地下組織
東風にて、私はハナさんとともにすっかり英雄扱いとなっていた。店の常連のなかでも特に腕に自信がある六人が返り討ちに遭った相手を破ったというのだから、そうなることは不自然ではないが。
――しかし、もう一度言うが、私はなにもしていないのだ。そればかりか先の対局では相手に満貫を放銃し、ラスで終了である。
拍手喝采を受けながら退店する際、私はいたたまれない気持ちでただただ俯いていた。
店を出た時点でようやく人心地がつき、私は思わずハナさんに言った。
「自分が情けないです……私は足を引っ張っていただけなのに」
「そんなことないでしょ? シロちゃんが先に立って黒髪ちゃんと真正面からやりあってくれたから、あたしは手口を見抜けたようなモンだしさ」
「そ、そうだったんですか?」
「んー、まぁ、ちょっと気は遣ってる」
「……やっぱり」
「冗談冗談。なんにせよ、勝ったからいいじゃない。さっきの麻雀、あたしとシロちゃんは“レツ”だったんだから、トップを取ったあたしたちの勝ちで間違いないでしょ?」
「でも、ラスを引いたのは私です。やっぱり勝った気なんてしません……」
「ネガティブだなぁ。最初に決めたじゃん。“トップを取ったほうが勝ち”ってさ。まぁそこまでいうなら、引き分けってことにしておく? あの子たちと雌雄を決するのはまた今度ってことでさ」
「はぁ……」
やはり納得はできない――そんな顔でとぼとぼと歩いていると、突然ハナさんが足を止め、私の前に立ち塞がった。そして、ぐいっと顔を近づけてくる。
「な、なんですか……?」
「ふふ……もっと自信持ちなよ。自信を失くした博奕打ちはなによりも哀れな存在だよ?」
「あの……近いです……」
「そーいえばさ、さっきの麻雀、ラスがトップに百万払うって決めだったよね?」
「え?」
「ねぇ払ってくれる? いますぐに、キャッシュがいいな」
「そ、そんなお金ありません……それに、ハナさんが持ってくれるって言ったから私は卓に――」
「持ってあげるなんて言ってないよ? あたしは“用意してあげる”って言っただけだもん。つまり貸してあげたってことだね」
「なっ……! そ、そんなのズルいです!」
「ズルくない博奕打ちがいるもんですか。さて、払えないというのならどうしてくれようか。どうやって百万円の負債を埋めてもらおうかなぁ~?」
「う、うぅ……」
反論が浮かばなくなり、私はついに目を伏せて押し黙った。ハナさんはなおも顔を近づけてくるので、私はそれに合わせて後ろに下がっていく。背中が壁にぶつかったところで、ハナさんはようやく顔を離してくれた。
「可愛いなぁ。ホント、シロちゃんをからかうのはやめられないね」
「もう……そういうの、ホントにやめてくださいって……」
「あはは、悔しかったら、逆にあたしをいまみたいにからかうぐらいの度胸を身につけてみなよ。まぁ、そのときは有無を言わさず逆に襲っちゃうけどね」
「私どうすればいいんですか」
「ふふ……精進しなさい、若者よ」
ハナさんは作り声でそう言うと、私に敬礼をして見せてから、別の路地へと入っていった。
「ハナさん? どちらに?」
「あたし、いまからちょっと用事があるからさ。ここでお別れ」
「そうですか。――ありがとうございました。それでは、また」
「ばいびー」
ハナさんは人差し指と中指を揃え、私に向かってすっと投げてみせた。
ハナさんと別れた途端、疲れがどっと押し寄せてきた。
「――ただいま戻りました」
やよいに戻ってきた頃には、私はくたくたになっていた。
「あら、おかえりなさい。どこ行ってたの?」
私が店を出てから来たと思われる三人麻雀のセットが一卓だけ組まれており、弥生さんは店番をしていた。
「東風にいました。ハナさんと一緒に」
「あら、ってことは麻雀? 珍しいじゃない」
「実は事情がありまして――」
私は弥生さんに、東風での出来事を話した。
「――ハナちゃんと組んで、例の双子を返り討ちにしたってこと?」
「そうなります。私はなにもしてませんけど……」
「そう……連中がよく引き下がったわね」
「連中?」
私が訊き返すと、弥生さんは椅子から立ち上がって私の分の温かいお茶を淹れてくれながら話し始めた。
「話に出てきた“瑞希”って子に心当たりがあってね。今回の黒幕の正体、昔一度だけツルんだことがある組織かもしれないわ」
「どんな組織なんです?」
「私たちは連中が活動している場所に倣って、そのまま地下組織と呼んだりしてたわ。――先に、地下街について説明したほうが早そうね」
「地下街……?」
「ここ魅神楽の地下に存在する巨大な街よ。ちょうど、魅神楽町と同じくらいの大きさになるのかしら」
「そ、そんな場所があるんですか……?」
「知らなくて当然よ。その存在を知っているのは裏事情を
「富豪……それじゃ私には縁のない話ですね」
「ふふ……そうでもないかもしれないわよ?」
「というと?」
「その地下街の中心核はカジノ施設でね。治外法権は当然のこと――表のヤクザも手を出すことができないような、それこそ裏魅神楽が可愛く思えるような場所よ」
「カジノ……ですか」
「裏魅神楽でシノギを削ってた博奕打ちが大きな勝負をするために地下に潜り込む――なんて話は昔から頻繁に聞くわ。あなたも腕試しに行ってみたら? 麻雀もできるハズよ」
「私は、そんな……」
「ふふ……まぁ、大半が戻ってきていないってことを考えれば、やっぱり行かないほうがいいかも。あなたになにかあっても困るし」
「……」
私は自分の前に置かれたお茶を一口啜ってから、話の続きを催促した。
「それで、さっき地下組織という言葉が出てきましたけど……どんな組織なんですか?」
「その地下街を仕切ってる連中よ。ある一人の女を頂点に据えた絶対的な秩序を基に動いていてね。さっき出した瑞希って子は、その組織に昔から所属しているのよ」
「どうしてその組織がこの辺りの雀荘を狙ってるんでしょうか」
「確かなことはわからないけど、いよいよの地上進出を目論んでるんじゃないかしら?」
「地上進出……」
「魅神楽町に見込める利益は都心の歓楽街にも劣らないほどだからね。多少強引な方法を使ってでも手中に収めたくなるのは不思議な話ではないわ」
「なるほど……それにしても大変なことになりましたね……」
「大変なこと?」
「だって、地下組織が魅神楽町を乗っ取ろうとしてるってことですよね? この店だって、やっぱり狙われるのでは?」
「ふふ……大丈夫よ。この前も言ったけど、誰が来たって返り討ちにするだけですもの。それと、連中が強引な手段を取ってくることはないってのもわかったし」
「そうなんですか?」
「宮代組の若頭とちょっとした顔見知りでね。今回の件について、ちょっと話を聞いてみたのよ」
「……」
「宮代組はあくまでも中立的な立場を貫くそうよ。つまり、どっちに加担するワケでもなく、私たちと地下組織が麻雀で競って雌雄を決めることに関してはノータッチってこと。まぁ組からすればみかじめ料が入ればいいワケだし、誰が雀荘を経営しようが関係ないって話ね」
弥生さんの話を聞き終えた私は、ずっと気にはなっていたが、なかなか訊くタイミングを見い出せなかったある質問を彼女に投げた。
「あの……前々から気になってたんですけど、弥生さんって何者なんですか?」
「あら、面白い質問ね。私はただの雀荘経営者よ」
「ただの雀荘経営者が、私が通ってた学校の校長と知り合いだったり、地下組織とツルんだことがあったり、宮代組の若頭と顔見知りというのはいかなるものでしょう」
「ふふ……そうね――」
弥生さんはしばらく悩むような素振りを見せてから答えた。
「まぁ、昔ちょっとね。聞かせるまでもないようなつまらない話だから、気にしないで頂戴?」
「そうは言われましても……」
「それに、誰にだって秘密はあるものよ。シロちゃんにだって、知られたくない秘密のひとつやふたつ、あるでしょう?」
「特にこれといっては」
「あら、それは素晴らしいことね。これからも自分に正直に生きていくべきだわ」
「はぁ……」
どうやらこの話は終わったらしい――弥生さんはお茶を啜り、以降はなにも言わなかった。
おそらく、本当に話したくないのだろう。私もそれ以上の言及はせずに、マグカップを口元に運んだ。
その後、店番は自分がやるから休んでいいと言ってもらったので、私はお言葉に甘えて部屋に戻ることにした。
寝る準備を済まし、早々に布団に入る。
目を瞑って双子との麻雀の内容を思い出していると、次第にうとうとしてきた。私はそのまま眠りに就いた。
翌日、私は朝の八時に目を覚ました。ここのところは徹夜がないので比較的規則正しい生活を送れているおかげだろうか。
洗面所に寄ってから、弥生さんと店番を代わるためにホールへと行く。
しかし、ホールには誰もいなかった。夜中にでもセットの客は帰ってしまったのだろう。
ということは、開店の六時までは自由時間ということだ。私はやよいを出て朝の裏魅神楽へと赴いた。
やはり朝の裏魅神楽は閑散としている。私は朝食でも食べるかと思い立ち、表にある定食屋へと向かう。
するとその道中、眠たそうに目をこすりながら歩いている江上さんに遭遇した。
「ああ、おはよう、シロちゃん。随分早いね」
「おはようございます。いまお帰りですか?」
「うん。初めて東風に行ってみたんだけど、なかなか面白い店だね。うっかり時間を忘れて、久々の徹麻になっちゃったよ」
「ふふ……東風戦は勝負が早いから、区切りをつけるのが難しいんですよね」
「そうなんだよ。長くやればやるほど、結局場代の一人勝ちになるってのにね。嫌になっちゃうよ」
談笑を交わしながら二人で歩き、表通りへと出てくる。
「そうだ、聞いたよ。シロちゃん、ハナちゃんと組んで例の組織の刺客を撃退したんだってね。大したモンじゃないか」
「そんな……私は座ってただけで、なにもできませんでしたよ。ハナさんのお陰で勝てたんです」
「謙虚だねぇ。若いうちは、もっと図々しく振る舞うモンだよ?」
「事実ですし……」
反応に困り、私は視線を泳がせてしまう。
そのとき、私の横を二人組の少女がすれ違った。
赤髪に緑髪という派手な髪色の少女――それだけならなにも引っかからなかったかもしれない。魅神楽町では別段珍しくもないからだ。
しかし、彼女たちは私たちがいま来た道へと入っていった。つまり、裏魅神楽へと入っていったのだ。
私の第六感が騒ぎ始める。あの二人は、私と関係する人物だろう――
「――すみません、江上さん。私、ちょっと用事を思い出したので、これで失礼しますね」
「そうかい? せっかく朝ご飯を奢ってあげようかと思ってたのに」
「お気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきます。またの機会にご一緒させてください」
「うん、わかったよ。それじゃ、またね」
私は江上さんと別れると、すぐに踵を返していま来た道を戻り始めた。
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