。
「じゃあ、三十分後くらいに来た時に通った三階のエレベーターホールで待ち合わせで大丈夫かな?」
本来私は方向音痴だったが今はスマホがあるのでどうにでもなる。
「はい。大丈夫です」
彼は彼で買うものがあるそうで一旦別れると、互いに真逆の方向に歩き出した。
お手洗いを済ませて手を洗っていると優しい音のチャイムが聞こえてくる。
そのあとにやはり優しい女の人の声で迷子のお知らせが流れた。
私も子供の頃にお母さんと出掛けた遊園地で迷子になり大泣きをしているところを、通りかかったカップルに迷子センターに連れて行ってもらった事があった。
確かあの時もアナウンスをしてもらって、そうしたらすぐにお母さんが来てくれた。
怒られると思ってしょんぼりとしている私のことを、お母さんは『もう二度と会えないかと思った』と言って泣きながら抱いてくれた。
今はお母さんの方が迷子――行方不明?――なのだが、週末に再会を果たした時、母は私にどんなリアクションを取るのだろうか。
私は泣いて母に抱きつくのだろうか。
それとも、自分を置いてどこかに行ってしまった事を責めるのだろうか。
その時になってみないとわからないけど、現段階では寂しさよりも憤りのほうが強かった。
待ち合わせ場所のエレベーター前には彼が先に来ていた。
屋上駐車場に出るといつの間にか外は真っ暗で、空と湖の水面にはほとんど満月のお月様が浮かんでいた。
帰りの車の中では、さっき食べたクレープの話だったり、雑貨店の天井にいたちゅん太の話だったりと、とにかく色々な事を話した。
『沙百合は脈略のない話し方をする』
これは母によく言われる言葉だったが、そんな私のおしゃべりを彼はしっかりと頷きながらとても良く聞いてくれていた。
マンションへと戻ると買ったばかりのルームウェアに着替える。
アイスクリーム店のような淡い色合いのそれは、とてもモコモコとしていてものすごく可愛くて美味しそうで、ほとんど衝動的に買ってしまった。
ただ冷静に考えると、昨日初めて会ったばかりの、それも倍以上も年上の男の人の家でこの格好をするのはどうだのだろう。
おかしい子だと思われると少し嫌かもしれない……。
「かわいいですか?」
彼の前でクルリと一周回って感想を求めた。
「かわいいと思う」
即答された事が多少気になったがとりあえず喜んでおくことにした。
晩ご飯は駅弁だった。
さっきクレープを食べたばかりだったので、種類の違う二つのそれから小さい方のお弁当を選んだのだが、蓋を開けてみると中にはぎっしりとカニのほぐし身が詰まっている。
食べられるか心配だったけど、ものすごく美味しいそれは十五分後には空になっていて、その挙げ句に小樽の有名店のチーズケーキまで頂いてしまった……。
このままだと今週末にお母さんと会った時に『あなたちょっと太った?』などと言われいかねない。
明日から少しだけ気をつけよう。
ご飯のあとに少しだけ勉強をすることにしたのだが、正直なことをいえば全く頭には入ってこなかった。
昨日は母のことを考えていたせいだったが、今日は彼のことを考えていた。
見ず知らずの私を家に泊めてくれた上に、休みの日の今日はショッピングセンターに買い物に連れて行ってくれて、こんなに美味しいものまで買ってくれた彼に私はなんとお礼を言えばいいのか。
それもこれで終わりではなく、あと五日もお世話になるのだ。
何か私に出来ることはあるんだろうか。
とりあえずその第一歩として、彼ともう少しだけ近づきたかった。
方法はもう考えてある。
「あの、一樹さん」
彼の事を初めて名前で呼んでみた。
本人から自己紹介をされていないので変に思われたかもしれないが、彼は普通に返事をしてくれた。
「あの、お風呂先に入って貰っていいですか?」
「ああ、うん。じゃあ、先に行ってくるね」
彼が洗面所に入っていったのを確認すると、一旦部屋へと戻ってさっき買ったキーホルダーを持ってくる。
ルーズリーフを半分に破るとそこの『かずきさんへ』と書き、キーホルダーと一緒にリビングのテーブルの上に置いておいた。
一樹さんは気に入ってくれるだろうか。
少しだけドキドキしながら部屋のベッドの上で横になると、何だか少しだけ眠くなった。
彼がお風呂から出てくるまで、ちょっとだけ寝てしまおうか。
私の姿が見えなければ探しに来てくれるかもしれないし、そうしたら起こしてくれるだろうし。
私は彼に迷惑を掛けたくないと言いつつ、本当は甘えたいのかも知れない。
「一樹さん……」
呼び慣れないその名を口にすると、何だか胸のあたりがくすぐったいような気がした。
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