翻弄
その日は午後の七時になるまで、誰一人として客は来なかった。弥生さんに訊いてみたところ、なんでもない平日はいつもこんなものだと言っていた。
しかし前述した時間になったところで、黒崎さんが一人でやってきた。彼女は現れるなり、火が点いた煙草を咥えたままカウンターにいる弥生さんのもとへと歩いていく。
「いきなり人の携帯に電話かけて、今夜打ちに来いと命令したからには、それ相応の対価を頂けるんでしょうね」
かなり虫の居所が悪そうであった。しかし、弥生さんは「まぁまぁ」と宥め、今夜の勝負についての説明を始めた。
「この子、昨日からウチで面倒を見ることになったんだけどね。ちょっと尖った部分が目立つから、あなたに鍛えてほしいのよ」
「はぁ?」
黒崎さんは“何故私がそんなことを”と言わんばかりに眉をひそめていたが、弥生さんの視線を辿って私の姿を見つけると、意味深に頷いた。
「――なるほどね。いいわ、引き受けてあげる。それにしても、何故この子の面倒を?」
「ワケありなのよ。住む家も頼るアテもない――でも麻雀は打てるとなったら、ウチで拾ってあげるのがいいと思ったまでよ」
「ふーん……」
黒崎さんはつまらなさそうに相槌を打つと、側にあった卓の席に腰かけ、続けた。
「面子は? あんたを入れるとしても、一人足りないじゃない」
「呼んであるわ。そろそろ来ると思うんだけど」
弥生さんが言葉を言い切ると同時に、出入口の扉が開いた。
「ごめんごめん、遅くなっちゃった。ここ来る前に軽く飯食っとこうと思ってラーメン屋寄ったんだけどさ、そこで三十分も待たされちゃって。あたしのせいじゃないから、そこんトコよろしくね」
陽気にそう言いながら現れたのは、ピンク色の髪に金のメッシュが入った派手な髪型の、見たことがない女性であった。その女性は店内を見回し、黒崎さんの姿を見つけて嬉しそうに笑った。
「おっす、久しぶりじゃん。元気してた?」
「――まさか、四人目ってのはあんたのこと?」
「そーみたい。
明るく笑う派手な見た目の女性に、黒崎さんは呆れているようにも見える様子で溜め息をついた。
「来てくれてありがとう、ハナちゃん。いきなり無理言ってごめんなさいね」
弥生さんの言葉を受け、ハナちゃんと呼ばれたその派手な女性は笑顔をそのままに今度は弥生さんに視線を移す。
「ホントだよ。姐さんの呼び出しでもなけりゃ、こんなオンボロ雀荘来ないってーの」
「そのオンボロ雀荘の主は、あなたがいう姐さんなんだけど?」
「おっと……こりゃ失敬。それより、今夜の勝負ってどんな感じなの?」
カウンターのもとへ行き、冷蔵庫を開けて勝手に缶ジュースを取り出しながら訊く。
傍若無人そのものといった振るまいをしているが、この女性は何者なのだろう――私がそんな目でハナちゃんというらしいその女性を見つめていると、彼女は私に気付き、今度はこちらに小走りで駆け寄ってきた。
「かわい子ちゃん見~っけ。こんなトコでなにしてんの?」
「あ、えーと……私は……」
私が困惑していると、弥生さんが助け舟を出してくれた。
「その子が、あなたの今夜の対戦相手よ。白石ちゃんって言ってね、私たちはシロちゃんと呼んでいるわ」
「へぇ、シロちゃんか」
その女性は私をじっと見つめたまま缶ジュースを一口飲み、それから左手を突き出してきながらこう言った。
「あたしは
「は、はい……」
私は彼女――ハナさんの陽気な振る舞いに気圧されながらも、その左手を取った。
「にしてもひどいなぁ、姐さんは。こんな可愛い子と知り合えたなら、どうしてあたしに連絡してくれないのさ」
「連絡する義理もないと思ってね」
「ひっどーい。あたしはいっつも仲間外れだ」
ハナさんは弥生さんにそう言って、頬を膨らませてみせた。
――それから、私のほうに向き直る。そして、顔をぐっと近付けながら囁くようにこう言った。
「……それにしても、ホントに可愛い子」
「は、はい……?」
私は突然、背筋をなぞられるような、嫌な感覚に襲われた。ハナさんは浮かべていた笑みを妖しいものに変え、さらに顔を近付けてきながらこう続けた。
「ふふ……あたしのものにしたくなっちゃう」
「ッ――」
やめてください――そう言ったつもりだったが、声にならなかった。蛇に睨まれた蛙とは、おそらくいまの私のような気持ちなのだろう――。
そこで、いつの間にかハナさんの背後に立っていた黒崎さんが、彼女の肩を引っ張って私から引き剥がしてくれた。
「いい加減にしなさい。話が進まないでしょうが」
「なにさ、もしかして嫉妬?」
「ふざけたことを抜かしてないで、さっさと卓に着けと言っているのよ」
「ふふ……怖い怖い。わかったよ」
苛立っている黒崎さんに対しても、ハナさんは陽気な態度を一切崩そうとしなかった。
黒崎さんが止めてくれなかったら、私はどうなってしまっていたのだろうか。その前に、このハナという女性はいったい何者なのだろう――そんな私の不安を知る由もなく、他の三人は卓へと向かった。
掴み取りで場所を決め、各々が決まった席に腰かける。
私、弥生さん、黒崎さん、ハナさんという席順になった。
「どんな卓なのかは知んないけど、レートはつけるんだよね?」
ハナさんが裏返しになっている牌を
「別に構わないけど、あんまり高いレートはダメよ」
「“センセン”の“ザンク”でどう?」
千点千円の、ウマが30-90ということだ。箱で十二万――私からすれば、かなりの高レートである。
幸いなことに、弥生さんが反対してくれた。
「却下よ。ウマが高すぎるわ」
「なにさ、順位の争奪こそが麻雀の醍醐味でしょ?」
「だとしてもよ。今回の麻雀、金銭のやり取りが主な目的じゃないの。言わば彼女の勉強会なのよ」
「勉強会ー?」
ハナさんは不満そうにそう繰り返し、私に視線を移した。
「それじゃ、シロちゃんから授業料は貰えるんだね?」
「……おいくらですか?」
「ふふ……あたし、生憎カネには困ってないんだよねぇ。なにか別の形で頂きたいなぁ……」
ハナさんが目を細めた。私は再び、嫌な感覚に襲われる。
またしても助けてくれたのは、黒崎さんであった。
「いちいち面倒なやり取りを始めないで頂戴。――それはそうと、私は別に花京院が言ったレートで構わないわよ」
「さっすが~。姐さんは置いとくとして、あとはシロちゃんだけだよ~?」
ハナさんが頬杖を突きながら、私を見定めるように見つめてくる。
正直に言えばもう少し落としてほしかったが、始める前からナメられるワケにもいかない。私は意を決して、首を縦に振った。
「よ~し。それじゃ、楽しい楽しい麻雀を始めましょ~!」
「ちょっと。姐さんは置いとくとしてってなによ。私の意見は――」
「あーうっさいうっさい。若者に囲まれてついていけないってのはわかるけどさ、あんまりノリ悪いと余計に年寄り感出ちゃうよ?」
「――あんたを破産させるために打とうかしら」
「やれるモンならね~」
掴み取りで東を引いたハナさんが起親決めのボタンを押し、対局が始められた。
起家はハナさんに決まり、私は南家スタートとなった。
23356③④⑦⑨東南發發 ドラ 3
これが配牌だった。ドラ対子に、役牌対子。悪くない。
私はすっかり面子の雰囲気に呑まれて小さくなってしまっていたが、そこでようやく、今日の東風での好調を思い出すことができた。
あの勢いが残ってくれていれば、この面子にも太刀打ちできるかもしれない。私は強気に打とうと心に決めた。
ハナさんが第一打に北を切り、私のツモ番。――東。
願ってもない二つ目の役牌対子ができた。これなら、どこからでも仕掛けたって大丈夫な形になる。浮き牌の南切り。
「ポン」
発声は、ハナさんのものだった。私は思わず、彼女の手元を二度見してしまった。親がオタ風の南を一鳴き――
「ふふ……さて、シロちゃんはこの鳴き、どう考えてくれるのかなぁ?」
困惑している私の顔を面白がるように見つめながら、ハナさんはr⑤を切った。
「……チー」
赤とはいえ、流石に両面チーは早々すぎる気もした。しかし、私は彼女のr⑤切りを咎めるという意味でも鳴いた。そして、⑨切り。
「それもポンかな」
またしても、ハナさんだった。――彼女のいたずらっぽい表情を見て、私は確信を持った。これは私を混乱させるためのブラフだと。
彼女は次に、「この辺りかな?」と言いながら、7を切ってきた。私は迷わずチーして、⑦を切った。
233東東發發 (7)56 (r⑤)③④
どこからでも仕掛けるつもりだった。1、4チーでは満貫にならないが、先制テンパイを入れておきたかった。
また、私が最後に切った⑦は鳴かれなかったので、私の下家の弥生さんはようやく第一ツモを手にすることができた。
「二人だけで進めないでよ。やっとツモれるわ」
「時代はスピード麻雀だよ、姐さん。とはいえ昭和生まれには厳しいかな?」
「え?」
「……なんも言ってないっす」
弥生さんが打⑨。続けて黒崎さんが打⑦。それらの切り出しを見て、ハナさんが愉快そうに笑って言った。
「早くも受けの姿勢? そんなんじゃあたしが連荘しちゃうよ~?」
それから、手牌の右端に置いてあった⑥⑧を晒し、黒崎さんの⑦をチーした。私だけでなく、他の二人も流石に顔を上げた。
「さぁ、あたしは早くも“四センチ”。果たしてこの残っている牌は整ってるのかな? それとも、バラバラなのかなぁ」
ハナさんは他人事のようにそう言いながら、中を切った。
私はツモ山に手を伸ばしながら、ハナさんの手を横目で見た。
???? (⑦)⑥⑧ ⑨⑨(⑨) 南南(南)
晒した牌を見るには筒子の混一――なのだが、彼女はr⑤を切り飛ばしている。混一でないとすれば、役牌のバックのみに絞られる。中はたったいま切ってきたので、可能性があるとすれば東、白、發の三種類。その内、東と發は私が対子なので、私にとっての危険牌は白のみだ。
私は気を楽にして、ツモってきた牌を盲牌した。――つるりとした感触が、私の親指に伝わってきた。
万事休す。唯一切れない牌を、一発で持ってきてしまった。
いや、厳密に言えばまだ切れないと決まっているワケではない。彼女の頼みの役牌が東か發という可能性だってある。もっと言えば、まったくバラバラという可能性も十分に考えられる。
しかし――私は完全に、思考の沼に嵌っていた。こうなってしまえば、すべてが危険牌に見えてしまう。白は切れない。東と發も。索子だって、白が暗刻の単騎待ちなら当たる可能性がある。ましてやドラなど絶好の牌――
私はかなりの長考をしてしまっていた。その末、手をかけた牌は2であった。
――切った直後、私ははっとした。
私はなにをやっているんだ。仮に白で当たろうが、ドラが雀頭という最大の形で5800点、ドラがなければたったの1500点だ。そんな安い手に対して私は恐れ慄き、考え込んだ末に受け入れ枚数が減る牌を切ってしまった。
明らかな失敗。そしてそれは表情によく出ていたらしく、他の三人にも察知されてしまったようだ。
「ミスっちゃったの~? それが致命的なものじゃなければいいね~」
ハナさんの嘲笑。笑われたって、仕方がない。私は相応のミスをやらかしたのだから。
このような状況で比較的第三者である弥生さん、黒崎さんから東、白、ドラの3なんかが出るハズもなく、その局はたんたんと巡目だけが進んでいった。
終盤も終盤の、十五巡目。ツモ切るだけとなっていた私のもとに、4が来た。
もはやアガる気――いや、テンパイに向かう気力すらなくなっていた。せめてもの抵抗として、三つの役牌を握り潰して静かにしていようと考え、私は4をツモ切りした。
「ロン」
手牌を倒したのは、黒崎さんだった。
三四五六六六35③④⑤東東
三色ドラ、5200点。私は点数を払っている最中、ずっとハナさんの前に立てられている四枚の牌を見つめていた。
「見たい? いーよ」
ハナさんは四枚を鷲掴みにして、「ほいっ」と言いながら私に突き付けるようにして手牌を見せてくれた。
34白發
これが、彼女の手牌だった。
私は必死に動揺を隠し、喉の奥から押し出すようにして「どうも」とだけ返した。
心臓が締め付けられるようなこの感覚は、しばらく消えないことだろう――。
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