4_白いカソックと突然の別れ

「さぁ、待っている間、少しお話でもしましょうか?」

博士が作業場を出たことを確認すると、ジャスパーがスピカとカノープスに声を掛けた。


「そう言えば名前をまだ聞いていませんでしたね。何と言うんです?」

ジャスパーの言葉に二人は口を噤む。


 しばらく待っても口を開く様子のない二人に、ジャスパーは軽くため息をついた。

「名乗る気はない、と。まぁ、構いません。聞いたところですぐに忘れるでしょうから」


「……博士をどうするつもりですか?」

「そうだよ。地下のしがない修理屋だぞ。仮称楽園計画なんて雲の上のお方が何の用だよ」


「はっ、くだらない。無駄なお芝居はやめなさい」

二人の言葉に呆れ顔で答えたジャスパーは、自分を見つめたままの二人に気が付いて驚きの表情を浮かべる。


「まさか、本気で言っているんですか? カーネリアン博士の功績をご存じないと?」

スピカもカノープスも先ほどのやり取りで、カーネリアンが博士の名前であり、仮称楽園計画と何かしらの関係があることだけは想像がついたものの、それ以上のことは何もわからなかった。


 二人の沈黙を肯定と取ったジャスパーは大袈裟にため息をつくと言葉を続けた。

「まぁ、いいでしょう。暇ですし。本来ならロボット風情に私が話をすることなどありえないのですから、ありがたく聞いてくださいね」


「『仮称楽園計画』については当然ご存じですよね? 遥か昔に奪われた地上を人類の手に取り戻し、かつての栄光を取り戻す、全人類の夢にして、崇高なる計画の担い手たち。そして、十年前、我々は地上の一部を手に入れることに成功しました。その最大の功労者にして、現在の仮称楽園計画の中枢を担う『真実の天秤』の開発者、それがカーネリアン博士なのです」


「はい?」

「おいおい、ジャスパーさんとやら、頭は大丈夫か?」


 予想外の言葉にスピカとカノープスが思わず素っ頓狂な声を上げる。


 パシュッ

二人の言葉にジャスパーが右手にあった短銃の引き金を引く。


 短銃から放たれた閃光はカノープスの右羽根の少し脇の地面を削った。


「口を慎みなさい! 次はありませんよ!」

突然のことにスピカもカノープスも言葉を失う。


「これだから、ロボットなぞと話をするのは嫌なんです。カーネリアン博士ともあろう方が、このように低能な存在を身近に置いておくとは嘆かわしい」


「おい、約束が違うじゃないか」

作業場の入り口から聞こえてきた冷ややかな声にカノープスを睨みつけていたジャスパーの顔に笑顔が浮かぶ。


「やっと支度ができましたか。もう少しで……」

そう言って振り返ったジャスパーは目に入った光景に思わず言葉を失う。


「二人には手を出さない約束だっただろう?」


 現れた博士の姿に管理局の男たちも驚きの表情を浮かべ、慌てて床にかしずき頭を下げる。

その姿をしり目に、博士はジャスパーに向かって再び口を開く。


「ジャスパーと言ったか? 誰の許可で私と同じ目線に立つつもりかな?」


「も、申し訳ございません」

博士の言葉に弾かれたようにジャスパーも膝をつき、頭を下げる。


「博士……だよな?」

カノープスが驚きの声を上げる。


 スピカは驚きすぎたのか、銀色の目を大きく見開いたまま、唖然とした顔で博士を見つめることしかできずにいた。


 無理もない。

作業場に戻ってきた博士は、トレードマークの寝ぐせは綺麗に整えられ、黒縁眼鏡は外され漆黒の涼やかな目が露わになっていた。


 極めつけは、その服装。博士は、金糸や銀糸で豪奢な刺繍が施された純白のカソックを纏っていた。


 カノープスが雲の上の存在と言った仮称楽園計画。

彼らはカソックを制服としていた。


 カソックには二色あり、黒のカソックは統治府所属の者たちの制服と言われていた。

統治府とは、主に楽園の住環境の整備や地下の管理を行い、ジャスパーが所属する地下管理部も統治府に所属している。


 今回、作業場に押しかけてきた男たちが所属する管理局はその更に下、地下管理部の末端組織だ。


 仮称楽園計画の中ではどちらかというと実務部隊の統治府だが、それだってスピカやカノープスのような地下の住人が目にすることは滅多にない。

仮称楽園計画の人間は基本的に楽園に住み、自らが地下に下ることなど、祭典や限られた儀式の時くらいだからだ。


 そして、白いカソックは……


「ごめんね。驚いたよね」

博士がスピカとカノープスの側に駆け寄り、しゃがみ込む。


「どういうことですか? 博士、あなたが仮称楽園計画の、それも楽園府の人間だなんて」

茫然とした顔のままスピカが博士にたずねる。


 そう、白のカソック、それは仮称楽園計画の中枢。

地上の奪還を目的とする楽園府に所属する者たちの制服と言われていた。


 しかも、博士が着ているカソックは金糸や銀糸の豪華な刺繍が施されたもの。

ジャスパーなどよりもずっと高位なことくらい、何も知らないスピカやカノープスでも容易に想像できた。


「ごめんね。きちんと説明しなくちゃいけないのに、その時間はないみたいだ」

スピカに向かって申し訳なさそうにそう言うと、博士はカノープスに目を移し、その右羽根をそっと撫でた。


「ごめん。ちゃんと修理したいのに」


「俺の修理より、ちゃんと説明しろよ」

謝る博士にカノープスが言い返す。


「ごめん。……修理、頼んだね。じゃあ」

もう一度謝ると博士はスピカを振り返ってそう言うと、スピカの頭をくしゃっと撫でて立ち上がった。


「博士、ダメです。行ってはいけません」

スピカが慌てて博士の白いカソックの裾を掴む。


「おい、待てよ! 何も言わずに行くつもりかよ!」

カノープスも片方の羽根をはためかせ、なんとか博士に向かって飛ぼうとする。


「ごめん……」

そんな二人に背を向けたまま、博士はスピカの掴んだカソックの裾をそっと引く。


 ダメだ。


 管理局に連れていかれて戻ってきた人間はいない。

この町で一番安価なものは人間の命なのだ。


 ……もう独りぼっちはたくさんだ。


 目の前で離れていく白いカソックの裾を見つめてスピカは強く思った。

こいつらに博士を渡してはいけない。


 こいつらさえいなければ。

こいつらさえ……


 瞬間。スピカは自分の両目が熱くなっていくのを感じだ。

頭の中も目の前も、全部が真っ白に染まっていく。


「ありがとう」

気が付くと背中を向けていたはずの博士が自分をそっと抱きしめていた。


「博士?」

スピカは自分の目に集まってきていた光が、すっと霧散していくのを感じた。


 博士はスピカを抱きしめたまま、隣のカノープスを引き寄せ、二人をまとめて抱きしめる。


「ありがとう。二人とも。ねぇ、忘れないで。僕にとっては人工の楽園なんかより、君たちのいるこの世界こそ楽園なんだよ」

「「博士……」」


 博士はそう言って、最後にもう一度、二人を強く抱きしめると再び立ち上がった。


「待たせた」

背中を向けた博士はもう二度と振り返ることなく、作業場を出て行った。


 目の前でひらりと翻る白いカソックと、慌てて博士を追いかけるジャスパーたちを茫然と見送ることしか、スピカとカノープスにはできなかった。

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