過去

「話しておきたいこと――ですか?」

「ええ。クロちゃんのことなんだけどね」

 その名前を聞いた途端に、私はすべての意識を耳に集中させた。彼女について話しておきたいこと――いったいどんな話なのだろうか。

 弥生さんは洗牌を続けながら、話を始めた。

「あの子と初めて会ったのは、四年前だったかしらね。ちょうど、あの子がこの世界に入った直後のことだったわ」

「美琴さんって、おいくつなんですか?」

「二十四よ。つまり、そのときは二十歳だったってことになるわね」

「二十歳――その頃から、美琴さんは強かったんですね」

「あら、どうしてそう思うの?」

「だって、この世界で生き残るってことは、相当麻雀が強いってことじゃないですか」

「ふふ……まぁ確かに、年齢から考えてみれば、彼女は強いと言える打ち手だったわ。でも、いまと決定的に違ってた点があってね」

「違ってた点?」

「麻雀に対する心意気――というか、思想のようなものを持っていたの」

「思想――ですか」

「ええ。麻雀は強い者が勝つゲーム、そして勝者が敗者からなにかを奪うのは当然のこと――とまぁ、こんなところだったわね」

 弥生さんは一度手を止め、私のほうに振り返った。彼女のなにかを訴えるような視線の意図は、私にもすぐにわかった。

 私は理解した上で、「続けてください」と返す。

「彼女は思想にのっとって、あちこちの雀荘を荒らし回ってたわ。ウチはその頃から五百円の長麻雀だったから、標的にはされなかったけどね」

「荒らし回ってたって……負けなかったんですか?」

「ええ。でも、彼女の不敗にはタネがあったの。相棒の存在よ」

「相棒?」

「クロちゃんより少し年下くらいの女の子だったわ。“ユミ”と呼んでいたわね」

「――つまり、その子とコンビ打ちをして、勝ち続けていたということですね」

「そのとおり。相手が雀荘の人間だろうが、ヤクザ者だろうが、手段選ばずお構いなしに勝っていたわ。時には裏芸をやっていたという噂もあったわね」

 私は意外に思っていた。私が言えたことではないが、美琴さんがそんな麻雀をしていたなんて――

「でもこの世界、そんなに甘くはないわ。乱暴な勝ち方を続けている内に、彼女たちは当時この辺りを根城にしていた暴力組織に目をつけられてしまったの」

「暴力組織って、ヤクザのことですか?」

「いいえ、そんな礼節を弁えた集団ではなかったわ。言うなれば、半グレ組織といったところかしら。ウチも何度かちょっかいは出されたけど、色んな人に助けてもらってね。私は難を逃れたんだけど――」

 弥生さんは一拍置いて、続けた。

「――四方八方を敵にしていた二人には、助けてくれる人なんていなかったわ。そしてある日、ついに制裁が決行された」

「せ、制裁……?」

「二人を拉致して監禁し、そこで麻雀を打たせたの。“順位が下回ったほうを殺す”というルールをつけてね」

「ッ――!」

 私は息を呑んだ。負ければ自分が殺され、勝っても大切な人が殺される――そんな麻雀、いくらなんでもひどすぎる。

「勝負の詳細までは聞いてないけど、クロちゃんが勝ち、ユミという子が殺されたというのは間違いないわ。現にいま生きているのはクロちゃんなんだからね」

「待ってください。どうしてその集団は、そんな余興じみたマネを?」

「その集団の長だった男の趣味よ。私は仄聞そくぶんしたに過ぎないんだけど、人の生き死にを賭けた博奕を見るのが好きだったとかなんとか」

「――その人は、まだこの魅神楽に?」

「いいえ。二年前に宮代組というヤクザがこの町にやってきてね。そのとき、彼らに追い出されたみたいよ」

「そうなんですか……」

 不甲斐なくも、私は安心してしまった。この世界で生きていく以上、そういった組織と関わるのは避けられないだろうというのに。

 ――気が付けば、弥生さんの洗牌と卓掃が終わっていた。彼女は卓掃の道具を持って立ち上がり、カウンターへと戻っていく。

「それ以降、彼女は人が変わったように大人しくなったわ。打ち方も変わって、いまのように目立ち過ぎないように勝ちを残すというものになった」

「そんな目に遭って、麻雀をやめようとは思わなかったんでしょうか」

「そうね……そのときどう考えたのかは彼女本人に訊いてみなければわからないけど、強いて推測してみるなら、他に道がなかったんじゃないかしら。裏の麻雀打ちなんて、潰しが利く商売ではないからね」

 私は納得した。裏の麻雀で生き残る人物が、表の麻雀でも活躍できるかと言えば懐疑的なところなのだ。裏はどんなに卑怯な手を使おうとも勝てば官軍であるが、表はそうはいかない。どうしても評価というものが付き纏う。一からやり直すくらいなら、裏で日銭を稼いで生きるほうが現実的ではあるだろう。

「思えばあれからもう四年も経つのね。まったく、月日が流れるのは早いものだわ」

 弥生さんは自分の分と、私の分のお茶を淹れてくれた。私は感謝の意を伝え、カウンター越しに弥生さんと向き合う形で丸椅子に座った。

「あなたにこの話をしようと思ったのはね、クロちゃんがあなたを気にかけているからなの」

「……はい?」

 一瞬、理解ができなかった。彼女が私のことを気にかけている――?

 私のきょとんとした顔を見て、弥生さんはくすくすと笑いながら続きを話し始めた。

「きっと、ユミって子の面影を感じているんじゃないかしら。年齢も近いし、あなたの麻雀に対する真剣な姿勢だって、当時の自分たちの思想に似通っている部分があるんだと思うわ」

「ま、待ってください……美琴さんが、そう言っていたんですか?」

「いいえ、彼女はなにも。でも、行動で示されたじゃない」

「行動?」

「奪い奪われるこの世界でなにも考えず自由に生きていたら、いつかは誰かの恨みを買って刺し殺されるわ。あの子はなにも知らないあなたに警告するつもりで、今夜の麻雀を打ったんだと思うわよ」

 私は不意に、弥生さんの意図を理解したような気がした。疑心を確信に変えるため、私は訊く。

「もしかして、弥生さんが今夜の場を設けてくれたのって――」

「そういう意味もあるわ。あなたに気付いてほしかったの。自分がしたことが、どれだけ危険な行為だったのかをね」

「……」

 私は見栄を張り、込み上げてきたものを必死に堪えた。この涙は、自分の無鉄砲な愚かさに対する悔しさから来るものか、はたまた、そんな私を気にかけてくれるみんなの優しさに対するものなのだろうか。

「それと、一流というものを知ってほしかったっていうのもあるわ」

 相槌を打ちたかったが、顔を上げれば涙が零れてしまいそうだったので、できなかった。弥生さんはそんな私の見栄を察してくれたのか、そのまま話を続けた。

「といっても、私にはとても一流と呼べるほどの腕はないんだけどね。でもあの二人は違うわ。クロちゃんは話したとおり――ハナちゃんだって、この世界でたくさんの修羅場をくぐって生きてきた立派な麻雀打ちよ。――まぁ、態度はあんなだけどね」

 弥生さんはおかしそうに笑って言った。

 私は涙を拭って顔を上げ、弥生さんに向き直る。

「私、もう場を荒らすような麻雀は打ちません。みなさんにご教授いただいたことを、しっかりと胸に留めておきます」

「そう言ってくれると、私も嬉しいわ。でも、もしもまた本気で打ちたいと思ったときは、遠慮しないで私に言って頂戴ね。そのときはまた、最高の面子を集めてあげるわ」

「ありがとうございます。――でも、しばらくは勉強しなくちゃ。いまの私ではみなさんには太刀打ちできませんから」

「ふふ……謙虚な子ね」

 弥生さんはくすくすと小さく笑い、私の頭を優しく撫でてくれた。私はまた見栄を張ろうとしたが、照れ臭くなってすぐに表情が綻んだ。


 その後、私はシャワーを浴びてから自室へと戻り、とこいた。ブレザーを脱げば少しは寝心地がよくなるが、やっぱり寝間着は欲しいと思った。明日買いに行くとしよう。

 ――布団に入ってからも、私はしばらく寝付けなかった。寝ようと思っても、無意識の内に今夜の麻雀のことを思い出してしまう。

 あのとき、ああではなく、こうしておけば、どうなっていたのだろう。その次の選択肢でこっちを切ったとしたら、みんなはどう動いていたのだろう――など。考え始めればキリがない。

 結局、体勢を変えたり、毛布を顔までかけて目元を覆ってみたりしたが、眠れずに時間だけが過ぎていった。

「……寝れない」

 意味はないが、私は天井を見つめながら思わず呟いた。


 それでも不思議なもので、私の意識はいつの間にか途切れ、気が付けば朝になっていた。

 時計の時刻は九時を指していたので、八時間ほど眠ったらしい。

 私は昨日と同じように布団を畳んで洗面所に行き、顔を洗って軽く髪型を整えてからホールへと向かった。

 ホールでは、先に起きていた弥生さんがカウンターのもとでコーヒーを啜りながらテレビを眺めていた。

「あら、おはよう。よく眠れたかしら?」

「おはようございます。寝れたには寝れたんですけど、すぐには寝付けなくて……三時間くらいは布団のなかで過ごしてました」

「ふふ……まぁ、あの麻雀のあとじゃ無理もないわよ。とりあえず、今日も始まるのは六時からだから、それまでは好きに過ごしてて頂戴ね」

「わかりました」

 私は店を出ると、表通りに向けて足を運んだ。


 いまよりもう少し早い時間だと、ここ表通りは通学や通勤のために通る人間で溢れかえっているのだが、九時過ぎには疎らになってしまう。といっても、私にとってはそっちのほうが都合がいいのだが。

 そこでふと、私は一昨日の弥生さんの言葉を思い出し、疑問を抱いた。彼女は“私の身の回りをいざこざを清算する”というようなことを言っていたが、学校にはなんと言ったのだろうか。それにそもそも、なぜ雀荘の店主が女子高の校長と知り合いなのだろう――

 そんなことを考えながら歩いている内に、目的地である衣料品店に到着した。

 店内へと入ろうとした、そのとき――

「渚……?」

 聞き慣れた声で、名前を呼ばれた。私は振り返って、声の主を探す。

 そこにいたのは、私の同級生――兼、麻雀仲間であった少女、堺飛鳥さかい あすかであった。話によく出てきた裏の事情に詳しい友人というのも、彼女のことだ。

「あ、飛鳥……」

 私は動揺した。弥生さんがどう説明したかを知らない以上、下手なことを言えば矛盾が生じてしまう。

 しかし、飛鳥がお喋りな性格であることが幸いした。彼女はすぐにこう言いながら詰め寄ってきた。

「聞いたよ! 家族が大変なことになっちゃったから、あんたも学校辞めて働かなくちゃいけなくなったって!」

「え? あ、ああ……」

 なるほど。そういう説明をしたのか。私は少し安心した。もしもこの町を出ていったというような説明がされていた場合は、こうして出くわした時点でアウトだったからだ。

 飛鳥は私の返答を待たずして続けた。

「携帯に電話しようとも考えたけど、大変なときに下手に電話しても迷惑かなと思ってさ。でも、元気そうでよかったよ」

「ま、まぁ、しばらくは大変だと思うけど、ぼちぼちやってくよ。他のみんなにも、大丈夫だからって伝えておいて?」

「おっけーおっけー。また落ち着いたらさ、麻雀やろうね!」

「ええ。――ところで、学校はどうしたの?」

「遅刻。起きたら九時だったの」

「……相変わらずね」

 呆れて見せる私に、飛鳥はなぜか得意そうに「まーね」と返してきた。それから、思い出したように携帯電話を取り出して時刻を確認し、その場を離れていく。

「流石にこれ以上遅れちゃまずいから、そろそろ行くね」

「わかった。じゃあね」

「頑張ってね!」

「……ありがと」

 飛鳥は大げさに手を振って見せてから、小走りで去っていった。

 一人その場に残された私は、肩の荷が下りたような気がして溜め息を漏らした。私の身辺整理は、無事に完了したみたいだ。これで、気になることはもうなにもない。

 ――ちらっと、両親の姿が頭に浮かんだ。二人は、いまどこでなにをしているのだろう。

 同時に、こんな考えも浮かんだ。裏の世界で生きていれば、いずれ消えた両親に会うことになるかもしれない。根拠などない。ただの予感だ。

 だが、会ったところでどうすればいいのだろうか。私は言わば、二人から捨てられた存在だ。そのことについて問い詰めるべきなのか。

 しかし、私からしてみれば、そのことに対して怒りというものはなかった。そのお陰と言ってはなんだが、私は捨てられたことによって新しい生活に出会うことができたのだから。

 それらを踏まえると、やはり話すことがない。まだ会うと決まっているワケでもないのに、私はしばらくその場で考え込んでいた。

 やがて私は、“本当に会ったときに決めればいいや”という投げやりな答えに辿り着き、考えるのをやめて店内へと入っていった。もう一度言うが、ただの予感だ。まだ会うと決まったワケではないのだから――


 私は寝間着代わりのTシャツとジャージを買い、これだけでもいいかとも思ったが、外出用として薄手のパーカーも購入した。

 以前からやはり私は服にもこだわりがなく、いつも出かけるときは二着のパーカーを着まわしていた。飛鳥を初めとする友人一行からは“もっとオシャレをしろ”とよく注意されていたものだが、そのときも私の頭のなかは麻雀一色だったというのだから、もうどうしようもない。

 しかし、流石にもう学生ではないのにいつまでも学校制服のブレザーを堂々と着ているというのは如何なるものかと思ったのだ。だから、せめてブレザーの代わりにパーカーを羽織ろうという答えに行きついた。

 途中でコンビニにも寄って日用品などを揃え、買い物を済ましたあとは、昨日江上さんと会った定食屋にも寄って遅めの朝食を済ませた。その後は、やよいに真っ直ぐ帰った。

 時間はかなりあったが、どこかの雀荘に寄って麻雀を打とうという気にはならなかった。昨晩以上に白熱した麻雀は、そこらの雀荘では打てそうもないと思ったから。


 やよいに戻った私は、部屋に置いてある学生鞄の中から愛読書を持ち出し、ホールのカウンター席に座って読み始めた。既に五十回以上は読んだであろうものだったが、飽きることなく何度も読めるのだ。

 時間が過ぎていき、一時過ぎになったところで弥生さんが温かい蕎麦を作ってくれたので、一緒に食べた。昼食を済ませたあとも、私はやはり読書に勤しんだ。

 ――四時を回ったところで、誰かが店の扉を開けて現れた。私は読書に熱中していたせいで少し反応が遅れてしまい、慌てて本を閉じて立ち上がった。

「い、いらっしゃいませ……!」

「打ちに来たワケじゃないわ。弥生に聞きたい話があって来たの」

 そういって私のもとにやってきたのは、美琴さんであった。彼女は私が持っている本をちらっと見ると、“ほう”という顔になって私に言った。

「懐かしい本ね。私も昔、読んでたわ」

「ほ、ホントですか……?」

「ええ。何度読んでも飽きない不思議な本よね」

 美琴さんは微笑を浮かべるとともにそう言うと、私が座っていた席の隣に腰かけた。

「弥生は?」

「あ、いまちょっと店の奥に……呼んできますね」

 私はすぐに弥生さんのもとへと向かおうとしたが、美琴さんに呼び止められた。

「待って、渚。その前に、灰皿を持ってきてくれるかしら」

「は、はい……!」

 美琴さんに名前を呼ばれただけで、私は何故か有頂天になっていた。自分でもおかしく思えるほどに嬉々としながら、灰皿を美琴さんの前に用意する。

 それから、店の奥で飲み物の在庫を確認していた弥生さんを呼びに行った。

「どうしたの? すごく嬉しそうだわ」

 私の顔を見るなり、弥生さんはくすくすと笑った。私は急に気恥ずかしくなり、咄嗟とっさに表情を消してごまかす。

「べ、別に……えーと、その、美琴さんが来てますよ。弥生さんにお話があるとか」

「クロちゃんが? そう……」

 弥生さんは“なるほど、そういうことか”と言った様子のいたずらっぽい笑みを浮かべて私を見ると、物置の扉を閉めてホールへと向かっていった。

「別に……私はそんな……」

 その場には誰もいないというのに、私は無意識の内に言い訳のような呟きを発した。

 ――自分の感情がわからない。もやもやしていて、なんだか変な気持ちだ。

「……」

 私は両手で頬をぱちんと叩き、その気持ちを振り払ってからホールへと戻っていった。

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