秘跡の人①

 人ひとりがようやく入れる小さな部屋で、胸の前で手を組んだコンコが神妙な顔をしてひざまずいていた。

 頭の横にある格子窓にはカーテンが掛けられ、蝋燭に灯った淡い光が差すものの、周りの景色は何も見えない。


 コンコがぽろぽろと涙を流し、小刻みに身体を震わせた。

「僕は、許されない罪を犯してしまいました」

「あなたの罪を告白してクダサイ」

 格子窓の向こうから祈祷師エクソシストも務める神父の声が聞こえた。優しく諭すような口調である。コンコは罪の重圧に苦しみ、すすり泣いている。


「昨日、リュウが作ってくれたおいなりさんを、つまみ食いしました」

 手で顔を覆い、ぶるぶると身体を震わせた。喉に詰まった後悔で、声がつっかえ上ずっている。

「我慢できなくて、つまみ食いして、リュウよりふたつも多く食べたのに……それを今まで黙っていましたぁぁぁ! 美味しかったぁぁぁ!」

「気付いておる、泣くことではない」

 神父の更に奥から、リュウの呆れた声がした。


「悔い改めの祈りを唱えてクダサイ」と神父。

「はい……食べたらお皿は洗います」とコンコ。

「食い洗え、ではない。悔い改めだ」とリュウ。


 神父が中央の小部屋から出てきた音を合図に、両隣のコンコとリュウも外に出た。

 3人が入っていたのは、教会の祭壇脇に作られた告解室であった。

「これが告解デス。洗礼を受けてからの罪を告白しマス」

「洗礼とは、はじめに聞いたあれか」

 リュウが言うように、キリスト教について神父から教わっていたのだ。


「たとえどんな罪デモ、洗礼後の告解室であれば神のゆるしを得マス」

「それじゃあ、僕のつまみ食いも赦されたの!?」

 神が神の赦しを得て、嬉しそうにしている。何だこれは。

「おイナリさん、洗礼受けてナイ。ダメね」

「稲荷狐がキリスト教に改宗するのか?」

 コンコがカクリと首を垂れた。神が改宗など、もうわけがわからない。


 稲荷狐の神であるコンコはもちろん、リュウが入信しようというわけではない。

 改宗したら、あやかし退治が出来なくなるかも知れないから、神父も入信を勧めて来ない。

 今回の仕事の都合上、ひと通り知った方がいいと思って体験したのだ。


 年1回来ればいい告解室に、毎週やって来るシスターがいるらしい。

 シスターの目星はついていた。最近ふらりとやって来たが、誰とも言葉を交わそうとせず、目を合わそうとさえしない。

 告解室では、いくつもの大罪を犯したと言っているが、その内容までは語らない。


 自責の念に駆られていれば、話すだけでもつらいことだ。罪を心から悔やみ、向き合っているかを、告解では問うているのだろう。

「罪を告白しないと、神の赦しは得られマセン。そう言っても、どんな罪を犯したのか語らないのデス。また告解室で話したことは、神の赦しを得るので、罪に問うことが出来まセン」

 このままでは赦しは得られず、救済することが出来ない。またシスターがあやかしだとしても、告解室で語っただけなら、神父は祈祷師としての退治が出来ない立場にあって、手に負えない。

 教会、神父、祈祷師の、すべての沽券に関わる事態だそうだ。


 そこでリュウに白羽の矢が立った。

 幸いにもくだんシスターは日本語堪能。リュウを日本人神父に仕立てれば、罪を告白するかも知れない。

 人であれば神の赦しを得るし、あやかしならば偽神父のリュウが退治する、という話だ。


 騙し討ちは気が進まないが、どうしてもと頼まれたので、斬る斬らないはこちらで決める約束をして、渋々引き受けることにした。


 中央の部屋にコンコとリュウが、一方の告解室に神父が入った。やり取りの都合を考え、この間のカーテンは上げてある。


 しばらくすると、空いた告解室に人が入った。

 祈りを捧げる声を聞いた神父が、リュウと目を合わせてうなずいた。例のシスターということだ。

 リュウは神父から渡された書き付けを開き、咳払いをしてからシスターに声を掛けた。

「じ、じゃぱにーず、おけ?」


 シスターは驚いて、頭を上げた。カーテン越しに頭巾が映る。

「はい、日本語、出来ます」

「神父の都合がつかず、今日に限り私が代わって務めることとなった。不便を掛けてすまないが、宜しく頼む」

 神父らしからぬ言葉遣いに、シスターは「はぁ」と生返事である。

 リュウの侍そのままの語り口に、コンコと神父は偽神父がバレるのではとハラハラしている。


「「父と子の聖霊の御名みなによって。アーメン」」

 言葉を上手く揃えられ、リュウは安堵のため息をついた。

「して、何を悔いておられる。神の御前で話してみよ」

 膝の上にコンコがいるから、嘘ではない。


 偽神父の怪しさに躊躇いつつも、シスターが告白をはじめた。

「決して許されることのない大罪を、数え切れないほど犯して参りました」

「それは何だ、詳しく話してみよ」

 シスターが自責の念に押し潰されて頭を下げたので、カーテンから人影が消えた。


「実は私、まだ洗礼を受けていないのです」

「ならば受ければよい。それだけだ」

 書き付けに想定問答がないものの、勝手なことをと声を上げたいのを、神父は必死になって我慢して震えている。

「妻のあるお方と通じてしまいました」

「不義はならぬ、悔い改めよ」

 相談もなしにズケズケ答えるリュウに苛立った神父は、シスターがいる方の小窓を閉めるようにと、手の平を横に振った。


「赦してやればいいのだろう?」とリュウ。

「簡単に言わないでクダサイ!」と神父。

「神父さんにお伺いを立てよう」とコンコ。


 再び小窓を開けるとシスターは身体を起こして胸に手を当て、震える声で最大の罪を告白した。

「人をあやめました……数え切れないほどの人を」

 シスターが頭巾を脱ぐと、無数の蛇が蠢く頭がカーテンに映しだされた。

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