3_いつもの朝と招かざる客
翌朝。
「博士、さっさと食べて仕事をしてください!
食卓に突っ伏したまま動こうとしない博士にスピカが作業場から声をかける。
頼まれれば昨日のように病気やけがの治療もするが、それはあくまで公にはできない副業。
本職は地下に暮らす人々が仕事や日常で使う道具の修理屋だ。
「リキッドじゃ、目が覚めない~。せめてチョコ味がいい~」
ただでさえ朝が弱い博士は目の前に置かれた朝食にぐったりとした声を上げる。
「昨日言いましたよね。さっさと稼がないとリキッドだって。チョコフレーバーを買いたければ働いてください!」
リキッドは資源の乏しい地下で効率的に栄養を取るために開発された総合栄養食だ。
リキッドだけで必要な栄養とカロリーが取れる上に、管理局の推奨品なので値段も安価という素晴らしい代物なのだが、残念ながら壊滅的に不味かった。
かつて博士は、どうしたらこんなに不味い物ができるのか、と原材料を調べてみようと思ったこともあったが、すぐにやめた。
薄暗い地下で栄養が豊富なのに安価で、しかも無尽蔵に採れるものなんて、子どもでも想像がつく。
知らぬが仏、という言葉は、不自由な世界を少しでも快適に生き抜くために必要不可欠な呪文だ。
「うげぇ~」
出来る限り味わってしまわないように、リキッドを一気に飲み込むと、隣に置かれたコップの水も一気に飲み干す。
しかめ面のまま作業場に向かおうと博士がのろのろと腰を上げかけたその時。
「失礼する!」
「えっ、ちょっと!」
複数の見知らぬ男性の声と足音、それに続くスピカの困惑した声が聞こえて、博士は慌てて作業場に向かった。
「やめてください! 何するんですか!」
「おいおい、兄さんたち落ち着けよ!」
作業場についた博士の目に入ってきたのは、一目で管理局の人間とわかる制服姿の男たちが、スピカとカノープスの制止を無視して作業場を荒らしているところだった。
棚の中身をぶち撒け、床に置かれたタイヤや木箱を無遠慮にひっくり返していく。
今日、修理する予定だった自転車が作業場の隅で横倒しになって転がっている。
「お~い、作業場を散らかさないでくれよ。後で怒られるのは僕なんだからね」
この場に不釣り合いな博士の言葉に男たちの手が止まる。
「おい、お前、ここの主をだせ! 隠し立てすると為にならないぞ!」
男たちの中でもひときわ体格の大きな男が博士に詰め寄る。
「あ、主は外出……」
「僕だよ」
突然のことに理解が追い付かないながらも、何かを察したスピカが震えた声で答えようとするのを遮って、あっさりと博士が答える。
「博士!」
驚いたスピカが慌てて止めようとするが、一瞬早く男の太い腕が博士の胸ぐらに掴みかかる。
「噓をつくな! 主が女性だと言うことは調査済みだ!」
「おいおい、どういう意味だよ。こんな可憐な女性を捕まえておいて。僕がここの主だよ」
顔近いって、と大袈裟に顔を背けながら、博士は苦笑いする。
「お前は!」
人を小馬鹿にするような博士の態度に男のこめかみに青筋が浮かぶ。
「おやめなさい」
男たちが入ってきた方の入り口から響いた声に男たちが一斉に敬礼をする。
博士を掴んだ男がその手を離していいのか躊躇っていると、すぐそばまでやってきた男が穏やかなほほ笑みを浮かべたまま、再度声をかける。
「やめろと言うのが聞こえませんでしたか?」
「ひぃっ! 申し訳ございません!」
男は慌てて博士を掴んだ手を離すと、頭が膝についてしまいそうな勢いで頭を下げる。
「お目にかかれて光栄です。カーネリアン博士。お怪我は?」
頭を下げる男など眼中にないかのように無視し、男は博士に向かって笑顔を崩さずにそう呼びかけた。
柔和な物腰に、穏やかな物言い、黒いカソックを身に纏った男は、博士の返事を促すように軽く首を傾げる。
「随分と懐かしい名前をだすんだね」
屈強な男に胸ぐらを掴まれても飄々としていた博士が、男の言葉に苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「あぁ、名乗りもせずに失礼しました」
興味ないよ、と顔を顰める博士の呟きを無視して男は自己紹介を始める。
「仮称楽園計画 地下管理部所属、ジャスパーと申します。カーネリアン博士、お迎えに上がりました」
そう言うとジャスパーは博士に向かって優雅に手を差し出した。
「悪いけれど、おしゃべりな男も、気障な男も苦手なんだ。お引き取りいただけないかな? 僕はチョコフレーバーのために、さっさと働かないといけないんだ」
博士は肩をすくめてそう言うと、ジャスパーを無視して倒れた自転車を引き起こそうと足を踏み出した。
その瞬間。
パシュッ
白い閃光が作業場を照らし、一瞬後にガチャリと大きな音が響き渡った。
「カノー「何するんだ!」」
カノープスの名を叫んだスピカの声をかき消すかのように博士が声を上げる。
「大丈夫。羽根をかすっただけだ」
駆け寄ったスピカに地面に落ちたカノープスが答える。
ジャスパーの右手には流麗な彫金の施されたシルバーの短銃が握られている。
そこから発出されたレーザーがカノープスの右羽根を打ち抜いたのだ。
「カーネリアン博士、ご冗談でしょう?」
銃口をカノープスとスピカに向けたまま、笑顔を1mmも崩さずにジャスパーが博士に問いかける。
無言のまま博士とジャスパーの視線が交錯する。
が、先に視線を逸らしたのは博士の方だった。
「……支度をする。二人には手をだすな」
ギリッと奥歯を噛みしめる音が響いた後、博士は悔しそうにジャスパーを睨みつけてそう言った。
「ご理解が早くて助かります。できればすぐにご一緒いただきたいのですが、女性には支度が必要なことも承知しています」
笑顔で言いながらも、ジャスパーの銃口はスピカとカノープスに向けられたままだ。
「どうぞごゆっくり支度を。ただし、お待ちする間、お二人にはこのままでお待ちいただきます」
「二人には何もするなよ」
博士がジャスパーに念を押す。
「もちろん」
笑顔で返事をするジャスパーをもう一度きつく睨みつけると、博士は作業場を後にしようと背を向ける。
「あっ、そうそう。言い忘れました。私、見かけによらず短気なんです」
背中に投げかけられたジャスパーの言葉に、弾かれたように博士が振り返る。
「どうぞ、ごゆっくり支度を」
振り返った博士の顔を見て満足そうに笑うと、ジャスパーは殊更優雅に作業場の出入口を指し示した。
チッと舌打ちを残して、今度こそ振り返らずに博士は足早に作業場を後にした。
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