屈辱

 “強気に打とう”という前向きな決心は、もう既に消え去りつつあった。まずはいまの失態で失った様々なものを取り返そうと、私は躍起やっきになって配牌を開けた。

 一四七2368⑥⑥⑧東東中 ドラ 中

 ダブ東の対子はありがたい。しかし、他があまりよくない。ドラの中が一枚だけあるというのも始末が悪い。

 私は一から切り出した。

「東風のマスターから聞いたんだけど――」

 突然、黒崎さんが喋り始めた。

「あなた、あそこを随分と荒らして帰ったみたいね。稼ぎ場を荒らされちゃ、私も困るのだけど」

「……私は麻雀を打っただけです。対等な勝負をして勝って、いったいなにがいけないというんですか」

「対等な勝負――ね。まぁいいわ、そんなのはどうでもいいの。とにかく、あなたには店を荒らした代償として少し痛い目に遭ってもらうから、覚悟しておきなさい」

 私はさっと緊張して、黒崎さんを見据えた。

「――なんですか、指でも取ろうってんですか」

「馬鹿言わないで。指なんか貰ったって私にはなんの得もないでしょう。麻雀で完膚かんぷなきまでに叩くという意味よ」

「麻雀で……?」

「この世界で雀屋を荒らすとどうなるか――身を持って思い知りなさい」

 その言葉を最後に、黒崎さんは口を閉ざした。

 私は苛立っていた。勝てば荒らしたと言われ、負ければカネを取られる。それならばいったいどうすればいいというのだ。

 ――東一局の失態は確かに痛い。しかし、まだ勝負は終わっていない。それにカネには多少なりとも余裕があるし、仮にこの半荘を落とすことになったとしてもゲームオーバーではない。

 私は心機一転して、麻雀にのぞむことにした。この人たちを負かし、私の力を証明してやる。


 ――しかし、私の気合とは逆に、手牌はあまり進行しなかった。

 東はおろか、順子シュンツのほうですら鳴く気が起こるような牌が切り出されない。偶然か、それとも意図された切り出しなのか。私は目だけを動かし、ハナさんの表情を盗み見た。

 ハナさんは高レートの麻雀を打っているとは思えぬ、柔らかな表情をしていた。しかし、目だけは卓上のすべてを見逃さぬようせわしなく動かしている。

 私はそこで、ふと全員の共通点に気が付いた。というより、これは麻雀が上手い人間の共通点とも言えるかもしれない。

 切るとき、ツモるとき、鳴き牌を晒すとき――彼女たちは、牌を用いたすべての動作が無駄のない華麗なものであった。

 特に切るとき、音を立てすぎず、河の狙った箇所に一発で“スコン”と置く。さらに、どうしても右手で切るとその手の陰で下家の人間には見づらくなってしまうところを、切ったらすぐに手を引き、なるべく見やすくなるように配慮している。

 おそらく全員が、無意識でそれらのことを為しているのだろう。対する自分の牌捌きを見直したとき、私は羞恥心に駆られた。

 同級生の麻雀仲間のなかでは負け知らず。牌の扱いだって私の右に出る者はいなかった。

 それがいまはどうであろう。まさしく、井の中のかわず――一流に囲まれた二流である。

 ミスをして不安になり、吹っ切れて気持ちを改め、そしてまた、私は弱気になりつつあった。

 だが、“気分が乗らないので、これで終わりにしてください”などとは口が裂けても言えない。私はつのる弱気を振り払う気持ちで、ツモ山に手を伸ばした。

 引いたのは、中であった。二つの役牌を鳴くことができれば、跳満まで見える手になった。

 しかしいかんせん、テンパイまでが遠すぎる。途中関連牌は何枚か引いていたものの、まだ面子ひとつすらできていないのだ。

 巡目だって既に十一巡目。もう誰かテンパイしている可能性だって十分に考えられる。

 私はひとまず、七を切った。ここまでで引いた萬子は四が一枚だけであり、見切るならこの色だろうと判断したからだ。

 その判断は効を奏してくれた。その後もやはり一枚も萬子を引いてこなかった。

 それから三巡後、私は2を引いてきた。

 四四22368⑥⑥⑧東東中中

 面子は結局ひとつもできなかったが、気付けば七対子の一向聴である。私はハナさんがたったいま切った6を合わせて切った。

 そして次巡、8をツモった。私は全員の捨て牌を見回した。

 3は黒崎さんが一枚、ハナさんが一枚それぞれ序盤に切っている。⑧は、弥生さんが二枚落としていた。

 さらにもうひとつ重要な情報として、弥生さんは⑥も二枚落としている。そして、⑨は全員がバラ切りしていて、既に四枚見えていた。

 つまり、⑧はもう誰も使えない牌ということだ。そこで待てば、掴んだ人から当たれるだろう。

 しかし、ひとつだけ問題があった。この3、少し切りづらいのだ。私は弥生さんの河を睨んだ。

 二四⑥⑥九⑧ 西⑧北三⑨③ 2八

 随分と特徴的な捨て牌だ。終盤の2以外、索子が切られていない。字牌も西と北が一枚ずつのみだ。

 十中八九、混一だろう。問題はテンパイしているのかどうか、そして3が通るのかどうかということだが――

 迷った末、私は⑧に手をかけた。メンホンに打ち込んだら、だいたい満貫は覚悟しなければいけない。さっきのいまで、その支出は避けたかった。

 ――が、⑧を掴んで持ち上げたところで、ぴたっと手が止まった。もしも3が通れば、親の9600テンパイ、そして待ちは掴みさえすれば鉄板の⑧単騎。

 おそらく、3は弥生さんも持っているだろう。3単騎ではアガリ目は皆無に等しい。

 私はふうっと小さく息をつき、⑧を元に戻して3に手をかけた。そして、一息に河に切り出した。お願い、通って――

「……ふふ。覚悟を決められちゃったみたいね」

 弥生さんはそう言って、手牌は倒さずツモ山に手を伸ばした。――私の肩が安堵により、がくんと落ちた。

 通った。これで誰かが⑧さえ掴んでくれれば――

「あら、こんな牌がまだいたわ」

 弥生さんがそういって、「ツモ」と続けた。

 11123r556677中中 ツモ 1

 メンホンツモ一盃口赤ドラドラ、4000・8000――

 そのときの最善を尽くそうが、負けるときは負ける。それが麻雀だ。

 私は奥歯を噛み締めながら、8000点を支払った。


 いまの東二局に、ミスはなかったハズだ。ミスがなかったなら、倍満親被りは致し方ないことだった。――そう考えるしかない。

 5200放銃に、8000ツモられ。まだ東三局であるというのに、私の持ち点は11800とかなり心細い数値になっていた。

 だが、まだ諦めるワケにはいかない。東三局の配牌が、私のそんな気持ちを後押ししてくれた。

 二二三三四四r五⑤⑥889白 ドラ 三

 上手く纏まってくれれば、高打点を望める手になる。理想はメンタンピン一盃口赤ドラドラ、ツモって倍満といったところだろう。

 弥生さんが第一打、白から始め、黒崎さんが①、ハナさんが白。

 私の第一ツモは、7であった。無駄ツモではないが、789の面子を固定してしまった場合タンヤオが消え、少し纏まりが悪くなってしまう牌だ。

 とりあえず、白切り。そして次巡、一を引いてきた。

 少しわかりづらいが、いちおう一向聴である。さきほどできた789を崩して8を雀頭に固定すれば、三六か④⑦の引きでテンパイ。

 789を面子として使うと考えた場合は、8切りで、一三四五六、④⑤⑥⑦の引きでテンパイの形となる。当然、受け入れ枚数の数から考えて、私は8を切った。タンヤオは消えてしまうが、9に続いて一まで有効牌として来てしまったのなら、流石にもう拘る必要はない。

 二巡ツモ切りが続き、三巡後、私はr⑤を持って来た。⑥切りでテンパイ、三六待ちである。

 しかし、いい待ちとは言えない。三は自分で二枚使っているし、よくも悪くもドラである。リーチなどかければ、安目だろうとまず出ないだろう。

 私は⑥を切り、ダマを選択した。いちおう平和赤赤ドラドラで満貫はあるし、途中で一か四を引いてこれれば一盃口までつく。そうすれば跳満だ。

 そして勿論、現状でもツモれば跳満になる。次巡、私は祈る思いでツモ山に手を伸ばした。

 引いてきた牌は、一であった。しめた、これで出アガリでも跳満になった。私は心底喜び、四を切り出した。

 うっかり切ってくれぬものか――余裕が生まれた私はそんな思いで他家の捨て牌をじっと見る。弥生さんが七、黒崎さんが5を切って――

「リーチ」

 数秒前の余裕など一瞬で消し去った。嘘だと言ってよ――

「ありゃありゃ。二人に先制されちゃ、この局は見学かなぁ」

 ハナさんがそう言いながら、手牌の真ん中に置いてあった5をつまんで河に置く。

 ――二人? 私のテンパイに気付いていたのか。いったいどこでバレたのだろう。

 それよりも、いまは自分が置かれた状況のことだ。危険牌だけは、持ってこないように。あわよくば、アガリ牌を――

 しかし、現実は非情であった。持ってきた牌は、6であった。私は黒崎さんの捨て牌を睨む。

 ①③南發1四 リーチ5

 69は宣言牌である5の裏スジ、まさしく本命だ。しかし、安牌の四など切れば、手は一気に崩れてしまう。

 回ろうにも、回れない。ならば、覚悟を決めて押すべきか――

 私はせめて端のほうにしようと、9に手をかけた。そしてその牌を、そっと河に置く。黒崎さんの目がさっと動き、私の9を捉える。そして彼女の口がゆっくりと開いた。

「ロン」

 三三四五六34r578北北北

 裏ドラは、私が切った9であった。リーチ一発赤裏ドラドラ、跳満。

 私は点棒ケースを開け、千点棒を二本と、黒棒を一本、黒崎さんに渡し、屈辱の報告を口にした。

「……トビです」

 素点に加え、アガられた祝儀の支払いを合計した私の負け金額は、十二万と四千円であった。


「ツイてないねぇ、シロちゃん。手は入ってそうだったのにさ」

 精算の最中、ハナさんが私に言った。

 それが本心でないことぐらいは、私にもわかった。つまり、彼女は私をからかっている。

 しかし、敗因は自分のミスだ。恨む相手は自分以外いない。

「どうするの? いまここで頭を下げれば、今日のところはこんなもので勘弁してあげてもいいけど」

 黒崎さんが言った。私は顔を上げ、黒崎さんを睨み据えながら答える。

「続けますよ。次は勝ちます」

「威勢がいいわね。私は別に構わないけど」

 黒崎さんは鼻で笑い、煙草を咥えて火を点けた。すると、その煙草を素早くハナさんが取り上げた。

「ちょっと、あたしの前で煙草は吸わないでよ!」

「返しなさいよ。煙草を吸っちゃいけない雀荘があってたまるもんですか」

「あちこちにありますよーだ。とにかく、服に臭いつくの最悪だからマジでやめてよね」

「無理」

「は? 脱がすよ?」

「……なんでそうなるのよ」

 ――喫煙家と嫌煙家による一悶着はしばらく続いたが、結局、ハナさんが引き下がる形で収められた。

「クリーニング代、ちゃんと貰うかんね」

「麻雀で取ってみなさい」

「上等じゃん。――それはそうと」

 ずっと二人のやり取りを眺めているだけだった私に、ハナさんが視線を移してきた。

「一ゲーム目でトビラス喰ったシロちゃんに、耳寄りな提案があるんだけどさ」

「なんですか?」

「レート、倍にしない?」

「……え?」

「“センニセン”の、ウマはちょっとだけ上げて、“ゴットー”ってことでさ。どうかな?」

 私は耳を疑った。千点二千円という時点でも単純に先ほどの倍――充分な高レートだが、ウマの設定もやはり先ほどと同じく冗談では済まされない。

 通常“ゴットー”といえば、三着が二着に5000点、ラスがトップに10000点という設定なのだが、彼女の話からすると、ゼロがもうひとつついてしまう。

 計算すると、箱で二十六万となる。私からすれば、もはや正気の沙汰ではない。

 唖然としている私に、ハナさんは続けた。

「そうびっくりしないでさ、考えてみてよ。レート上げた次のゲームでトップ取れば、いまのトビラスがチャラになるんだよ? 勝ち方次第じゃ、一気にプラスにまでなるかもしれないしね」

「でも――」

「あれぇ? もしかして、負けるのが怖い?」

 ハナさんはいたずらっぽい笑みを浮かべ、私を小馬鹿にするように見つめてきた。

 頭にはきた。しかし、レートを上げてもしもトビラスを喰えば、流石にアウトだ。それに、ただのトビではなく大きなマイナスを背負ってのものとなれば、支払いが足りなくなる可能性だって出てくる。

 ならば、素直に謝り、“いまのままのレートにしてください”と言うか。

 ――ふざけるな。これ以上ナメられてたまるものか。

「わかりました。倍にしましょう」

「ふふ……いいね、シロちゃん。あたし、あなたのことホントに気に入っちゃった」

「ただ、大きなラスを引いた場合、いまの持ち金では払えないかもしれないんです。そのときはまた――」

「だーいじょーうぶ。――そのときは、あたしが払ってあげるから」

 私はハナさんの顔を見た。目が、笑っていなかった。

「本当に大丈夫なの? もう十分痛みを受けて反省したハズだと思うし、私は別に日を改めてってことでもいいのよ?」

 唯一、弥生さんだけは私に気を遣ってくれた。勿論、一ゲーム目の状態から考えれば、彼女の提案を受け入れて続けるべきではないことはわかる。

 しかし、もう下がれなかった。ここで下がったら、一生ナメられてしまうだろう――そんな感覚に陥っていた。

「ありがとうございます、弥生さん。――でも、打たせてください」

「……いいのね? 私だって対局が始まったら、遠慮はしないわよ」

「望むところです」

 弥生さんは心配そうな表情から一転、破顔してくすくすと笑った。

「わかったわ。それじゃ、始めましょうか」

 それを受け、ハナさんが意気揚々と卓の真ん中の赤いスイッチを押し、牌を中央の穴に流し入れた。

「さぁ、レートアップでさらに盛り上がって行きましょ~!」

 つい一昨日まではただの学生であった私からしてみれば、とても正気などでは打てぬ、箱で二十六万の麻雀。

 面子のレベルも相まり、この対局は私の麻雀人生というものの分岐点にすらなるやもしれぬ――私は、そうとまで考えていた。

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