2_三人の食卓と楽園

「しばらくはリキッドじゃなかったのかよ」

狭いキッチンの古ぼけたコンロの前でスピカがくず野菜を煮ていると、頭上からふいに揶揄うような声がした。


 スピカの頭上を飛んでいるのは、体長50cm程のトンボ型のドローン。

名前はカノープス。彼も博士が廃材置き場から発掘した一人だ。


「今日だけです。……昨夜は子どもの治療で徹夜でしたから」

憮然とした顔で返事をするとスピカは鍋に干し肉をちぎって入れる。


「まぁ、よかったじゃねぇか。あの子の両親も泣いて喜んでいたし」

「別に子どもが助かったことを悪かったとは言ってません」


 カノープスの言葉にスピカは鍋に目を向けたままで答える。


「博士が心配なだけだよな」

「なっ、別に私は!」


 その言葉に、ばっ、と鍋から顔をあげたスピカが思わず大きな声を上げる。


「干し肉入りなんて豪勢じゃねぇか。喜ぶといいな」

なおも揶揄うように言葉を続けるカノープスをスピカは手にしたお玉で叩き落とそうとする。


「うるさい! スープの出汁にしますよ!」

「ドローンから出汁はでねぇよ~。そろそろメシだって博士に言ってきてやるよ」


 スピカのお玉をヒラリとかわしてカノープスがキッチンを後にする。


 右手に握られたお玉を投げつけてやろうかとスピカはカノープスの後ろ姿を睨みつけたが、鍋が吹き零れそうになっていることに気が付いて慌てて火を止めた。

貴重な食料だ。無駄にするわけにはいかない。


 カノープスをお玉で仕留めることは諦めて、スピカはスープに添えるためのパンを探してコンロ脇の保存棚に手を伸ばした。


「……」

食卓と呼ぶには粗末なテーブルに置かれたスープとパンを見て博士が言葉を失う。


「どうしました?」


 スピカもカノープスもエネルギーは自身の内部装置で賄えるので食事は必要ない。

なので用意されているのは博士の分だけだ。


 でも食卓についた博士の向かいにはスピカが座り、頭上でカノープスがくるくると回っている。 

本来ならスピカとカノープスが食卓につく必要はないのだが、博士が、一人で食事をするのは嫌だ、と毎度駄々をこねるので、食事のときには三人で食卓につくことが習いになってしまった。


「……リキッドじゃない」

茫然と呟く博士を見て、スピカが皿に手を伸ばす。


「リキッドがお好みでしたか。では……」

「駄目!」


 皿を下げようとしたスピカの手を掴んで博士が声を上げる。


「だったら、さっさと食べてください。冷めますよ」

「いいの? だって、しばらくリキッドだって」


 冷ややかな目を向けるスピカを見て、博士はまだ信じられないと言った顔で念押しをする。


「やっぱり、リキッドにしましょうか?」

「食べる! 食べます! 食べさせてください! すごい! 干し肉も入っている! うま~い! パンなんて久しぶり……うぐっ」


 再度、スピカが皿に手を伸ばそうとするのを見て、博士が慌ててスープとパンを頬張る。

と、慌て過ぎてパンを喉に詰らせた博士にカノープスが器用に水を運んでくる。


「……ありがと」

「まぁ、落ち着いて食えよ。スープもパンも逃げねぇからよ」


「干し肉もパンもこれで最後です! さっさと稼がないと明日からは本当にリキッドですからね!」

そんな二人のやり取りを見て緩みそうになる顔を隠すように、殊更に険しい顔をしてスピカが釘をさす。


「うん、うん。ありがとう。すごくおいしい。なんか一人で食べるの悪いな。二人にも食べさせたいなぁ」

「聞いちゃいねぇな」


 カノープスの呟きにスピカはがっくりと肩を落とす。


「……博士、『楽園』に行こうとは思わないんですか?」

おいしそうに食べる博士を見つめて、スピカの口からずっと聞けずにいた言葉が零れ落ちる。


「医療の心得も、私やカノープスを修理できる腕もあります。博士なら技術者として楽園に行くこともできるでしょう」

その言葉に博士が食事の手を止める。


「楽園に行けば、医療行為も堂々とできます。廃材置き場で部品を探さずとも豊富な資材があるでしょう。何より明日の食事に困ることもありません」


△△△△△△△△△△


 『楽園』


 それは限られた者だけが住むことを許された、幸せの地。


 遥か昔、地上には豊かな自然と高度な文明が存在したらしい。

らしいと言うのは、その時代を知る人間はすでに存在しないからだ。


 今はもう、昔話となってしまった世界。


 海は青く、空気は澄み渡り、森には木々の緑が広がり、全てが太陽の光に照らされて輝いていたという。

人間の文明は今よりも遥かに高く、雲を貫く程の高い建物や、空を飛ぶ鋼鉄の鳥が存在したそうだ。


 地上では人間は『国家』という名のコロニーに分かれて暮らしていた。

始めは穏やかに暮らしていた人間は、やがて、それぞれが、それぞれの正義の元、相手を攻撃し、地上では争いが絶えず起きるようになった。


 いつ果てるともしれない戦いの中、とある国の研究者の発見により戦況は一変する。

彼らよりもさらに昔に繁栄を極めたという先祖たちの遺物、『裁きの天使』と伝えられるそれは圧倒的な力を誇った。


 輝く白い体から全てを焼き尽くす光を放ったというそれらは、もれなく勝利をもたらした。

多くの国がこぞって裁きの天使の力を手に入れようと更に争い、手に入れた国は次々とその力を戦場に持ち込んだ。

結果、地上の大半は裁きの天使の光に焼き尽くされたという。


 人間が自らの愚かさに気が付いた時には、地上はすでに生き物が住める状況にはなかった。

大きく数を減らした人間は残された技術を振り絞り、地下に潜った。


 地下に蟻の巣のように自らの生活範囲を広げた人間は、細々と命を繋げながら、地上でのかつての暮らしを取り戻すことを願い続けた。

それが遥か昔の話。


 そして、今から十年前のこと。

ごくごく僅かな土地ではあるが、人間は長年の悲願であった地上を取り戻すことに成功した。


 それが、『楽園』。

かつての地上と同じように自然に溢れ、本物の太陽の光に照らされた、幸せの地。

僅かとは言え、その存在は地下に逃げ、人工太陽の微かな光の元で暮らすしかなかった人間の大きな希望、憧れとなった。


 地下の人間が楽園で暮らすための方法は三つだけ。

一つ目は、莫大な寄付金を収め楽園の居住権を得ること。

二つ目は、類稀なる才能と技術を楽園に示し、技術者として楽園の研究施設に入る方法。


 最後の一つは、年に一度届くと言われる招待状を受け取ること。

招待状が届く基準は明かされていないものの、全ての人間に送られる可能性があることは公表されていた。


 多くの人間は、自らに招待状の届く幸運を夢見ながら、途方もない寄付金を貯めるべく、薄暗い地下で必死に生きていた。


△△△△△△△△△△


「確かに僕は優秀だけど、人工の楽園なんて興味ないよ」

それに、と博士は食事を再開しながら言葉を続ける。


「君たちのいるこの世界こそ、僕にとっての楽園なのさ!」


 スプーンを握り締めながらキメ顔で言う博士の言葉を、はいはい、と聞き流して、スピカは洗い物をすべく食卓を立った。

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