第45話 空への道、奈落の記憶
しばらく歩いていると、三匹の熊が俺たちの前に立ちふさがったので殺した。
「ひっ、コメオちゃんく、ま……?」
ハッピーちゃんが悲鳴を上げ終わる前に、一匹目の首を刎ね、二匹目の頭蓋を貫き、三匹目の腕をブレパリで弾いて破壊した俺は、流れで貫き手を放ち、ハッピーちゃんから見えない角度から内臓を抜く。
そうして、連続して熊は光の粒子となって消えていった。振り返ると、ハッピーちゃんは顔を蒼白にして俺を見ている。
「……コメオちゃんって、もしかしてめっちゃ強い?」
「そこそこ」
「そっかぁそこそこかぁ~……」
ハッピーちゃんの声が震えている。怖がらせないように迅速に動いたつもりだったが、逆に怖がらせてしまったらしい。もう少し普通っぽく殺すか、と俺は首をひねる。
「……」
ハッピーちゃんは黙り込んで、やはりひょこひょこと近寄ってきて、俺の腕にしがみついた。そこで気づく。あ、これアレか。ハーピーの身体の構造上、普通に立ってるのが辛いのかもしれない。
「ハッピーちゃん」
「なっ、何?」
「負ぶろうか?」
その一言に、ハッピーちゃんは一瞬呆けた。それから顔色をパッと晴れさせる。
「もぅ~。なぁにぃ~? 女の子にくっつきたいっていう下心が透けて見えるんですけど~♡」
と言いながら、俺の背中によじ登ってきたので、俺はそれを背負ってから、「魂胆がバレちまったな」とノリつつ歩き出した。ハッピーちゃんは何だか嬉しそうに抱き着いてくる。
「……優しいね、コメオちゃんは。思ったより、よく人のこと見てる」
耳元で囁かれて「人並みだよ、人並み」と答えながら、えっちらおっちら登山だ。登山リュックにパラグライダー、そしてハッピーちゃんと荷物は目白押しである。
「人に怯えられるの、初めてじゃないの?」
「ハッピーちゃんこそ、観察眼あるよ」
「ニヒヒ。これでも半分接客業のハーピー印だもん。煽りってね~、本当に触れちゃダメなところでしたら、血を見るんだよ♡」
「経験談っぽいのがこえーや」
俺たちはカラカラ笑いあう。あ、近くに敵いるな、猿か。どうしようかな。
「だから、アタシはコメオちゃんのそこを雑に扱わないの。人から怯えられ慣れてるのにも、その対処も平然とできるのも、アタシには珍しくからかったりしないんだ~」
「ハハハ、そりゃプロの技だな。それが出来れば、俺たちは仲良くやれる」
「でしょ♡」
俺は吐息交じりの声を耳に受けながら、毒クナイで襲い来た猿を迎撃した。この程度の敵なら、わざわざ概念抽出魔法を使って毒を広げるまでもない。元々猛毒の毒クナイで、猿は泡を吹いて悶え死ぬ。
ハッピーちゃんは、俺にしがみつきながら、しかし震えを殺しきれないでいた。そうだ。これが、普通の感覚だ。知人が平然と敵を縊り殺していくのを見れば、普通は怖いのだ。
それを、俺は今更になって理解していなかったのだと気づく。ハッピーちゃんがバランス感覚に優れたコミュ力の持ち主で良かったと感謝するばかりだ。
RDAには荷物問題は付き物。今後も長い付き合いになる。可能な限り優しくしてあげねば。
「コメオちゃんって、いつからこういうことしてるの?」
「いつから? あー……」
ダンジョンに行くくらいのことは、物心ついた時からしていた。小学校でも血の気の多い方だったから、『放課後ダンジョンいこーぜ!』なんてやり取りは日常茶飯事だった。
だが、今みたく狂ったようにダンジョンに入って死を繰り返すようになったのは、やはりあの時からだろう。
「小5の夏かな」
「へ~。キッカケがあったり? 攻略が楽しかったとか」
「キッカケ。キッカケなぁ。……引かないで聞いてくれるか?」
「内容による♡」
「そりゃそうだ」
カラカラ笑う俺たち。まぁいいだろう。ハッピーちゃんは多分、ふざけて良いラインとそうでないラインが分かってくれるはずだ。
「死にダンって言って分かる?」
「分かんないけど、多分めっちゃ危険で、すぐ死んじゃうようなダンジョンってとこ?」
「当たり。俺小5の夏にさ、友達の悪戯で、死にダンの中でリスポーン登録しちゃったんだよ」
「……えっ」
俺は肩越しにハッピーちゃんを見る。「この辺で止めとく?」と尋ねると「……聞く」とだけ返ってきた。俺は続ける。
「友達も悪気があったわけじゃなかったんだけどな。まぁ地獄を見たよ。今まで一度も死んだことのなかった小学生が、その一週間で500回以上死んだ。涙が出たのは最初の5回くらいまでだったな。そこからは、ただガムシャラだった」
自らの弱さを眼前に突き付けられた。死んでは生き返り、生き返っては気持ち悪さと絶望感に喚いた。そしてそうしている間に死んだ。ただ、ただ、死んだのだ。
「そ、それ、よく平気だったね」
「ハハハ、平気じゃねーよあんなん。ぶっ壊れたさ。俺聞いた話によるとさ、救助隊の人を敵だと勘違いして十人くらいぶっ殺したらしいんだよな。まぁそんなくらいには壊れてた」
五回の死で涙は枯れる。十回の死で心がイカレる。五十回の死で「イカレた心」なんてものがないと気づく。百回の死で心と体が断絶する。五百で俺は、敵を殺すだけの獣と化した。
例えば、ワナの弓矢が体に刺さっていて、痛みも確かにあったとしても、死んでも生き返ることを魂が覚えてしまうのだ。
結果として、「痛みを痛みと知覚しながら、無視できる」という芸当を覚える。だから俺は、毎度四肢のいくつかを失くしながら前へ前へと進んだ。
「しょ、小5の男の子が、素手で、救助隊の人たちを、ってこと……?」
「そうだな。来るのがもう少し早ければ流石にそこまでは俺にもできなかったんだが」
殺されるのが怖くなくなると、自らの惨状を無視して敵の殺し方を探求し始める。そして、敵には『痛みを嫌がる』『死を恐れる』という弱点が備わっていると気づいたのだ。小5の俺は、そこを突くことを覚えた。
四肢の末端が基本定石だった。今でも相手によっては使う知識だ。痛みを負えば、大抵の相手は怯む。そこで目や口など、体の内側に近い部分をえぐってやればよかった。
武器は最悪石でいい。尖った石があれば、死を恐れない小5男児は大人を殺せる。殺せてしまった。殺せてしまったのだ。
「お蔭で危うく少年院だぜ。その前に精神鑑定で問題ありっつって精神病院にぶち込まれたけどな。数週間でひとまず元通りっぽく振舞えるようなったけど、今度は実の両親が俺を怖がり始めた」
よくよく思えば問題のある家庭環境だった。ネグレクト。軽い虐待。俺はそれを、あの日まで周囲に隠して生きてきた。そしてあの日を過ぎて、自分で解決してしまった。
実の親から化け物と呼ばれたとき、俺は道を外れてしまったのだと気づいた。
「……それで、どうしたの」
「どうするもなんもないさ。俺にはどうしようもなかった。そこを助けてくれたのがギンコだった。法的な手続き済ませて、俺のことを養子にしたんだな。それから甲斐甲斐しく色々と付き添ってくれたよ。頭が上がんねぇやマジで」
救助隊にすら牙をむく俺をねじ伏せ、強引に救助を断行し、家庭環境が終わってた俺のアフターフォローまでしてくれたのだ。恩人という言葉では片づけられない。
「そんな酷いことがあって、ダンジョンに向かうのを止めなかったの?」
「逆だよ逆。死に過ぎた俺は、普通に過ごすには感覚として死が近くなり過ぎた」
下校が面倒だから、と軽いリスポーン目的で首を掻き切った翌日、俺は一切の友達を失っていた。クラス全員から向けられる恐怖の視線を、忘れたことはない。
結論から言えば、俺の死生観はもはや日常生活を過ごすのに向かなくなっていた。子供だからそれを隠すという知恵もない。あまりに露骨で、壊れた、むき出しの
「ダンジョンが居場所みたいになってたんだな。むしろそれ以外が億劫でさ。だから、暇さえあればずっとダンジョンだった。RDAっていう制度を知って加速したけど、あくまで補助だったな」
あの頃は、ダンジョン以外の場所が苦痛だった。生き死にの場所でしか、俺は生きられなかった。そうなるように壊されていた。どこにも、誰も、理解者なんていなかったのだ。
「それで、ずっとダンジョンダンジョンダンジョン三昧の日々だった。だからそこそこ強くなれた。この程度の場所でなら、敵を歯牙にもかけない程度にはな」
高校くらいでやっと、そう言うのを隠せるようになった。そしてバトロワの部活があったので入って、楽しんでいたら特待生待遇で大学に行けると通達されて、追放されての今だ。
そう重い話ではない、と今では評価している。当時は鬱屈としていたが、言ってしまえばそれだけだ。人生はまず間違いなく壊れたが、壊れた先の人生も悪くなかった。
向かってくる猪をパリィのみで殺して、俺は変わらぬ調子で進む。ハッピーちゃんが俺に縋りつく手が強くなる。
「……今アタシね、堪らなくコメオちゃんを抱きしめたい気分なんだ。でも、コメオちゃんは多分、そんなの要らないのかなって、ちょっと思っちゃう」
「ハッピーちゃんみたいな可愛い子に抱きしめられるなら、いつでもウェルカムだぜ」
「ニヒヒ。嘘つき」
俺はハッピーちゃんにされるがままに歩く。ハッピーちゃんは震える翼で、強く俺を抱きしめてくれる。とくんとくんと打つ心臓の音。生命の音。俺は、俺の中でそれが終わるのにすら慣れてしまった。
「コメオちゃんが何でモテるのか、分かった」
「えっ、俺モテんの?」
素で驚いて言うと、ハッピーちゃんは翼でふぁさっと叩いてくる。ギンコの尻尾アタック並みに痛くない。
「人の心、ものすごくよく分かってるんだなって。自分事じゃないからなのかな。他人事だから、ものすごく詳しく理解してる。そう言う感じする」
でも興味ないでしょ。言われて「何が?」と俺はとぼける。
「他人からどう思われるかとか、コメオちゃんは多分心底どうでもいい。……そっか。心底どうでもいいから、都合よく合わせてくれるんだ。コメオちゃんがただ優しいから、やってくれてるだけなんだ」
「……」
「コメオちゃんは、最後にはダンジョンにしか興味がないんだよね。それ以外はすべてどーでもよくて、でも捨てきることが出来ないから、いー感じに手を回してる」
「ハッピーちゃん」
目を細めて俺が名前を呼ぶと、ハッピーちゃんは「軽蔑しないよ」と強い口調で言った。
「アタシのお客さんには、コメオちゃんみたいにRDAプレイヤーやってる人、ちょっとはいるもん。みんなね、少なからず狂ってるよ。心が現実にないの。苦しいのに、辛いのに、みんなダンジョンに向かって行く。コメオちゃんの話で、そういう事なんだって分かった」
ハッピーちゃんはきゅぅと抱きしめる力を強くして、言った。
「コメオちゃんは、現実社会に居場所をなくしちゃったんだね。でも、コメオちゃんの居場所はダンジョンだけじゃないよ。ギンコちゃんは多分コメオちゃんのこと分かってくれてるし、アタシだって今、少しわかった」
「……ハッピーちゃん」
「寂しくなったら、いつでも呼んでね。アタシがいつでもからかってあげる♡」
言うが早いか、ハッピーちゃんはとんと俺の背中を蹴って、空を飛び出した。上空何メートルという高さまで一瞬で上がってから、また俺の背中に戻ってくる。
「あっちにいい場所あったよ。開けてて、坂道。風もいい感じに吹きそうだから、走らなきゃ逃しちゃうかも!」
「---ふっ、アハハ! 分かったよ! 走ればいいんだろ走れば!」
俺は一笑いしてから、ハッピーちゃんの指し示す方へと駆け出した。ハッピーちゃんは「いいぞーコメオちゃん号~! はっしれ~!」と翼を掲げる。
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