懇願

「おい、なにやってんだ。さっさと切れよ」

 亜希の声で、私は我に返った。

「――わかってる。ごめん、ちょっと考えさせてよ」

 素直にそう言った。すると亜希はそれ以上の煽りはせずに、口を閉ざして自分の手牌に視線を落とした。案外、根はいい奴なのかもしれない。

 ――そんな話をしている場合ではない。私はこの手をなんとか跳満ツモか満貫出アガリが利く形にしなければいけないのだ。

 まず当然ではあるが、地和が成立しなくなったこの手はそのままリーチというワケにはいかない。奇跡の一発ツモ乃至はr5をツモっての裏三に賭けるというのはいくらなんでも愚行と呼べる選択だ。

 ならばどうするか。一番最初に浮かんだのは、ドラ含みの下の三色だった。萬子はできているので、索子と筒子の各種一と二が入れば完成だ。

 しかしそれだけではまだ足りない。リーチをかけてツモったとしても、1翻足りないのだ。裏ドラに賭けるという不確定なアガリはなるべくしたくない。

 連続形で並んでいる索子を伸ばして一通を作れたとしても、やはり同じだ。發が雀頭である以上、平和がつかないのでやはり1翻足りない。

 ならば發を落とし、平和を作っての下の三色、または一通に纏めていくか。

 ――いや、難易度は高いが、完成さえしてしまえば確実な道もある。下の三色に加えて6を9に振り替えたチャンタだ。これならダマでもツモ跳、出アガリ満貫だって可能だ。

「――ごめん、お待たせ。切るね」

 ようやく道筋が決まった私は、以上の選択肢すべてにおいて不要である③暗刻から切り出した。③は一枚あればいいだけだ。

「渚――だっけ。あなたはいつから麻雀を?」

 第一ツモに手を伸ばしながら、不意に小依がそう訊いてきた。どんな他意があるのかはわからないが、私は素直に答えた。

「――中学のとき。父親の麻雀牌が家に置いてあって、前々からなんとなく興味はあったんだけど、触り始めたのはその頃だった」

「そうなんだ」

 それだけで、小依は話を終えた。私は思わず催促をする。

「……どうしてそんなことを?」

「別に深い意味はないよ。ただ、自分と同じくらいの歳に見える女の子がこんな場所で麻雀打ってるってのが、ちょっと気になっただけ」

「確かによくよく考えてみれば普通じゃないとは思うけど……ちなみに、あなたはいくつなの?」

「十七。亜希も同じ」

「……ホントに同い年なんだ」

 そう呟き、同時にあることが気になった。それは訊くまでもなく亜希が答えてくれた。

「だから渚とやら、お前だけには負けたくねぇんだよ。オレたちのほうが三年は早く牌を握り始めたんだからな」

「三年はって……じゃあ小学生のときからってこと?」

「オレと小依はあの人に拾われて以降、ずっと麻雀で喰ってきたんだ。お前とは踏んできた修羅場の数が違うんだよ」

 亜希の話を聞き、私は二人の出で立ちについて興味を持った。しかし、数分で語れるようなことでもないし、出会ったばかりでしかも敵である私に話してくれるワケもないだろう。

 だが、興味と同時に抱いた対抗心はそのまま伝えることにした。私は亜希の横顔を見ながら言った。

「――私だって麻雀打ちの端くれ。そっちにどんな理由があるかは知らないけど、負けるつもりはないよ」

「上等だ。この状況、捲れるモンなら捲ってみやがれ」

 会話が終わったとき、場は五巡目になっていた。手牌のほうは②を一枚引いただけであり、本線であるチャンタ三色まではまだ遠い。

 しかし次のツモで、有効牌である2を引いてきた。これでテンパイということにはなるが、勿論ここが最終地点ではない。よってリーチはかけずに手替わりを待つ。

 その巡に、先ほどの会話には加わらなかった美琴さんが口を開いた。

「相手よりも早く麻雀を始めたから負けたくない――ね。それだったら私はこの四人のなかじゃ誰よりも勝ちたいと思ってるということになるのね」

「他人事みてぇな言い方だな。勝ちたくねぇのかよ」

「生憎、店がどうなろうが知ったこっちゃなくてね。あなたたちに負けたところで私がなにか損をするワケでもないし」

「悠長な身分だな。まぁいい、それならオレか小依がアガるのを静かに待ってるんだな」

「そんなことよりも、あなたのさっきの発言が気になってね」

「なんだよ」

「あの人に拾われて以降――ってなことを言っていたけど、あの人ってのは誰のことなの?」

 亜希は一瞬間を置き、こう答えた。

「――お前に教える義理はねぇよ」

「それもそうね。でも、あなたたち地下組織の人間でしょう。“もしや”と思ってね」

「あ?」

「八神麗子。地下街を取り仕切ってるその女が、あなたたちを拾って従えさせてるんじゃないかと」

 わかりやすいほどに、亜希の表情に吃驚が見て取れた。彼女は続けて、「どうしてその名前を?」と訊き返す。美琴さんはツモ山に手を伸ばしながら答えた。

「昔、そいつの妹とツルんだことがあってね。どんな場所かと思って地下街に遊びにいったとき、カジノでその姿を見たことがあったのよ」

 それから、美琴さんは「カン」と言い、手の内にあった①を四枚晒した。

 その瞬間、私の頭のなかが真っ白になった。①が四枚枯れたということは、本線であったチャンタ三色は不可能になったということ――

 しかし、絶望と同時に新たな希望も生まれてくれた。新ドラが發だったのだ。

 一二三②③234678發發

 四を引いての二三四の三色、または索子の一通を作り、リーチをかけてツモれば跳満だ。勿論、發を暗刻にするという可能性だってある。

 問題はどう進めていくべきかである。判断材料として、四は既に二枚切れ。索子のほうは9が三枚切れの1が一枚切れだ。5は見えていないが、誰かが持ってはいるだろう。

 ――私が一人思案の海に沈んでいるなか、美琴さんと亜希は会話を続けていた。

「麗子様に妹がいるなんて聞いたことねぇぞ、本当の話か?」

「本人曰く、既に絶縁状態にあるらしいけどね。そういうことなら、あなたが知らないのも無理はないんじゃないかしら?」

「絶縁だぁ……? そんなことになるような出来事があったってワケか?」

「私に訊かれてもわからないわよ。私は絶縁したという話しか聞いてないもの」

「そうかよ……」

 亜希は詳細が聞けなかったことが残念だったのか、初めて見せる哀しそうな表情になった。それを見て、美琴さんが意外にも気遣いの言葉を発した。――意外というのは、失礼ではあるが。

「そんな顔しないで頂戴。期待に応えてあげられなかったことに対しては詫びるわ」

「……別に、あんたが謝ることはねぇ。ただ、オレは麗子様を誰よりも尊敬してるし、慕ってるつもりだ。あの人について知らないことがあるとは思ってなかった」

「素晴らしい忠誠心ですこと。それなら、この対局にも負けるワケにはいかないでしょうね」

「当たり前だ。勝利の報告以外、麗子様には伝えられねぇ」

「そう。それならいまのうちに同情の言葉をかけておくとするわ。今回は相手が悪かったわね」

「……言ってろ」

 ――九巡目。小依から發が切り出された。鳴けば満貫は確定する。しかし跳満ツモが限りなく不可能になってしまう選択でもある。

 対戦相手のレベルを考慮し、私はそれを見送った。ドラの役牌ポンなどすれば、たちまち警戒されて直撃などできなくなるだろう。

 しかし、そこから三巡ツモ切りが続いた。どれだけ祈っても、引いてくるのは無関係な牌ばかり。私は焦燥感を必死に抑えながら、脇の二人がまだテンパイしていないことを祈るばかりである。

 さらに、私からしてみれば喉から手が出るほどにほしい牌である四が、小依から切り出される。これで残り一枚――と思った矢先、最後の一枚が亜希から出てきた。これで二三四の三色ももうできない。残る希望は一通のみだが、果たして残り一枚の9を引けるだろうか……

 十三巡目。不安に押し潰されそうになりながらも、次のツモに手を伸ばす。

 引いてきたのは、r⑤であった。私は思わず手を止めた。

 既に終盤。三色はもうできないし、現実的に考えてみれば一通を悠長に作っている時間だって既に残されてはいないだろう。

 美琴さんのカンのお陰でドラが増えた以上、裏ドラが乗る可能性もいまなら低くはない。リーヅモドラドラ赤裏――これが私に残された唯一の逆転和了なのではないか?

 待ちは場に二枚出ている嵌④。③が美琴さんの捨て牌に切り出されているので私から見れば全枯れということになり、さらに⑥も三枚見えている。④は他家には使いづらいハズだ。

 だからといって確実に山に残っているとも言い難いところ。仮に残っていたとしても、私のツモ筋にいなければ終了だ。

 しかし――

「……」

 私は②を掴み、ふうっと小さく息をついてから宣言した。

「リーチ」

 確実ではない。だが、他に道はない。それが私の答えであった。

 私のリーチを受け、小依は手の内から現物の七切り。美琴さんも同じく、現物の⑧切り。

 亜希だけは、それなりに強い3を切ってきた。最後も自分でアガり、決着をつけるつもりなのだろう。

 私のツモ番。一発なら、裏ドラに頼らずとも逆転となる。ここに④がいてくれたら、どれだけ楽であろうか。

 ――やはり、麻雀は楽なものではなかった。引いてきた牌は⑥。

 ⑥――私はその牌を河に置いてから、強い後悔の念に駆られた。一巡待てば、ツモれる確率が倍にはなるであろう両面待ちになっていたではないか。これでもしも⑦などツモったときには、目も当てられない。

 私は膝の上に置いてある左手をぐっと握り締め、焦燥を必死に押し殺そうとした。しかし、心臓が締めつけられるようなこの感覚は消えてくれない。お願いだから、④をツモらせて……

 ――次巡のツモは、私の願いを嘲笑うかのような牌であった。私は思わず目を閉じ、力なく⑦を河に置いた。

 勝利を逃してしまった。その事実は容易に私を絶望の底に突き落とした。

 まだ④を引くという可能性もゼロではない。しかし、やはり熱というものは引いてしまっている。掴める位置にまであった勝利を、私は自ら遠ざけてしまったのだから――

「なによ、対局の最中にそんな顔して。情けないわね」

 美琴さんの叱責。私は顔を上げ、彼女を見た。

「美琴さん……すみません、私――」

「あなたの落ち込み具合を見ればわかるわ。この手合いなら既に察しがついているでしょうから言わせてもらうけど、さしずめ、嵌④待ちでリーチをかけて、次巡両面に変わる⑥をツモり、その待ちにしておけば⑦ツモで一発だった――といったところでしょう」

「……」

「私の読みが正しければ、④はまだ山に残ってるハズよ。あなたもそう踏んでリーチをかけたんでしょう。それなのになぜ、もう負けが確定したような顔をしているのかしら」

 美琴さんは短くなった煙草を灰皿に放り捨ててから、こう続けた。

「こんな月並みなセリフはあまり言いたくないけど、いまのあなたにはあえて言わせてもらうわ。最後まで諦めないで打ちなさい。本人が諦めてたんじゃ、ツモれるものもツモれないってものよ」

「……」

「それとも、あなたはこの程度のことで潰れるような打ち手だったのかしら? だとしたら残念ではあるけど、私の買い被りが過ぎたってことね」

 私は話の途中で伏せてしまっていた目を、再び美琴さんに向けた。

 ここで諦めてしまっては、彼女の期待を――そして、このオーラスのために積み上げてきたこれまでの麻雀を裏切ることになる。

 最後まで勝負を捨てずに打ち切る――最近実力がついてきたと思い込んでいたが、そんな基本的な心構えすら忘れてしまうようでは、まだまだ一人前にはほど遠いようだ。

 私は崩れていた姿勢を正し、気合を入れ直した。残りツモはあと二回。なんとしても、④を引いてみせる。

「――その顔よ。頑張ってアガリ牌を引っ張ってみなさい」

「……やってみせます」

 次のツモ番、私はいままで以上に力を込めて盲牌をした。

 ――筒子だ。しかし、丸がひとつ多かった。

 美琴さんが話したから云々ではなく、既に待ちは二人にバレている。④以外はなにを切ってもいい状況――小依はわからないが、亜希はテンパイしている可能性が高いだろう。

 私の⑤が当たることはなかったが、最終ツモが回ってくる前に亜希がツモアガればそれでも終了になる。

 小依、美琴さんと安牌を切り、亜希のツモ番――彼女はツモってきた五をそのまま河に打ち出した。

 そして、私の最終ツモが回ってきた。ここで引ければあとは、裏ドラが乗るかどうかの勝負。勿論引けなければ、その勝負の土台に立つことすらなく終了だ。

 運命を決するツモ。意識せずとも、いつもより少しツモりにいく手が遅くなった。

 牌を掴み、すっと親指で撫でる。

「……」

 私はふうっと小さく息をついた。それから、引いた②を河にそっと置いた。これで敗北が確定した。

 ――と思った瞬間、美琴さんが口を開いた。

「ポン」

 脇の二人が同時に顔を上げ、美琴さんが晒した二枚の②を見た。それもそのハズ。勝利を確信した直後、それを覆しかねない事態が起きたのだから。

「これで、私がやれることはすべてやったわよ。あとはあなたの底力――とでも言っておきましょうか」

「――ありがとうございます」

 美琴さんに作ってもらった奇跡のチャンス。これに応えられなければ、麻雀打ちを名乗る資格はない。私はそうとまで思うほどに、彼女に感謝していた。

 亜希のツモも不発に終わり、私の正真正銘の最終ツモが回ってきた。

 私は妙に落ち着いていた。ここまでもつれた上でそこに④がいなかったら、所詮私はその程度の打ち手だということだ。

 すっと手を伸ばす。小依も亜希も、緊張した様子で私がツモる動作を見守っている。美琴さんも新しく咥えた煙草に火を点けようとライターを片手に持ったまま、動きを止めていた。

 牌を掴み、手元に持ってくるまでは見えないようにしながら引いてくる。

 そして手牌の上辺りまで持ってきたところで、一思いに牌を上げた。

 ――④だった。私は気が抜けたようにふっと笑い、震えた声で「ツモ」と発した。

 リーヅモドラドラ赤。残る1翻は、美琴さんが用意してくれた裏ドラに賭けるしかない。

 ドラ表示牌の二トンを掴み、手元に持ってきて一枚目の裏ドラを捲る。――表示牌は三。かすってはいるが、乗っていない。

 深呼吸を挟んでから、二枚目を捲った。これで乗っていれば逆転勝利。違えば敗北だ。

「……ここにもいてくれたんだ」

 二枚目の裏ドラ表示牌、④を見て、私は微笑を浮かべながらそう呟いた。

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