東風戦
“やよい”もそうだが、裏通りにある雀荘の看板にはレートが書かれていないことが多かった。
説明を円滑にするために紹介しておくが、雀荘はセットとフリーと呼ばれる二種類に分けられている。
まずセットというのは、四人乃至は三人で来た客に一時間いくらといった形で卓を貸すことを指す。対してフリーとは、バラバラに来た客が店ごとに設定されたルールとレートに沿って麻雀を打つことだ。勿論、そのふたつを同時に提供する雀荘だってある。むしろ、大半の雀荘がそうであろう。
話を戻して、裏通りのレートが書かれていない雀荘についてであるが、そういった店は体制としてはセット雀荘を装ってはいるものの、やっていることは実質フリーということが多かった。
表のフリーとなにが違うのかというと、レートを各々集まった客同士で決めてしまうという点にあった。どれだけ高いレートにしようと客同士が決めたことなので、店側は関していない。高く決めてくれればそれだけ場代が儲かるので口出しもしないのである。
特にここ、裏魅神楽では、警察の目が無いに等しい。“騒ぎ”さえ起こさなければ、他はなんでも許されてしまうのだ。
――私はそんな無法地帯である雀荘を、転々と回った。中に入りはしないが、どこになんという店があるのかを知っておきたかった。
四軒目に立ち寄った“東風”という名の雀荘を前にしたところで、私は昨晩、“やよい”で黒崎さんと弥生さんがこの店についての話をしていたことを思い出した。
「(この店、東風戦の場センゴって言ってたっけ。稼ぎやすいみたいなことを言ってたし、黒崎さん、いるのかな)」
私はそう思ったが、同時に、流石にこんな朝早くからはいないか、とも思った。
しかし、私は店の扉に手をかけていた。さっきも言ったが、打つ気はない。見るだけだ。――見るだけ。
やよいは六卓だったが、東風には十六もの全自動卓が置いてあった。
そして朝の八時過ぎであるにもかかわらず、既に三卓が稼働していた。その内二卓は徹夜明けらしく、全員が青白い顔をしている。もう一卓は、早起きの年配の方々が四人集まっていた。
「いらっしゃい。ご新規さん?」
丸眼鏡が特徴的な、店員と思われる中年の男性が私に気付いてやってきた。胸元の名札には、“佐々木”と書かれている。私は佐々木さんに、黒崎さんのことを訊ねてみた。
「あの、この店に黒崎さんという方はいらっしゃってませんか?」
「黒崎さん――ああ、クロちゃんのことか。彼女なら、
「今日は、来ていないみたいですね」
「流石にこの時間じゃね。来るとしたら、夜になってからだと思うよ」
「そうですか」
会話が途切れたが、佐々木さんからしてみれば肝心なことが聞けていないので、彼は続けてこう聞いてきた。
「お嬢ちゃん、打つのかい?」
「え? あ、ああ……」
うっかりしていた。新規かどうかを訊かれて、別の質問をしただけでまだ答えてはいなかった。
私は反射で、「はい」と言った。
佐々木さんに軽くルールの説明をされたあと、ちょうど徹夜組のほうの一卓が一人欠けたので、私はそこへ入ることになった。
形だけの「よろしくお願いします」という言葉を告げ、席につく。大体こういうとき、空くのは負けてる人間の席なのだが、私はあまりそういったことを気にしなかった。
喰いタンあり、後付けありの、東風戦。前から出ている“場センゴ”というのは、積み棒が通常一本300点のところ、1500点になるというルールだ。例えば一本場で満貫をツモれば、2500・4500となり、出アガリなら9500点となる。二本場ならツモで3000・5000、ロンなら11000である。
だから連荘が続けば、必然的に点数が高くなる。本場がついたときに、いかにそれを攫えるかというのが大切なルールといえるだろう。
なお、レートは決められているようで、やよいで打った麻雀と同じ千点五百円。祝儀も同じで一枚千円。しかし、ウマが30-50と少し高かった。
本来そういう用途で渡してくれたものではないと思うが、弥生さんから頂いた二十万円というカネは私に安心感を持たせてくれた。私は昨晩よりはかなり落ち着いた気持ちで配牌を開けた。
二五七九14⑧⑧⑨東北白發 ドラ ②
本当か、これは。私は思わず心のなかでそう呟いた。取り柄というものが、ひとつもないではないか。
いや、私は北家スタートだから、いちおう字牌はどれが重なっても役牌に――なったところで、どうだと言うのだ。
とことん毒づいてから、私は第一ツモに手を伸ばした。――八。
なんだ、ツモはいいじゃないか。だけど、嵌張がひとつ埋まったところでどうというワケではない。私はギスギスした気持ちのまま北を切る。
――しかし、恵まれたツモは一巡目だけではなかった。その後、途中で無駄ツモは挟みつつも、六、⑦、r5、四と引いてきて、八巡目にはこんな形になっていた。
四五六七八九4r5⑦⑧⑧⑨東
そして九巡目のツモで、三枚目の⑧をすんなりと持ってきた。私は複雑な心境で東を捨ててリーチをかけた。その東は私の対面が鳴いたが、まだ時間がかかりそうな捨て牌ではあった。
――そして二巡後、6を持ってきてツモアガリ。裏ドラ表示牌は八だったので、満貫の祝儀二枚オールのアガリとなった。
あの配牌からは想像もつかなかった満貫アガリ。最初の毒づきを、私は少し反省した。
今日の私はツイているらしい。その後は配牌までよくなり、私は三連続アガって親を迎えることになった。その時点で持ち点は46200点であり、ダントツのトップだ。
一二三四123①③⑤⑥東南 ドラ 三
これがオーラス親の配牌だった。下の三色を狙ってくださいと言わんばかりの好配牌だ。第一ツモは⑤で、私は南から切り出す。
二巡ツモ切りが続いたが、その次に②を引いてきた。こんなにツモがわかりやすく来てくれるのは初めてかもしれない。役牌云々という手ではないので、ダブ東を迷わず切り飛ばす。
そして次巡、四を引いてきた。もはやなんの遠慮もしなかった。私は⑤を切ってリーチをかけた。
するとなんと、一発目に⑦がいた。さらに裏ドラもひとつ乗り、リーチ一発ツモ平和三色表裏。親の倍満、8000オールと祝儀二枚オールのアガリとなった。
初戦は70200点持ちという圧倒的なトップ。場代は一人千円に加え、トップ者は更に千円を納めるというものだった。
しかし場代を差し引いても、勝ち金は七万円を超えた。
私の異様なツキに巻き込まれた同卓者三人の内、二人が白旗を上げて席を立つ。そのときの二人の忌々しそうな表情は印象的だったが、私は無理に強がってそれを気にしないようにした。
麻雀はお互いのすべてを出し切って戦い、勝利をもぎ取るもの――江上さんからはああ言われたが、私はまだその信念を捨てずにいた。
その後、欠けた面子を補うために、佐々木さんともう一人の店員である島津という青年が入った。
面子が変わったあとも、私の勢いに衰えはなかった。
一三6①②③④⑤⑦⑧北中中 ドラ ⑧
起家スタートの配牌である。第一ツモは四、私は北を切る。
一巡目から上家である佐々木さんから中が出たが、私は見向きもせずに山に手を伸ばした。第二ツモは、二であった。
私はもはや、どんな手でも面前でアガれるといった一種の
五巡目には、こんな形になっていた。
一二三四①②③④⑤⑦⑧中中 ツモ ⑨
⑥じゃないのか――という贅沢な文句を心のなかで漏らしながら、私は一を切ってリーチをかけた。
明らかに空気が重くなった。――が、私の知ったことではない。
三巡後、私は平然と⑥をツモりあげた。裏は乗らなかったが、4000オールである。
――一本場、私はまたも満貫をツモった。場センゴなので、4500オール。
その次の二本場で、下家の島津さんから跳満を直撃した。18000プラス3000点で、21000点――彼のトビで終了した。
島津さんがレジのもとへ行き、アウトを取りに行った。――アウトとは、言わば店からカネを借りることである。店員は客の埋め合わせで麻雀をやっているが、負け分は自腹なのだ。そして雀荘に勤めている人間の大概は、カネに余裕などない。
それでも、私は遠慮をする気にはならなかった。ムキになっているのかもしれない。麻雀とはこういうものだ――それを証明してやりたかったのかもしれない。江上さん、そして、黒崎さんに。
私はそれからも昼過ぎくらいまで打ち続け、ほとんどトップを取り続けた。時折他家からの反撃はあったものの、そのときもトップとはほとんど褪色ない点差での二着を取っていた。場代負けすら、一度もしなかった。
「ごめんよ、島津のアウトが許容額を越えちまったもんでね。今日のところは、こんなところで勘弁してやってくれないか」
そう言った佐々木さんは、真顔であった。私は小さく頷き、席を立った。
なお、島津さんは最後のゲームが終わって支払いを済ませるなり不機嫌を露わにした足取りで店の奥へと消えていき、もう一人の面子であった客の男もやはり不機嫌を顔に出しながら卓を離れ、ソファーのもとへと歩いていった。
――私は大量に増えた現金とやりきれない気持ちを抱え、店をあとにした。
店を出てしばらく当てもなく歩き回り、すっかりほとぼりが冷めた私は謂れのない罪悪感に苛まれていた。
なんの仕掛けもイタズラもない、日が悪ければ、私がカネを失くしていた可能性だってあった真剣勝負だ。その勝負に私は勝ち、カネを手にした。
それなのに、私は悪いことをしたような気がしていた。――勿論、世間一般的な常識というものに沿って考えれば、博奕で人からカネを奪うなど言語両断なのであろうが、いまはそんな綺麗事の話をしているワケではない。
どうしても、最初にダントツトップを取ったあとに卓を離れていった二人の顔が、そして、おそらく給料のほとんどを一日で溶かしたであろう島津さんのあの態度が忘れられなかった。
私は虚しい気持ちになっていた。所持金は倍以上にまで増えているが、ちっとも嬉しくなかった。麻雀に対して抱いていた無尽蔵の好感というものが、薄れつつあったからだろう。
この虚しさを解消する術を、私は知らない。別の店で麻雀を打つということも考えはしたが、行動には移さなかった。どうせ、同じようなことになる気がしたから。
結局、私はどこにも寄らずにやよいに戻った。
戦いの決着は随分前についたらしく、遠藤さんたちが打っていた卓は既に“卓掃”まで済まされた状態になっていた。
「あら、シロちゃん。随分早かったわね」
「ご飯を食べて、少し寄り道してきただけなので」
「ふふ……麻雀?」
私は動揺を隠そうと、弥生さんから視線を逸らした。当然、それは逆効果で、むしろ“そうだ”と認めることになってしまった。
「勝ったの? それとも、昨晩に引き続いて授業料を取られちゃったかしら?」
「……勝ちましたよ。頂いた二十万を倍にしてきました」私は開き直って、堂々と答えた。弥生さんはくすくすと笑う。
「そう、よかったわね。でも、あまり目立った勝ち方をするのは褒められたことじゃないわよ。必要以上の恨みを買うのは面倒なことに繋がりかねないわ」
私はついに、吹っ切れて弥生さんに訊いた。
「弥生さん、博奕にルールがあるんですか?」
「というと?」
「ちょっと前に江上さんと定食屋でお会いして、同じようなことを言われました。――私にだって負けてカネを失くす可能性があるなか、始められた勝負です。それなのに、どうして勝ったからといって責められなければいけないんですか」
「あら、誰かに責められたの?」
「……直接なにかを言われたワケではありませんが」
「ふふ……そう。でも、負ければ誰だって悔しいし、お金を取られたら誰でも痛いものよ」
「それはそうですが……でも、勝負の結果です。悔しい、痛いからといって、勝者を責めるのはお門違いというものです。言ってしまえば、負けた人間だって、やる前はカネを取ろうという気持ちでやっていたハズでしょう」
「まぁ、やる前から負けるつもりの人間もいないでしょうしね」
「私は……なんというか、悲しいんです。好きだった麻雀が、嫌いになりそうで……」
私の言葉を最後に、弥生さんはしばらく黙り込んでいた。私は顔を伏せてしまっていたから、彼女の顔も見ていなかったので、なにを考えていたのかはわからない。
不意に、弥生さんはこう言った。
「麻雀をやめる?」
「……え?」
「嫌いになってしまったなら、もう麻雀はできないでしょう」
「やめません。麻雀はやめたくない」
私は即答した。しかし、その後の言葉が詰まってしまった。
「やめたくない……やめたくはないけど……」
私の言葉の続きを待たず、弥生さんは言った。
「今夜、クロちゃんをウチに呼んであげるわ」
「……え?」
「彼女と本気でやり合ってみなさい。あなたの葛藤の答えが見つかるかもしれないわ」
弥生さんは優しく、私に微笑んでくれた。
――私には彼女の意図が、理解できなかった。黒崎さんと打って、いったいなにがわかるというのだろうか。
「あら、もしかして自信がないのかしら? 彼女と打って、負けるのが怖い?」
その言葉に少々面食らい、私は顔を上げる。弥生さんはいたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを伺うように見ていた。
そこまで言われては、黙っていられない。私は首を横に振り、こう返した。
「――お願いします。黒崎さんを呼んでください」
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