僥倖のツモアガリ

 起家は、弥生さんだった。

 三r五七1246②④⑥西西白 ドラ ⑨

 赤ドラはあるが、嵌張ばかり。ツモに恵まれなければ、先制を許してしまうだろう。だがそうなったとき、西の対子はなかなかに頼もしい。

 第一ツモは7。私はじっくりと手を作っていこうと考え、1から切り出した。

 しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、場面は急展開が続いた。

 まず、二巡目に黒崎さんが切った中をハナさんがポン。そして今度はハナさんが切った發を、黒崎さんがポンした。

 さらに三巡後、弥生さんが切った四を、黒崎さんが三五でチー。その次の巡目には、私が切った②をハナさんがポンした。

 いきなり煮詰まった局面となり、私は緊張して場を見回した。

 まず黒崎さんだが、河には特に目立った特徴はない。おそらく、ドラを含めた手なりの最速アガリを狙っているのだろう。

 次にハナさん。例によって、彼女は掴みどころがなかった。三色すべての中張牌が、バラバラと切り出されている。かといって、端牌狙いの混老頭という風にも見えない。そもそも②を鳴いているので混老頭はあり得ないが。

 いずれにせよ、対々の形であることには間違いないだろう。仮に違っていたとしても、それはそれで打点が低いということになる。私の手の内にある危険牌は、まず初牌の白である。この牌はしばらく抱えておこう。

 しかし直後、その白を弥生さんが切った。声はかからなかったが、ハナさんがニヤリと笑ってこう言った。

「へぇ、この二人の仕掛けに対して、初牌の白を切ってくるとはね。姐さん、そんな打ち方だったっけ?」

「東一局の親番だし、泣き寝入りするにはまだ早いと思ったまでよ。ギリギリまでは攻めないとね」

「若いねぇ。歳は若くないけど」

「え?」

「……ごめんなさい」

 ――そんなやり取りはあったものの、場面はさらに厳しくなった。初牌の白を切ってきた以上、弥生さんも警戒しなければならない。

 私はもはやこれまでと思い、次巡、既に二枚切れている西を落としていった。この局、私はアガれないだろう。無理にテンパイに向かえば、放銃することになる。それは明白だ。

 決着は二巡後に、黒崎さんのツモアガリでつけられた。

 五六七67⑨⑨ (四)三五 發發(發) ツモr5

 僥倖の赤ツモといえるだろう。そのお陰で満貫の一枚オール。出だしとしてはまずまずのアガリである。

 ――偉そうに語ってはいるが、私はそれをアガられた側。呑気に感想を述べている場合ではないのだ。開けられた点差は、アガリ返して詰めねばならない。

 次は東二局。順調の滑り出しとなった黒崎さんの親である。


 勢いがある親は早めに落とすべき。セオリーはそうなのだが、なかなか上手くはいかない。

 三八九1123東西西北發中 ドラ 3

七種九牌。テンパイするのはいったいいつの話やら――一目見た感想はそんなものだった。

 しかし、麻雀はツモ次第でどんな手でも仕上がる。逆もまたしかり、配牌がどれだけよくてもツモが噛み合わなければアガれない。

 諦めるには早すぎる。ハナさんが一打目に切った西は流石にスルーしたが、二枚目は鳴くつもりで手を作ろうと考えていた。

 第一ツモは北。まともに打ったところで纏まるような手ではなさそうだと判断し、私は三から切り出した。本線はチャンタ、混一辺りで、ツモ次第では七対子といったところである。

 二巡目に1を引き、少々迷ったが、将来的な打点とドラの色を考えて八切り。三巡目、弥生さんから西が出てきた。私は迷わずポンした。そして九切り。

 その同巡、私は黒崎さんが切った1もポンした。どれを切っても同じような気もするが、感覚で選んだ中を切る。

 123東北北發 1(1)1 西西(西)

 中を引いたら笑い者だが、ヒントがないので仕方ないと割り切る。とにもかくにも、一向聴だ。

 しかし以降、字牌の出がいちじるしく悪くなった。北は勿論のこと、まだ重なっていないので鳴けはしないが、東も發も出てこない。

 それらが意味するのは、私が警戒されているということである。それはいい状態でもあり、悪い状態でもある。

 まずいい状態という捉え方についてだが、これは単純に、警戒して字牌を抱えては自由が利かなくなり、手が遅くなるという意味だ。全員に切れない字牌がバラバラと回ってくれれば、テンパイできるのは私だけとなる。七対子に纏めるという方法もあるが、やはりアガリ目は薄いし、効率が悪い。

 そして悪い状態――実際はこうなることのほうが多いのだが、切れない字牌が誰か一人に固まってしまい、他の二人には大したプレッシャーを与えられないという状況である。字牌を引いてしまった者は大人しくオリてくれるが、引かなかったものは気にせず真っ直ぐに手を作ってくる。また、字牌は引いたがもう一枚引いて雀頭として使えるといったパターンもある。そうなればやはり、不利なのは手牌が短くなっている私だ。

 そしてどうやら、今回は後者のほうが選ばれてしまったらしい。私の手がまったく進行しないうちに、ハナさんがリーチをかけてきた。

「さぁ、シロちゃん。アツいところをよろしく頼むよ~?」

 リーチ棒をチラつかせて見せてきながら、ハナさんが挑発的な笑みを浮かべて言った。私は彼女のペースに呑まれないよう、気にせずツモ山に手を伸ばす。

 幸いリーチ直後の私のツモは安全牌である④であったので、一巡は凌げた。――問題は、安全牌を引けなかったときだ。

 この状況、重なるのを期待して持っていた東と發はかなり危ない。ハナさんがその牌となにかのシャボ待ちで待っている可能性は十分に考えられる。それは北も同じことだ。

 かといって、索子も安全とは言い難い。ハナさんの捨て牌には、索子の下がまったく切られていなかった。

 この状況を招いたのは自分であるが、私は思わず心のなかで“参ったな”と呟いた。予定では、もっと早くテンパイするつもりだったのだが――

 他の二人はハナさんの現物を切って凌いだ。だが、オリたワケではなさそうだ。

 ハナさんの一発目のツモ――それは發であった。アガリではないらしく、河に打ち出される。

 私は安堵の溜め息を漏らしそうになった。これで一巡は凌げる――

 しかし、神様は私に意地悪なイタズラを仕掛けてきた。私の次のツモは、發だったのだ。

 ノータイムで發を合わせようと考えていたのだが、これでは大きく話が変わってくる。發を抱えて東を切れば、テンパイになる。だが、東切りはやはり勇気のいる一打だ。

 迷う場面ではあるハズだが、私は少しだけ考えたのち、發を切った。――冷静に考えてみれば、東を通したところで他の二人から北や發が出てくることはないだろう。

 いま切り出されたばかりの發は出てきそうなものだが、私が手出しで東という危険牌を切れば、容易に見抜かれてしまうハズだ。

 その巡に、弥生さんが發を手出しで切ってきた。私の考えが合っていたのかは彼女に訊いてみなければわからないが、対局中に訊くワケにもいくまい。私は彼女の実力を信じ、判断は合っていたんだと自分に言い聞かせた。

 そしてリーチ者であるハナさんが持ってきた牌が、またも私にとって選択の余地があるものであった。

 北――私はツモに行こうと伸ばしていた手を、ぴたりと止めた。

 鳴けばテンパイ。安牌である發を切って、東単騎。――はたして東単騎に、アガリ目はあるのだろうか。

 だが、このまま北を安牌として落としていったところで、同じことではないかとも思った。仮に上手く索子を持ってきて面子ができたとして、東を切れない以上、やはり待ちは東単騎になる。

 ならば――と、私は手を引っ込めて「ポン」と発声し、北を二枚晒した。

「へぇ、あたしのリーチに四センチで立ち向かってくるとはね」

「北を落としても、同じことだと思ったので」

「ふふ……さてどうなるかな。楽しみだね」

 發を切り、東単騎。もう残っていないかもしれないが、鳴かなくたっていずれ手詰まりにはなる。それなら僅かな可能性に賭けるべきだ。

 私の鳴きで、弥生さんは完全にオリの気配だった。もともと、無理をする手牌でもないのだろう。黒崎さんは、絶対安牌ではないが比較的安全といった牌を切ってきた。彼女はまだ諦めていないようだ。

 リーチ者のハナさんが⑤をそのまま河に置き、私のツモ番――これも⑤だった。

 それからしばらく、特に変化はなかった。弥生さんはベタオリ、黒崎さんは危険牌を避けて回っている。ハナさんはアガリ牌を引けず、かくいう私も東を引くことはできずにいた。しかし幸運なことに、危険牌もまったく持ってこなかった。

 このまま流局――それも悪くない。黒崎さんはわからないが、弥生さんがノーテンなのは確実だ。それならば罰符で1000点は入る。

 そして私の最後のツモ――ツモ切るつもりで盲牌をしたそのとき、私は思わず自分の親指に走った感覚を疑い、牌を見直した。

 東――

「ツモ……!」

 思わず声が大きくなってしまった。なにせ、東はもうツモ山にはいないものだと思っていたのだから。

「あちゃー、そっちに行っちゃったか。こりゃ残念」

「ってことは……」

「うん。あたしも東待ち。東と、36だよ」

 ハナさんは私の期待に応え、手牌を見せてくれた。

 33345 789⑧⑧⑧東東

 ドラ暗刻だったことには驚いた。そして同時に、もしも6を持ってきていたら私はどうしていただろう、とも考える。

 ――いや、切っていただろう。東だけでなく索子の下も切れなかったのだから、手を崩すぐらいならツモ切ってしまう。

「シロちゃんはリーチがかかったらオリてくれると思ってたんだけど、そこまで甘くはなかったってことだね。ちょっと見誤っちゃってたかも?」

 ハナさんはそう言ってくれたが、今回はただ運が味方してくれただけのことだ。6を引っ張ってきたら、間違いなく終わりだった。

 しかし、とにもかくにも、理想的な勝ち方ではなかったが、私はハナさんのリーチをかわして満貫をツモることができた。

 この僥倖を活かし、なんとか勝利への流れを築きたいところだが――


 しかしそれからは、地味な局面が続いた。流局や、低い点数のアガリが続出し、局だけが進んでいった。

 “確実に貰った”と思えるような好配牌は来なかったし、それは他の三人も同じようであった。

 ――場面が大きく動くキッカケとなったのは、南三局、ハナさんの親番であった。


 六七八八③④⑤⑥⑦⑧234

 八巡目だ。ドラは南で私の風牌ではあったが、二巡前テンパイしたときに切り飛ばしていた。

 私はトップを維持していたので、ここは打点よりも局を進めるためにダマを選択していた。勿論、筒子に上手くくっついて三面張になる可能性だってある。

 しかし、私は困っていた。親のハナさんがリーチをかけたのだ。

 彼女にしては珍しく捨て牌にこれといった特徴がなく、平凡な平和系に見える。宣言牌が四だったので、その周りが特に怖いということくらいしか言えない。

 さらに、黒崎さんも發と北を鳴いており、河には萬子が高い。最終手出しがドラの南だったので、既にテンパイという可能性は十分に考えられた。

 無論、私もテンパイはしているが、私はおそるおそるツモ山に手を伸ばした。

 引いてきたのは、②だった。待ちに待った三面張に変えられる牌ではあったが、そのためには八を切らなければならない。その八はリーチにはおろか、黒崎さんにも危険な牌だ。

 無理はできない。②はハナさんの現物だったし、黒崎さんが混一だと仮定すればこちらにも通る。私は②を切った。

「ポン」

 弥生さんの声だった。――しまった、こちらを完全に見ていなかった。改めて見てみると、弥生さんの河には筒子がまったく切り出されていない。

 そして弥生さんは、かなり強い三を切ってきた。――ロンの声はかからなかったが、その切り出しには黒崎さんも驚いたらしく、ツモにいく手が少し遅れた。

「現状ダンラスだしね。無理してでも攻めないと、順位は上がらないでしょう?」

 誰も口にはしていなかったが、弥生さんは全員に対してそう言った。――それもそうだが、それにしても強い牌だ。

 私は、よもやの清一色まであるのかと考えた。r⑤が見えていないので、それさえ持っていれば跳満になる。それならば、押す理由にはなり得るだろう。

 黒崎さんが既に三枚見えている東をツモ切り、リーチ者であるハナさんが、「あぶねっ」と言いながら④を河に置く。――弥生さんに動きはなかった。

 そして、私のツモ番。私の思いはひとつだった。ツモってしまえ――!

 私はぐっと、牌の表面を親指でなぞる。

 萬子の、八……

「ツモ……」

 全身の力が、一気に抜けた。値段は安いが、三人を掻い潜ってのツモアガリ――安堵と歓喜が、私の胸中を一瞬で満たした。

「同テン引き負けちゃったかぁ、どうもシロちゃんとは相性がいいみたいだ。困ったねぇ」

 ハナさんが体を伸ばしながら、私の手を見つめる。

「私も今回は自信があったんだけど、シロちゃんの気持ちに負けちゃったみたいね」

 弥生さんはそういって、弱々しく笑みを浮かべながら手牌を後ろに倒した。

「姐さんはどこまであったの? 字牌混じってた?」

「染めきれてたわ。赤もあったわよ」

「跳ねちゃってたってワケね。④持ってきたときは流石にヒヤッとしちゃったよ」

「そうね。是非ともあなたから当たりたかったわ」

「無理無理。年齢差的に」

「なに?」

「……次、オーラスだね」

 二人の会話は聞こえてはいたものの、私は関せずにずっと卓についている点数表記のパネルを見つめていた。

 私が33500、弥生さんが20100、黒崎さんが24500、ハナさんが21900――誰にでも、トップ逆転の可能性がある。

 加えてオーラスは私が親だ。ツモによる逆転の条件が緩和されてしまう。

 やはり、最後も自分でアガって幕を閉じたい。それがもっとも理想的な終わらせ方だ。

 私は深呼吸をひとつ挟んでから、卓の真ん中のボタンに手を伸ばした。次で、すべてが決する――


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