第46話 空を滑る 不穏の影を見る
パラグライダーのインストラクターさんが言う面白い物言いで「お前よりこの重りの方が上手く飛ぶよ」というものがある。
でこれが、何も知らずに言われれば随分馬鹿にした物言いにも聞こえるのだが、実は芯を食った指示だったりする。
どういう事かというと、パラグライダーの「飛ぶ」とは、滑空、空を滑るという事なのだ。
……多分この説明でも分からんな。えっと、つまりだな。
「コメオちゃんもっと荷重かけないと風に乗れないよ~♡ ぴょんぴょん跳んじゃって、ウサギさんは空を飛べないんだよ?」
「分かってるよ! 脱力しながら走る……やっぱ久々だと難しいな」
いきなり飛ぶのも無謀なので、俺たちは平地でパラグライダーの立ち上げをやっていた。
ハッピーちゃんの風魔法を正面に受け、俺はパラを立ち上がらせ、緩やかな坂道をダッシュする。そして木々に突っ込む前にストップし、前方に倒す、という事をやっていた。
パラグライダーは、有り体に言ってしまうのなら、紐の付いた巨大な布だ。だから飛ぶためには空気抵抗を十分に受けるよう、重石役である人間の方が風に対して体重をかける必要がある。
それが難しいのだ。倒れるように走れると強い。それでなくとも、ぴょんぴょん歩くとパラグライダーに荷重がかからずクシャっと落ちてしまうので、それを避けられるように走れればいい。
ということで、十回程度風魔法で練習して、俺は勘を取り戻してきた。
「おおー。少なくともウサちゃんではなくなったね、コメオちゃん♡」
ハッピーちゃんは翼で音のならない拍手をしてくれる。俺はドヤ顔を返しながら、パラを前方に倒した。
「さて……じゃあ本チャンと行くか」
「林に突っ込まないでね~? 助けるの面倒くさいから」
「……」
「アレ、経験者?」
「ツリーランの孤独感はすごいぞ……。何も出来ないし」
しいて言うなら自分を木に固定して、パラグライダーが外れても落下しないようにするくらい。初飛びで初山沈かましたからよく覚えている。
「ちなみに何でハッピーちゃん連れてきたかって、一番の目的はそれ対策だから」
「えぇ……それならちゃんと風魔法で援護す、いや待って」
あえて落として嫌そうな顔するコメオちゃんの顔も見たい……。でもそこを助けるのも面倒くさい……。と厄介な二択で悩み始めるハッピーちゃん。それからうんと頷いて、とてもいい笑顔で空のメスガキは言った。
「おっけ! ちゃんとアタシがフォローするから、大船に乗ったつもりでいいよ!」
「いっちばん不安な態度で来やがった……」
俺が血の気の引く思いで言うと、ニマ~、とした笑みが浮かび上がってくる。本当にこの子、人の嫌がる顔が好きだな。はた迷惑な。
「まぁ流石にやらんだろうしいいけどさ。やったらちょっと関係性見直すだろうし」
「や、やだ~。冗談だよ、じょ、う、だ、ん♡ コメオちゃん本気にしちゃった~? ニヒヒ、かっわいい~」
慌てて言うハッピーちゃんだ。はてさて真偽はいかほどか。とりあえず釘刺しは出来たので、「さて」と俺は、本チャンの開けた坂道の上に立つ。
流石に本番でも風魔法に頼るのは後になって危険になりかねないので、俺は大人しく坂道の下りに相対して、風を待った。運が悪ければ数時間単位で待つそれは、幸運にもすぐに訪れた。
「よいしょおー!」
俺は風に向かってパラを立ち上げ、そのまま半ば風とパラグライダーに体重を預ける形で走り出した。倒れるように走ると、坂道の下にある段差で足がふっと浮き始める。
「コメオちゃん、ブレーキはあんまり掛けないようにね!」
「分かってらい!」
俺は失敗したときのために、足をバタバタ前にしながらも、手は力まないようにしていた。正面からくる風は強い。俺の足は段々と地面から離れていき、最後には安定的に空を滑り始めた。
「テイクオフ成功おめでとう~」
気づけば自身も飛んで、俺の横にいるハッピーちゃんである。流石に鳥と同じように飛ぶハッピーちゃんとパラグライダーの俺では速度が釣り合わないので、ハッピーちゃんはグルングルンと俺の周囲を回りながらの並走(?)だ。
「やー、久々にやったから大変だった。……本番って確か海岸沿いで飛ぶ奴なんだよな。ちょっと不安だし、その時もまた呼ぶかも」
「え~♡ いいけど~、また『あーんハッピーちゃ~ん。助けて~』なんて言わないでよ~?」
一度も言ってないんだよなぁ。
「あとはダンジョンの入り口までスムーズに行ければそのまま帰るだけだな」
「アレ? 実際の滑空練習はこれだけでいいの?」
「滑空は重要じゃないからさ」
本番はDさんが海中ボスを海面まで引き上げて、そこを空で待機していた俺が落下強襲、という流れの予定である。最も重要なのは、飛び上がりがスムーズか、という点なのだ。まぁしばらく飛び続ける必要があるから、それなりに上手く飛ぶ必要はあるが、それはそれ。
俺は下方にある林との距離を見て、上昇気流を一つ捕まえれば問題なく登山口に届くと睨んだ。逆に言うとないとちょっと厳しい。仕方ないね、ここそういう場所じゃなくダンジョンだし。
「ハッピーちゃん」
「なぁに? コメオちゃん」
「上昇気流捕まえたいんだけど、どの辺にありそう?」
「んん~?」
言いながらハッピーちゃんは地面と空で視線を行ったり来たりさせた。それから雲の方を注視する。
「どこまでも上がっていけそうな奴はパスで」
「むー! 先手を打たれた。お空デート長引かせようと思ったのに」
「普通に飛んでるだけで数十分から数時間かかるだろこの感じなら。夜になったらハッピーちゃんだって飛んじゃダメなんだろ?」
「そうだよ~? そうすれば、もう一晩、それも子供がいない状態で過ごせるでしょ♡」
困り眉の嗜虐的な笑みを浮かべるハッピーちゃんだ。本当に油断ならんなこいつ。
「でも、普通にそこのおっきなのでいいと思うよ。ほどよく上がったら外れればいいだけだし」
「……それもそうか」
俺は示された場所にあるらしい上昇気流へと向かい、そして急激に体がもちあがる感覚を得た。
ハンドルを片方だけ引っ張ることでパラグライダーは曲がることが出来る。そうしてくるくるその場で回れば舞い上がる鷹のように、上昇気流に乗って高度を上げられる。
俺は高度判断も出来るパラグライダー/ハンググライダーアプリ『Flight Assist』で、目的地までに必要な高度に届いたことを知る。脱出。あとは事故らず滑空するばかり、と体勢を落ち着ける。
「いやぁここまでくると安心だな。……頼むから『隙あり!』とか言って突撃してくるなよ?」
「流石にしないよ! それしたらコメオちゃん死んじゃうじゃん」
「いや、死ぬのはいいけどパラグライダー回収がクソめんどい」
「あ、そっち……」
山の中に落ちたパラグライダーとか回収してらんないだろ。しかもダンジョンである。モンスターに横やり入れられながら回収とかしてられたものではない。
けど仕方がないのだ。ダンジョンは治外法権なので何しても許されるが、外でやろうものなら免許ライセンス諸々が必要になってくる。航空法のこの字も知らない俺は、やはりリスクを承知でダンジョンから飛ぶしかないのだった。
そんな訳で密漁的に飛んだ俺たちだったが、さて空の旅も十分したあたりで少し退屈になってくる。
俺が、ではない。俺は空の旅なんて中々できないから、ずっと楽しい。
飽きてくるのは飛行が日常なハッピーちゃんだ。
「ねぇコメオちゃん。何か面白い話ない?」
普遍的に行われる最悪の振りに嫌な顔をしつつ、俺は「そうだなぁ」と記憶を探る。
そこで思い出したのは、チセちゃんから教えてもらった、変な動画だ。フライト中で暇になったら見ようとは思っていたが、まさか俺でなくハッピーちゃんの暇に答える形になろうとは思うまい。
俺はデバイスをホログラムモードに切り替えて、ARディスプレイから操作した。大型のテレビくらいのサイズ感で、チセちゃんから送られてきたURLより動画が始まる。
「お? それってさっきあの……チセちゃんが言ってた?」
「そうそう。という訳で、再生~」
動画が始まる。真っ暗の田舎道で、たった一つ電灯が灯っている。そこに、彼女は現れた。
真っ白な帽子、真っ白なワンピース。女性らしい凹凸のある体つきは、しかしそれ以上に醸し出す違和感に紛れてしまう。
……そういえば、これ俺関連のスレから見つけたとか何とか言ってたな。そうか。そういう意味で気になるってことか。はー。
「この人、おっきくない?」
「……八尺あるからな。約2m40cm」
「えっ、デカ」
っていうか知り合い? と言われて、俺は神妙な顔でこくり頷く。「その顔おもしろ~い♡」と他人事の空のメスガキだ。チクショウ地上だったら襲い掛かってやったのに。
『ぽ、ぽ、ぽぽぽ……』
クスクスと笑うように、彼女は異音を放つ。
『見つけた。見つけた。やっと見つけた。ずっとずっと探してたのよ。ぽぽぽっ……。ああ、あなたに殺された日から、ずっとずっと、この日を待っていたの』
「この人、ヤバくない?」
「ヤバいよ」
腐っても祟り神だ。ヤバいに決まっている。
『ああっ……! ぽ、ぽぽぽぽぽ! 興奮が、抑えきれないわ……! 最近は、コメオって、呼ばれているみたいね。ぽぽぽっ。コズミックメンタル男チャンネル。略してコメオ。面白いわ。ぽぽぽぽ……』
クスクス肩を揺らして、彼女は笑う。
『やっと、やっと復讐できる……! わたくしをああまでぐちゃぐちゃにしたあなたを、愛してあげられる……! ぽぽぽ、ぽぽぽぽっ! 待ち遠しいわ。本当に待ち遠しい……』
だからね、と彼女はつないだ。
『これは予告。すぐに、あなたがわたくしの元に来ざるを得ないようにしてあげる。だから、だから、楽しみにしていて……? きっと、きっとお気に召してくれると思うから……』
砂嵐。動画はそれで終わりだった。ハッピーちゃんは顔を僅かに青くしながら、何度か羽ばたいて飛ぶスピードを俺に合わせて言う。
「これ、マズくない? 犯罪予告とかじゃ……。コメオちゃん、大事になる前に、これ」
「いいや、大丈夫。っていうか割と古い付き合いだし、変な脅迫とか俺が何の興味も示さないことは、この人よく分かってるよ」
「そ、そう……? っていうか、この人だれ?」
俺は動画を巻き戻し、その体躯をもう一度確認してから断言した。
「八尺様」
「はっ……? 八尺様って、あの?」
「そう」
俺は動画を巻き戻す。映っている外見的な特徴は、伝承通りだ。巨躯。ぽぽぽぽ、と独特な異音。真っ白な帽子とワンピース。
「何で、コメオちゃんが?」
ハッピーちゃんの疑問に、俺は肩を竦めて答える。
「昔この人ダンジョンボスでさ、中学上がりたての頃に挑んだんだよ。んで夏休み一つ潰してやっと勝った。世界記録には程遠かったけどな」
それから目的達成とばかりあの界隈に行かなくなったのだが、そのせいでこじれてしまった、という事らしい。
「……ダンジョンボスって、ダンジョンから出てくるの?」
「場合による。ダンジョン外でも普通に生活してる人もいるし。秩父の熊みたいに現界して出てきちゃったパターンもある。特に不満もなく引きこもってるパターンもあるし」
八尺様の場合はよく分からないが。というかこの人どういうノリでこんな動画出したのか、俺としてはよく分からない、というのが本音だ。それがちょっと不気味でもあり、同時に懐かしさの入り混じるワクワク感もあり。
どうなるんだろうな、と思いながら何事もなく空を飛んでいると、不意に、俺の耳に何か妙な音が届いた。
「……ハッピーちゃん、何か聞こえないか?」
「えっ。やっ、やめてよコメオちゃん! アタシそういうの弱いんだから! 驚かすのは好きでも驚かされるのは嫌いなの!」
「言ってること最低だけど自覚ある?」
涙目でばっさばっさ風を送ってくるハッピーちゃんに、俺は「分かった! 分かったって! っていうか違う! ふざけて言ったわけじゃない!」と弁解する。
「ほら、よく耳を澄ませて」
「やだ~……!」
「やだじゃありません! やるの!」
沈黙。俺たちは黙して、音を聞く。
上空にいる俺たちのみに届くのは、ほとんどが風の音だ。だが、その中に、やまびこめいて聞こえる異音があった。笛の音を思わせるそれ。ぽ、ぽ、ぽ、と歌うように、響いている。
「こ、ここここ、コメオちゃん……!?」
「……もしかしたら、もしかするかもな」
少なくとも、俺が昨日このダンジョンを走ったことは露見している。配信サイトで急上昇にも載ったくらいだ。正直そっちはもうよく分からないことになっているが、八尺様がそのことを掴んでいないとは思い難い。
「ま、何にせよ、だ。無事に入り口で着地しなきゃマズイってのは、より確実になったってことで」
俺が笑うと、「笑い事じゃないよ! もう!」とハッピーちゃんは涙目で怒るのだった。
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