明治ミワクチョコレート①

 コンコとリュウは、神父の案内でアンヌの家に向かった。扉を開けるとアンヌに飛びつかれて、リュウは困ったように笑っていた。

「Welcome Ryu and Konko! Thank you father!」

「おサムライさん、好かれてマスネー!」

 神父は大袈裟に驚き、上機嫌に笑ってみせた。

「早い娘と言っても、おかしくない歳だぞ」

「そうだよ、親子みたいなものだよね」

 そう言いつつ、コンコはヒクヒクと頬を引つらせている。


 早速、リボンが掛けられた小さな包みがアンヌからリュウへと手渡された。

「……これは?」

「今日はバレンタインデー、すべての神々の女王で家庭と結婚の女神、ユーノーの祝日デス」

 コンコはキョトンとするばかりだが、リュウはと言えば何故呼ばれたのかを察して、苦笑いしていた。まだ幼子のアンヌは、リュウを婚約者だと信じて疑っていないのだ。


「すまぬ、アンヌ。ありがたく頂戴するが、これは何だ?」

 アンヌが身振り手振りで箱を開けるよう促したので、リュウは紐をシュルリと解いた。

 箱の中には、濃い茶色をした小さな粒が6つ。そのひとつをつまみ上げ、コンコとリュウはまじまじと見つめた。


「……何これ?」

「しょくらあと、という西洋菓子だ。前の仕事で見たことがある」

 春風楼の遊女が西洋人の客からもらっていた、ということだ。

「近くで作る家がある、そうアンヌ言ってマス」

「へぇ〜! 食べたい食べたい! ねぇリュウ、ひとつ頂戴よぉ〜」

「これはアンヌからおサムライさんへの贈り物、おイナリさん食べるダメ」

 神父の厳しい言葉にコンコが頬をふくらませると、アンヌが手を引いて2階へと連れていった。


 リュウは笑みを浮かべながら、チョコレートを袂に仕舞った。幼子からとは言え、愛のこもった贈り物とは嬉しいものだ。

「Chocolate食べるの初めてデスカ?」

「ああ、そうだが」

「一度にたくさん食べるダメ、1日ひとつネ」

 子供にもらった菓子に注意が要るのかと不思議だったが、西洋人が言うならとリュウは従うことにした。

「それと相談アリマス。教会に来てほしいデス」

 笑顔が消えた神父の様子から、深刻な相談だというのが見て取れる。また神父の手には負えないのだろう。

「わかった、近々教会に寄ろう」


 コンコとアンヌの付き合いが終わり、改めて礼を述べて帰路についた。黄昏時で、もうじき陽が落ちるところだ。

「アンヌちゃん、なかなか終わらないんだもん。参っちゃったよ」

「そういうコンコも、楽しかったのだろう?」

「またリュウは僕を子供扱いする。お世話みたいなものなんだから……」


 突然ふたりに緊張が走って、口も足もピタリと止まった。

 女が壁にもたれかかっている。着物の袖も、下ろした長い髪も地面に広がっており、ズルズルと崩れ落ちるように倒れたことが想像できる。

「大丈夫かな!? お医者さんに連れていこう!」

「紙のように軽いぞ、食うや食わずで倒れたのだろう」

 それならば医者より近いからと、朦朧とする女に肩を貸し、リュウの家で休ませることにした。


 浅い呼吸を繰り返す女を布団に寝かしつけた。コンコは枕元で心配そうに見つめ、リュウは粥を作っている。

「食べたら元気になるかな……」

「今は俺たちに出来ることをするのみだ。さぁ、粥が出来たぞ」

 身体を起こしてさじを口元へ運ぶが、女は乾いた唇を固く結び、首を横に振った。

「お腹、空いているんじゃないの? 食べないと身体に毒だよ」

「少しで良い、口を濡らす程度で良いのだ」

 口にする気配は一向にない。暗く沈んだ顔は、うつむくことで長い髪に隠された。


 無理に食べさせるのも身体に毒だ。

 枕元に粥を置き、我々の夕餉だとリュウが準備に取り掛かったが、朝に炊いた飯の残りがない。粥にしたのは1膳分、まだふたりが食べるだけは残っていたはずだ。

「コンコ、いつ飯を食った?」

「食べてないよ! 僕、ずっとこの女の人に付き添っていたじゃないか!」

 確かにコンコの言うとおりだが、粥を炊いている間は鍋に掛かりきりで、ずっと見ていたわけではない。


 すぐ食べられるものは無いか辺りを見回すと、アンヌにもらったチョコレートが開けられているのに気が付いた。6つあったうち、もう2つしか残っていない。

 これは大変だ。何が起こるかはわからないが、神父が1日ひとつに留めろと言っていた。小さな身体のコンコでは何が起こるか、わかったものではない。

「コンコ! しょくらあとも食べたのか!?」

 コンコはあらぬ疑いに、眉も目尻も狐耳も尻尾までも吊り上げて激昂した。

「何で僕のせいにするかな!! ずっと付き添っていたって、言ってるじゃないか!!」


 コンコはハッとして、リュウに疑いの眼差しを向けた。

「ははぁん、本当はリュウが食べたんでしょう? それを僕のせいにしているんだ」

「馬鹿を言うな! 俺がそんなことをするか」

 女から目を離さなかったコンコとしては、粥を作るためおひつを触ったリュウが怪しい。


 つまみ食いを人、いや稲荷狐のせいにするとは武士の風上にも置けない。

 罪をなすりつけるような、武士として恥ずべきことを誰がするか。

 ふたりが睨み合っていると、女が頭を下げて礼を述べた。やつれた顔は血色を取り戻し、ほんのり頬が染まっている。


 布団で寝かせたのが良かったのかと、ふたりがそっと胸を撫で下ろした、次の瞬間。

 リュウは目を丸くして固まって、コンコは吊り上げられるものをすべて吊り上げ、ギリギリと歯を噛み鳴らした。


 リュウの胸板に、女がしなだれかかったのだ。

 病人扱いしていた女に、潤んだ瞳でうっとりと見つめられているのが信じられず、リュウは狼狽えている。

 それがコンコには鼻の下を伸ばしているようにしか見えず、益々憤慨した。

「リュウの馬鹿! 助平! 破廉恥侍!」

 弾けるように三拍子を吐き捨て、コンコは家を出てしまった。


 追いかけようにも、首筋に絡みついた女の腕を振り払わなければ身動きが取れず、リュウは困惑するのみである。

「リュウ様と仰るのね。この度のご恩、如何様いかようにお返しすれば宜しいでしょう」

「礼には及ばぬ。それより、如何いかが致した」

 女に視線を落としたリュウはいぶかしげに眉をひそめた。枕元の粥が、ひと粒残らず無くなっていたのだ。

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