嘲笑

 一七九①⑨129東南西北發 ドラ 白

 辺張がひとつに嵌張ひとつ。役牌もなければドラもない。苦しい配牌だ。

 ――いや、逆だ。好配牌である。重なりはまだできていないが、実質的には白と中の国士一向聴ではないか。

 この劣勢のなかで、突然この配牌――やはり彼女は普通の打ち手とは持って生まれた運の量が違うらしい。

 早速、第一ツモで九が重なった。これで紛うことなき一向聴。七か2を切って――

「失礼――」

 麗奈さんは牌を捨てずに、ぱたりと手牌を倒した。一瞬、なにをしているのか理解ができなかった。が、彼女の次の言葉を耳にしてようやく事態を呑み込むことができた。

「流局ですわ。親は流れませんので、ご安心ください」

 直後に私が抱いた疑問は、すぐに雅さんが口にした。

「その手を流すとはね。一向聴みたいなものじゃないか」

「ふふ……経験によってつちかわれた勘とでも言いましょうか。この手はアガれません」

「確証が?」

「勘と言いましたでしょう。白か中か、どちらかはわかりませんが、既に山にはいないと思いまして」

 麗奈さんは惜しげもなくその手牌を崩し、卓の中央に流し入れた。

 ――麗奈さんの左手側に座っている私からは、上家の手牌も見えている。彼女の手牌にあった三枚の中を見て、私は小さく息をついた。


 やはりさっきの国士は劣勢のなか突然投げ込まれた罠だったと言わんばかりに、次の配牌はその様相をていしていた。

 一三六九②⑧⑨14東南南白 ドラ ④

 辺張がひとつに嵌張ひとつ。役牌もなければ――云々うんぬんというのはさっきと同じだが、今回は九種九牌という選択ができない以上、先ほどよりも悪いと言える。

 第一ツモは⑨だった。無理を承知にチャンタにでも纏めていくほかないだろう。

 しかし、麗奈さんの第一打は私の考えを否定する1であった。確かに牌効率に則って考えれば、14とあるときの1はもっとも不要な牌ではあるが……

 次のツモが九、次が2、そして白、4と続けて引く。

 六九九⑧⑨⑨244南南白白

 七対子――確かにその手があった。どんなにバラバラな配牌でも、理論上は六巡でテンパイができる。

 しかし、私は麗奈さんがなぜ六や2といった中張牌を残したのかが気になった。

 どんな牌を残すかは人によって異なると思うが、私は七対子の決め打ちをするときはだいたい字牌や端牌を残す。同じ意見の打ち手もいるハズだ。

 しかしこの残し方はデメリットがある。真ん中寄りの牌を乱打するために河が目立ったものになってしまうのだ。麗奈さんはそれを嫌がってこのような残し方をしたのだろうか。確かに彼女のいまの河は七対子とは見抜かれにくいものに仕上がっているが……

 次巡、麗奈さんは2を引いてきた。迷わず打⑧としてテンパイ六待ちに。

 私が打っていたら、二向聴のままだ。彼女の選択が正しかったということになる。しかしその選択の根拠なるものはどこにあったのだろうか――

「ツカないときは逆をいけ――と言いますでしょう?」

 麗奈さんが私を横目で見ながら言った。また雰囲気を感じ取らせてしまったらしい。迷惑ついでに、私は訊いた。

「確かにそういった言葉は私も聞いたことがありますけど……本当にその言葉にのみ従った選択なんですか?」

「麻雀とは本当に不可思議なものではありませんか。セオリーに則って打った結果、アガリを逃してしまうなど日常茶飯事です」

「……」

「確率が意味をさないこともある。そういった場合、頼りになるのは己の感性のみ――」

 次巡のツモ、麗奈さんは引いてきた六を手牌の右端にそっと置いてから言葉の続きを言った。

「――この感性がどれだけひいでているか。それが麻雀における強者の目安ではないかと、わたくしは考えていますわ」

 劣勢のなか、感性を頼りに七対子を見事アガリ抜いた。

 麗奈さんの反撃が始まる。私はそう思っていた。


 四五五六③④⑤345北北北 ドラ 5

 親番を迎えた麗奈さんに久々の好配牌がきた。三六、四七とどこが埋まっても良形が残る。それに入り方次第では三色もついてくれる。

 ――いや、というかテンパイしている。待ちが微妙すぎて気付くのが遅れたが、中膨れの五単騎ではないか。もしも引ければ天和テンホウだ。

 しかし、いかんせん待ちが――

「ツモ」

 ――そこに五はいた。数時間前に地和のチャンスを逃した私とは異なり、彼女はあっさりとアガリ牌を引いて見せた。

 天和の成立を目の前で見ることができるなんて、思ってもいなかった。すごいものを見れたな――と私がひそかに感嘆していると、雅さんと麗奈さんがこんな会話をし始めた。

「天和か……やっぱり、キミは厄介な相手だよ。これで何度目になるのかな?」

「いちいち覚えていませんわ。四槓子スーカンツだけは珍しいのでよく覚えていますが」

「四槓子は何回?」

「まだ八回しか」

「……十分だよ」

 苦笑する雅さん。かたわら、私も顔を引きつらせていた。この人の強運はどこまで常人離れしているのだろう……

 なにはともあれ、この天和によって雅さんの持ち点は1100点にまで削られた。

 決定打だ。――しかし、雅さんの余裕に満ちた涼しい表情が、その考えに確信を持たせなかった。


 一本場なので、例え1翻でも麗奈さんがツモれば終了となる。

 三三四五④④⑥⑦⑧224發 ドラ 3

 天和が牌勢を完全にひっくり返したのか、配牌までもが彼女の勝利を後押ししているような気がした。第一打ツモは五、發切りから始める。

「ポン」

 雅さんの発声だ。麗奈さんが小さく笑う。

「往生際が悪いですわよ。あなたは残り1100点、わたくしの勝ちは揺るぎませんわ」

「麻雀は点数がなくなってからが本番だ。昔、蓮華がよくそう言っていたじゃないか」

「彼女の言葉を引き合いに出されてもね……」

「ふふ……それもそうか」

 会話に区切りがつき、再び二人の意識が卓上に向けられる。

 雅さんには気の毒だが、確かにこの状況では麗奈さんの勝利が濃厚と言えるだろう。受け入れの数は少ないと言えど、一巡目にして既に一向聴なのだ。勿論、鳴いてタンヤオのみでも構わない。ツモればゲームセットである。

 二巡目のツモ――六。五を切り、さらに手広く構える。さらに次巡に二を引き、萬子が三面張となった。

 三巡、四巡とツモ切りが続いたものの、次に5を引いてネックであったドラ嵌張が両面に変わる。愚形が良形へと変化し、いつテンパイしてもおかしくない一向聴だ。

 ――しかし、ここからぴたりと進まなくなった。ストレートに有効牌を引けないばかりか、上家から鳴ける牌も出てこないのだ。

 彼女は麗奈さん側の人間――当然絞っているというワケではないだろう。不思議に思って彼女の手を見てみると、その謎はすぐに氷解した。彼女もまた、麗奈さんが鳴ける牌を持ってこれないのだ。厳密に言えば一は切っているが、その牌だけはタンヤオが消えて役がなくなってしまうので唯一鳴けない牌なのである。

 結局、そのまま流局となった。雅さんの一人テンパイ。

 四四四七七34666 發(發)發

 雅さんはこの局、順調に手出しを続けていた。

 一巡目の發ポンで麗奈さんとツモを交換し、有効牌を喰い取った――まさかね。


 一人テンパイではあったがあくまでもアガリ親なので、麗奈さんの親番で続行だ。

 今回も配牌は悪くなかった。――が、今回も配牌だけであった。

 そして八巡目、麗奈さんが引いてきた一枚切れの北をツモ切りしたとき、雅さんから「ロン」という声がかかった。

 12367888北北 發(發)發

 ドラはなく、3900は5900点。――まだ点差には余裕がある。


 次局、雅さんが三巡目にリーチをかけて二巡後にツモあがった。

 456678①②③④⑤22 ツモ ③

 ドラは2。裏ドラは乗らなかったが、4000オールだ。

 ――どうにも雲行きが怪しい。この局の麗奈さんの配牌も決して悪くはなかった。入り方次第では雅さんよりも早くテンパイできた可能性だってあった。

 しかし、先にアガられた。

 私はちらっと、麗奈さんの横顔を見てみる。彼女は微笑を浮かべている。

 その笑みは、必死に焦燥を隠そうとしているようにも見えた。


 次局は高速テンパイ即ツモアガリというような状況は発生しなかった。

 しかし、アガったのは雅さんであった。こんな手を、麗奈さんから直撃したのだ。

 ③④⑤89白白 發(發)發 中(中)中 ロン 7

 ドラはないが、小三元で満貫だ。私はなにより、和了二巡前に彼女が切った9に納得がいかなかった。9ではなく8を切れば、9と白のシャボ待ちになる。白なら大三元となるし、仮に白でなくとも9は悪い待ちではない気がする。

 ちなみに、そのときの麗奈さんの手牌はこのような形だった。

 ⑦⑧⑨77白白 (③)①② (④)⑤⑥

 ここに、6ツモである。判断材料としては、7は既に二枚切れていた。そしてそのうちの一枚は、麗奈さんの下家――つまり、雅さんがチーできるハズの捨て牌に並んでいたのだ。

 下家が7を切ったのは、和了が発生する三巡前。そのときの雅さんの手牌がどうなっていたのかはわからないが、もしもあえて鳴かなかったと仮定して考えるなら、麗奈さんから7を引き出すために仕掛けた罠だったのだろう。

 それが例え意図されなかった偶然の出来事だったとしても、麗奈さんが放銃したという事実は確かなことだ。

 麗奈さんの持ち点は6800点。これでお互いに、一撃で決まる点数となった。

「――流石ですわね」

 麗奈さんがぼそりと呟いた。それから、こう続ける。

「どんな状況にあっても常に冷静に、最善の選択をし続ける。紆余曲折を経ても、最後に勝つのはいつもあなたでしたわね」

「まだ勝負は終わっていない。おべんちゃらを言ったって容赦はしないよ」

「ふふ……おべんちゃらだなんてとんでもない。あなたの強さには本心から、憧れと敬意を抱いていますから」

「そう言ってくれるなら、素直に感謝しておこうかな。でももう一度言うが、ボクは決して手を抜いたりは――」

「勘違いしていらっしゃるようで。あなたの強さは認めますが、この勝負に勝つのはわたくしです。それだけは譲れません」

「――楽しみだよ。さぁ、決めてしまおうか。勝者を」

「……ええ」

 二人は不敵な笑みを交わし合った。

 牌山が上げられ、おそらく最後になるであろう局が始められた。


 一一二四五七①②③89西發 ドラ ⑤

 麗奈さんの平均的な配牌から考えてみれば、よくはない。しかし、面子候補が確保できている上、萬子が上手く横に広がれば愚形の索子を払うこともできる。翻数は関係なしにアガれば勝利というこの状況では、上々と言えるだろう。

 第一ツモは④。いちおう役牌の重なりを期待するという道もあるが、麗奈さんは迷わず西から切り出していった。

 先制でテンパイを入れるだけでも値千金ではあるが、理想はやはり役アリテンパイだ。相手のレベルを考えたとき、リーチよりも相手に追いつかれた際に自由が利くダマテンに受けられるほうがやはりメリットが大きい。

 しかし、麻雀の神様は運命を決する最終戦を簡単に終わらせるつもりはないようだ。麗奈さんに選択を迫るようなツモを幾度となく寄越し続けた。

 七巡目のツモのとき、麗奈さんの手がしばし止まった。

 一一二四五六七①②③④發發 ツモ ⑤

 發のポンテンに構えるなら四七のどちらか。または、役牌にこだわらず平和を狙うなら發落としという選択だ。

 發はまだ一枚も場に出ていない。雅さんと持ち持ちで、落とせば彼女に鳴かれてしまうという可能性だって十分に考えられる。

 ――しかし、私には答えがわかっていた。上家が發を対子で持っているのだ。

 普通に打つという体で卓に着いてはいるが、二人の勝負を左右することになる役牌はまず切ってこない。となれば、前者の選択をしてしまった場合、麗奈さんのアガリ目は限りなく薄くなってしまう。

 小考の末、麗奈さんが選んだのは第三の選択肢である一であった。――説明できないこともない。まず一番の理由としては、雅さんが發を欲しがっていると仮定した場合にそれを鳴かせてしまうのはいくらなんでも痛すぎるということだ。

 そして、リーチが必要にはなってしまうものの、筒子の受け入れは両面。萬子も現状は嵌張だが、この形ならいくらでも良形に変化する可能性がある。

 また、雅さんが持っているという読みが外れて發を引くなり鳴くなりで刻子にすることができた場合も、最終的にはノベタンの形で待つことができる。おそらく、以上を踏んでの選択なのだろう。

 ――その選択から二巡、ツモ切りが続いた。ちなみに、雅さんにもまだ動きはない。鳴きは入れていないし、当然リーチもかけていない。

 そして次巡、麗奈さんは③をツモった。またも選択のときである。このまま嵌三で曲げてしまうか、良形に変化するのを待つか。

 一瞬の硬直こそあったものの、麗奈さんは小考とすら呼べぬ速度で選択を下した。――リーチせずであった。

 当然と言えば当然か。役ナシとはいえ自分で三をツモればそれで終了ではあるし、三面張になり得る八引きだってあるのだから。

 下家が北をツモ切り、雅さんのツモ番。彼女は引いてきた牌を手牌の横にそっと置き、手の内から抜いた⑤を横向きに置いてこう宣言した。

「リーチ」

 麗奈さんがわずかに顔を上げ、雅さんを見据えた。――雅さんは相変わらず意図を読み取らせない微笑を浮かべている。

 上家が手の内から暗刻の東を切り、麗奈さんのツモ番となった。

 三を引ければ勝利。引けねば相手の先制リーチに苦しむ展開となってしまうのは明白だ。

 傍から見ている私でもわかるぐらい、麗奈さんはぐっと力を込めてツモ牌を持ってきた。

 その牌は、一であった。――結果論にはなってしまう。だが、發のポンテンに構えて打っていたら、この一でツモアガリとなっていた。

 麗奈さんは無表情のまま、しばらく手を止めていた。動揺しているのではない。おそらく悩んでいるのだろう。こちらもリーチをかけてめくり合いに持ち込むべきかどうかということを。

 ――しかし、麗奈さんはなにも言わずに一を切った。やはり嵌三では勝ち目が薄いと判断したらしい。

 下家が手の内からリーチの現物である9を切り、そして雅さんのツモ番――アガリではなく、その牌は河に打ち出された。

 嘲笑するように、麗奈さんは笑みをこぼした。

 その牌は三だった。

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