運命の紅中

 理想はやはり、早いテンパイだ。それもあまり副露せず、せめて一鳴きくらいで纏めたい。私は祈る気持ちで配牌を開けた。

 一二二四六七2289③南西 ドラ 南

 ――よくはない。むしろ悪いとまで言える。奇しくもドラが先ほどと同じ南であるが、これが非常に厄介だ。唯一満貫ツモでは届かない弥生さんでも、この南さえ揃えばそれだけで5翻――跳満が容易になってしまう。

 私は第一ツモ1を手牌に入れ、西から切り出した。南を切るのは鳴かれても十分に押し返せる形になってからだ。

 一巡目は、全員特に目立った切り出しはなかった。弥生さんが西、黒崎さんが發、ハナさんが⑨。

 私の第二ツモ。いつも以上に力が入る。持ってきた牌は、8であった。

 私はふと考える。この手、鳴きもありではないかと。2、8、または二のいずれか二つをポンして、六七は当然順子として考える。あともう一面子だが、それは四か③を軸に作ればよい。他に中張牌を持ってきてもよろしい。

 いずれにせよ不要牌である一を切り、私は他家の捨て牌に注目した。

 その巡目には私の有効牌が切り出されることはなかったが、四巡目、ハナさんから三が切り出された。私は二四を晒し、チーした。

「ふむふむ、これはちょっと厳しいかなぁ」

 私の鳴きに、ハナさんがそんな感想を呟いた。私は深くは考えず、まっすぐタンヤオへと向かうための9切り。

 さらにその巡、黒崎さんから2が切り出された。これも迷わずポンだ。そして1切り。

 二六七88③南 2(2)2 (三)二四

 ――ここまで鳴いておいて言うのもなんだが、不安だらけだ。流石に焦りすぎだろうか。

 しかし次巡、私は④という絶好のツモに恵まれた。これで形は決まった。私は一転、強気を取り戻した。

 ――が、南を切り出すには早い気がした。やはり、テンパイと同時に切るのが最善なのだろうか。しかし、いまならまだ誰も重なっていないかもしれない。後々切ったことによってポンやらロンやら、というのも馬鹿馬鹿しい。

 私は迷ったが、吹っ切れることができず、やはり二を先に切った。二だって不要牌、先に切るならこっちだろう――

 次巡、弥生さんが自分の切り番のとき、手牌の一番右端に置いてあった牌を手にして、口を開いた。

「さて、どうかしら。鳴けるものなら鳴いてみなさい」

 切り出された牌は、南だった。――声はかからなかった。

「へぇ、一番欲しがってるのは姐さんだと思ってたけど。切っちゃうんだ?」

 そう言ったのは、ハナさんだ。弥生さんは小さく笑いながら返す。

「いらなくなったのよ」

「おー、そりゃ怖いね。河を見るに、タンピンの五六七ごろち三色辺りかな?」

「さぁ、どうかしら?」

 弥生さんはそう返したが、私もハナさんと同じ読みだった。ドラを使わないという条件付きで跳満ツモとなったら、タンピンツモ三色赤――辺りが現実的だろう。

 ただひとつ疑問を挙げるとすれば、なぜダマなのだろう、ということだった。理由を推測するとすれば、前述したような跳ツモの手はできなかったが、私からの直撃なら条件をクリアできる手だから――といったところか。

 二人が会話を繰り広げていた間にも、当然局面は進められていた。黒崎さんが6、ハナさんが③、そして私が、一を引いたので先に南切り。

 それから三巡、特に変化はなかった。弥生さんはツモ切りを繰り返し、黒崎さんは何度か手出しをしていたが、テンパイした気配はまだない。ハナさんは真ん中の牌をバラバラ切っているが、私が鳴ける牌は切ってくれなかった。

 そして次巡、十一巡目、ハナさんがr五をツモ切りした。

「チー!」

 待ちに待った牌、しかも赤だ。私は勢いよく六七を晒し、一を切った。これでテンパイ、②⑤待ちだ。

 だが、この面子だ。すんなり出るとは思っていない。しかし、全員がアガリに向かっている以上、“よもや”はある。私は小さく息を吐き、他家の切り牌に注目した。

 弥生さんが、2ツモ切り。黒崎さんが手出しで二。ハナさんは、手出しで北であった。

 私のツモ――③。隣だ、次は隣を引いてくれ――私はそう願いながら、③をツモ切った。

 次巡、弥生さんがツモ切った七を、黒崎さんが六八でチーした。そして六切り。私は緊張し直した。彼女もおそらく、テンパイだろう。

 ハナさんが四ツモ切りで、私のツモ――八。黒崎さんの鳴き方から見て、彼女はもう萬子の上は使っていないハズだ。私は確信を持って八を切った。声はかからなかった。

「うーん……どうしようかしらね」

 弥生さんが自分の切り番で、全員の捨て牌を見回しながらそう呟いた。私は彼女もテンパイと踏んでいるが、誰かの当たりとおぼしき牌を持ってきたのだろうか。

 弥生さんは迷った末、二を手出しで切った。二は私と黒崎さんの共通安牌――まさか、ここまで来てオリたのだろうか?

 私が怪訝な思いを抱いていると、今度は黒崎さんがツモった牌を手牌の端にくっつけて小考に入った。そして彼女は、私の河を見ながら現物である7を手出しした。

 続くハナさんは、1ツモ切り。そして私のツモは――中だった。中は序盤に黒崎さんが一枚、弥生さんが二枚切っている。

 私はツモ切りしようとしたのだが――何故か一瞬、手が止まった。理由は本当にわからない。四枚目の中だ、当たるワケがない。

「……」

 突如湧いてきたその不思議な感覚を気持ち悪く思いながらも、私は中をそっと河に置いた。

「ロン」

 ハナさんの声だった。私は思わず、「え?」という頓狂な声を出してしまった。それから慌てて、彼女の捨て牌を見た。

 序盤はそうでもないが、中盤以降、中張牌がバラバラと切られている。

 中張牌が不要で、そしてなにより、四枚目の中でアガリ――私ははっとした。答えは明白ではないか。

「掴んじゃったのが運の尽き――決めてなかったし、役満祝儀はサービスしとくよ」

 一九19①⑨⑨東南西北白發

 私はしばらく呆然と、開けられたその手を見つめていた――。


 トップで迎えたオーラス。私は国士無双を放銃し、一気に1500点持ちのラスまで転落した。

「ラストよ」

 放心していた私に、黒崎さんが言った。我に返った私は、おそるおそる負け金額を計算し始める。

 途中アガられた祝儀も含め、私の支出は二十四万と三千円だった。払えるには払えたが、当然次の勝負をするカネはもう残っていなかった。

「持ち金がないんじゃ、今日はもうお開きね」

 黒崎さんがそう言って、席を立った。私は慌てて引き止め、訊かずにはいられなかったその質問を彼女に投げる。

「待ってください! 最後の局、黒崎さんが途中で挟んだ小考、あれはハナさんの国士を警戒してのものだったんですか……?」

「……」

 黒崎さんは咥えていた煙草にゆっくりとした動作で火を点けてから、最後の自分の手牌を倒して見せてくれた。

 r⑤⑤⑥⑦⑧二三四6東 (七)六八

 最終手出しは7――おそらく、東を引いてオリたのだろう。それはわかる。

 しかし、打点が気になった。それは黒崎さんが直々に説明してくれた。

「私のトップ条件は、満ツモかあなたからの5200直撃。最初に考えていたのは手なりでタンピンを作ってのリーチ。状況次第ではあなたから以外は見逃すつもりでね」

「ですが、この手は鳴いてしまっては3900止まり――」

「ええ。赤を追加で引きでもしない限り、逆転はできなくなるわ。でも、途中で呑気に打っていられる状況じゃなくなった。だからトップは半ば諦めて、アガリに行くことを優先したのよ」

「その状況とは、ハナさんの国士ですか?」

「そのとおり。役満なんてツモられようものなら、私が三着になるわ。この馬鹿げたウマ設定の麻雀で、順位を落とすのだけは避けたかった。それだけよ」

 黒崎さんの話を聞き終えた私は、次に弥生さんの手牌に視線を移した。

「……弥生さんも、気付いていたんですか?」

「どれが当たりか明確にはわからなかったけどね。最後に南を引いてきちゃって、気持ち悪くなってやめちゃったわ」

 二五六七⑤⑤⑥⑥⑦r567南

 これが弥生さんの手牌だった。最終手出しは二――つまり、④⑦でテンパイしていたということになる。打点も十分だ。次に私は、途中でも抱いた疑問についてを彼女に訊いた。

「テンパイしたのは、南切りのときですか?」

「そのときは一向聴だったわ。テンパイは確か、次の次だったわね」

「そのときリーチをかけなかったのは、なにか理由が?」

「ツモなら安目でも条件はクリアしてるし、それにやっぱり、対面が怖かったからね」

「――そのときから、国士を警戒していたんですか? 条件クリアの跳満をテンパイしていたというのに……」

「お恥ずかしいことに、私は臆病なの。役満に立ち向かうなんてまずしないわ。特に、“ホンモノ”っぽい気配を感じたときはなおさらね」

「……」

 もう、訊くことはなかった。

 逆転できる手を蹴ってまで、自分の危険察知の感覚に殉じることができる弥生さん。

 無理な逆転は狙わず、現実的に状況を判断し、それに沿った的確な麻雀を打つことができる黒崎さん。

 そして、オーラスに国士無双という見事な手をアガリ切ったハナさん。

 いまの私が入り込む余地は、完全になかった。――完敗である。

「……すみませんでした」

 私は頭を下げ、黒崎さんにその言葉を言った。

 麻雀の世界は強い者こそが正義であるという私の信念からすれば、真剣勝負で負けた以上、私は彼女に謝らなければいけない。そう思ったからだ。

「それはなにに対しての謝罪かしら?」

「東風の件です」

「それなら私じゃなくて、東風のマスターにでも言うことね」

「でも、黒崎さんにも迷惑をかけてしまったから……」

「――気にしないで頂戴。あんなのただの嫌味よ。それに、慰謝料ならいまの麻雀の分で十分よ」

 黒崎さんは微笑を浮かべてそう言うと、卓を離れて店の出口へと向かった。それに、ハナさんが続く。

「あ、どこ行くの? せっかくこうして久々に再会したんだしさ、どっかで呑んでかない?」

「お断りよ。誰があんたなんかと呑むもんですか」

「嫌よ嫌よも――ってね~。どこ行くどこ行く~?」

 私は店を出ていこうとした二人を、慌てて追いかけた。

「あ、あの……!」

 二人は足を止め、振り返って私を見つめる。私は勇気を振り絞り、言った。

「私が強くなって、皆さんと打つに値する打ち手になったら、そのときはまた、一緒に打ってくれませんか」

 黒崎さんは、咥えていた煙草を指で持ち、ゆっくりと煙を吐き出した。それから、私にこう訊いた。

「名前は?」

「し、白石です……」

「下の名前」

「え? あ、なぎさです……」

 黒崎さんは再び煙草を咥えて私に背を向けると、店の扉を開けながら言った。

「私は美琴みことよ。黒崎美琴。――またやりましょう、渚」

「は、はい……!」

 黒崎さん――美琴さんは、そのまま店を出ていった。

「またやるときは、あたしも呼んでよね~? それじゃあ、またね~!」

 ハナさんも彼女らしい陽気な笑顔でそう言うと、美琴さんを追って店をあとにした。

「ふふ……いい勉強にはなったみたいね」

 背後から、弥生さんの嬉しそうな声が聞こえてきた。

「弥生さん、ありがとうございました」

「あら、なんのこと?」

「こんなに素敵な麻雀を打ったのは初めてです。場を設けてくださったこと、本当に感謝しています」

「ふふ……おかしな子ね。三十万以上負けたっていうのに、随分嬉しそうだわ」

「確かに失くしたお金は大きかったですけど……それ以上に、大切なものを学んだ気がしますので」

「あなたがそう言うなら、それでいいわ。――さて、今日はもうお店を閉めるから、片付けを手伝ってもらえるかしら?」

「勿論です」


 ――手伝うとは言ったものの、私はほとんど弥生さんが片付けていくのを見ているだけで終わってしまった。

 最後に残した卓掃に取りかかろうと弥生さんが卓に着いたところで、私はたまらず口を開いた。

「あの……せめて卓の掃除は私にやらせてください。ここまでなにもしてませんし……」

「あら、別に気にしなくてもいいのに。それに、洗牌センパイは実際にやり方を見て手順を覚えてからのほうがいいわよ。とりあえず、今日は見てて頂戴?」

 洗牌とは、濡らした布と乾いた布を使って牌を拭くことだ。その言葉自体は知っていたし、牌を拭くのに手順などあるのだろうか、とも思ったが、私は彼女の言葉に従って「わかりました」と頷いた。

 私たちの最後の手牌が弥生さんの手によって崩され、卓の中央の穴に落とされる。

 そして使われなかった次の牌山を卓上に出し、それらを手前に十七枚ずつ八列に並べると、牌の向きを変えていきながら全面を拭いていった。

 洗練された手つきで進められていく作業を見て、私は感動すら覚えた。特に、立てた牌を横向きに倒すという行為は普段の麻雀ではまったくやらないことだ。それを、一切の淀みなくこなしている。

 ――結局、驚いてばかりで覚えようという気持ちでは見れなかった。牌山はもう一セットあるので、私は次こそは覚えようと集中し直す。

 しかし、弥生さんの次の言葉で私の集中は容易く途切れた。

「どう? 覚えられたかしら」

 “ぼーっとしちゃってました”などと言うワケにはいかないので、私は慌てて探り探りの言い訳を並べる。

「は、はい……えーと、その、でもやっぱり、実際にやってみないことにはなんとも……」

「ふふ……それは確かにそうよね。それじゃ、早速明日にでもやってもらおうかしら?」

「ま、任せてください……」

 ただただ、苦笑を浮かべるばかりである。私は必死になって弥生さんの手元に注目した。

 私のそんな熱視線を受けるなか、弥生さんは次の洗牌を始める。

「――あなたには、話しておこうかしら」

 不意に、弥生さんがそう切り出した。

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