遭遇
以前、裏通りを歩くのが怖くなった――といったが、その恐怖心はすっかり消え去っていた。実はあの日の翌日に遠藤さんから護身用のスタンガンを買っておいたので、それが私の心に余裕を持たせてくれているのかもしれない。
とはいえ、それは出かけるときは常にパーカーのポケットに突っ込んであるが、正直言って詳しい使い方すらあまり知らない。
――説明し忘れていたが、遠藤さんは宮代組の組員である。私もそれを知ったのは最近のことで、彼が徹夜麻雀を終えて帰る際に弥生さんと会話をしていたのをたまたま聞いていたところ、その事実を知ることになった。
しかし、意外には思わなかった。そもそも裏の雀荘に出入りするような人間がまともな仕事に就いていることのほうが珍しいというものだし、これはただの偏見ではあるが、彼にはそんな雰囲気があるような気もしていた。
そんなワケで、私は漫然と裏通りを歩いていた。恐怖心なんかより、いまは先ほどの麻雀の反省点ばかりが頭のなかを占めている。
行き先を決めずに歩き続けた結果、私はいつの間にか裏通りを出ていて表にある駅前にやってきていた。
こんなところに来たって仕方がない――私は踵を返して裏へと戻ろうとする。
すると、振り返った直後に誰かとぶつかってしまった。
「あ、すみません――」
反射でそう謝りながら相手を確認するが、目の前には誰もいない――と思いきや、視線を下に向けてみると、そこには私よりも二回りは小さい女の子がこちらをきょとんとした表情で見ながら立っていた。黒い長髪に澄んだ瞳――とても綺麗で、まるで人形のような少女であった。
「ご、ごめんね……怪我しなかった?」
私は膝を曲げて少女と視線を合わせ、月並みな質問をする。少女はこくりと小さく頷いたあと、再び私を見つめ始めた。
――どこかで会ったのだろうか。困ったことに、私の記憶には一切ないのだけど。
どうすればいいのかわからず狼狽していると、私たちのもとにまた別の少女が走ってやってきた。こちらは対照的で、派手な金髪をツーサイドアップに纏めている。
「
「
「それはこっちのセリフだってーの! いいから、早く行くよ!」
――会話からするに、私とぶつかった大人しい少女が凛音という名で、あとから現れた派手な少女は蘭那というらしい。髪型や服装は異なるが、よく見てみれば顔立ちがとても似ている。双子なのだろうか。
「――お姉さん、誰?」
ようやく私に気付いた蘭那ちゃんが、眉をひそめながら訊いてきた。
「え、えーと……私、いまさっきこの子とぶつかっちゃって。怪我をしてないか心配だったから、様子を確認しようと思って……」
「そうだったんだ。ごめんなさい、この子いっつもぼーっとしててさ。こっちはいつか怖い人にぶつかって絡まれちゃわないかヒヤヒヤしてるぐらいだもの」
「そ、そうなんだ……」
「ぶつかった人が優しいお姉さんでよかったよ。それじゃ、蘭那たち急いでるから、もう行くね」
「うん……気を付けてね」
蘭那ちゃんは最後に私に向かってぺこりと頭を下げると、凛音ちゃんの手を掴んで「ほら行くよ!」と言い、小走りで私の前から去っていった。
私は彼女たちの姿が見えなくなるまで、その場で見届けていた。――彼女たちが消えていったのは、裏魅神楽へと続く路地であった。
「……」
私は二人を追い、その路地へと向かった。
裏魅神楽に用事がある双子の少女――私はやはり、件の組織を思い出していた。彼女たちが、雀荘を荒らしまわっているという二人組なのだろうか。
――しかし私としたことが、彼女たちを見失ってしまった。どこかの雀荘に入っていったのだろうが、見当がつかない。
とりあえず、私は一番近くにあった紅龍へと入っていった。他とは少し趣旨が違う雀荘であるゆえ、ここに入ったとは考えづらいが、誰かが見かけたという可能性はあるかもしれない。
相変わらず明かりのない真っ暗な階段を下りていき、軋音がやかましい木の扉に手をかける。
店内にはマスターである鈴木さんと、待ち合いのソファーに一人壮年の男が座っていた。私はまず、鈴木さんがいるカウンターのもとへと向かう。
「こんばんは。お聞きしたいことがあるんですけど」
「ああ、いらっしゃい。聞きたいことって?」
「こちらに、二人の女の子が来ませんでしたか? 一人は黒髪で、もう一人は金髪の子なんですけど」
鈴木さんは少し考えるような素振りを見せたが、浮かない表情で首を横に振った。
「ウチにそんな客は来てないよ。知ってのとおり、こんな店だしね」
「はぁ……そうですか」
お邪魔しましたと告げて店を出ようとしたとき、ソファーのほうから声が聞こえてきた。
「あの二人組なら、東風にいるだろうよ」
「……東風に?」
私は煙草の煙をふかしながらこちらを見ている壮年の男に訊き返した。そこで気付いたが、彼はハナさんと来た際に卓を囲んだうちの一人であった。私は一方的な親近感を抱き、彼のもとへと歩いていった。
「あの子たちのこと、なにかご存知なんですか?」
「荒らし屋だよ。少し前に、この近くにあった一軒がやられてね。側近のボディーガードもついてるようだから、荒事でシメ出すこともできないらしい」
「どうして次の狙いが東風だと?」
「ここみたいな竜崎さんのグループの店は狙う必要がない。本陣の蘭遊荘を潰しちまえばそれで終わりなんだから。だとすれば他の店――南側から順当に行けば、次は東風が当てはまる。まぁ、俺の推測に過ぎねぇ話だがな」
「はぁ……なるほど」
彼が話し終えると、鈴木さんもこちらにやってきた。
「詳しいね、
「冗談いうねぇ。俺がこの店以外で打つもんかよ。俺じゃなくて、
「へぇ、竹内さんがね。そりゃ相当腕利きだね」
「“通し”を使ってる様子はねぇのに、まるでお互いの手牌を開けて打ってるみてぇに息が合ってるって言ってた。まぁ、竹内はヒラで打ったらそこら辺の学生連中にすら負けるような奴だ。案外普通に実力で負けて、負け惜しみをほざいてるだけかもしれねぇがよ」
熊谷という名らしい壮年の男は、嘲笑するように低く笑った。
「それで――」熊谷さんが私に視線を移しながら続ける。
「お嬢ちゃん、行くのかい」
「気になるので」
「好奇心は猫をも殺すと言うぜ。まぁ、お嬢ちゃんがどうなろうが知ったこっちゃねぇが、知らねぇ仲でもねぇからな。用心しな」
「――ありがとうございます」
私は熊谷さんと鈴木さんにそれぞれ頭を下げてみせてから、紅龍を出ていった。
熊谷さんの推測は当たっていた。私が東風の扉を開けて店内に入ると、すぐに佐々木さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「まずいよ、シロちゃん。最近噂になってる荒らし屋がウチに来ちまった」
「そうみたいですね……」
店内を見回し、人だかりができている場所を見つけ、そちらに歩いていく。
人垣の間から見えたのは、やはり先ほどの二人組であった。
「イカサマしてるようには見えないんだけど、もう六人やられてるんだ。黒髪のほうが不自然なくらい振り込まなくてね」
佐々木さんが私の隣にやってきて、説明してくれた。私は怪訝に思い、彼の顔を横目で見ながら訊く。
「振り込まない? でも、守備に偏ればアガることだって難しくなります。それじゃ麻雀は勝てないハズですが」
「そうなんだけど……ベタオリするってワケでもないんだ。まるで漫画みたいに、当たり牌だけビタリと止めるんだよ」
「そんなことが……?」
「それに――ああ、ちょうどやってるな、見てごらんよ」
「?」
佐々木さんの視線は、黒髪の子――凛音ちゃんの手牌に向けられている。私は倣って彼女の手牌に注目した。
四①①①②③④678999 ドラ ⑨
ちょうど、⑤を切ってリーチをかけたところらしい。――なるほど確かに、不自然しかない。どこかどう不自然なのかは説明するまでもないだろう。
次巡、凛音ちゃんは平然と四をツモってアガった。オーラスだったらしく、彼女のダントツトップのようだ。
私は狐につままれたような思いで、凛音ちゃんの後ろ姿を見つめていた。それと同時に、この不自然なアガリのタネを見つけようと思案する。
次のツモが四だとわかっていたとしか思えない選択。牌の位置がわかるアクシデントは、対局中にその牌が山からこぼれて全員の目に晒されてしまう――といったものがあるが、彼女がツモった四は下山にあった。こぼれようがない。
牌山が前にあったのは仲間だと思われる蘭那ちゃんということを考えると、事前にバレないようにめくって認識し、それをなにかしらの方法で凛音ちゃんに伝えるという方法も――いや、この衆人環視のなかでそれは不可能だろう。
残る可能性はひとつ――牌に傷などをつけてそれを覚える“ガン牌”と呼ばれる技術か。
だとしても疑問は残る。ガン牌は特定の牌にのみつけるというケースが多いのだ。例えば尖張牌である各種三、七の数牌や、三元牌、そして採用されていれば赤ドラなども視野に入ることが多い。
しかし、四とはなんの特徴もない牌ではないか。それにそもそも、あからさまな傷などつければ相手にだってバレてしまう。
解明することができないまま私が呆然としていると、席についていた二人の客が名残惜しそうに立ちあがった。おそらく、パンクなのだろう。
すると、凛音ちゃんと蘭那ちゃんの間に立って観戦していた眼鏡をかけた女性が、人垣を見回しながらこう言った。
「さぁ、次はどなたですか? 約束どおり、一度でもこの子にラスを引かせることができればあなた方の勝利――私たちは大人しくこの店から手を引きます」
名乗り出る者は誰もいない。全員が全員、お互いの顔を見合っていた。
そのとき――
「あれ? さっきのお姉さんだ」
蘭那ちゃんが、私を見つけて嬉しそうに言った。全員の視線が私に集まる。心臓がどくんと跳ね上がり、それを皮切りに私の鼓動が早くなった。それでも、私は精一杯の虚勢を張って蘭那ちゃんに言った。
「あなたたちがこの辺りを狙ってるって噂の双子だったんだ。どうしてこんなマネを?」
「蘭那たちは指示されてるだけ。そういう質問は
「瑞希……?」
蘭那ちゃんが頷き、先ほど私たちに啖呵を切ってみせた女性に視線を移す。
黒いベストに、黒いスラックス。長く伸びた黒髪は頭の後ろでひとつに纏められている。清潔感のあるその容姿を見て、私はカジノディーラーという単語を思い浮かべた。もしくは、バーテンダーだろうか。
瑞希という名らしいその女性は、私に冷ややかな視線を送りながら言った。
「あなたが次の挑戦者ですか? ならば早く席についてください。始めますよ」
「待ってください。この卓がどういった卓なのかも知らないで、席につくつもりはありません。説明してくれますか」
「説明したら、席につきますか?」
「――内容次第では」
「……」
瑞希さんは忌々しそうに私を睨みつけた。内心では逃げ出してしまいたい気分ではあったものの、自分よりも遥かに幼い少女が二人もいるという状況が、私に意地を張らせていた。
そのとき――
「いいじゃん。二人で席につくからさ、説明してよ。お姉さん」
そう言いながら人垣を掻き分けて現れたのは、ハナさんであった。
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