カメラで止まるな!②
主人は別室から、手伝いの店員を呼び寄せた。やって来たのは見目麗しい若い娘ふたりである。
こんな仏頂面の侍よりも、このふたりを撮った方が絵になるのは間違いない。
ひとりの娘が黒い板をカメラに差して、すぐに抜き取った。
「あれは何?」
「中にガラス板が入っておる。薬や卵で濡らしたもので、あれに姿を写すのだ」
つらつら語るリュウに、主人は目を見張った。
「お侍さん、詳しいですね。そういえば、どこかでお見掛けしたような……」
「春風楼にいたのだ。その折に会ったのかもな」
主人は記憶を探り「ははぁ、そうでしたか」と腑抜けた声を返した。
確かに用心棒の若侍がいた、しかしもっと鋭く恐ろしい目付きだった気がする。よくよく見れば同じ人物だが、あのときと違って穏やかだ。
隣でソワソワしている子供のお陰で、平穏な日々を取り戻したのだろう。
「ところで、この娘たちが撮るのか?」
「いいえ、近頃来たばかりで、まだまだ修行の身です。家の都合で夕刻だけの短い手伝いですが、真面目に働いてくれています。まぁいずれ、このふたりが撮る日も来るでしょう」
主人の機嫌よく弾む声から、彼女たちに込めた期待が伝わる。女が、男と同じ仕事を同じようにする日も近いのだ。西洋化の歓迎するべきところだと、リュウにも認めざるを得なかった。
娘によってコンコも首を固定された。浮かれてずっと落ち着かない様子だったが、強制的に大人しくさせられて、表情までもが硬くなっている。
「せっかくだから、笑った方がいいかな?」
「20数える間、ずっと笑っていられるか? 顔を釣るぞ」
ふたりともキュッとした真顔になると、レンズのふたが外されて短くも長い撮影がはじまった。
どこを見ようか迷っていたが、撮影開始直前に娘ふたりとリュウの目が合った。
素朴ながら本当に美しい娘だ。こうして見つめられて、淡い恋に落ちてしまう者もいるだろう。
……しかし何故、娘たちは目を合わせるのか。視線の先はリュウだけで、コンコは眼中にない。容姿に自信があるのだろうか、それとも何か狙いがあるのか。
……まさか!! ……
レンズにふたがはめられて、主人が
「はい! これで終わりです、お疲れ様でございました」
コンコとリュウを焼き付けたガラス板が、黒い入れ物に戻されると、娘たちが後ろに回って固定器具を取り外した。
コンコが解放を喜んでピョンと立ち上がった。リュウは虚ろな目をして、膝から前のめりに崩れ落ちた。
「リュウ!!」
リュウの震える視線、指先、絞り出された声が娘ふたりに向けられた。
「……コンコ……あのふたりだ……」
『そう、私は山姫』
『私は川姫。男どもの精気を頂きに来たのよ』
正体を見破られたふたりの姫は、怪しく高らかに嘲笑い主人の腕に絡みついた。
「ご主人に何をする気だ!」
リュウに肩を貸しながらコンコが睨みをきかせると、山姫川姫は歪んだ微笑を見せつけた。
『知られてしまえば、写真館も主人も用済みよ』
『この男から精気を頂き、新たなところへ旅立つとするわ』
リュウが刀をズルリと抜いて、コンコが祝詞を唱えると、写真館に悲痛な雄叫びが響き渡った。
「嘘だ!!」
精気を吸われる恐怖に震えながらも、主人は姫たちを守ろうとして、絡みつく腕を引き寄せた。
何を血迷っている!
リュウは呼吸を調えると刀を構え、その切っ先を主人に向けた。
「自分で言っていたじゃないか! そのふたりは間違いなく、あやかしだよ!?」
主人は、コンコの言葉を
「短い間、わずかな時間だったが、このふたりの写真に懸ける情熱は
信頼が込められた主人の視線に、山姫も川姫もつい目を背けてしまった。
「それは……精気を吸い取るためだから……」
コンコが狼狽えながら伝えた真実に、主人は苦虫を噛み潰したように唇を歪め、悔しさに両姫の肩を力強く抱いた。
刀が重々しく振り上げられると、コンコは胸に詰まる思いをギュッと握った手で抑え、張り裂けんばかりの声で祝詞を叫び上げた。
両姫は主人の手を払いのけ、残りの精気を吸取ろうと、リュウの目前へと躍り出る。
断末魔の叫びが部屋いっぱいに響き渡り、抱えられたガラス板が主人の足元に砕け散る。
真っ二つになった姫たちから紫煙がもうもうと立ち上り、床にこけしがふたつ転がった。
主人は膝をつき、こけしを拾って抱き締めた。
リュウが仕舞った刀を杖にして立ち上がると、悔しそうな丸い背中に厳しい視線を浴びせた。
「手塩にかけて育てたのだろう、惜しむ気持ちはわかる。しかし、客を危険にさらしたのだ」
「リュウ……ご主人はあやかしに騙されて、命を狙われたんだよ。もう、それだけにして……」
主人の手からこけしをそっと抜き取って、壺に納めて封じると、うつむいた顔から雫が落ちて、撮影部屋に嗚咽が響いた。
元町の神社に向かうふたりの足取りは、重たい枷を引きずるようだ。
両姫がリュウに立ち向かったのは、主人を守るためではないか。そうとしか思えてならず、自責の念がふたりにズシリとのしかかる。
コンコは抱える壺にギュッと力を込めた。
「ねぇ、リュウ……これでよかったんだよね」
その言葉には、明らかな後悔があった。横浜であやかし退治を300年続け、はじめて迷いが生じたのだ。
「俺たちは人の安寧を守る、それが務めだ」
ぺたりと潰れたコンコの耳を撫でた。それが傷を負ったリュウに出来る、精一杯の慰めだった。
「そうするしか、なかったのだ……」
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