七倍満貫
「六条雅――さん?」
「気軽に名前で呼んでほしいな。
「あ、えーと……雅さん、あなたが美琴さんたち四人組の最後の一人なんですか……?」
「美琴――懐かしい名前だね。蓮華も元気でやっているのかな?」
間違いないようだ。どうやら彼女が、突如消えてしまったという四人目らしい。聞きたい話は多々あるが、まずは質問に答えることにした。
「ハナさんにはこの世界に入って以降、よく面倒を見てもらってます」
「そうなんだ。よかった、元気でやってるなら安心だ」
それから、私は早速質問を始めた。
「――雅さんのことは、弥生さんから聞いています。二年前に消息不明となって以降、誰もあなたの姿を見なかったと」
「いろいろあって、この町にいられなくなったからね。遠い町に引っ越したんだ。海が綺麗ないい場所だよ」
「連絡を断っていたのには、なにか理由が?」
「別に。ただ、ちょっと疲れてしまっていたんだ」
「?」
「勝っても勝っても終わりが見えない――決して終わることのない苦痛。勝ち続けるというのはみんなが思っているよりもずっと苦しいことなんだ」
私は理解しかねて、眉をひそめた。「どういうことです……?」
「説明するのは難しい――いや、できないかな。これはきっと、同じ境遇の人間にしかわからない気持ちだから」
「……」
私は質問を変えた。
「どうして旧友の雀荘を奪おうとしている組織に加担するようなマネを?」
「遠路はるばるボクの町にまで訪ねてきたものだから、断るに断れなくてね。それに、地下組織にはちょっとした借りもあったから」
雅さんはそういってから、「ちなみに――」と続けた。
「麗奈とは、旧友なんていう好ましい関係ではないよ。ボクたち四人は奪い奪われてきた関係だ。だから今回の件も別に不思議な話じゃない。――そうだろう? 麗奈」
雅さんは私に向けていた視線を流し、麗奈さんに結び付けた。それを受け、麗奈さんは妖しく笑ってみせる。
「勿論。お互いに失うものがあってこそのギャンブル――わたくしはむしろ感謝していますよ。このような麻雀を打てるのは久々ですから」
お互いに――? 麗奈さんがこの勝負に蘭遊荘を賭けているということは知っている。では、雅さんはなにを賭けているのだろう。
訊く前に、私の表情を見て察した雅さんが答えてくれた。
「ボクは“コレ”を賭けているんだ。片方だけだけどね」
雅さんは人差し指で、自分の右目を指し示した。私は言葉を失い、雅さんの顔を唖然と見つめるだけ。
すると、麗奈さんが狂気の取り決めに至るまでの経緯を説明してくれた。
「本来ならわたくしが勝った場合、地下組織からそれなりの額が支払われることになっていたのですが、雅さん本人がそれを拒否したそうです。それでは対等な勝負はできないと言ってね」
「ほ、本人が……? じゃあ、自分から目を賭けたということですか……?」
震える声で訊いた私に、雅さんが至極落ち着いた様子で微笑を浮かべたまま答えてくれた。
「ボクにはカネがないからね。だけど、負けた人間がなにも失わないというのはおかしいじゃないか。だから片目でどうにか勘弁してもらったんだ」
「勘弁してもらった――その言い方では、まるでわたくしがゴネたように聞こえてしまいますわ」
「ふふ……すまない、言葉を間違えてしまったよ。麗奈は代償を強要するようなことはしない善良な人間だものね」
「嫌味な言い方――昔からちっとも変わっていませんわね」
「そう簡単には変わらないさ。人間という生き物はね」
――会話はしながらも、二人は進行中の麻雀は止めずに打ち続けている。
会話に一区切りがついたところで、麗奈さんにテンパイが入った。
三三666999①②②東東 ツモ ②
ドラは9。巡目は既に十五巡目と深いが、おそろしい値段の手牌だ。高目の東なら出アガリ倍満、安目でもリーチをかければ同じ値段だ。
そしてなにより、ツモれば四暗刻――役満だ。それが決まれば決定打になるだろう。
私は点棒状況を確認しようと、点数表記のパネルを見た。そして、目を疑った。
「は、87600……?」
表示されていた麗奈さんの持ち点を、私は怪訝に思いながら呟いた。圧倒的な一人勝ち――と思いきや、対面の雅さんの点数も72000という普段の麻雀では滅多に見れない数字になっている。そして脇の二人は、ゼロ点になっていた。
「わたくしの提案でしてね。特殊なルールでやっているのですよ」
麗奈さんが言った。私はすぐさま「特殊ルール?」とオウム返しに訊く。
「お互いに持ち点十万点でスタートし、さきにゼロになったほうが負けというルールです。点数は減るだけで、アガっても増えることはありません。場は東場で固定、親はアガリ親で、本場はひとつにつき1000点上乗せとなっていますわ」
――なるほど、確かにかなり特殊なルールだ。相手の点棒を減らすということが最大の目的となる、一対一という点に重きを置いた麻雀なのだろう。
「ゼロ点になっている二人は?」
私は思い浮かんだ疑問点を訊いた。
「彼女たちもアガリに向かって普通に打ちます。勿論、ツモれば我々の点棒も減りますし、出アガリも当然同じです」
「普通に打つ――ですか」
その言葉に疑心を抱くのは当然だろう。なにせ、参加している二人は麗奈さん側の人間なのだから。
しかし、私のその疑心を否定したのは、意外なことに雅さんであった。
「渚くんが麗奈を怪しむのは不思議なことじゃないけど、大丈夫だよ。彼女は昔から、勝負事にはまっすぐな人間でね。間違っても小賢しいマネはしないんだ」
「……」
彼女がそう言うなら、第三者の私が騒ぎ立てることもないだろう。
麗奈さんが「納得していただけたようですわね」と言い、意識を麻雀のほうへと戻した。そしてリーチをかける。
ツモり四暗刻は、相手をオロして確実に役満として仕上げるためにリーチをかけたほうがよい――という話をどこかで聞いたことがある。
しかしこの麻雀において、その選択は有効ではないのではないかと思った。ツモよりも直撃のほうが圧倒的に点差は縮まるからだ。ならばダマに構えて対戦相手である雅さんから当たり牌がこぼれるのを待ったほうがいいのでは――
などと私が考えているうちに、麗奈さんの一発目のツモ番となった。
「ツモ」
引いてきたのは東であった。流麗な手つきで倒牌し、裏ドラを捲りにいく。
役満なのだから、裏ドラは必要ないのでは――と私が思っていると、すぐに麗奈さんが説明してくれた。
「蘭遊荘では点数の打ち切りがないものでね。役満は13翻として計算し、合計の翻数が一定まで達するごとに点数は上がっていくのです」
聞いたことがあった。役満の複合という例外を除いて、四倍満貫――つまり子なら32000、親なら48000が現代の麻雀では最高点数となっているが、その上の五倍満貫や六倍満貫もいちおう存在はするらしいのだ。採用されることは滅多にないルールなので、馴染みがあるという打ち手は少ないだろう。
何翻からが五倍満貫になるのかというのも決めによって変わる。16翻という決めもあれば、17翻という決めもある。
しかし、麗奈さんの手はそれを優に上回る翻数であった。裏ドラも当然のようにみっつ乗り、リーチ一発ツモ四暗刻ダブ東ドラ6、合計で24翻――
「蘭遊荘では13翻以降3翻ごとに点数が上がるので、これは七倍満貫――28000オールですわ」
――ルールを決めるのは誰にでもできる。しかし、それを実際に完成させるのは限りなく不可能に近い難易度だ。24翻だって? こちとら数時間前に6翻を作るのですら四苦八苦していたというのに……
「流石は麗奈だ。キミの大胆不敵なアガリには、昔もよく苦しめられたっけな」
「こんなものは序の口ですわ。――それに、あなた相手にこの程度の点差では到底安心などできません。運が味方してくれているうちに、決着をつけたいところです」
「ふふ……褒めてくれているのかな?」
「お好きなように解釈なさってください。――次に行きますわよ」
牌を落とし、次局に進めようとする麗奈さん。
87600対、44000点――ほとんどダブルスコアとも言えるこの点差を現状にしても、麗奈さんの表情に余裕は微塵も見えない。
そしてまた、雅さんにも表情の変化は見て取れなかった。彼女は涼しい表情のまま、点数表記のパネルに記された自分の持ち点を見つめていた。
空前絶後の高得点をものにした麗奈さんの親連荘。その配牌は以下のような形であった。
①①②②③③ ⑨78東東東發中 ドラ 東
倍満の一向聴――好配牌というレベルではない。この自動卓には細工がしてあるんじゃないか、そう思ってしまうほどである。
とにもかくにも、私ならとりあえず⑨から切るだろう。⑨は字牌と比較した際に横に伸びる可能性があるという優位性があるものの、この手にはもう面子の候補は必要ない。必要なのは雀頭のみだ。ならば他家の手を止めるという意味でも役牌を抱えるという手順が妥当なのではないか。
しかし、麗奈さんは迷うことなく、私とは違う打牌を選択した。彼女が切ったのは、7であった。
――わからないこともない。チャンタよりも混一に纏めたほうが打点は上がりやすい。だが、現状の点差で両面ターツを落としてまで
そんな私の不安を払拭するように、麗奈さんはわずか四巡で筒子の混一に纏めてみせた。⑨、發と引き、この形。
①①②②③③ ⑨⑨東東東發發
ダマで安目でも出アガリ三倍満。高目ツモなら数え役満となる。
二局連続で信じられない手牌を前にしているワケだが、麗奈さんは至って冷静だ。彼女にとっては、驚くに値しないとでも言うのであろうか……?
次巡、麗奈さんは③をツモり、小考に入った。
テンパイを崩す必要はないので、この小考の意味はおそらくリーチをかけるかどうかの選択だろう。雅さんから出れば最高ではあるが、警戒して出してこないと踏んだ場合は安目ツモでも数え役満に届くリーチという選択が生きてくる。
――しかし、麗奈さんという打ち手にとって、私の考えは見当違いも
出アガリ三倍満のテンパイを外すこの選択――まさか、前局に引き続きまたツモり四暗刻を作りにいこうとしているのだろうか……? いくらなんでもやりすぎでは……
そんな私の怪訝な思いが雰囲気に出てしまっていたのか、麗奈さんがくすりと笑った。
「持ち持ちでは、アガリ目は薄くなってしまいますからね」
「持ち持ち……?」
「ふふ……それに、ほら。この手変わりだってありますわ」
そういって、麗奈さんはツモってきた牌を私に見せてくれた。――②であった。
①①②②②③③③ ⑨⑨東東東發
麗奈さんは發を切り、当然のようにリーチをかける。おそらく彼女のなかに、リーチをかけなくても何点あるからダマ――という考えは存在しないのだろう。
待ちは①、⑨と、四暗刻は崩れてしまうが、いちおう④もある。値段は――考えるのもおそろしい。安目だろうと倍満は約束されている。
「――仕方ない。一発でツモられては堪ったものじゃないからね。ポンするとしよう」
雅さんがそういって、麗奈さんの發をポンした。さっき麗奈さんが言っていた“持ち持ち”とはこういう意味だったのか、しかしなぜ、雅さんが發を持っているとわかったのだろう。
「簡単なことですわ。二巡目の彼女の切り方を見ていればわかることです」
私が口にするよりも早く、麗奈さんが説明をしてくれた。
「そのときの打牌は手牌の右端から三番目の白でしたわ。綺麗に理牌をして打っていた場合、残る右端の二牌は字牌ということになりますでしょう。西、北は既に二枚以上出ているし、白と中は彼女自身が河に並べています。残ったふたつは南と發――役牌ということを考えれば、後者のほうが対子にして持っている価値はある。――と、こんなところですわ」
「そこまで見て麻雀を打っているんですね……」
「ふふ……こんな七面倒臭い観察、毎回やっていては疲れてしまいますわ。ただ、今回はわたくしの手牌がこのような形であった以上、必要なことだったのですよ」
麗奈さんはそういってから、少しだけ声のトーンを落としてこう続けた。
「――その面倒な観察を、毎局すべての打牌に対して行っている“バケモノ”のような打ち手も、この世の中にはいらっしゃいますが」
「そ、そんな人が……?」
麗奈さんからの返答はなかった。その代わりに、彼女の口からは「ツモ」の声が発せられた。
また役満をアガったのか――そう思いながら彼女の手牌に視線を移す。
しかし、ツモ牌は唯一四暗刻を成し得ない④であった。裏ドラは⑨が乗って数え役満にはなったものの、いちおう安目ツモということにはなる。
「16000オール」と申告した麗奈さんの声は、どこか意気消沈しているようにも聞こえた。――冷静に考えれば数え役満をアガったのだから、それはおかしいということになりそうだが。前局の七倍満のあとではどうしても感覚が麻痺してしまう。
なにはともあれ、これで点差はさらに開いた。
――しかし相変わらず、両者の表情に変化は見えなかった。
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