第22話 外法を求める者たち

■神聖暦三三三年夏季ニノ月一日 王都東方公爵邸客間


 正教会には幾つもの派閥がある。司教達の後ろ盾となる領主毎に派閥が形成されている。彼らは領主達の都合と事情を斟酌して、神々の教義を自在に曲解する。現世利益を齎すために便宜を図ろうとする。神々の御名で政治的事案に介入することも珍しくない。

 信仰だけでは腹は膨れない。世俗と切り離された神学論争だけに感けているわけにもいかない。大司教の中には、精力的に世俗に関わろうとする者も少なくない。しかし過ぎたれば神々の不興を買う。何事も加減が難しい。


 深緑の大司教ヒルデガルドが南方辺境伯ヨハンナ・リートベルグに便宜を図るのと同様、有力者から経済的な支援を受けている大司教達は、各々の後ろ盾からの無理難題を無碍に断る事はできない。第二位の枢機卿ヨーゼフ・マルクスは、東方の大公爵ヴァルモンド・オルソカールの招請に応じて、王都にある公爵の館を訪れた。オルタムミア公は、マルクス枢機卿がいつものように、ご機嫌伺いの長口上が始まるかと身構えていた。しかし枢機卿は黙礼して沈黙を保っている。肩透かしを喰らい、東方の大公爵は明白地あからさまに不機嫌になった。


「枢機卿殿。人の身で魔物氾濫スタンピードを惹き起せるというのは真実か?」


 公爵は気の長い性格とは言い難く、間怠こいのは性分に合わない。貴族的な言い回しも忌避している。


「事実誤認であれば、我らはどれほど救われるでしょう」


 枢機卿はのらりくらりと遠回しに話を進める。


「勿論、詳細を聞かせて貰えるだろうな?」


 公爵は無表情ではあるが語気が強い。


「枢機卿会の中で語り合った事は、如何なる事であっても審問官以外に口外する事は許されてはおりません。たとえ公爵様のご依頼であっても叶いません。そもそも審議を終えた事案については、枢機卿同士ですら再び語り合う事は許されざることにございます」


 自派閥とは言え、性根の腐ったマルクス枢機卿の薄ら笑いも見飽きてきた。そろそろ年の若い司教と入れ替え時かと考えながら、公爵は傍に控えていた家令に合図を送った。直ちに白金貨の詰まった皮袋が運ばれ、枢機卿の目の前のテーブルに積み上がる。海千山千のマルクス枢機卿すらその量に思わず息を飲んだ。

 しかし、この胡散臭い枢機卿は瞬時に冷静さを取り戻し、素直に受け取るわけにはいかないことに思い至った。外法は善き神々も悪しき神々も忌み嫌う禁呪だ。嘗て大聖人ロングヒルが放浪の果てに辿り着いた真理。神々を作り出す根源的な源の一端。それは、正教会の高位の枢機卿シングルが全ての神々との契約下において知らされることである。例え国王に求められても語ることなどできない。


 公爵が暫し間を置いてから問いかけた。強い眼差しが枢機卿に向けられる。


「我が領地にも未到の迷宮が数多有る。我が領地が西方域の二の舞とならない保証があるか?」


 枢機卿はじっと公爵の瞳を見返す。それは神々すら保証できない。高位の枢機卿シングルの間では周知の事実。正教会にとって忌むべきことである。枢機卿としては、答えようもなく、また答えたくもない。胡散臭さが消え、ただ沈黙するだけの枢機卿の様子を眺めて理解したのか、公爵は現実的な対処法を尋ねた。


「呪物を感知する術はあるか?」


「上位の司教による結界であれば可能かと」


 枢機卿の簡素な答えに公爵の表情が険しくなった。


「枢機卿殿もご存知であろう。黒き禍によってが壊滅した。いつの間にか霧散したとは言え、あれとて、外法の技によって惹起された災禍やも知れぬ」


 ミットヘンメル中央王国の最大の貿易港には、当然のことながら正教会の大聖堂が存在した。港を含めた商業都市を守護する結界は、神々の御名の下に幾重にも巡らされていた。黒き禍が外法であるならば、外法に対して結界など無意味ではないかという詰問である。

 マーカス枢機卿は、彼の主神の神託によって、黒き禍が外法に因る災禍ではないことを知っていたが、あえて黒き禍の正体を説明することはなかった。


「外法は神々に禁じられております。では抗うことはできません。しかし、教皇猊下御自ら神々に救いを求められましたので我らには新たなる術が下賜されました」


 外法の呪物に対抗する手段は、深緑の大司教ヒルデガルドが編み出していた。彼女が外法に触れることで、外法による呪物に対抗する術式を世界の理の埒内で組み上げた。教皇は新たな術式に対して使用許可を与えたに過ぎない。


「それは重畳。直ちに領内の主要な都市の結界術を更新してもらおう」


「承りました」


 献金に手を伸ばそうとする枢機卿を公爵が制する。強欲も度がすぎると内心で蔑みつつ、聖職者の沈黙の禁など権力でどうにでもなると判断して、公爵は枢機卿に脅しをかけることにした。ミットヘンメル王家に連なる者として、ヴァルモンド・オルソカールも若き頃は国内外に武名を知られた存在であり、第一王女アビゲイルに及ばないまでも、彼の覇気は聖職者では太刀打ちできるものではない。


「民人と領地を護らずして領主とはいえぬ。王都の社交界で、踊るだけが公爵の仕事ではない。結界術ではまだ足りぬ。守りだけでは勝てる道理はない。わかるな?」


 受け身であることは、オルタムミア公の性分には合わない。とは言え、彼自身が外法を知る必要はない。外法を操る一族を知り、その動きを抑え込めばよい。権力の使い所であった。外法の一族が何者であるのか、正教会の知り得た全てを東方域の大公爵として掌握すべきなのだ。


「独り言ならば、問題にはならないでしょう」


 溜め息を漏らすとマルクス枢機卿は語り始めた。


「外法の一族はペルシアハル帝国のアッシード家の庇護下におります」



■神聖暦三三三年夏季ニノ月三日 王家直轄領の平原部 西方域の貴族連合本陣


 外法を操る女バリクィース・コーニアが嘲り笑う。無敵を誇る西方域の騎馬軍団を束ねる伯爵プファルツ・ジンメルを「無敵とは名ばかりか?」と嗤う。ジンメル伯は忌々しげにバリクィースを見やるが、彼女は何処吹く風と気に留めない。他国の貴族に敬意など払わない。帝国の後ろ盾があるから侮っているのではなく、彼女の本性が他人に敬意を払うことを嫌う。神々に呪われた一族と蔑まれ、故郷を追われた結果としての反骨心が骨の髄まで刷り込まれているからだ。

 ジンメル伯は、外法を操る女を悪しき神々にすら見捨てられた人ならざる存在——世の定められた格式では御せない異形種——だと己に言い聞かせて、苛立ちを抑え込む。そのような様子さえ、この外法を操る女バリクィースは気に入らないと煽り立てるのだ。

 しかしジンメル伯はバリクィースの言い様も尤もだと、自省自戒するところがある。王都の貴族たちの虚を突いて、王家直轄領に一気に押し出したまでは良かったが、隣接するグレーヴェ伯とマルーク伯の巧妙な機動戦術により一時的に押し込まれた。その間、第一王女の近衛部隊の援軍が平原に展開することを許してしまった。そしてこの膠着状態である。

 狂奔の如き勢いは束の間のうちに削がれた。ジンメル伯は武人として、グレーヴェ伯やマルーク伯に今一歩のことろで及ばず、忸怩たる思いを噛み締めている。そして己の矜持よりも西方域の貴族連合の勝利を優先させる。勝つためであれば、相手が異形種であろうとも、献策には耳を傾けるべきだと。彼はミットヘンメル中央王国では珍しく度量の広い貴族であった。


「この状態で王国の後詰が戦場に到達したら勝ち目なし。撤退が賢明であろう」


「随分弱気だね。全軍で一気に本陣を突けば、あんたの勝ち確定じゃないのかい?」


「第一殿が厄介なのだよ。予見すべきであった」


「忌々しい女だ。神々に愛されて好い気なものさ。聖女を潰したのに依然としてミットヘンメルの連中からは強い加護まで感じる。癪に触るね」


 ジンメル伯は、バリクィースが聖女を潰したと言ったことに違和感を覚えたが、この状況下で詳しく尋ねることでも無いと判断して聞き流した。王都からの知らせでは、行方不明ということであった。聖女が神託によって隠れて修行することは珍しいことでもない。謀殺されたとは思えない。実際、王国内の主要都市では、聖女による結界も加護の双方が今も維持されている。


「無理は言えないが、貴女の一族の秘術で、両翼のグレーヴェ伯とマルーク伯、どちらか一方の動きを抑え込むことはできるか?」


「両翼のお貴族様は大した事はないだろう」


「両伯の軍勢は術者の支援が優れている。こちらも数を揃えてはいるが先の戦闘で明らかになった通りだ。技量の差が大きい」


「まあ、いいさ。両方ともに抑え込んでやるよ」


「感謝する」


「速さ重視で突貫すれば、後は数の問題か?神々との約定か何か知らないが、この状況下で攻撃魔術は飛んでこない保証などないがね」


 故郷を追われた一族の妄念。外法を操る女バリクィースは思う。存亡がかかっているなら術者を使い潰してでも敵を攻撃するべき。負ければ領地も領民も全て失うにも関わらず、何故綺麗事を並べるのかと訝しむ。


「攻撃魔術か……」


 ジンメル伯は、バリクィースの呪術の効果を疑っているわけではないが、漠然とした嫌な予感に細波のような胸騒ぎを感じていた。



■神聖暦三三三年夏季ニノ月五日明方 西方域貴族連合の本陣を見下ろす南西の丘陵地帯


 が西方域貴族連合の本陣近くに出現した。彼らは、急造の傭兵団とは言え、辺境伯領兵と共に南洋都市国家同盟の侵攻を撃破、敵策源地を占領、既に実践を経験している。その構成員は、アデレイドの配下の冒険者たちで兵役経験者とヨハンナ辺境伯領の牛飼いの中でも馬術に優れた者たちだ。その数は総勢五○〇騎。


「一昨日までは南端の砦。今日は西の丘陵。休みは一日。俺たちの冒険者組合長ギルマスは人使いが荒い」とチェスターが謐く。


「転移門で移動してるから疲れ知らずだろ」とカネヒラ。


「なあ、カネヒラ。転移門の行き先をに設定して、敵陣の下に展開すりゃ、それでお終いじゃないか?」と猪首にガッシリとした体躯のジョージが真っ直ぐな質問をカネヒラに打つける。


「そりゃ名案だな」と猛禽類のような印象のマイケルが目を細め、ジョージの質問に乗ってきた。


「火山の火口も捨てがたい」とバートも顎髭に手を添えて、思案顔で口を揃える。


「ああ、それな。昔々のことだが、冒険者組合長ギルマスに聞いたことがある。魔素の濃度差が大きすぎると、転移門を繋げることはできない。万が一繋がると、その瞬間、連鎖的に世界が崩壊するらしい」とカネヒラが面白く無さげに言葉を返した。


 唖然としているジョージたちを見回しながら、カネヒラは天を指差した。遥か上空に舞い上がり、戦場全体の様子を監視しているD.E.ディーについて言い及んだ。


「試してみるか?ドロシア=エレノアなら万が一をやってのけるぞ」


「カネヒラ。躊躇なさすぎるだろ」とジョージは首を左右に振る。


「なあ。カネヒラ。迷宮最下層からの転移はどうなんだ?ありゃ安全なのか?」


 ベテランの冒険者なら普段使いする転移の巻物に記された魔法であるが、マイケルは不安を覚えたのか、そう問いかける。


「転移の魔法と転移の魔法は別物だそうだ。俺が若かりし頃、D.E.ディーに確認したことがある」とカネヒラが答えた。


「なるほど。で、これからどうすんだ。ここから降りるとか言わないよな」


 チェスターが脱線しそうな仲間たちの意識を本来の依頼に向けさせるべく、次の行動について、カネヒラに尋ねた。


「龍馬なら降りられるぞ。急勾配だが、絶壁じゃない。龍馬に体を預けておけば、すぐに済む。大丈夫だ」


「正気か?」とチェスターが驚いたように目を見開いて、カネヒラをじっと見つめた。彼は、飛行魔法か浮遊魔法で降下するものとばかり考えていたからだ。


「飛行魔法の巻物の発する魔力は隠蔽できないからな」とカネヒラが付け加えた。



■神聖暦三三三年夏季ニノ月五日 昼中 王家直轄領の平原部

 

「両翼の動きが悪い。伝令を走らせよ。本陣を薄くしてはならんぞ」


 軍務卿ゲオルグ・ラーヴェンスベルク侯爵が腹に響くような大音で連絡将校に指示を飛ばす。第一王女は普段の落ち着いた雰囲気の軍務卿との違いに苦笑しながら宥める。


「軍務卿。落ち着かれよ。厄災が申しておった。今の我らには聖女様の祈りは届かないと。両伯の動きが悪いのも惑わされておるからよ。怯懦に溺れ、怠惰に負けて、雰囲気に流される。誰の心にも恐怖は巣食うておる。違うか?」


「外法の影響でございますか?」


「ああ。外法よ。見るがよい。赤黒く変色しておる」


 アビゲイルは首から下げていた円十字を少し持ち上げた。彼女が剣聖として祝福を受けた時に教皇が与えた神器だ。中央王国に存在する聖遺物としては、聖女の錫杖、勇者の聖剣、それらに次ぐ神力が込められている。


「なんと!」


「教皇聖下に賜った神器だ。昨晩、褥に入る前までは、白金色に輝いておったがな」


「何たる卑劣!」と激昂する軍務卿。


「ラーヴェンスベルク軍務卿。それはまるで妾の大叔父上ノルトハイム公のようではないか。其方らしくもない。これも外法の影か。実に恐ろしい喃」


 第一王女アビゲイルは自身の後ろ盾であるヤーヴィス・ノルトハイム公爵を思い出す。気性は激しく直情径行。理に適かなわないことを極端に嫌う。もしこの場に臨めば、今の軍務卿以上の怒りを燃え上がらせているであろう。彼女は、それが少々滑稽に思え、薄らと笑顔を浮かべた。


「申し訳ございません。ですが——」と軍務卿は頭を下げて言葉を繋ぎ、懸念を口にしようとする。


「この程度、如何様にでもなる。安心せい」とアビゲイルが軍務卿の気掛かりを強い言葉で抑え込む。そこに天幕の外から声が掛かる。


「ご注進!」


 軍務卿は、勢いのある声に応じて、従卒に指示を出す。入口付近に控えていた住卒が天幕を開けて声の主を招き入れた。


「……鴉衆であるか。申せ!」とアビゲイルが促す。


「敵一万余、我が本陣目掛けて、密集陣形にて移動を開始いたしました」


「狂騒そのものでございますな」と軍務卿が敵の戦理を無視した動きに眉を顰める。


「第二殿の出陣前に片付くは良きことよ」


「御意」


「では妾が自ら相手となろう」


 西方域の騎馬軍団といえば、嘗ては王国の牙と諸国に恐れられ、長きにわたる帝国との闘争の歴史の中において、幾度も帝国軍を打ち破り、その勇名を馳せている。それを恐るに足りぬと、敢然と討ち果たすべく、アビゲイルは先陣を切ると宣う。


「摂政殿下は、本陣を動かれてはなりません。この老骨にお任せあれ」


「高々一万余。妾が遅れをとるとでも?」


「万が一の備えでございます。アビゲイル様なら外法やら呪法やらに抗することができますゆえ」


 軍務卿は、討伐軍の主将として参陣している第五王子を一瞥した。


「……げにも外法の一族なるか。考え及ばず。妾も戦の風に当り過ぎた」



■神聖暦三三三年夏季ニノ月五日 昼中 王家直轄領の平原部


 魔女の傭兵団は、断崖にしか見えない丘陵地を龍馬で駆け降り、西方域貴族連合の反乱軍の背側面に回り込んでいた。王国軍の本陣に向かう反乱軍の移動に合わせて、彼らは一緒に移動していた。隠蔽魔法と認識阻害魔法を併用して、反乱軍に気づかれることなく、敵の中軍に潜り込み、敵を潰乱させる機会を窺っている。


 カネヒラが憮然として「この戦場は気に入らない。淀んでるぜ」と呟く。ドナルドが龍馬を寄せて轡を並べると「我が方の左翼は無駄に延翼している。右翼はまるで足が石化したかのようだ」と応じる。

 カネヒラは戦上手のドナルドに「どうみる?」と尋ねた。ドナルドは反乱軍と王国軍の動きを思い起こし比べていたが、やがて「両伯爵の動きは戦理に悖る。このままでは中央左翼に敵の衝撃力が集中し、右翼が金床となって、左翼側から本陣がすり潰されるだろう」と王国軍の抱える難点を指摘した。


 カネヒラは、分厚い縦深を成す敵の中軍の動きを睨みつけたまま、数拍の間を置いて、得心したように口を開く。


「そういうことか……」とカネヒラが皮肉な笑みを浮かべた。


「何か判ったのか?」とドナルド。


「外法さ」とカネヒラが一言。


「外法か……」


 ドナルドは南洋都市国家同盟の城塞都市で見せられた箱を思い浮かべた。千変万化する戦場で、概して遅効性の呪物が役立つのか、疑問ではある。アデレイドの庇護下にある魔女の傭兵団においては、一切影響を受けない所為もあって、実感が湧かない。


「詳しい話は後だ。それより擲弾で戦車チャリオットを吹っ飛ばすのが先だ」


 カネヒラは簡単に目標を定め、続けてその戦術的意図に言及した。


「王国軍の左翼が正気に戻れば半包囲に持ち込めるだろ?」とカネヒラは人の悪い嫌味を含んだ笑顔を浮かべた。


「了解だ」とドナルドは応えて、直ぐに後続の龍馬兵たちに指示を送る。


「帝国の暗部には暗部なりの、そして冒険者オレたちには冒険者オレたちのやり方ってのがある」


 カネヒラが騎乗してる龍馬に合図を送れば、龍馬は一気に加速、敵中軍の右翼前方の戦車チャリオットへ走り寄る。ほぼ同時にドナルドが地を揺らすような号令を発する。


「ジョージ隊。先行!」


「承知」


「スティーブ隊。両翼展開を解除。密集隊形」


「了解」


「魔女の傭兵団!突貫!!」


 魔女の傭兵団が猛然と西方域の貴族連合軍に襲いかかる。彼らの装備は衝撃力よりも機動力を重視した軽装であり、抗呪・抗魔の符呪により守られているとはいえ、正気を疑われる戦闘行動だ。


「スティーブ!を広げろ!!」


 ドナルドの命令に応えて、スティーブが発動させる奇跡が龍馬の群れを隠蔽する。高位の神官あるいは術者でなければ見破るのは困難であろう。看破の恩寵が与えらている者ですら目前を通過する魔女の傭兵団の姿を捉えられない。ただ白い靄が流れているようにしか見えない。


 カネヒラが「先頭を潰すぞッ」と叫べば、龍馬が直ぐに応えて、襲歩の回転数が上がる。カネヒラに率いられた龍馬の軽騎兵は、彼と共に反乱軍の側面を瞬く間に走り抜け、反乱軍の先頭集団に迫った。


 カネヒラは手綱を手放し、擲弾筒を構え反乱軍の先頭集団に狙いを付ける。彼我の距離、速度差、そして風向を見極め、正確な方位と射角で擲弾を撃ち出した。二台の四頭立て戦車チャリオットが爆ぜて、積載しいた外法の魔道具ごと爆散する。


「どんどん撃ち込め!!」とカネヒラが叫ぶ。


 魔女の傭兵団は、カネヒラに続き、擲弾を矢継ぎ早に敵の先頭集団に撃ち込む。着弾すると解放された魔力によって生じた爆風が反乱軍の騎馬を吹き飛ばす。敵騎兵一頭が転倒すれば、後続の騎馬を複数巻き込む。王国軍の本陣に突撃している反乱軍の隊列が乱れ始める。前方で転倒した騎馬を後続が避けようにも、前後左右の連携など取れる筈もなく、騎馬同士が衝突する。乗手たちは堪らずに立て続けに落馬。あるいは騎馬ごと転倒。驟雨の如く擲弾が着弾し、魔力爆発が絶え間なく続く。


「アデレイド姉様もカネヒラも回りくどい。流星撃オルティレリーの一撃で潰せるのに……」


 上空に浮かぶD.E.ディーは、西方域の貴族連合による反乱軍全体に混乱が波紋の如く広がる様子をむくれ顔で眺めていた。彼女は反乱軍の壊乱状態を視覚共有によってカネヒラに伝えている。戦場全体の兵士一人に至るまで、全ての動きを把握している。敵兵士も含めて、戦場の動きは間延びしたモノであった。一万を超える敵兵士の一人一人の表情の変化も容易に捉えることができる。彼女は一切を見逃すことはない。膨大な情報。まさに情報の奔流。しかし、魔女の娘であり、虚空の娘でもあるドロシア=エレノアにとっては、たわいもないことに過ぎず、全く退屈なことであった。


「カ・ネ・ヒ・ラ・ひ・ま。暇だぞーッ」とD.E.ディーが戦場の遥か上空で不満を漏す。


 では、カネヒラにとってはどうかと言えば、彼にとっても手慣れたモノであり、情報の取捨選択に苦労することはない。幼少期からD.E.ディーと感覚を共有しているのだ。戦場全体を細部まで把握できるという点に於いて、カネヒラは人外であり、昔から世界の理の外に在った。


 反乱軍の騎馬の縦深突撃は簡単に勢いを失い混乱する中、機会を伺っていたカネヒラが「ドナルド!ここだッ!!!」と叫べば、ドナルドと魔女の傭兵団が「おう!」と応え、カネヒラが指さす方向に突進を開始する。千載一遇。この刻この場所以外にありえない。反乱軍を率いる敵大将格のジンメル伯に至る最短の道筋が開かれれば、カネヒラと入れ替わったドナルドを先頭に魔女の傭兵団が敵将に殺到した。



■神聖暦三三三年夏季ニノ月五日 夕暮前 王家直轄領の平原部 西方域の貴族連合本陣


「わははははッ。やるじゃないか。アビゲイル・リウドルファング。見直したよ」


 外法を操る女バリクィースは歓喜の声を上げる。味方が敗退しているにも関わらず。上機嫌であった。


「見ただろう?攻撃魔法だ。あんたらもやるべきだったな。神々との契約などいざとなれば無かったことになるのさ。正教会はどうするんだろうねぇ?」


「全軍が崩壊する前に陣を払います。次段のことは西方域に逃げ延びてからです。さあ、コーニア殿。こちらへ。護衛の騎馬隊と共に撤退してください」


 プファルツ・ジンメル伯爵から事後を託されていたウィルヘルム・グナイゼナウ子爵が陣頭に立って指揮を執っている。厄介者である外法を操る女バリクィースは、帝国にとっては希少価値の高い宝のような存在である。ここで失わせては、西方域は後ろ盾を失うことにもなりかねない。自ら殿を務め、できる限り時間を稼ぐ必要がある。


 興奮して上気したバリクィースは露出度の高い装備の所為もあって蠱惑的ではあるが、外法の影が色濃く、グナイゼナウ子爵には魔物のように感じられた。護衛の騎士たちに彼女を馬車まで送るように命じて、早々に天幕から退出させた。厳しい状況下で戦の素人に口を出されては敵わない。

 天幕は暫しの間沈黙が訪れた。グナイゼナウ子爵は地図を睨む。彼の幕僚たちは静かに控えている。彼は、顔を上げると幕僚の一人に視線を投げて、状況の説明を求めた。


「子爵様。伝令によれば、第一殿は未だに動かれておりません。我らは背側面から奇襲を受けたのは事実ですが、本陣の術者も物見の術者も魔力の流れは一切感じられなかったと申しております」


「そうであろう。第一殿はあの通りの性格だ。術者を犠牲に火や雷の魔術を投射などせぬ。先陣を切って突進される筈だ」


 グナイゼナウ子爵は自らの言葉に頷き。そして続けた。


「錬金かあるいは魔道具か、その類の何かであろう。辺境の魔女殿のところには祀ろわぬ者共がいる。そもそも神々に見捨てられた者共であれば、魔物を攻撃する魔術を人に向けることができる」


「厄災の魔女と祀ろわぬ者共ですか……」


 グナイゼナウ子爵は“厄災”という呼称を初めて耳にした。南部辺境との領境近くの準男爵家出身の彼にとっては、“無慈悲なる魔女”という畏れと卑しめの入り混じった渾名なら子供のころから聞かされていた。


を携えてこの戦に既に参戦していると見るべきだ」


「確かに……」


「貴様も俺もガキの頃、親父どもから散々聞かされていただろう。辺境の魔女殿だけは敵に回すなと」


「時すでに遅しですな……」


「ああ、そうだ。だがまだ終わっちゃいない。グレーヴェ伯もマルーク伯も未だ武功を挙げていない状況だ。ここぞとばかりに攻め立ててくるだろう。厳しい撤退戦になるぞ」


「我々は逆賊ですから仕方ありません」



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