第32話 泥眼に鉄輪を戴く

■禍に乗じて事序を繽紛し、厄難を克して安寧を得せしむる


 それは夜咄の茶事とはならなかった。


 深淵の娘にして魔女の娘のアデレイドとその高弟たるヨハンナ・リートベルグ女辺境伯の語らいは、やはり直近の魔物氾濫の始末とまつりごとの難儀ばかりであった。

 二人は、豪奢な椅子に向かい合わせで腰を下ろしているが、何故か、古王国時代の古臭い意匠の修道女のような衣装を纏っていた。豪奢な夜会衣装に比べれば動きやすいという機能面に於いて優れているのは確かであろう。


 諸々意見を交わし尽くすと、ヨハンナ女伯がいよいよ憂慮を口にした。


「東方域の住人の受け入れを領境の祝地と定めました。しかし、東方の復興が進めば争いの火種になりましょう」


 橙色とうしょくの柔らかな室内灯で影取られる所為か、ヨハンナ女伯の表情は冴えない。


「避難民は、女伯殿に保護され、豊かな土地を得た。故に辺境への恩義と忠節は語るまでもあるまい」


 は、今更、言問うこととうなど物憂いと感じる。何故なら、この魔術の高弟は、予見され得る悪条件を既に見定めては、選択肢も理に適う埒内に収めたに違いないからだ。


「望郷の念に起因する領土紛争は史書に散見されます。飛地問題は陳腐なれど、連綿と紛争が続く厄介事に相違ございません」


 ヨハンナ女伯は深淵の魔女と意見を異にする。正確には時間軸の捉え方の違いであるが、騒乱の萌芽を敢えて抱え込む状況など懼れて然るべきなのだ。


「不満の吐口を祖先への自己同一性空想の産物に求めるなど、遥か先の事であろう」


 アデレイドは女伯殿の懸念は尤もではあると肯首するも、深刻には受け止めていない。また、今や中央王国随一の豊かさと安定さを備えた南方辺境に東西両域から民人が流れ込むのは、人の世の定めと思っている。祝地を得ようと得まいとに関わらず起こるべくして起こるのである。


「新たに得られた土地自体に問題がございます。半分は東方公爵領と思われる地域が含まれております」


 ヨハンナ女伯は移住を余儀なくされた民人の問題ではなく、民人と土地を切り捨てた旧領主に問題があると指摘する。相手は名門中の名門の東方公爵家である。

 開拓が軌道に乗れば、積極的な離間工作による流言蜚語を広めてくるであろう。それは、先進的な東部と素朴な南部での異なる習慣や規範の食い違いを助長し、まつりごとの根底たる価値感から民人を乖離させる。

 其の様な仕込みの後、権力を傘に割譲などの無理を強いる、という懸念は決して小さくない。


「獣どもが住まう広大な荒野に領境の取り決めなど有って無きが如し。抑々、深緑殿の浄化の作業を中断させて、東方公爵の領都に無理やり招聘したのは後継殿だ。深緑殿の機嫌を損ねて領境となるような穢土が残されたのだ。それ故、心配無用じゃ」


 然ても然てもとアデレイドは怪しむ。心配性に過ぎると。民間防衛に長けたヨハンナ女伯配たるエッカルト・デューラーの監視網を掻い潜り、風説を広めるなど困難を極めるだろう。

 仮に、不満の為の不満を語り、流言蜚語を口にして、離反を先導するような輩が目につくのであれば、魔術で手ずから灰にでも変えれば良かろうと考える。


 確かに辺境の開拓地では火薬やら肥料やらが不足することが無い。


 余談に過ぎた。


「自領の復興に忙殺されている中、他領を掠取する謀に手を染めるなど、正気の沙汰ではない」


 世の理から逸脱している所為で、アデレイドは定命の者どもの情緒に疎いのだと、為政者として優れたる女伯が卑近な例を引き合いに出して異見する。


「南洋都市国家同盟という手合いもおります」


「持てる者と持たざる者の落差は、易々として、人の正気を喪失せしむか……」


 そう指摘されて思い返すは、狂いに狂って三百年みほとせも謂れ無き恨みで史実を塗り潰してきた様な愚かな民族が境を接してかたわらにいるということであった。しかし、アデレイドは、中央王国人が彼奴等と同類と思えない、とかぶりを振る。


「祝地は豊穣が約束された地です。恐らく、肥沃なる平原すら比べ物にはならないでしょう」


 ヨハンナ女伯は中央王国人の欲深さと腹黒さを能く能く知り尽くしていると語る。一切の隙など見せられぬことをアデレイドに伝えた。


「黒百合殿の祝福は確かに過剰であったやも知れぬな」


 アデレイドは傍若無人に振る舞っているように見えて言行一致を違えたことはない。彼女に言わせれば、そもそも両辺部の民人を切り捨てたのは東方公爵の後継殿なのだから、未練がましくも、また恥ずかしげもなく、嘗て荒野であった祝地を欲しがるなどありえない。


「とは言え、遺棄した寸土を惜しむなど見苦しいだけよ」と深淵の魔女は諦めの悪い者どもを蔑むが、そうした心持ちとは異なり、冷静に非常事態の対処方法を思い浮かべた。軍事侵攻があれば、直ちに麾下の傭兵団を投入して討伐させるという明快さ。


「女伯殿の領地では境から内に、後継殿の領地では内から境に向けてと、避難民の安寧を優先させて、深緑の大司教ヒルデガルド殿は浄化を進めたに過ぎない」


「それは偶々としか言えぬな。深緑殿に国事の為なる思惑など無かろう」


 深淵の魔女は、双方の境が接するは何十年も先であり、領地争いなど杞憂に過ぎないと断じる。


「女伯殿は深緑殿の後ろ盾。凝っては思案に能わず。からの贈物として拝受するに如かず」


 蛇足ではあるが、過剰な魔素により未踏の大型迷宮も新たなる領地の周辺部に産まれることは、後世の歴史書に記載された事実となる。それらは、南方の辺境伯領に更なる富を齎すのであるが、アデレイドは敢えて語ることはなかった。足るを知り過ぎる高弟のヨハンナ女伯に今から気がかりを増やして心労をかけたところで何の益にもならないからだ。


「アデレイド様……」とヨハンナ女伯は言葉に詰まる。


 この不器用な魔術の師匠がどうにも核心を避けているように思えて仕方がないのだが、ついぞ本音を聞き出せずにもどかしい。しかし、長年の付き合い故にアデレイドがヨハンナ女伯自身に何を為さしめんと欲しているか直裁的に理解していた。最早、あからさま過ぎて、戸惑う以外に無かった。


「西方動乱から大規模魔物氾濫に至るまでを思い返せば——」


 深淵の娘にして魔女の娘たるアデレイドは心から楽しげに語り始めた。


 ヨハンナ女伯は、南洋都市国家同盟の要地を奪い取って大洋への出口を確保し、西方域に繋がる要所から西方城塞都市の近郊までを自領の軍の支配下に置き、そして東方域の広大な荒野を新たな開墾地として得た。


「女伯殿の力量と比すれば、何れも小さきことなれど、将来は大輪の花を咲かせん」


 思いも寄らずに南方の辺境の版図は大陸史上最大となった。而も西方域の動乱や東方の魔物氾濫から逃れた多くの避難民を受け入たことで、今後三十年で辺境伯領の人口は他領を凌ぐことは確実。


「有象無象の後付講釈が恐ろしゅうございます」


 ヨハンナ女伯は今更ながら思い知る。


 過日、西方動乱に託けて、領都バルトヒューゲンを囲む支城群をアデレイドと麾下の冒険者たちの支援により構築した。これにより辺境伯領の主要街道の防御線が確固たるものとなった。実際、東半分の支城は、東方域から溢れでた膨大な魔物の迎撃において有効に機能した。

 支城群の全体を俯瞰すれば、幾度となく繰り返される南洋都市国家同盟への備えに見えるが、視点を変えると、王都直轄領や南方公爵領から侵攻する中央国軍に対する備えとも捉え得る。


 万が一、第一王女が王位を継がないような事態が生じれば、目前で優雅に紅茶の香りを楽しむ深淵の娘にして魔女の娘が、その美しき見栄えから想像できない苛烈さを以て、中央王国の鼎の軽重を問い兼ねない。

 嫌な汗が背中を伝う。野心とは無縁なれど天下を覆い尽くす才覚の持ち主は心中で覚悟を決めざるを得なかった。肝胆相照らす仲である第一王女アビゲイル・・リュードルファングを玉座に必ず据えねばならぬと。



■泥眼に鉄輪を戴く


 夜も更ける頃合い。未だに師匠と弟子の語らいは続いていた。


 アデレイドは虚空から火酒が入った切子酒瓶を取り出すと、併せのぐい呑に琥珀色を注いで真球の氷を落とす。それを、ずいと差し出して、ヨハンナに渡す。


「アデレイド様とは初めてのことです」


 ヨハンナ女伯は嬉しそうである。


「妾とて酒を嗜むこともある」


 疾く味わえと急かされて、ヨハンナ女伯は一口含む。「ほう」と深く息を吐き、目を見開く。味と香りに驚歎した。「美味かろう?」と自慢げなアデレイド。直ぐに東方の絶海の孤島で造られている珍しい酒を源流とする新酒であることを簡単に説明する。錬金術の調合のように淡々とした説明である。比喩絢爛ということもない。


「その場に樽などなかったのでな。無論、10年も待てぬ。試しに新芽を集めて、水気を絞り取り、時を早めて、発酵熟成させてから、蒸留した甘蔗酒に混ぜ込めば、あっさりとこの香り付けに至った」


 香り付けの終わった原酒から夾雑物を外なる神ラプラスの悪魔の如く取り除けば、風味が研ぎ澄まされたのか、料理長に試飲させると、若い頃に味わった記憶が鮮明に蘇ったのか、甚く感激していた。そうアデレイドは付け加えた。ヨハンナ女伯は、無限の時を生きる魔女の娘にも関わらず気が短いことを思い出し、小さく笑う。


「アデレイド様は折々に躁急さを隠されません」


 アデレイドは、何も可笑しな事はない、と小首を傾げて同意を求める。


「誰もが旨しモノには惹かれるであろう?」

 

「ええ。勿論です」


 そうであろそうであろと得意げな師匠に目を細める。一見すると、弟子のヨハンナ女伯の方が年上に見える。当のアデレイドは、十代半ばの少女の見た目ではあるが、実年齢は八千代の年月ですら足りない。


「私共で樽をご用意いたしましょう。その香木は巨木の森にも自生しております」


「樽か……。この酒の為に新しい魔法陣を三つ考案したからそれを教えよう。女伯殿ならば、香木の新芽と生の甘蔗酒があれば十分ぞ」


 酒を寝かせるための樽にも一工夫が必要であることを料理長から聞いていたアデレイドは難しい顔をする。


「アデレイド様の料理長が申される通り、数年かけて熟成させた方が、有り難みがましましょう」


「出来が不揃いになる」


「不揃いを喜ぶ者も多く居ります。年代別に揃えれば自慢の種にもなりましょう」


「これが最も旨いとは思うのじゃが喃」


「ええ。まさに神酒ですが——」


「——飽きる」


「定命の者は身勝手にございます」


 程よく酒が進んだところで、ヨハンナ女伯が迷宮崩壊の背景について尋ねた。


「悲喜劇の主演が洗脳されていたということを除けば、単なる痴話喧嘩が原因であろう」


 その洗脳が根源的な悪意ではないかと、ヨハンナ女伯は思い悩む。この不器用な師匠は気に掛ける風はない。


 深淵の娘にして魔女の娘は滔々と語りつづける。


 東方公爵領の未踏の迷宮の大崩落は呪物によって引き起こされた。その呪物は南洋都市国家同盟由来。彼らの侵攻軍が南方辺境伯領の未踏の迷宮に仕掛けたものであったが、虚空の娘にして魔女の娘によって暴発前に回収された。しかし、本来無力化されるべきであったが、正教会の教皇庁経由で、世間知らずの身勝手な貴族の娘の手に渡った。


くだんの身勝手な娘はオティリエ・オルタムミア・エッペンシュタイン。後学の為とオルタムミア公に呪物の見聞をせがんだと東方公爵家の家令が申しておる。都合よく盗まれて、オティリエに渡ったというのは、過ぎた作話ぞ。枢機卿マルクス殿が余計な便宜を図ったと思做しても強ち間違いではなかろう」


「第二位様がそこまでされますか?」


「聖騎士に加えて結界に守られた教皇庁の宝物殿から一体誰が呪物を盗み出せるというのか」


「内部の協力者は不可欠。ですが、それも無理筋に思われます。果たして、教皇庁内部で何があったのか?」


「真偽判断には簡素さが大事。まあ、あの呪物は盗み出せなくはない。但し、それを唯一為し得る破落戸は大の貴族嫌いぞ。大金貨を堆く積まれたところで、仕事は受けないであろう」


「そうなのですね」


 ヨハンナ女伯は、別の筋書きシナリオを思い描くも、終わった事なのだからと、アデレイドには語らなかった。


「さて、オティリエの事だが、想い人を奪われて怒りと憎悪に駆られ、奪った相手を迷宮に誘い込み、迷宮ごと始末しようと謀った。私怨にて呪物を用いるところなど煉獄の門と同じよ」


「大仕掛けすぎることは言うまでもございませんが、抑々、恋敵を未踏の迷宮に誘い込むなど、偶然が重なったとしても首尾よく叶うとは思えませぬ」


 益々、不恰好な話に転じて行くと、ヨハンナ女伯は、いよいよ、洗脳という言葉を重く感じた。


「恋敵が王都で最優と讃えられる一党の頭目たるならば如何に」


 一瞬、ヨハンナ女伯の貌が険しくなった。ローレンツ家といえば、中央王国の古王国時代から忌み嫌われている。北方の魔族に内応した裏切り者として歴史書に刻まれているからだ。

  

「おお、エミリー・ローレンであったな……」とアデレイドは、態々、言い直した。


 ヨハンナ女伯は切子のぐい呑グラスをクッと開けてから応えた。


であるならば、東方の公爵様が領地保全のため、未踏の迷宮探索を依頼するに相応しいです。私も噂だけはかねがね耳にしておりました。それにしても恋敵が最優のエミリーでしたか……」


 アデレイドは、すかさず真球の氷が入った替わりの切子のぐい呑グラスを虚空から取り出すと神酒を満たし、ヨハンナ女伯に手渡してから会話を続ける。


「エミリーは、第一殿を除けば王都の最大戦力にも関わらず、その出自故に宮廷内では、毀誉褒貶相半ばする。しかし、不思議な事に、妖艶なる美しさと強さの所為か、東方域において人口膾炙しておる」


「魔物氾濫の直前に行われたの迷宮対策は、国中の話題となっておりましたし、その冴えた人選と規模の大きさから、流石、オルタムミア公と皆口を揃えて大いに讃えておりました」


「七十組、総勢三百を超える冒険者たちを投入したのだ。何よりも王都の最優たる冒険者一党を要に据えたのだから評判にもなろう」


「しかし、事前の迷宮探索が裏目となったのは、皮肉でございます」


「公爵殿は余りにも大貴族であり過ぎたのだ」

 

 アデレイドは、末娘の事件から何も学び取れなかったオルタムミア公を指弾した。


「娘や孫娘は政略の道具にして家を繁栄させる人身御供などと、オルタムミア公の所見は実に不快なり」


 ヨハンナ女伯は、一瞬、アデレイドから視線を外して、考える様な仕草を見せる。彼女も貴族家の当主である。オルタムミア公の考え方は、貴族の家柄であれば当然と念うも、恋愛から婚儀を結んだ自身を顧みれば、理非共に有りと評すべきだ。


「時に女は己が心を選ぶ。可愛らしい人形に非ず。才能に溢れた魔術師であれば尚更。孫娘から想い人を引き剥がした結果が、巡り回って自領の崩壊を招きたるは、至当なる哉」


「オティリエは外孫ですので、オルタムミア公が容喙されたとすれば、余程ですね」


「然り。オティリエが執着した男は、直系が断絶した西方公爵のベスタブルク家に連なる男爵位の魔術師。ホーエンブルクのなにがし……否、フリッツであったか。酷く女癖の悪い、人品馥郁たらずな優男よ」


「西方域の男爵。問答無用にて東方域の貴族からは不成者と看做されます」


「血筋としては東の名家には相応しくない。オルタミア公は、其奴を英才にあらずして凡庸なりと評されたようだ。故に孫娘からは引き離した」


 アデレイドは酷評しつつ、見場は凄ぶる良いぞと繰り返し強調した。


「神々の前で互いに将来を誓い合ったらしく誓約痕跡も身体に刻まれていたそうだ。しかし、あの類の男の不誠実さは、小娘には手に余る。尤もオティリエの方も大概で、見目麗しい英才は勝利の証トロフィー程度でしかなく、愛していたとは言い難かった」


「引き離されたということは——」


 その言葉に応じて「これぞ最優なり」と、深淵の魔女はエミリーの容姿を魔術で眼前に投影させた。ヨハンナ女伯も優れたる魔術師。複雑極まりない魔力場を感知できる。アデレイドが投影したエミリーの立体像を直接眺める事ができた。


「こちらが最優と呼ばれるエミリーなのですか?」と溜め息混ざりに訊ねた。


「噂以上ですね。どんな誠実な男であっても、抗うのは難しいでしょう」


 確かにこの姿ならば、籠絡出来ない男を探す方が難しいだろう。然も、魅了というのは、警戒していなければ、非常に防ぎ難い権能である。


「オルタミア公はエミリーに優男を誘惑させた。それは大して珍しい事ではあるまい?」


「冒険者はそのような依頼まで受けるのですか?」


「それが最優たる所以よ」


 エミリーは、淫魔の魂が封印された荊棘の檻が身体の一部と化していた所為で、魔族の魅了を不完全ながらも行使することができた。


「相手は魔術師。確かに、普通の女が魔道具や秘薬などで誑かすのは、難しいでしょう……」


 そこで暫しの沈黙。エミリーは普通ではない。魔族の血を受け継いでいるとの流言は、根も葉もない中傷ではなかった。ヨハンナ女伯は、続けて、王都で人気の歌姫ならば可能かも知れないと思い至るが、あの手合いは、勇者や英雄でもない無名の魔術師などに興味は示さないだろう。そもそも金で脅しで思い通りに動かせる存在ではない。

 

「優男との親密さを見せつけるまでが依頼であった。オルタムミア公の意図は分かりたくもないが、自分の孫娘に仕向けるようなことではない」


は酷く傷つけられたでしょう。互いに対魔物の専門であること、エミリーの方が評判が高いこと、そしてこの見栄えともなれば、嫉妬の炎が燃え上がらないわけには参りませぬ」


「誓約を交わした筈の将来の英才トロフィーも奪われ、親密さも見せつけられれば——」


「泥眼に鉄輪を戴くのも道理至極です」


 アデレイドの言い回しを真似たヨハンナ女伯の返しに、アデレイド自身は満足げに頷く。


「頓て中成を経て本成に変じ、東方域を飲み込みおった」



■禍心を包蔵し、奸邪間に私する


 湯浴みを終えて、寝巻き姿に着替えさせられた二人は、無駄に広い寝台の上、重ねられた枕布団を背にして、横並びで魔物氾濫の後始末を語り合う。


「幼い頃はこうして、添い寝していただきました」


「甘え子なるは変わらずか」


 ヨハンナが身を寄せてアデレイドに抱きつく。先代も先先代も幼子の頃は、アデレイドにこうして甘えてきた。歳を経て、女伯やら大領主やらと、いい大人になってからは、身を寄せて抱きつくことはなかったが、ヨハンナの場合は、昔から幼子のように自由奔放と云われて来ただけはある。そう思いながらアデレイドはヨハンナの髪を撫でる。


 暫くして、ヨハンナは、第一王女の至らない点を口にした。

 

には才を愛でるに過ぎる面があり、魔物との生存競争に打ち勝つことばかりに気取られ勝ちで、配下の出自に頓着しない悪癖がございます」


 アデレイドは、誰のことかと疑問を浮かべるが、魔物氾濫の被害者と言える男の名前を思い出した。


「魔法師団長のエルリッヒ・エッペンシュタイン伯爵のことか?」


「そうです……」


 魔法師団長は、家系としては東方公爵派閥であったが、北方公爵の血が濃い第一王女に見出され、重用された人物であった。飛び抜けた力を保持しているわけでないが、安定した人格と魔術の効率運用に優れていて、尚且つ集団の継戦能力を発揮させる指揮に秀でているというのが世情の評価である。魔物の討伐は持久戦の側面が強いから、堅実な人物を要に据えたのだ。


「東方公爵の外戚。然もケルンテン地方を治める伯爵家は歴史が古く、王家始祖から仕えた名門中の名門であろう。これほど優良な出自もあるまい?」


「此処、南方辺境伯領の直系男子は途絶えております。それと同じ様に意を汲んだ異郷の女を娶らせて、女の子めのこを産ませれば、ほぼ目的は達することができましょう」


「魔法師団長は、異郷の血を受け継いでいたと、そう申すのだな」


「魔力の質が中央王国のどの家系とも異なります。アデレイド様も直に遭えばお判りになったかと存じます」


 そういえばと思い返す。西方域に逃したエッペンシュタイン伯爵家の関係者の中に潜んでいた呪術師は直ぐに特定された。顕界の術理を全て知るからこそ、アデレイドにとっては違和感はない。明確に範疇化された個物としての存在にすぎないのだから。


「あれは、南洋都市国家同盟から追放されたコーニア一族と同じだ」


 ヨハンナ女伯の顔色からさっと赤みが引く。


「成程、後継殿も気付かれたのであろう。随分と乱暴な始末であったが、実に理に適っておる」とアデレイドは続けた。


 前東方公爵が生前、凡ゆる手管を以て、外法の一族の情報を収集させていたのは幸運であった。迷宮核の暴走という厄災を収めるべく、東方公爵領が混乱の渦中にあっても、外法の一族の情報を整理することで、エッペンシュタイン家が外法の一族に乗っ取られていたことを突き止めた。東方公爵の嫡子は、魔法師団長との姻戚関係を遡って破棄。師団長の伴侶であった末妹、オティリエたちの母親は、既に病死していたこともあり、子飼いの枢機卿第四位を動かして、魔法師団長が幽閉されている間に婚姻を無効とした。


 推し図ったが如く、その頃合いに、北方公爵領で隠居している筈の元宰相ゲルトルート・ノルトハイムが、第一王女に対する意趣返として、国王に対する叛逆行為は三等親以内を極刑とするという国法を持ち出してきた。


「北方公爵ヤーヴィス・ノルトハイムの意図が奈辺にあろうとも、弟のゲルトルートの妄動を抑えなかったのは、第一王女から距離を置くという宣言だ」


 西方動乱という叛逆行為を力でねじ伏せて、古臭い王国法など持ち出させる隙を与えず、グナウゼナウ子爵や西方域の名家を第一王女の配下に帰順させ、反乱罪を不問にした。それほど、宮廷内外を掌握していたのだが、その第一王女の力を以てしても、今回の事件では、魔法師団長を守ることができなかった。


「ケルンテン公は、直近の魔物氾濫を除けば、比類なき功績を示した能臣でした」


 仮に帝国や南洋の間者だったとしても、魔物や迷宮の討伐において、余人に比する者の無い程の功績を挙げていた。


第一王女アルベルタも頼りにしておりました」とヨハンナは付け加える。


「それよそれ。王室との繋がりに加えて東方公爵との姻戚関係も強固となったのだから、この時節で表舞台に出すほど粗忽とは思えん。より深く根を張ることを目論むであろう」


「魔物氾濫の発生が想定外であったということでしょうか?」


「少なくともオティリエにその意図はなかったろう。年齢の割には魔術や呪術、それに迷宮に関する理解は深く、西方域の魔物氾濫を惹起せしめし何処ぞの馬鹿息子アウグステスとは異なり、自分が何を扱っているのか確りと弁えておった」


 然し、とアデレイドは思う。呪術において才華爛発なるバリクィース・コーニアに比べれば、オティリエ・オルタムミア・エッペンシュタインは凡庸に過ぎたと。バリクィースが組み上げた呪物は、コーニア一族の長ですら御すること能わない代物であった。外面的には非常に簡素に見えた所為で、単純な転移の罠に転用できると判断して迷宮核近くで用いたのが仇となった。


「なれば嘸かし喫驚したことでしょう」とヨハンナ。


 中央王国最大の脅威となった今回の魔物氾濫において、その発生源を生じさせた当のオティリエは、あまりの被害の大きさに慄き、事態が収束する前に、自ら短刀で喉を突いて自死したとされている。嫉妬に駆られて憎き恋敵を殺すだけの意図しか持っていなかったのは、残された手記などからも容易に判断できる。遺体も確認されている。尤もそれ自体も敵方たるコーニア一族などのペルシアハル帝国の暗部の仕込みである可能性も捨てきれない。


「真っ当な心があればな」とアデレイド。


 魔女の娘が真っ当な心などと可笑しなことを口走ったものだと自嘲する。


「アデレイド様?」


「いやいや、人の心に無関心も程々にせねばなるまい、そう思うただけじゃ」


 そう言うとヨハンナを抱き寄せて唇を重ねた。互いの鼓動を感じつつ暫くそうしていた。ヨハンナは、ゆっくりと唇を離して、満足したようにほうと息を漏らして、赤みが刺した頬を寄せる。


「随分にございます」


「既婚の女領主様に度々できるようなことでもあるまい」

 

 枕布団の位置を直して、アデレイドの胸の位置に顔を寄せながら、ヨハンナは、魔物氾濫の真相について尋ねる。


 一文でまとめるならば、外法を操る一族の策謀、教皇庁の権力闘争、王位継承の混乱、それに古龍も含めて外なる神々の干渉などが噛み合った結果と言える。無貌なる修道士が直接干渉する筈もなく、アデレイドには偶然の揺らぎによる暴走であったように思えた。


「教えて頂けないのですか?」と上目遣いでアデレイドを見つめる。


「中央王国に対する様々な禍心が絡み合って爆ぜたのだろう」


 端的に言い表しているが、中々に理解し難い説明になった。という言葉に真相が吸われて具体性が無いからだ。

 実際、ミーアが枢機卿ヨーゼフ・マルクスの成れの果てを討伐して無貌の修道士との対話に至った事で、アデレイドは膨大な魔力を要する時間逆行の魔術を行使するまでもなく、魔物氾濫の真相を把握できた。それを敢えて説明する気にはなれなかった。何故なら、外なる神が慰めに膨れ上がった水袋に穴を稚児の悪戯のように開けたに過ぎないからだ。


「外法の一族の浸透すら責めるべき事由に当たらないと?」


「北方公爵弟ゲルトルート・ノルトハイムが老醜を晒さねば、芸術公フェリックス・リウドルファングが気遣いと手回しの良さに依て、事を収めたであろう」


「王命により円十字まで罷り出したれば、魔法師団長のエルリッヒには死を下賜するしかございません」


 政治的な目的で、古臭い法を持ち出す輩の所為で、混乱に拍車が掛かり、首謀者が自死していたため、家族が罪を背負うことになった。

 第一王女は、魔法師団長の申し出もあり、彼一人の死を以て、事態を収めようとした。魔法師団長は、親の情が勝ちすぎたのか、第一王女を信じきれなかったのか、また裏の顔であるコーニア一族の都合か、表向きには他の娘たちは魔物氾濫に巻き込まれ死んだと偽装して、ヴェリーナという名の商家の娘とその侍女として西方に逃亡させた。

 その謀に魔法師団の幹部の一部が関わった事実が明るみに出てしまうと、第一王女の力では握りつぶすことができずに、魔法師団幹部が纏めて牢獄に繋がれることになった。それにより対魔物用の部隊が事実上解体された。

 魔法師団が余計な動きをせずとも、何とでもしてやれたのに、と第一王女としては憤懣やる方ない。自分の直属の部下たちから猪武者としか評価されていなかったことには多少なりとも心に打撃を受けたのは余談であろう。

 収まらないのは法務官や北方の元宰相である。北方の第七枢機卿を動かして、北方域出身の円十字の聖騎士団に魔法師団の娘を捕縛あるいは討伐することを命じた。


「アデレイド様は、ケルンテン公の娘たちの行方についてご存知なのでしょう?」


「偶々、妾の冒険者たちが護衛任務を受領し完遂させたから、知っていると言えば知っていることになるか……」


 西方域の港を経由して、ヴェリーナという名前の娘が、海を渡ってペルシアハル帝国に亡命したこと、またミットヘンメル中央王国の冒険者組合が正式な依頼として、同名の娘を西方域の港町まで護衛を完遂したことが記録として残されている。


「ケルンテン公の娘たちは汝も知っての通り三姉妹。呪物を使用して魔物氾濫の切掛を作り出したのが長女オティリエ。その三歳歳下に双子のウェルダとヴェリーナ」


 三姉妹は顔も背格好も見分ける事が難しく、当人たちも厳しい程度には、そっくりであったこともヨハンナに言い伝え、アデレイドは更に付け加える。


「海を渡った娘の名はヴェリーナではあるが、自刃した者はウェルダだ」


「オティリエは生き延びていたということですか……」


「コーニア一族の秘術であろう。彼奴らは呪術で人格の上書きを行うことができる」


「アデレイド様……」


「表を為した者とて、比類な呪術者。コーニア一族は、バリクィースも含めて、粒揃いよ喃」


 決して表舞台に立つことのない優れた一族を惜しむかのように語った。深淵の魔女アデレイドは明らかに言葉が足りていない。しかし、深淵の魔女の高弟にはそれで十分に伝わった。ケルンテン公を騙るエルリッヒ・エッペンシュタインなる人物は獄中死しておらず、魔物氾濫のも生きて西方帝国に逃亡した、という可能性をヨハンナは直ぐに理解した。


「此度の件はアルベルタの失態と疑われかねません。アデレイド様の胸中に留めて頂ければ幸いです」


「厄災の魔女の言葉を肯首する宮廷貴族など一人もおらぬよ」


「法衣貴族ほど厚顔無恥であり融通無碍な者どもはございません」


 ヨハンナは、使える事物は何であれというのが貴族であると知るが故に、用心に越したことはないと意見する。


「軽挙妄動を悉く逆手に取り摺砕くは徒爾ではなかろう?」


「アデレイド様は何かと言えば愚か者どもを石化させますが、敵対者と雖も、法衣貴族は、其れなりに使い出がございます。あまり粗雑に扱われますとアルベルタの手札が減ってしまいます」


 ヨハンナが敬愛して止まない魔術の師匠は、中央王国の貴族の扱いが凄ぶる悪い。彼女の妹弟子の一人、賢者の名声を冠する魔術師ミーアが、過日、口汚い貴族を石化させたことで、ますますアデレイドの悪評が立っている。ヨハンナは、そのことが第一王女に類を及ぼさないかと、危機感を募らせていた。


「蒐集物が増えるという利点があるのだが……まあ良かろう。石化は第一殿に伺いを立ててからにしようぞ」


 満面の笑みでそう応えるアデレイドに、ヨハンナは似つかわしくない苦笑いを浮かべた。


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迷宮遭難救助隊 LMDC @LMDC_JP

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