第30話 魔女の森

 道迷いの記憶。それは昔々の御伽話ボーイミーツガール。大抵の男は少年の頃の初恋を引きずっているという他愛もない話。尤も少女の方は別れた後には何とも思っちゃいない。如何にもお約束だ。



 ■船着場


 船着場には船底の浅い大きな帆船が横付けされている。普段、温厚なジョージが気色ばんだ。


「こいつはどいうことだ?」


 猪首でガッシリとした体躯。大きい目を見開き、声を上げる。赤毛を短く刈り込み、立派な口髭を蓄えている所為か、威圧感が強い。


 依頼書に記載されていた限り、古兵の砦を経由して最果ての砦までの護衛であり、その対象は2人の筈であった。しかし、ジョージたち一党の目前には女三人。御令嬢風の一人に年若い二人の女中。御令嬢は頭巾フードを被って顔が見えない。執事であろう男二人。それに護衛十人。大所帯である。加えて大量の荷物。これで山越など無茶振りであった。


「俺たちの護衛対象以外は乗せて帰れよ。わけがわからん」


 ジョージは、一仕事を終えたばかりの顔馴染みの船長を飛び止める。


「旦那。俺達はここまでさ。そっちの事情なんか知らんよ」


 船長は、執事であろう初老の男性から金袋を受け取り、中身を確認しながら、ジョージの抗議に言葉を返す。


「娘一人に付き添いの爺さん一人って聞いていたのだが?」


「客と交渉するんだな。最近の冒険者組合ギルドの手際の悪さは誰でも知ってるぜ?」


 船長は日焼けした渋めの顔にニヤリと嫌味な笑みを浮かべる。ジョージの肩口をぽんぽんと叩き、踵を返して桟橋に向かった。帰りの船便の荷物を積むように船員たちに指示すると、橋桁に積まれていた荷物を人足たちが運び入れ始めた。


「くそったれが……」


 ジョージが苦虫を噛む。


「巡り合わせが悪いな」


 そう言いながら、黒髪黒目で大型の猫科のような雰囲気の偉丈夫、チェスターがジョージに歩み寄る。


「チェスター。馬車を確保してくれ。これじゃ話にならん」


「了解。行き先は俺たちの冒険者組合だな?」


 ジョージが視線で肯定すれば、チェスターは右手を軽くあげながら船着場に隣接する駅舎に向かった。


「それで、俺が話すべき相手は誰だ?」


「私がご説明いたします」


 初老の家令らしき男がやや冗長な説明を始めた。引き攣った笑顔を浮かべてジョージが対応する。マイケルとバートは距離を置いて、自分たちの頭目と客の話合いには口を挟まずに暫し待つことにした。


 やがて周りを油断なく見回していたバートが薄花色の瞳をマイケルに向けて或る事実を伝える。


「チラリと見えた衣装箱。ありゃケルンテン地方の意匠だ」


 勘の良いマイケルの声が大きくなった。


「まてまてッ!」


 どこか猛禽類のような印象を受ける鋭い視線が客の荷物に向けられた。


「声を抑えろ」


 バートが嗜めるとマイケルは声を潜める。


「——といえば、魔法師団長様だ。王都で権力闘争か?」


 彼は何事に対しても背景を確かめずにはいられない。


「不正の捏ち上げかもな……まあ、どうだっていいさ。知りたくもないぜ」


 バートが面倒事はごめんだとばかりに返した。


「どうせろくでもない事だ。さて、どうする?」


 いつの間にか戻って来たチェスターが仲間に次なる行動の方針を考えるようにと促した。


 バートが客の方に視線を向ければ、一見して御令嬢と判る旅装束の少女が不安そうに彼等を窺っていた。彼は小さな小骨が喉に刺さった様な感覚に陥る。厄介事に巻き込まれる時に、決まって感じる違和感だ。


「お貴族様の世界は陰謀渦巻くものだが、俺たちには関係のないことだ」とバートはしたり顔。


 詳しい事情に踏み込むのはリスクが高い。古参の冒険者である彼もまた線引きの大切さは身に染みていた。背景を深く探るべきではない。


「報酬の問題だ」


 目の前には道案内を求める客がいる。但し、依頼書に書かれていた人数や荷物やらが大きく異なっている。


「受けるか、受けないか。受けるとしたら幾ら追加するのか。まあ、そうなんだが……」


 マイケルは、果たしてそうだろうか、と怪しむ。単なる貴族家同士の利権争いなのだろうか、と違和感が大きくなる。

 尤も真実を知った所で普通の冒険者にできることは何もないだろう。揉め事の核心に近づけば、我が身を危険に晒すだけだ。ごちゃごちゃ考えるまでもない。条件が大幅に違うなら断るべきだ。バートが暗に指摘する通りだ。


「君子危に近寄らずだな……」


 暫くして、客との話し合いを終えたジョージが仲間たちの元に戻ってきた。


「客は道案内を望んでいる。こいつは正規の依頼書。考えるまでもない」


 ジョージは自分に言い聞かせるように説明した。唖然とするバートとマイケル。予想通りと苦笑いを浮かべるチェスター。彼らの頭目は相も変わらずお人好しだった。


「致し方なし。後の段取りは?」とチェスター。


「御令嬢一人で山越だとさ」


「正気か?」とマイケル。


「残りは?」とバート。


「チェスターの手配した馬車で冒険者組合に行ってもらう」


「ちょうどいい具合に若いのがいるぜ」とチェスター。


 彼が指差す先、韋駄天スカンダの異名を持つ年若い冒険者が駅舎から出て来た。伝令の仕事の途中で、休息を取っていたようである。


「マジかよ……」とマイケル。


「大した偶然だな」とバートが皮肉を込める。


 ジョージたちはが偶々居合わせたとは思わなかった。冒険者組合長が初めから面倒事を押し付ける腹積りだったと解釈した。もしも古参のジョージから抗議されれば、彼女は十全なる支援は用意したと応えたであろう。であるならば——


「遠慮なく巻き込むとするさ」


 彼は当然のように冒険者組合の顔役のカネヒラに厄介ごとを押し付けることにした。冒険者組合の酒場で辛口の蜂蜜酒を呷りながら傍観者を気取るなど許さないと。

 今回、一切の関与無しであったが、カネヒラは側杖を喰らった。古参の冒険者たちは、深淵の娘にして魔女の娘たるアデレイドの謀略にカネヒラが必ず関与していると思い込んでいる。大抵の場合、その読みが外れる事はない。

 

「ジョージ。馬鹿げた量の荷物はどうする?」とマイケルが尋ねれば、「そうだな……おーい、頭領!!」とジョージは旧知の人足頭に声をかけた。


「どうかしたのか?ジョージの旦那」


「おまえ……その薄ら笑い止めろや」


「話は聞いていたぜ。相変わらずだな」


「間抜けは俺たちじゃない」


「中央の本部か?そうじゃないだろ?」


「うっせーぞ。人手不足なんだよ。とりあえず倉庫を貸せ」


「これでどうだ。良心価格だ」


「倍かよ!」


「雨雲が近いぜ」


「くっそッ。アデ——」


「旦那。自分たちの不手際だろ?魔女様の名前は出しちゃ拙いぜ」

 

 ジョージは「その魔女様が舞台だ」と言いたいところをぐっと堪えた。



 ■山道


「いい天気。登山日和です」


「ああ、そうかも知れんな……」


 ご機嫌な様子の御令嬢とは正反対なジョージが無愛想に応えた。


 目下、彼女は西方大陸へと逃避行中だ。彼女は、古兵の砦を中継地として、最果ての砦までの山越の経路ルートに執事を同行させず、冒険者たちに身を預けた。全くどうかしている。常識を鑑みるまでもなく、二人の執事のどちらかは無理矢理にでも随伴するだろう、とジョージたちは呆れた。


「道中、ご面倒をおかけ致しますが、宜しくお願い致します」


「仕事だ。気にする事じゃない」


 貴族家の御令嬢がむさ苦しいおっさん冒険者四人に囲まれて貞操の危機すら感じないというのは、正気を疑うに十分だ。お蔭でジョージたちの気分は晴れない。


 南方の辺境から西南西へ、古兵の砦に向かう山越の経路ルートは素人の足で2日。全行程二〇〇百尋スタディム(およそ40km)、高低差一万シャデュァ(およそ3000m)程度だ。しかし、登山道はほとんど整備されておらず、道中には必ず大型の魔物一頭か二頭を目視することになる。危険だという誰かの言葉を待つ必要はない。しかも、植生限界の稜線は、山の頂を望む場所から丸見えときている。


 お気軽な様子の御令嬢とは裏腹に、彼らは警戒の階位レベルを引き上げざるを得なかった。護衛対象は、命が掛かっている状況にも関わらず、急峻な山々の景色の美しさや高山の花や鳥を珍しいと言って楽しんでいる。


「南部の山は初めてです。頂きは東北部より険しく。神々しいです」


 普通じゃない。ジョージの素の感想だ。王都から追手を差し向けられて、命の危機に晒されている中、この脳天気さは一体なんなのだ。彼は、御令嬢に薄気味悪さすら感じたが、古参の冒険者として助言する事を忘れない。


「余り気を散らしていると疲れるぞ。道中は長いんだ」


「そうなのですね」と答えて、花が咲くような笑顔を向ける。


「空気も段々薄くなるから疲れも早い。動きも言葉も少ない方が無難だ」


 ジョージにそう言われて、少女は嬉しそうにゆっくりと頷く。


「足運びだが——」


「太ももとお尻の筋肉を意識しながら登るのですよね?」


「……ああ、その通りだ。足を持ち上げる時は、つま先はできるだけ使わずに、脹脛に疲を溜めないようにするんだ」


「はい。それと、歩幅は小さく、ゆっくり踏み出す。ですよね?」


「そうだ」とバート。


「山歩きは得意なんです」と御令嬢。


「そいつは、最高だ」とマイケル。


 ジョージたちは互いに視線を見合わせた。東方公爵の孫娘たる伯爵家の御令嬢とは思えない。まるで山村の羊飼いの様な逞しさ。前後に古参の冒険者を従えて、御令嬢は、しっかりとした足取りで、険しい山道を黙々と進む。時折、ジョージ一党に話しかける。


「皆様、有名な冒険者と伺いました」


「南方の辺境ならそこそこ知られているぜ」と彼女の直前を歩くマイケルが応える。


「俺たちに気を遣う必要はない」とジョージ。


「嬢ちゃんはお客様だからな」と最後尾を守るチェスターが付け加える。


「先ほどから嬢ちゃんと呼ばれてますが、私はヴェリーナ。ヴェリーナ・オルタムミア・エッペンシュタインですッ!」


 彼女はよく通る声で高らに名乗りを上げた。ジョージには、まるで何者かに此処にいることを知らせようとしているかに思えた。


「おう。ヴェリーナの嬢ちゃん。元気でいいぞ」とチェスターが応える。


「ヴェリーナです!」


「ヴェリーナ……。これでいいか?」とマイケルが振り返り少女を見遣る。


「御座なりですけど、問題ないです」とヴェリーナは力の籠った視線を返す。


 ジョージたちは、油断なく周辺を警戒しつつ、元気一杯の御令嬢を見守っていた。慣れない山道で辛いはずにも関わらず愚痴も溢さない。まめやスレができれば、直ぐに知らせて、治療と休息を求める。我慢の為所までよく分かっている。気配りも笑顔も絶やさない。一般的な御令嬢にしては実に不自然であった。

 恐らくの娘本人ではなく、その専属侍女メイドだ。ケルンテン地方の男爵の次女か三女といったところ。それがジョージたちの見立てであった。


「お父様が仰るには、西方の大陸の港町には、信頼できる道具屋があるそうです」


「それは何よりだが、俺達に話すことじゃない」とバートが嗜める。そうして親切心から助言する。


「生き延びるためには用心することだ。俺たちは最果ての砦までだ。余計な事は伝えない方がいい」


「迎えが来るまで、ご一緒してくださらないのですか?」


「大抵、次の案内人が来るまで半刻ぼど間をあける。痕跡を辿らせないためにも細切れにするものだ。だからこそ最低限の護衛を付ける」


「私はもうです。なので、皆様に追加依頼しても良いですか?迎えが来るまで護衛の依頼です!」


「報酬は?」とマイケル。


「私です!」


「馬鹿いってんじゃねーよ」とバートが間髪入れずに返す。


「むぅ……」


「その話は、古兵の砦で一息ついてからだ」とチェスターが優しい声音で諭した。


 ジョージは彼女の迎えは来ないだろうと思った。彼は、いつの頃だったか、何処であったか判然としないが、似た状況で同じような遣り取りがあったと感じた。

 徐々に彼の中で既視感が大きくなる。山鳥の鳴く声に、ああ、そうだったかと気がつく。随分と昔の事だ。ジョージの苦い記憶。冒険者と貴族の御令嬢。さして珍しくもないありふれた御伽話。



 ■道迷いの思い出


 若い男の冒険者は足を止めた。獣の鳴き声とは違う。人の声。確かに聞こえた。


 油断なく周囲を見回せば、雑木の枝が折れて、下草が乱れている場所を見つけた。其処は、直ぐに急斜面となっており、耳を覚まし、魔物の気配を探る。


「訳ありが下手を打ったか?」


 赤髪の若い冒険者は、そう独言して、双剣を抜くと、獣や魔物が何処から飛び出して来ても対処できるように備えた。この山越の径路ルートには領境の検問などないが、大型の魔物に遭遇することが珍しくない。官憲の巡回も無いため、難民、落ち人や咎人などの脛に傷のある旅人たちは危険を承知で利用している。勿論、腕に覚えのある冒険者も各領地の警邏とのいざこざを避けるために好んで使っていた。


「魔物の気配はないようだな」と呟きながら人が滑り落ちたと見られる場所を覗き込んだ。


 急斜面の下で蹲っている小柄な人影を捉える。遠目から上半身が動いているのが判った。生きている。此処ならば、然した難所でもなく、沢を辿って上流へに向かえば、稜線部の道に戻ることは容易だ。彼は、お節介にも、遭難者を助けると決めて、慎重に急斜面を沢へと降りた。


 赤毛の若い冒険者は、遭難したのが、成人前の少女だと認めた。


 背後から何者かが、近づく気配に気が付いたのか、少女は何とかその場から逃れようと這う様に川の方に移動を試みている。


「驚かせて悪かったな。俺はジョージ。南方辺境のの冒険者組合所属だ」


 彼は、その場に止まり、首から下げていた冒険者組合の認識票を翳して、少女に向かって名乗りを上げた。


 少女は、彼をじっと見つめて、何も言わない。


「困っているなら手を貸す。不要なら何もせず立ち去るから安心してくれ」


 ジョージは、少女の怪我の状態を確認する。手当しなければ、まともに歩くことはできないと判断した。少女は何も答えない。


「ああ、悪かった。余計な世話だった……」


 彼は冒険者の流儀から外れない。求められていないのだから手助けの押し売りはしない。恐らく、此処で見捨てれば、結末は見えている。獣に食われるか、寒さで斃れるか、運が良ければ野盗に襲われて売春宿にでも売り払われるだろう。


 ジョージは、少女から距離を取り、上流に向かって歩き出した。


「あ、あの……待ってください。手を貸して頂けないでしょうか?」


 互いに暫しの沈黙。


「前金で銀貨二枚だ。が終われば残り銀貨三枚だ」


 ジョージは、歩みを止めて、少女に向き直ってそう言った。


「は、はい。あの……」


 彼は、ズカズカと無雑作に近づくと、しゃがみ込んで、少女に目線を合わせる。そのまま、手探りで雑嚢から薬瓶を取り出した。


「コイツは特別な回復薬だ。嬢ちゃんの足首が折れていなければ、四半刻かからずに治る」


 ジョージはふっと一息いれて数拍を置いた。


「金貨二枚だ。街売りじゃないから伝手がないと手に入らない。ご領主さまが冒険者組合に特別に卸してくださっている優れ物だ」


 ジョージは、薬瓶を押し付ける様に手渡した。


「か、買います」


「歩けないんじゃどうしょうもないからな」


 ジョージは、すっと立ち上がると周囲を見回した。敵対する獣や魔物、そして野盗の類がいない事を確認する。

 

「あの……、これを……」


「大金貨かよ。受け取れないぜ。金貨百枚分だぞ」


「まだたくさんもってますから」


「あのな——」


 世間知らずにも程があるだろうとジョージは呆れた。少女は、拙いことを口走ったと直ぐに理解して、話題を逸らすべく被せるように尋ねた。


「これを飲めばよいのですか?」


「半分だ。だが先ずは、適当な布に染み込ませ、腫れているところに当てがうのさ」


 少女は、自分の足首と回復薬とジョージの顔を順番に見回して、困った表情を浮かべた。


「あの……」


「そいつを貸しな。あと触るぞ」


 御令嬢なら仕方ない。怪我を負って、酷く痛む足を検めるのも恐ろしいと思うのだろう。手を伸ばそうとしたところで躊躇した。貴族の御令嬢に男の冒険者が触れてもよいものだろうかと。顔を上げて、少女を見れば、嫌がる素振りはなく、痛みを覚悟したような真剣な表情で頷く。


「脱がす時に凄く痛むから、手巾ハンカチか何かをぐっと噛んでおけ」


 暫し間を取り、準備ができた事を確認して、ジョージは澱みの無いうごきで、ブーツを脱がすと、少女から声にならない呻きが上がる。雑納から麻布を取り出し、回復薬を染み込ませて、患部に軽く当てる。続けて固定用の革紐で軽く縛り付けた。


「これでいい。残りは飲んじまいな」


 打ちみや捻挫だけではなく、顔の擦過も目立っていたが、彼女が回復薬を飲み干して、十数拍の後、彼女の傷はスッと消えた。対魔物戦で深傷を負った際、戦闘を継続する為に用いる劇物扱いの回復の秘薬だけに効果は絶大であった。


「痛くないです!」


「そうか。確認しよう」


 ジョージは、患部を抑えていた麻布を外して、内出血の跡も完全に消えていることを確認すると、手早く靴を履かせて、少女には軽く足首の可動域を確かめさせた。


「足も動かせます」


「大丈夫だな。日が暮れる前に身を隠せる場所まで移動しよう」


 ズイと差し出された手。少女は革の手甲を装備した逞しい手に気押される。

 

「足元が危ういからな」


 人好きのする笑顔を見て安心したのか、華奢な手が伸ばし添えられた。


「はい……」


 彼女の顔を間近で見れば、手入れが行き届いた肌や髪が光輝いていた。ジョージは高位貴族様の輿入れ前の御令嬢だと確信した。冒険者ごときが触れて許される相手ではない。今更ながらどうしてこんな裏街道に一人でいるのかと疑問を浮かべながら、若い冒険者は道迷いの少女の手を引きゆっくりと立ち上がらせた。



 ジョージは、ヴェリーナを先導しながら、記憶の底に仕舞い込んだ御伽話のような体験を思い出していた。



 ■冒険者組合


 カネヒラは、冒険者組合に届けられたジョージの認識表と依頼書をじっと見つめる。


「認識票と依頼書……」


 カネヒラが理解不能という表情で呟いた。古参の案内人ガイドであるジョージ一党が救援要請したという事実に戸惑う。山越を望むような客は大抵訳ありだ。厄介な相手に道中襲われることなど珍しくない。しかし、ジョージ一党は何れも手だれで、一度たりとも案内人ガイドの仕事に失敗したことはない。冒険者組合によって事前に厳しく調査されるのだから、取り掛かる前から決死の覚悟を強いられる仕事など存在する筈がない。


「いや、おかしいだろ……」


 厄介事というのは冒険者の日常と言えばそれまでだが、古参であれば手に余る事態には撤退の二文字を忘れない。態々、火中の栗を拾わない。割に合わない依頼書を破き捨てたところで、冒険者組合の面子など後から幾らでも取り繕える。


「知らないよ。それより、おっちゃん。早く受け取りの署名をおくれよ。次の仕事もあるんだ」


 カネヒラは、依頼書から視線を外し、軽装の若い冒険者を見た。今回、船着場には偶然居合わせて、ジョージ一党からの依頼で厄介な客を冒険者組合まで道案内した。韋駄天スカンダと渾名される売り出し中の快男児だ。まだ十二歳と成人前であるが、客からの評判は上々だ。


「偶然か……」


 カネヒラは、韋駄天の肩越しに見える一団を視界に捉えると、ジョージたちが何事に巻き込まれたのか即座に理解した。彼の視線の先、此処辺境には全く不釣り合いな執事姿の男。有名なお貴族様の家令だ。


「あの人がどうかしたの?」


 勘の良い若い冒険者は、カネヒラの視線の先を確かめてから尋ねた。中年男は若者と視線を交わすも、何も語らずに難しい表情を浮かべるだけだ。若者は困惑する。


 胡散臭い墓荒らしカネヒラは、山岳案内人ジョージが冒険者組合を出る前に告げた事を思い出す。


『お決まりの仕事だが、今回は遠回りだ。西南西の稜線を通って、古兵の砦を経由して最果ての砦までのご案内さ』


 古兵の砦は、古王国時代の魔物狩りのためのもので、今は打ち捨てられた遺跡だ。確かに西方城塞都市には最も近いとはいえ、風の強い稜線を長時間登らなければならない。森林限界を越えた険しい経路だ。稜線を望む場所からは、彼らの位置を捉えることは容易い。

 つまり、怪しげな依頼内容の裏側を読むまでもなく、客がその経路を指定したのであれば、ジョージたちは囮役として選ばれたことになる。ジョージほどの古参の冒険者が状況判断を誤る筈はない。彼は客の意図を百も承知だ。依頼の達成と自分たちの命を天秤に掛けて、敢えて馬鹿げた依頼を選んだ、ということになる。


「何故、受けた……」


 思わず言葉が漏れた。不意に膨れ上がろうとする怒りは、古参らしからぬジョージ逹の無謀な挑戦に対してか、あるいは理不尽で身勝手なお貴族様の依頼に対してか、判然としない。彼は巫山戯るなと叫びたくなる気持ちをぐっと抑え込む。


「おっちゃん!?」


 若い冒険者には、怒りに包まれたカネヒラが異形のように映った。驚愕して数歩後ずさる。刹那、気の抜けた声が彼ら二人の耳に届いた。


「にゃぁ〜」


 カネヒラの相棒である黒き妖精種の少女。虚空の娘にして魔女の娘のD.E.ドロシア=エレノアが右側背面から急に姿を現し、カネヒラの首に抱きついた。勢いの割には全く重さを感じさせない。しかし、彼の気を散らすには十分であった。


「おい」


 D.E.ディーは、カネヒラが手にしていた依頼書を掠め取ると、何か呪文を唱えてから、若い冒険者にふわりと投げ渡した。


「此れで良いかや?」とD.E.ディーが目を細める。


「!?」 


 受け取り書は、D.E.ディーの魔法により若い冒険者の手に吸い着くように収まった。彼は、渡された書類を見て驚く。受領欄に記されていたのは虚空の娘にして魔女の娘ドロシア・エレノアの花押であった。


「良い?」と繰り返し問う。


D.E.ディー姉ちゃん、ありがとう!!」


 若い冒険者は、弾けるような笑みを浮かべて、礼を返した。


 D.E.ディーが若い冒険者に片目で瞬きウインクを送り、報酬を貰えと受付カウンターを指させば、彼は一礼してから飛び跳ねるように其処に向かった。依頼達成の受領書に虚空の娘にして魔女の娘の花押がある場合、報奨金が加算される上に、冒険者の格付け評価が高くなるという慣例がある。


 カネヒラは暫しの間、韋駄天の溌剌とした背中を見ていたが、D.E.ディーに「若い子を怖がらせてはダメ」と嗜められた。

 黒き妖精種の少女は此の冴えない中年男の複雑な心境など気に留めない。カネヒラは気勢を削がれた。手元に残ったのはジョージの認識票。割り切れない思いで見つめるが、何の足しにもならない。

 確かにドロシア=エレノアの言う通り、若い冒険者に醜態を晒すことは褒められた物ではない。カネヒラは、やや落ち着きを取り戻すと、D.E.ディーが唐突に彼女の用件を伝え語った。


「キースとスティーブを送ったぞッ!」


 黒き妖精種のD.E.ディーは、身体を浮かばせながら器用にカネヒラの胸元に周り込み、上目遣いで視線をカネヒラに向ける。


「なんだって?」


「キースとスティーブを山の中に置いてきた」


 褒めろと言わんばかりの得意顔だ。


「山?」


 カネヒラは困惑する。


 現在、キースは深緑の大司教による浄化作業に同行中で、スティーブの方はクロエたち白銀の翼と共に名状し難き魔物の討伐に従事している。両人とも現場から引き剥がして、他所に連れ回すことは出来ない筈だ。


 D.E.ディーは反応の薄いカネヒラに断片的な説明を続ける。


「直ぐにジョージたちと合流できる」


 そうしてニンマリと猫のように笑い、じっとカネヒラを見つめる。暫し、二人は見つめ合っていたが、やがてカネヒラが合点がいったような表情を浮かべた。


「何に乗っかるつもりか知らんけど、程々に頼む」


 カネヒラは納得した。冒険者組合長ギルマスは、一連の騒動に利用価値を見出したということだ。魔物掃討に同行したスティーブ教区長まで呼び戻す周到さ。客や案内人が死亡するという最悪の事態を避けられることは確かだ。


 D.E.ディーは、冴えない中年男の返しが、気に入らなかったのか、半眼を向ける。カネヒラは間髪入れずに機嫌をとった。


「あゝ、そうだな。細かい仕掛けなどどうでもいい。D.E.ディーさんには感謝だぜ」


 彼女は、カネヒラの礼を聞くと満足したのか、ふわりふわりと冒険者組合の大広間ギルドホールの高い天井近くに浮かび上がっていった。D.E.ドロシア=エレノアの漂う様を漠として眺めていた処で、マーカスの高く柔らかな声が雑然としたギルドの中にあってもカネヒラの耳に届いた。


「カネヒラ。いつでも出られる」


 護衛隊の準備は整ったとの呼びかけ。厄介な客が到着して半刻も経過していない。冒険者組合長アデレイドの指示で、予め準備は整えてあったという事だ。


「事の始まりは東方の魔物氾濫か……、あるいは……」


 彼は、こいつはもっと根深いのだろうなどと、益体も無いことを呟きながら振り向けば、マーカスと視線が合った。嫋やかな立ち姿。そして柔らかで優美な笑顔。誰もが思わず抱き締めたくなる。


「流石だ。マーカス」


 互いにゆっくりと頷けば、マーカスの肩越しに隠れる様にして、カネヒラに手を振るもう一人の美少女。


「エミリーも一緒に来てくれるのか?」とカネヒラが意外そうな表情を浮かべた。


 エミリー・ローレンはマーカスとお揃いの鴉の濡羽色の革鎧を装備している。彼女の扇情的な姿は魔女の傭兵団の紋章入りの頭巾付き外套で隠されている。


の護衛は二度目」と頷きながらエミリーが答える。


「ん?」とカネヒラが首を捻る。


「エミリーは王都で護衛依頼を数多くこなしてきたからね」


 マーカスの皮肉めいた言い様は淫魔に変化へんげする前と変わらないが、年若い少女の姿に相応しい優しげな笑顔が言外の棘を真綿のように包み込む。


「こちらが本命か……」とカネヒラは謐く。


 マーカスは無言で頷くと、続けて爽涼で力強い声を冒険者組合の集会所に響き渡らせた。


「さあ、さあ、お客人たち。もたもたしてる暇はないよ。馬車に乗り込んでおくれ」


 その言葉に応じて、厄介ごとを持ち込んだ客人たちが整然と動き始める。


 他の客人たちとは違って、先程からじっとカネヒラの様子を伺っていた使用人姿の少女が優美に一礼した。そうして彼女は踵を返して集会所を後にして、折りしも降り始めた雨を気に留めず、馬車に乗り込もうとする。背後の年若い執事が素早く介助する様子を見て、カネヒラは肩を竦めた。



 ■地下牢


 窶れた貌に無精髭。冴えない表情の魔法師団長エルリッヒ・エッペンシュタインが大人しく牢獄に繋がれていた。床や壁などに抗魔抗呪の仕掛けが組み込まれているとはいえ、彼ほどの人物がその気になれば、本人にも多少の被害は被ることになるが、魔術を行使して吹き飛ばせないことはない。


 足音に気が付き魔法師団長が顔を上げた。


「摂政殿下」


の自死は明らかとなった。流石に家名を刻むのは無理だが、時期が到来すれば、然るべき場所にて弔わん」


「忝う御座います」


 拝伏したまま、じっと動かない。数十拍の沈黙の後、第一王女が口を開いた。


「妾の力不足だ。エルリッヒよ。許せ……」


 魔法師団長は、表を上げて、凪いだ瞳を第一王女アビゲイルに向け、続いて彼女の右隣に視線を遣ってから、居住まいを正し、再び深々と頭を下げた。


「重ね重ね、お慈悲に感謝を申し上げます」


オルタムミア公ヴァルモンドが存命であれば、始末は変わったであろう」


「お言葉ですが結末は変わりませぬ。これは私めの落ち度。我が娘ゆえに目が曇っておりました」


 第一王女は果たして其の様な見立てが正鵠を射るであろうかと怪しむ。エルリッヒの娘オティリエは、伯爵家令嬢として好評嘖嘖であり、魔法師団将校として高材疾足と誉れ高い。誰からも将来を嘱望されていた。愛娘が才覚に溺れ、試みに王権の簒奪を謀る虞ありなどと戒心できようか。


「是非もなし」


 色恋に狂い、迷宮を崩落させ、魔物氾濫を惹き起こしたと言われても余りにも突拍子も無い。全てが食い違い、各々が不揃いで、 底気味悪い。


 エルリッヒの刑死が決定した際、『事毎の支離を顧みず、法理の儘に裁定するは、非道にして滅裂なり』と言って第一王女アビゲイルは、悲嘆に暮れた。埃を被った古臭い国法ではあるが、法は法と諦めるも、納得した訳ではない。故に第一王女アビゲイルは連座制を無きが如く、魔法師団長が愛娘たちを逃亡させた事実に目を瞑った。勿論、彼には告げる事はなかった。


 やがて、傍らに控えていた法務官が仰々しい盆の上の薬瓶を恭しく差し出した。魔法師団長は、じっと薬瓶を見つめ、数十拍の後に思いを吐き出した。


「せめて従容として冥府に参ろうと心に決めておりました。侭ならぬものです」


 蒼白の面。震える手で握る薬瓶を見つめる。数拍の後、ぐいと呷る。握る手の力が直ぐに抜けて、薬瓶が石床に落ちて割れる。暗く湿った地下牢の石壁に嫌な音を響かせた。彼もまた崩れる様にその場に蹲り、伏せる。苦しげに息を吐いて、転がり仰向けになると、何やらつぶやくようにして、息を引き取る。彼の娘の名前だったのか、あるいは妻の名前だったのか、第一王女アビゲイルには聞き取れなかった。


 彼女は先ほどまで生きていた男の骸を見下ろす。


「執行官。見届けたな」


 解毒の魔法が無効と言われている特殊な毒による薬殺刑であった。しかし、第一王女は果たして高位の魔術師に服毒死を強いることが可能なのかと疑っている。とは言え、曲がりなりにも東方域の有力な伯爵家当主にして、中央王国の魔法師団長を務めた者を斬首刑に処するわけにもいかない。そもそも娘が大罪人だとして、親兄弟姉妹が連座して死罪というのも莫迦げている。法の執行は恣意的ではならないというが、有能な人材を失う方が国家としては痛手であろう。此の時、中央王国に於いて、対魔物の戦力が大きく失われた。


 第一王女アビゲイルは、自分の前で跪いて首を垂れる執行官を睨みつける。


 執行官は、何者かを特定されないように顔と声を隠して、法務を執行する。例え、国王に問われても答えることは出来ない。仕事を終えるまでは誓約の魔法に束縛されている。法務官本人の意思ではどうにもならない。


「沈黙の誓約。実に不愉快なり」


 彼女は鬱憤晴らしと自覚するが言わずにはいられない。魔物の前に法務官や他の行政官を並べたところで肉壁にもならない。肺の奥底から不快感を吐き出すように嘆息して、第一王女アビゲイルは地下牢を後にした。



 ■稜線


 ジョージが叫ぶ。


嬢ちゃんヴェリーナ!伏せろッ!」


 マイケルとパートが背嚢を盾にバスターソードとロングソードを巧みに操って唐突に降り注ぐ矢玉を切り払う。


「隠者の結界かッ!」


 チェスターが吼える。彼は風切り音から敵の射手の位置を特定して反撃する。瞬く間もなく、襲撃者たちの弓手の半数にあたる四人を戦闘不能にする。


 同時に虚空から湧き出した6人が、長剣を抜いて、駆け降りてくる。バートは、敵の装備から何者達であるかを喝破した。


「円十字だッ!」


 王城の近衛の中でも奇跡を縦横に操り最強と喧伝されている騎士団である。法王庁の神聖騎士団から百年ほど前に分派しており、正教会の直接の支配下にはなく、現王直属の部隊である。正確を期して説明するならば、円十字の聖騎士団の有力者の多くが前宰相の子飼いであった。


「くそがッ!!」


 ジョージが双剣を引き抜いて、敵を迎え撃つべく数歩前に出た。


「ジョージ!」


 チェスターがジョージの動きを制止すべく叫ぶが手遅れ。ジョージは、焦りか油断か、愚かにも隊列を崩した。僅かに生じた隙を襲撃者に狙われる。刹那、護衛対象者の少女の胸が撃ち抜かれた。彼女は弾かれたように稜線から滑落した。完全にジョージの過ちだ。


「なッ!」


 ジョージの息が詰まる。


 チェスターが躊躇せずに見えない狙撃手に矢玉を打ち返せば、頭部を撃ち抜かれた男が転がり落ちてくる。


「畜生めッ!!」


 滑落した少女を追って、ジョージが急斜面を滑り降りる。


「入れ込み過ぎだろ……」とチェスターが呆れながら、残りの弓手を素早く片付ける。


「いや。これで戦い易くなった」とバートが次々に駆け降りる襲撃者に向って、ロングソードを構え直して、歩み始める。


「チェスター。司令塔はどこだ?」とマイケルが冷静に尋ねる。彼は、バートの右側面を守る様にバスターソードを蜻蛉に構えた。


「わからん。の神聖騎士は厄介過ぎる」とチェスターが返す。


 枢機卿位の奇跡により指示出しは遠隔からでも可能。敵の頭目は彼らの索敵範囲外にいる。今のところ敵の頭を潰すことは困難ということだ。そうマイケルは理解した。


「気にいらねぇなぁ——」


 マイケルの目に怒りが籠る。彼の意思が乗ったかのように彼のバスターソードが鈍く光を反射した。そうして襲撃者がマイケルとバートによって、完全に討ち取られるまで、四半刻の半分にも満たなかった。



 ■魔女の森


 空間が歪み揺れる。そして激しい金属音。D.E.によって空間転移させられたキースは、ジョージと少女を纏めて屠ろうとする円十字の聖騎士の強大な一撃を苦もなく弾き返した。


 数拍の間が生じる。


「へぇ、あんた、生きてたんだ。冒険者組合長アデレイドの言った通りだ」


 退屈そうな表情を浮かべたキースが右手の剣を敵に向けて対峙する。


「はてさて妙な事よ。冒険者に知己を得た覚えはない」


 心外だと言わんばかりの表情を浮かべ、円十字の聖騎士は巨大な槌鉾を構え直す。隙はない。手練れだとキースは断じる。続けて、彼は息絶え絶えな少女を庇うように倒れ伏したジョージを背後に索敵の技能で伏兵の存在を探る。敵対的な反応は目の前の偉丈夫だけであることを掌握した。


「ふぅん、まあ、いいか……」


「魔女の眷属よ。国法の執行である。手出し無用」


 ——魔女の眷属ねぇ……


 キースは、目前の聖騎士が看破の奇跡を使ったとは思わなかった。此処は魔女の森。上位奇跡は絶対に発動しない。そして極めて限られた人間関係の中で生きているキースは世人には知られていない。つまり目の前の男は直接的に見知っていると断言したも同じ。やはり死んだ筈の改革派と呼ばれていた司教ということになる。

 しかし、中央王国の権力層の人間ならば、キースの妖艶さと辺境特有の装備から無慈悲なる魔女の眷属と思うのも無理からぬことであろう。しかし、円十字の聖騎士は、確かにキースとは初対面ではない。


 ——この顔と声音。覚えている。


「国法?それが何さ」


 ——この男が、実際、何者かなんて関係ない。


 キースは、どうせ殺してしまうのだからと心中で思いつつ、距離を無造作に詰める。


「逆賊となりたいか?」


「知ったことか……あんたはジョージさんを傷つけた」


「御用である。控えよ」


 円十字の聖騎士が祝詞を唱えることなく、巨大な光弾を放つ。だが無駄だ。キースは常人には見えない速さで振り抜いた双剣で光弾を弾く。


あまねはからいに執着するが故に情有れど理無わりなし」


 聖騎士の強固な神聖結界が瞬く間も無く霧散した。


 ——驚け!ヒルデ様の祝詞だ。


「禁呪ッ!?」


 男の顔が歪む。ジョージが手も足も出なかった無敵の守りは最早存在しない。魔術も呪術も遮られない。冒険者の単なる剣戟も容易に通る。


「随縁放曠!」


 そう言い放ち、敵の体をなぞるようにすり抜けつつ、キースは死霊術を放つ。敵対者と神々との縁を断ち切る。聖騎士は瞬間的な違和感により一瞬動作が阻害された。絶妙に相手の注意を惹く加減で、滑らかな動きと肢体の流麗さを見せつければ、聖騎士の目の良さが仇になる。体幹の動きの遅れを目が補う様にキースの姿を追ってしまう。キースは畳み掛けるように死霊術の魅了を発動させる。悪辣だ。


「笑止千万。児戯に惑わず」


 吐き出す言葉とは裏腹に目はキースの動きに釘付けとなった。死霊術によって底上げされ妖艶さを増した姿は、王都で評判の歌姫や踊り子すらも凌駕する程に美しく、修行を積んだ聖騎士の視線すら捉えて離さない。


 ——苛立ちは隠せてないよ。


 敵の様子にキースはほくそ笑む。苛立つほどに彼の術中に嵌る。


 聖騎士は槌鉾を振り上げて無詠唱で聖裁を放とうとする。発動すれば神力による一撃から誰であれ逃れることはできない。しかし、敵の動きはキースの読みの埒内、戦闘用の上位奇跡の発動を誘ったのだから。此処は魔女の森。魔女の娘たちの加護がなければ、高位の神聖魔術など、仮令、命を削ったとしても発動しない。


「莫迦なッ!」


「神々への祈りは届かないのさ」


 ——詰めの一手は此方側にある。


 キースは、油断を誘い、隙を作り出した。


「後ろがガラ空きだね」


「拙い——」


 気づくも後の祭りというものであろう。


「遅いッ!」


 ジョージによる致命の一撃が背後から円十字の聖騎士を貫いた。彼らの敵対者は低い唸り声を上げて崩れ落ちる。実に呆気ない。自力の四半分も発揮することなく、キースとジョージの連携により円十字の聖騎士は退けられた。


 ボロボロになったジョージが肩で息をしながらキースに礼を言うも、限界を越えたダメージを受けたためか崩れ落ちて、仰向けに寝転がった。


「キースッ!助かったぜッ!!」


「その娘の手当は僕らに任せて、ジョージさんは休んでいて……」


 キースはお手製の体力回復薬を雑納から取り出すとジョージに投げ渡した。視線をジョージから少女に向ければ、最早、手遅れに見えたが、余計なことは語らない。出来ることは全てやる。


「こっちだよ。急いでッ!」とキースは声を張り上げた。


 彼の呼び声に応じて、辺境開拓地の正教会教区長スティーブが数十丈はある崖の上から飛び降りてきた。浮遊の奇跡により音もなく着地すると、素早く少女に駆け寄り、複数の奇跡を同時に発動して、少女の身体を検める。


「回復の奇跡が弾かれます。何とも言い難い違和感がありますね」とスティーブが首を捻る。


「スティーブ司教でも減衰するの?」とキース。


「いいえ。我らの冒険者組合長アデレイド様から護符もお借りしましたので、正教会の高位奇跡も十全に発動する筈です。多分——」


 スティーブは、目前に横たわる少女に掛けられた呪術の所為であろう、と推し量るも口に出すことはなかった。複数の術者による呪術が複雑に絡み合っていて、自分の手に余ると瞬時に理解した。しかも、その内の最も強力な呪術——恐らくは反呪——は、深淵の娘にして魔女の娘たるアデレイドが放った呪術であった。


 神力が弾かれる状況でも、腕の良いスティーブの回復の奇跡は、危篤状態の少女の生命力を僅かながら底上げすることに成功した。少女は譫妄状態ながら言葉を発した。


「……、し、なせ、……て」


「だめッ。しゃべるな」とキース。


 ——この少女は、何故、生に執着しない。


 駆け寄って彼女に触れると光の粒子が湧き上がる。深緑の大司教、黒百合の聖女、そして白曼珠沙華の聖女の三聖女による加護のような神気をキースは常に纏っていた。呪因を弱める効果がある。聖女たちの神気は少女に浸透して、キースに彼女の本性を垣間見せた。この少女の心にとなる自我が感じられない。洗脳の類で埋め尽くされている。


「ヴェリーナ。誰かのために死のうとするな。自分の為に生きろ……」


 ジョージは身体を起こすと、ヴェリーナを見つめて、語りかけた。


 スティーブは、さてどうしたものかと逡巡していたが、外法の一つに思い至った。命を繋ぎ止めるだけなら解呪は不要であろう。


「その手はあるが、しかし……」


 詠唱速度が足りなければ、目の前の少女を死なせてしまう。苛立ちと焦りがスティーブの顔に浮かぶ。力不足である。彼は身じろぎもせず、横たわる少女をじっと見つめる。


 キースは動きの止まった青髪の司教を不思議に思った。


 ——一体何が見えているのだろう?


「スティーブ、頼む。ヴェリーナを繋ぎ留めてくれ。頼む……」


「分かった。だが恨みっこなしだ……」


 スティーブは無詠唱で神聖結界を展開する。


 ——まさか呪詛ッ!?


 キースにとって耳慣れた魔法の呪文が多重に響く。


 ——何故、死霊術?


「いや、待って、まっ——」


 ——不死者にするってことかッ!


 スティーブの唱えた禁呪に応じて、膨大な呪詛が少女の体から吹き上がる。予期していたのか、間髪入れずに、並行詠唱で解呪と浄化の奇跡を発動する。


 ——呪因が粘り着いている。


 スティーブの解呪と浄化を頑強に阻害している何かの正体がわからないが、因果を一時的に断てば、ひょっとすると解呪は進むかもしれないとキースは想う。しかし、スティーブは強い眼差しで、キースに死霊術の随縁放曠を放つことを思いとどまらせる。


「えっ、ダメ……なの?」


 スティーブは頷く。


 しばらくして、天から降り注いだ光の柱が消えた。


「魂は繋ぎました。ですが、これが私の限界です」


「ああ、これじゃ——」


 ——生ける屍だよ。


「ここからは深淵の娘にして魔女の娘アデレイド様にお任せしましょう」


 蘇生は深緑の大司教や白曼珠沙華の聖女の領分ではあるが、スティーブは敢えて深淵の娘の名前を挙げた。神々の力が届かない魔女の森の中、半死半生な状態になっているヴェリーナを、アデレイドならば完全に元に戻すことができるとジョージに告げた。



 ■避難小屋にて


 驟雨。大粒の雨が避難小屋の屋根と壁を叩く。稜線近くとはいえ、山並みは深く、空は雨雲に覆われ、深夜のような暗さだ。日没が近い。ジョージは昔のことを思い出していた。趣は異なるが、少女と二人雨宿りをした記憶——



 ——やがて日が暮れる頃、山道を外れて、雨除けの防水布で安全な休息場所を確保すると、簡単な食事の準備に取り掛かった。事前に血と内臓を抜いた雉鳩の皮を剥がせば、羽を毟る必要はない。


 少女がジョージの手捌きを興味深く眺めていた。


「雉鳩は好きです」


「仕込みは気にならんのか?」


 少女は頷いた。彼女は自慢げに説明する。屋敷の厨房に潜り込んでは、料理長たちの仕事ぶりを眺めていて、よく母親から注意されていたという。


 彼は焚き火の前で少女の身の上話を聞く。


 彼女は婚姻から逃れたくて家を出たと言った。ジョージは貴族の御令嬢の勤めだろう、と返したが、少女はお婆様は違う考えだと力説して、其処に向かいたいのだと告げる。貴族の義務だとしても押し付けられるのではなく自分で選びたいのだ。


「私は自由に憧れます。冒険者というのは素敵な響きですね」


「ろくなもんじゃない。吟遊詩人は蟎に刺されて痒いなんて謳わないからな」


 貴族様のほうが無難だ。わざわざ、清潔で飢えることのない生活を捨てることはない。冒険者はいつ死ぬかわからない。


「魔物の倒し方や野営の仕方。それに怪我の治し方。生きる術を熟知しています」


「お貴族様が、優雅に踊ったり、皮肉の応酬で鞘当てしたりすることと違いはない」


「酷い言われようです」


「揶揄してる訳じゃないさ。それが貴族の戦いだ。冒険者が迷宮で魔物と戦い、鍛冶屋が鍛冶場で鉄と闘い、調理人が炎と格闘するのと同じさ」


「貴方は戦い方を知っている。私とは——」


「誰もが何れ神様から与えられた役割りを果たす力を得る。早いか遅いかの違いだけだ」


「そうだといいのですが……」


 だが、ほんの一瞬、有り得べき未来の自分自身の姿が脳裏に浮かび、言わんとする言葉を遮った。しかし、重く冷たい何かが周りから押し潰すように迫り、息苦しさに気を失うような感覚に襲われる。一瞬、垣間見たそれがどんな姿をしていたのかすら黒く塗りつぶされたようで、その一場の夢ビジョンが見えたことすら、記憶から抹消された。


「これも人生さ」


 違う。違うだろう。誰かの叱咤する声が聞こえた。そんな台詞は正しくない。一緒に逃げるかと問うべきだろう、と。数拍考え込んで、無茶な話だと結論づける。


「結局、誰であれシガラミってやつから逃れられないんだろうな……」


「私は……」


 少女は随分と酷い顔をしている。多分、自分もそうだろう、とジョージは思う。


「あの沢で朽ちていた方がましだったかもしれません」


 確かに気持ちを押し殺してばかりでは、生きているとは言えないだろう。二人は、防水布を叩く雨音を聞きながら、無言で肩を寄せ合い、焚き火を静かに眺めた。



 彼は避難小屋に満ちていた雨音が消えるほど一つの考えに囚われる。此処の奥底で靄のように渦巻いていた割り切れない気持ち。何かを置き忘れてきたような気色の悪さ。三十年間、得体の知れない後悔に苛なまされていた。暗く粗末な避難小屋の中、膨大な大切な物事が指の間から砂のようにざっとすり抜ける様な嫌な感覚の正体を捉えることになった。選び間違えたのだと。


「くそがッ!」


 湧き上がる怒気を抑えられずに床を踏みつける。同時に、何故、自分がヴェリーナに拘ったのか、全身の骨の髄が震える程に思い知った。彼女とあの御令嬢の姿が酷似していたのだ。作りの悪い粗末な椅子に座り、頭を抱えて床に視線を落とす。自分自身が直接失ったモノは何も無いが、得体の知れない大きな何かを失ったと確信した。


 あの御令嬢をあのから連れ去るべきだった。

 

 今まで認知されなかった後悔が頭を擡げる。ジョージの耳に雨音が戻った。先ほどより雨足は強くなっていることに気づく。それまでは一切の気配もなかったが、瞬時に深淵の娘にして魔女の娘が避難小屋に姿を現した。暗がりから涼やかな声が響く。


「よくやった」


冒険者組合長ギルマス……」


 暗がりに濡れた頭巾付きの外套。足元に水たまり。銀色の髪が光を放っているように目立つ。顔は頭巾に隠れていて、その表情を窺い知ることはできない。態々、アデレイドが雨に打たれながら避難小屋を訪れたのか疑問ではあるが、ジョージは敢えて尋ねない。転移門を使えば御令嬢の身体が崩れ落ちるという話をキースから聞いていたこともあり、恐らく魔術的な理由なのだろう。


 アデレイドの声音は普段より平坦で硬く響いて聞こえる。杉板葺きの屋根を叩く雨音が遠ざかり、静けさが部屋を包み込む。


「此度の道案内も上々であった。さて、報酬の件だが——」


冒険者組合長ギルマス。悪いが成功とはいえない。依頼人は干涸びちまった……」


 言葉を遮られた苛立ちが魔女の娘から漂うがジョージは気にしない。道案内が上々などと評されたことが気に入らなかったからだ。アデレイドは、呆れ気味にそして揶揄うように事実を告げた。


「御令嬢は目的地に辿り着いたぞ」


「……」


 ジョージは言葉に詰まる。自分たちが囮であったことを改めて思い出した。傍らに横たわるヴェリーナは、確かに御令嬢らしくなかった。彼は、彼女のことを御令嬢の身代わりも担う側仕えだと見立てていた。しかし、今も違和感は消えない。彼女の自己犠牲が主人に対する忠誠心で説明できるだろうか。

 

「本命はカネヒラが送り届けた方だ。お主もはなから理解していた筈だ」


「あ、いや……」


 確かにカネヒラに託した方に本命がいたのだろう。だがヴェリーナも間違いなく御令嬢だ。彼の直感がそう囁く。あの行動は肉親に対する情だ。


「そうだったのか……」

 

 彼なりの推し当てを口に出さなかった。無駄に感情が揺さぶられることを恐れたからだ。魔女の娘は厄介な思いなど吐き出せば憂さも晴れるだろうにと中年男の外連味に片腹痛さを感じていた。


「報酬の件、お主の上乗せ分は、その娘でよいか?」


「ヴェリーナは——」


「お主がその娘をにするのであれば戻してやろう」


「いや——」


 若い娘と中年男。依頼主と冒険者以外の関係性を求めるのは常軌を逸している。酷く辛い思いをして、命を落としかけたヴェリーナ。望まないことを強いるのは気の毒だ。何故、そうなるのかと、視線を上げて魔女の娘を見れば、深淵を沸き立たせて鬱然とした様子のアデレイドが空中に浮かんでいた。


「如何に?」

 

 不機嫌さが絡みついた問いかけであった。


 ジョージは深淵の娘にして魔女の娘が何故これほどまでに不快感を漂わせているのか理解ができなかった。これ以上、彼女の気分を損なえば、気の毒な御令嬢は生ける屍のまま森に放置されるだろう。ジョージ自身のつまらない拘りで、ヴェリーナに残された生き延びるための極めて細い道筋を閉ざすわけにはいかない。


「分かった。それでいい……」


 魔女の娘から視線をヴェリーナへと移す。今後のことは、彼女が生気を取り戻してから、二人でじっくり話し合えば良い。


「此度は手放すでないぞ。深淵の娘にして魔女の娘との誓約じゃ」


 成程、二度目ということであれば、違えることは出来ない。ジョージはアデレイドの魔術によって再生するヴェリーナの様子をじっと見つめた。


 


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