明治ミワクチョコレート②

 怒りのあまり家を飛び出したコンコは、元町の神社を頼った。案の定、たぬおも巫女も歓迎してくれている。

「せっかくだから、泊まってくださいよぅ。眠くなるまで一緒に遊びましょう」

「お腹空いたでしょう? おいなりさんを作ったから、たんと食べなさい」

「ありがとう、巫女さん、たぬおさん。嬉しい、美味しい……」

 甘いお揚げと仲間の温かさに、コンコは嬉し涙を流していた。


「女の色香に惑わされるとは、リュウさんも情けないですねぃ」

「まぁ、良いじゃないですか。リュウさんにも春が訪れたのねぇ」

 巫女がしみじみと語ると、コンコの胸がチクリと痛んだ。


 あれ? 何で胸が苦しいのかな……? 大好きなおいなりさんも、今は砂を噛むみたいだ……。


 恋の話に、巫女はウズウズしていた。色恋沙汰とは無縁の仕事だから、興味があるらしい。

「どんな方なんですか? リュウさんと良い仲の方は」

「髪を下ろして、凄い痩せてて、お粥さんを食べようとしないんだよね。ご飯と、しょくらあとが無くなってリュウと喧嘩したら急に元気に──」

 コンコは思い立ったように立ち上がり、神社を飛び出した。

 巫女はリュウの恋人が見たくて、たぬおは何となく後を追った。


 神社と家のちょうど真ん中で、女を連れて歩くリュウと出くわした。

「はじめまして、宮司のたぬおですぅ。この度はおめでとうございますぅ。結納はうちの神社で」

「たぬお、そうではないのだ」

 リュウは女の肩を抱き、くるりと回すと後頭部が裂け、真っ赤な口が姿を現した。鋭く尖った歯が生え揃い、赤い舌がぬらぬらと踊っている。

「しょええええええええええ!! ……」

 たぬおは絶叫した末に気を失い、突っ伏した。


「リュウ、知っていたんだね」

「気付いたから、神社に向かうことにしたのだ。なぁ、二口女ふたくちおんな

 女の長い髪がうねうねとうごめき、たぬおの背中を撫で回していた。


 あやかしと対峙する格好となり、巫女にも緊張が走って思わず身構えた。出来ることがあれば、加勢するつもりのようだ。

「それでは、二口女には封じられる覚悟がお有りだ、ということですね?」

「まぁ、待て。話を聞いてくれ」

 リュウは落ち着き払って話そうとしているが、懐柔させられているかも知れず、コンコも巫女も気が抜けない。

 たぬおは気絶したままである。


「この女は後妻だが、先妻の娘を餓え死にさせた呪いが頭に取り憑き、後ろの口に飯を食わせなければ痛みが走ようになった」

 あやかしとなった経緯を知っているコンコは、二口女を睨みつけたままでいる。


「罪を心の底から悔やんでおり、痛みを受け止めようと、前の口から飯を食わぬと誓って倒れたのだ」

 二口女の自責の念に駆られた苦しみを知って、コンコは張り詰めた糸がだらりと垂れるように、苦々しくうつむいた。


「コンコが出た後、あれほど拒んでいた粥が綺麗さっぱり無くなっていた。そこで後ろの口と動く髪に気が付いた。飯もしょくらあとも、この口が食べたのだ。コンコ、あらぬ疑いを掛けてすまなかった」

 リュウが頭を下げたので、コンコは若干不服ながらも、二口女に免じて納得することにした。


 しかし巫女は厳しい姿勢を崩さない。リュウにではない、二口女にだ。

「リュウさん、あとは封じるか否かです」

 そうだったな、と言ったリュウは刀をスラリと抜いて、コンコの祝詞を待った。


「リュウ! 二口女は反省しているんだよ!?」

 コンコが救済を訴えると、リュウは唇を噛んでから顔を上げた。

「コンコ、二口女の望みなのだ」

 二口女が固い表情で手を組んで、その場に膝をついた。祈りを捧げているような格好である。

 その真横に立ったリュウは、祝詞を促す視線をコンコに送った。


 危険を察知した二口女の髪が、リュウの手へ、なまくらへと伸び、動きを封じようとしていた。

「コンコ! 祝詞を唱えてくれ!」

 ついに髪がなまくらを、そしてリュウの手首を捕らえた。まだ蠢くほどの余裕がある、刀を振るなら今のうちだ。

「コンコ!」

「コンコちゃん!」


高天原たかまがはら神留かむづま皇親神漏岐すめらがむつかむろなぎ 神漏美かむろみみこと…!!


 斬撃の音が鼓膜を突いて、脳天に響き渡った。

 固く閉じたまぶたにまで、その衝撃が伝わる。

 恐る恐る目を開いて、ぼんやりと映る光景に、目を丸くせずにはいられなかった。


 二口女は、さっきと同じ格好で座っていた。

 ただ違うのは、ぱっくり開いた後ろの口が無くなっていた。

 リュウは、後頭部だけを斬ったのだ。

 長い黒髪が地面をのたうち、みるみる丸まって色を変えると、いつしか赤ん坊の形になった。

 びっくりしたのか、泣きじゃくっている赤ん坊を二口女が抱き上げた。これもまた、いつの間にやら斬り捨てられた後頭部は、長い髪も丸い形も取り戻していた。


 リュウは刀を仕舞うと額の汗を拭い取り、安堵のため息を吐いた。

「何とか、上手くいったようだな」

「もう! リュウは、いつも言葉が足りないんだから!」

 胸板をポカポカと叩きながらも、リュウの裁きが嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまう。

「すまない。明かしてしまうと、切っ先に甘さが生じる気がしてな」


 赤ん坊を抱いた二口女を、いくつもの光の粒が包み込んだ。

「リュウさん、お稲荷様、巫女さん、ありがとうございました。お陰様で、私は成仏出来ます」

 まさかと思ったが、消えてしまうことにコンコもリュウも巫女さえも、驚きを隠せなかった。

「そんな……せっかく赤ちゃんを抱けたのに!?」

「これで家族が揃います。本当にありがとうございました」

 光が消えて、辺りは宵闇に包まれた。母子の姿は、どこにもない。


 呆然とするコンコの頭を、リュウがポンポンと優しく叩いた。

「今日は家庭と結婚の女神の日、そうだろう?」

「……そうだね! きっと家族が揃ったお祝いをしているに違いないね!」

「まぁ、そうなんですね! リュウさんはお預けで残念だわ」

「いいんだよ! 僕とリュウは家族みたいなものだもん!」

 コンコとリュウは笑い合っていた。

 たぬおは気絶したままである。


 家に帰り、リュウはチョコレートを口にした。特に異変はなく味わえているが、慣れない者だとポーッと上気してしまうらしい。

 二口女はチョコレートを4つも食べて、惚れ薬のように効いてしまったのだ。

 そうだ、それを話していなかったと、リュウはコンコに声を掛けた。

「……どうしたの? リュウ……」

 コンコは頬を赤く染め、トロンとした目で笑みを浮かべた。

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