旧友
「――乗っちまったか。それならしゃあねぇ、オレたちの負けだな」
亜希は溜め息混じりにそう言うと、おもむろに立ち上がった。
「帰ろうぜ、小依。あとは他の連中に任せよう」
「うん。でも、悔しいね。いままでの敗北のなかで、一番悔しい」
「……ああ、そうだな」
二人はそのまま店の出口へと歩いていった。――私は思わず呼び止める。
「ね、ねぇ……!」
二人は足を止めてくれた。私は浮かんだ言葉をそのまま伝えた。
「……今度は組織とかそういう事情は抜きにして、純粋に麻雀だけで勝負をしてよ。いつになっても構わない。その……待ってるから」
小依が振り返り、不思議そうな顔で私を見てきた。それから、表情を綻ばせて言う。
「今度はカネを乗っけて、私たちからむしろうって魂胆?」
「そ、そんなんじゃない……ただ、もう一回あなたたちと打ちたいって、ホントにそう思っただけで……」
「ふふ……変なの。奪うか奪われるかの世界で、ただ打ちたいだけだなんて」
「……ダメなら、無理にとは言わないけど」
「そんなことない。不思議なことに、私もあなたと同じ気持ちだから」
「じゃあ――」
「でも残念ながら、次はないかもしれない。失敗をした私たちには“罰”が与えられる。もしかしたら、二度と牌を握れない体になるかもしれない」
「え……?」
私は耳を疑った。二度と牌を握れない体……? まさか、指を斬り落としでもするというのだろうか?
詳細は怖くて訊けなかった。私たちの逆転勝利により、二人はどんな目に遭ってしまうというのか……
どう声をかけたらいいのかがわからなくなり、私が押し黙っていると、亜希が背を向けたまま口を開いた。
「どんな罰だろうが関係ねぇよ。例え指を全部失うことになろうが、義指をつけりゃ麻雀は打てる。目を潰されたら、盲牌で打ちゃいいだけだ」
「でも、その……」
「勝った人間がくよくよすんじゃねぇ。勝ったら堂々と胸を張りやがれ。てめぇが気ぃ弱くしていいのは、次にオレたちとやって無様に負けたときだ。それまではせいぜい運よくオレたちに勝ったことを誇っていやがれ」
亜希はその言葉を最後に、店を出ていった。それを追いかけるように小依も私に向かって片手をひらひらとして見せてから、やよいをあとにした。
「大したものだわ。一回戦目の状況を見たときは、もうダメかと思ったけどね」
対局者たちに考慮してか、全員分のお茶を配って以降ずっとカウンターのもとにいた弥生さんがやってきた。
「いまだから言うけど、正直私もダメだと思ってはいたわ。あの二人、想定以上にいい麻雀打ちだったから」
「あなたがそういうんじゃ、余程の実力者だったんでしょうね。そんな子たちがウチの命運を握る戦いを挑みに来ていたなんて、空恐ろしい話だわ」
「そういう割には全然焦っているようには見えなかったけど」
「まぁ、負けたら負けたでスナックの店主にでも転職するつもりだったからね。借りれる店舗はもう既に調べてあったし」
「……あっそ」
美琴さんは鼻で笑い、立ち上がって椅子の背にかけておいたコートを羽織った。
「もう行くの? お茶でも飲んでいけば?」
「結構よ。午前中に起きたのなんて半年ぶりだから、眠くて仕方ないのよ。ホテルに戻って寝直すことにするわ」
「ふふ……そういうことなら止めはしないわ。またね」
「今度は少しは遠慮して頂戴ね。――それじゃ」
美琴さんは最後に私にも目配せをして微笑んでくれてから、やよいを出ていった。
「シロちゃんもご苦労様。この店を助けてくれたこと、改めて感謝させてもらうわ」
「いま思い返してみても、やっぱりギリギリでしたけどね……」
「ギリギリだろうがなんだろうが、勝ちは勝ちよ。最後の跳満、あれは見てた私も痺れたわよ?」
弥生さんはそう言ってくすくすと笑い、私たちが使った卓の掃除を始めた。私は慌てて駆けつける。
「卓掃くらい、私がやりますよ」
「ダメ。これは私の仕事よ。あなたはいまの対局の余韻に浸りながらご飯でも食べてくるといいわ」
「はぁ……」
「それから、今日はウチの仕事はお休みでいいわよ。たまには羽根を伸ばしてもらわないとね」
「え? そんな――」
「大丈夫よ。どうせ来るのは遠藤さん江上さん辺りだし、もう一人別の誰かが来るだろうから三麻でもやらせておくわよ」
――気を遣って提案をしてくれているときの弥生さんは、なんというか、とことん優しい。絶対に相手に遠慮というものをさせない。
私は「それじゃあ……」と切り出し、彼女の厚意を素直に受けることにした。
「お言葉に甘えさせていただきます。出かけてきますね」
「ええ、そうして頂戴」
弥生さんに見送られるなか、私は店をあとにした。
――こうして外に出てきたワケだが、行きたい場所などは特にないのだ。朝食を抜いてはいるが、不思議と空腹も感じられない。私は当てもなく裏魅神楽を歩き回っていた。
亜希と小依という好敵手との白熱した麻雀を打ったあとなので、どこかのフリーで打とうという気にもなれない。
と、そんなことを考えていたとき、不意に二人の行方が気になった。地下街とは、いったいどこにあるのだろうか。
蛇の道は蛇。やはりこの手の話は、そういう道の人間に訊くのが手っ取り早いだろう。私が思い付いた場所は、裏魅神楽に数ある雀荘のなかでも特にいかがわしい場所である紅龍であった。
店の前に到着し、階段を下りていって木の扉を押し開けようとする。――しかし、鍵がかかっているのか扉は開かなかった。
扉をノックしてみても反応はない。休業日なのだろうか。
しばらく待ってみたがやはり誰も出てこないので、私は諦めて路地へと戻っていく。
階段を上り終えたところで、たまたま通りがかった人と目が合った。紅龍で二度会い、内一回は卓上でカネのやり取りをした相手でもある熊谷さんであった。
「こんにちは。ここ、今日はお休みなんですね」
「件の連中のせいだよ。いま、蘭遊荘に連中が来てるらしくてな。鈴木の親父も立ち合い人として呼ばれたから、紅龍は休みなんだとよ」
「ら、蘭遊荘に……? それじゃ、いま麗奈さんと地下組織が、経営権を賭けて麻雀を?」
「そうだろうよ。お嬢ちゃん、まさか行くつもりか? だとしたら諦めな。あそこは一見さんお断りの店だからな」
「えーと……私、いちおう麗奈さんとはお会いしたことがありまして」
熊谷さんは意外そうな顔をして「へぇ、そうかい」と言った。
「あのハナって麻雀打ちと連れ打ちするくらいだから、只者じゃねぇとは思っていたが、竜崎さんとも知り合いだったとはな。まぁ、そういうことなら止めはしねぇ。地下組織ってぇのは一筋縄じゃいかない連中らしいから、せいぜい気をつけるこった」
「ありがとうございます。では、失礼しますね」
私は軽く会釈をして見せてから、早歩きで蘭遊荘へと向かった。
熊谷さんの話を聞いて蘭遊荘に行こうと思い立った理由はふたつある。ひとつは、まだ見ぬ麗奈さんの麻雀がどんなものなのかを見てみたいから。そしてもうひとつは、地下組織の新たな刺客がどんな人間なのかを知りたいからである。
どちらも好奇心から生まれた理由――経営権を賭けて戦っている当の本人である麗奈さんからしてみれば悠長な身分だと嫌味に思われてしまいそうだが、それを踏まえた上でも見に行きたかった。
蘭遊荘に到着し、大きな玄関扉を押し開ける。初見で呆気に取られた豪華絢爛なロビーに足を踏み入れたところで、見知らぬ女性が私を迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、白石様」
私は驚いた。初対面であるハズなのに、名前を呼ばれたからだ。
――いや、正確に言えば、見知らぬ女性ではないかもしれない。彼女は以前会った女性にとてもよく似ていた。
他人の空似というヤツかもしれないのでひとまずは触れず、私は自然なやり取りを始めた。
「あの……どうして私の名前を?」
「オーナーである竜崎から訊いております。白石様がお見えになったら、招待客と同じく
「はぁ……」
状況が呑み込めずに困惑している私に、その女性ははっとした様子で私に言った。
「失礼いたしました。私はここ蘭遊荘でチーフマネージャーを務めさせていただいている
「よ、よろしくお願いします……」
久遠――そんな苗字の女性はやはり知らない。しかし、どうにも気になって仕方がない。会って間もないが、私は堪らず彼女に訊いた。
「あの……ぶしつけな質問をしてしまって申し訳ないんですけど、私、あなたにそっくりな“瑞希”という名前の女性と会ったことがあって。なにかご関係が?」
「瑞希――ああ、彼女なら、私の双子の姉です」
「そうだったんですか……その、そっくりだなって思って……」
「もしかして、姉がなにか粗相を働きましたか? もしもそのような失礼がおありでしたら、
「い、いえ! そんな、粗相だなんて……」
あれは粗相とは呼ばない――だろう。多分。
「それならよかったです。ところで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あ、えーと……麗奈さんはいらっしゃいますか?」
「竜崎はいま来客に応対しています。カフェのほうへとご案内致しますので、そちらでしばらくお待ちいただけますか?」
来客というのはおそらく地下組織の刺客のことだろう。私ははぐらかすのはやめ、直球的な質問をした。
「……地下組織の打ち手と麻雀をやっているんですよね? 私、麗奈さんの麻雀を見にきたんです」
彩芽さんは足を止め、私を見つめてきた。――その目は訝しんでるようにも見えた。
やがて、唇の端を微かに歪めたかと思うと、彼女は改まった様子でこう言った。
「ご案内致します。白石様」
彩芽さんが案内してくれたのは、以前ここに来たときにその存在を麗奈さんから教えてもらった、人生を賭けるという例の卓が置いてある二階の部屋。
なお、道中通りかかったカフェのなかに鈴木さんや他の雀荘の店長と思われる人物たちが見えた。勝負が終わるまで、そこで待機しているのだろう。
「麗奈様。白石様をお連れしました」
彩芽さんの声に対し、すぐに部屋のなかから「どうぞ」という麗奈さんの声が返ってきた。
彩芽さんが「失礼します」と言い、扉を開ける。すぐに、麻雀卓に着いている麗奈さんの後ろ姿が見えた。
彼女の上家と下家にはそれぞれ彩芽さんと同じ黒ベストを着用した女性が座っている。おそらく、蘭遊荘の人間だろう。
しかし、麗奈さんの対面に座っている人物は違った。
肩につくかつかないかというぐらいの長さである綺麗な銀髪。そしてなにより、私はその人物の中性的な顔立ちに興味を惹かれた。美少年のようにも見えるし、また、美少女のようにも見えるのだ。
「ようこそ、渚ちゃん。せっかく来ていただいたというのに、こんな状況で申し訳ありませんね」
「いえ、私のことは気にしないでください。その……私は、麻雀を見にきたので」
言葉を選ぶべきかとは思ったが、流れでついそのまま言ってしまった。麗奈さんはくすくすと笑う。
「あら、もしかして、わたくしが敗北を喫して蘭遊荘を取られる姿を見にきたのですか?」
「なっ――ち、違います! そんなつもりじゃ……」
「ふふ……冗談ですわ。しかしそういうことでしたら、ぜひ見守っていってくださいな」
麗奈さんは私にそう言ってから、彩芽さんに向かって「椅子の用意を」と指示をした。彩芽さんは返事とともにすぐに動き、部屋の隅に置いてあった椅子を麗奈さんの後ろ隣に移動させた。
「どうぞ、白石様。いま、お茶をお持ちしますので」
「あ、ありがとうございます……」
私は麗奈さんたちによる厚遇に心底恐縮しながら、用意してくれたその椅子に浅く腰かけた。
「――さて、止めてしまってすみませんね。続けましょうか」
麗奈さんが対面の銀髪に向かって言った。それを受け、銀髪は優しげな微笑を浮かべる。
「構わないよ。そもそも突然押しかけたのはこちらだし、気にしないでくれ」
耳当たりのいい、透き通るような綺麗な声だった。声を聞いてもなお、性別はわからぬままだ。
「そうだ。渚ちゃんには紹介しておきますね」
麗奈さんが対局を続けながら話し始めた。
「対面の彼女は
「……え?」
六条雅――? 私は耳を疑った。その名前は、どこかで――
「キミが白石渚くんだね。ボクは六条雅。よろしくね」
雅さんはにっこりと笑いながら、私に向かってそう言った。
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